消失ー1

 真っ白な手紙に書かれた差出人の字。丁寧で、それでいて可愛らしい。

 アナタハ ダレ?


 ユウがいなくなった。

 ある日、いつものようにユウの家へ行った。インターホンを押しても反応がない。玄関のドアに手をかけた。抵抗もなくあいた。

「鍵が……かかってない」

 家には誰もいなかった。静けさのただようリビングで立ち尽くす。なにも変わっていない。荒らされた形跡も、物がなくなった様子もない。ただ、鍵があいていた。

 そして、ユウはいなくなっていた。

「ユウ……」

 ひとりだけの空間でつぶやいた。

 不吉な予感がした。ユウはなにも教えてくれなかった。ポストに投函される同じ差出人からの手紙。それは、絶え間なく毎日投函された。

 丸文字で書かれたユウ宛の手紙。それはいつも分厚い。私はユウに問いただす。

「ねぇ、あの手紙はなに?」

「んー、僕もよくわからない」

「わからないって……自分のことでしょ?」

「そうだけど、ほんとうにわからないんだってば」

 結局、わからないまま。ユウはなにも教えてくれない。というかあまり気にしていないようだった。

 毎日投函される手紙。封を切ることもせず、そのままゴミ箱に入れる。慣れた様子からして、ずいぶん前からのようだ。私は警察に相談したほうがいい、と言った。

「それは……やめとく」

「なんで?」

 ユウの頬がすこし赤くなった。

「僕も……人のこと言えないから」

 そして、困ったように笑った。ときおり彼は子どもみたいな無垢な表情を見せる。私は、そんなユウが好きだった。

 ユウは警察に行かなかった。顔も知らぬ手紙の相手に同情していたのかもしれない。好きな相手に想いを伝えようとすること。それがたとえ間違ったやり方だったとしても、憎めなかったのかもしれない。

 同じストーカーだった者として。それはユウの優しさなのか、それともーー。

 ユウがいなくなった原因はわからない。ただ、前のように仕事で連絡が途絶えたわけではない。それだけはわかった。

『留守番電話サービスです。メッセージが十件あります。本日、午後二時十分。一件目のメッセージです。

 ーー岡田? 西尾だけど、……会社無断欠勤なんて、なにやってんだよ。携帯もでねぇし……これ聞いたらすぐ連絡しろよ。

 本日、午後四時四十五分。二件目のメッセージです。

 八ヶ代です。岡田さん、どこにいるんですか? 取引先から電話入ってます。連絡ください。

 本日ーー……』

 留守番電話のメッセージ。私が来るまで、未再生だった。

 携帯を取り出すと、ユウの携帯番号をタッチした。発信画面に切り替わった。しばらく待った。けれど、出ない。電話の向こうにいるであろうユウは出なかった。

 それから、二度同じことを繰り返した。結果はおなじだった。機械的な呼び出し音だけが、静かなリビングに響いていた。


 毎日の関わりの中で、少しずつユウに惹かれていく自分を自覚していた。確かに監禁されている間にユウを好きになった。

 けれど、日を追う毎に彼への愛は私の中で深まっていった。束縛が激しいところを除いては、非の打ち所がないほどに完璧なユウ。

 朝起きると彼は、必ずエスプレッソマシーンでコーヒーを淹れてくれた。

「杏奈。コーヒー淹れたよ」

 そう言って眠っている私の頬にキスを落としてくれる。朝の苦手な私はコーヒーの香ばしい匂いと、ユウの穏やかな笑顔で目がさめる。

「おはよう……ユウ」

「朝ごはん作ったよ」

「ごめん……私、また寝坊……」

「気にしないで。ほら、おいで」

 優しく手を引かれて寝室をあとにする。ユウはいつも落ち着いた表情で私を包み込む。その度に、胸があたたかくなった。

 良いところはそれだけじゃない。彼は聞き上手だし話し上手。

 数日前、いつものように夕方仕事を終えて彼の家へ行ったときだった。私がちょっと疲れた顔をしているだけで、

「疲れてない? なにかあったの?」

 なんて訊いてくれた。

「んー、平気。ちょっとミスしちゃって」

「話聞くよ。相談にものるし」

「……ありがとう」

 ユウはちょくちょく私の相談相手になってくれた。

 ……頭いいなぁ、なんて思う。

 私が悩んでいることに対して、的確なアドバイスをくれる。ユウのちょっとした行動が、大切にしてもらっていることを感じさせてくれた。

 正直、私は孤独だった。ひとりの生活が寂しいと思うこともあった。だから、ユウとの出会いを大事にしたかった。そんな矢先にこんな出来事。

 ユウ。あなたは、どこに行ったの?

 嫉妬とか、怒りとか、悲しみとか、そういうものではなかった。ただ、不安だった。ユウに、もう会えないかもしれない。それが、ただ不安だった。

 いやだ。もう……いや。ユウ……あなたはどこ?

 ユウの面影を感じては、ただ虚ろな視線を落とすしかできなかった。彼のことを、私はなにも知らない。探すあてがない自分に嘆いた。

 ユウは私のことをなんでも知っている。知ろうとしていた。けれど、私はどうだろうか。自分からなにかをしようとしただろうか。いや、なにもしていない。

 私はただユウの気持ちを受け止めていただけだった。ただ、ユウから縛られる生活に酔いしれていた。

 こんな格好いい人から愛されている。監禁されるくらい、愛されている。そんな私ってすごい。

 ーーおごっていた自分が情けない。

 ユウは、とても魅力的な男性だった。だから、女性からの求愛にいつも頭を悩ませていた。

「はぁ、みんなすぐ僕を利用しようとするんだよね。仕事をネタにして誘ってきたり。それって脅迫に近いと思わない?」

 冗談めいて笑うユウ。それに対して私も、

「そうだね」

 と言って苦笑した。

「僕は杏奈以外興味ないのにさ。あ、それよりさ、今度美味しいカフェ見つけたんだ。杏奈ぜったいに気にいると思うんだ」

「え、本当に? 行く行く。ユウって、色んな場所知ってるよね。すごいな」

「だって、杏奈に喜んでもらいたいからさ」

 ニコニコと笑うユウ。平然とそんなことを言ってくれるから嬉しい。

「ありがとう」

「恋人なんだから当然じゃない。それに杏奈は僕を利用しようとしないし」

 彼は私を信じてくれている。

「うん」

 それに対して、私は笑顔を貼り付ける。けれど、心中は罪悪感でいっぱいだった。だって違うから。

 ほんとは私もおなじ。ユウを利用していたのはほかでもない。私だったから。欲にまみれた哀れな自分。どんな咎めも受ける。だから、ユウを私に返してーー。

 …………ユウ……。逢いたいよ。どこにいるの? 眠れないよ。無事なの?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る