嫉妬ー2

 翌日、ユウの家に行った。インターホンを鳴らすと、あたりまえのように彼が出てきた。

「やぁ、杏奈」

「ユウ」

 私は、ゆっくりと足を踏み出すと寄っていった。そして、思いきり頬をひっぱたいた。ユウが私を見る。ひどく驚いたようすだ。

「杏奈?」

 私は怒っていた。ものすごく。許せなかった。あっけらかんとするユウに、怒りがこみあげてくる。

 仕事が手につかなかった。今日だって、ミスして上司から叱られてしまった。

 それでも、私の頭の中はユウでいっぱいだった。

 なんど携帯を見ただろう。なんどメールを送っただろう。嫉妬させるためにこんなことをするなら、私は許さない。

「ユウ、なんで連絡しなかったの?」

「杏奈」

「今までずっとメールくれてたよね? 私が家にくるの待っててくれてたよね? 私、この三日間ユウの家に通ったよ。でも、いなかった。どこにいたの? ねぇ」

 私は、思いの丈をぶつけた。それは、悲しみ、怒り。どれもネガティヴなものばかりでいやになる。

 けれど、それが本音だった。

 どうして監禁されていた私が嫉妬しなくちゃいけないの?

 前だってそうだ。あの受付嬢とエッチする光景を見せられて、私はほんとうに辛かった。こんな気持ちになるなら、ユウのことなんて嫌いになっちゃう。

 私は、なにか言おうとするユウを睨みつけた。

「ユウ。私、もうここにこないからね」

「え」

「私の好きなようにやるから」

「ちょっと待ってよ」

 背を向けると走り出した。

「杏奈っ」

 私を呼び止める声がする。けれど、振り返らなかった。

 ユウなんて知らない。私だって、自由に行動する権利がある。嫉妬ばかりする人生なんていやだ。ユウは好きだ。でも、嫉妬をさせるユウはきらい。

 ねぇ、ユウ。私だって、女の子なんだよ。他の女の人みたいに、自由に遊んだり、時々はハメを外したりしたいの。わかってる?

 知らない。ユウなんか、もう知らない。

 ユウを平手打ちしたその足でバーへ行った。知らない男の人から声をかけられた。愛想のいい人だった。

「君、美人だね。いっしょに飲まない?」

「いいよ」

 迷うことなくそう答えた。私だってやりたいようになる。それから、お酒を三杯のんだ。男の人から声をかけられる前に、すでに二杯のんでいたので、ずいぶんと酔ってしまった。

 私は駅まで送ってもらうと、そこで別れた。

「家まで送るよ」

「平気」

 同じ会話を何度もした。男の人は下心があったのだと思う。

 男の人から逃げるようにして別れたあと、トボトボと家路を目指した。身体がやけに重く感じるのは、お酒のせいだけじゃない。

 ユウの頬をひっぱたいてしまった。今さら、そんなことが気になった。謝っても許してくれないだろうか。いや、そもそも悪いのはユウのほうだ。

 ユウがちゃんと私に連絡をくれていたら、そんなことしなかった。悪いのはユウ。

 謝る必要なんてない。それでも気になってしまう。どんなことをされても、やっぱり私はユウが好きらしい。

 私は、立ち止まり携帯のメールを確認した。未確認のメールはなし。

「連絡なし、か」

 憂鬱な気持ちに身を寄せた。その時だった。うしろから腕が伸びてきた。

 一瞬なにが起きたのがわからなかった。口を手で塞がれ、そばの茂みに引きずり込まれた。

 パキパキと枝が折れる音と自分の身体が引きずられる音が耳に届く。声を出そうとした。けれど、口を塞がれてなにも言えない。

「ンンッ……っ」

 男が馬乗りになった。そこでようやく相手の顔が見えた。

「さっきはどうも」

 つい先ほどまでいっしょに飲んでいた男の人だった。

「な、んで」

「静かに。大声出したら殺すぜ?」

 そう言って笑みを浮かべる手にはナイフ。身体がガタガタと震えだす。

 駅からのアパートへ向かう途中、抜け道がある。そこを通ると、時間短縮になる。けれど、両サイドは山。人通りがほとんどなく真っ暗。何かあったときは、助けを呼べない場所だった。

 私に限ってそんなことない。そんな根拠もないことを勝手に考えていた。我ながら、ばかだ。

「大人しくしてたら、殺さねぇから」

 男の人はそう言うと、私に顔を寄せた。知らない人とのキス。ギュっと目を閉じて、されるがままキスを受けた。

「口を閉じんなよ」

「ッ……」

「そう、それでいい」

 押さえつける力はとにかく強い。怖くてたまらなかった。

「やめて」

 その言葉すらも震えてかすれた。

「会ったときから思ってたけど、いい身体してるよな」

 服がゆっくりとあげられていく。背中に石があたって痛い。下着が丸見えになった。お気に入りの藍色のレースの下着。一昨日上下セットで買ったばかりのもの。

 必死に抵抗した。けれど、やっぱりどうにもならない。ただ泣くしかなかった。

「っ……やだ」

 涙は止まらない。

 木々の擦れる音。風の音。そして、私の身体を舐めるようにして眺める視線。

 もう、いや……。

 ユウ、助けて。心のなかで叫んだ。

「あぁ、そこにいたのか」

 声がした。そのほうを見る。三メートルほど離れたところで、私たちを見下ろす人物。

 ……え、……うそ。

 信じられなかった。それはユウだった。

 頭が混乱する。そこにいるのは、確かにユウだ。けれど、ありえない。こんな抜け道の、しかもずいぶんと茂みに連れ込まれた場所。外からじゃ見えるはずもなかった。

 なんで……いるの?

 それなのに、ユウはそこにいた。私と、私を押さえつける男の人を見下ろす。

 ユウ、そう呼びかけようとした。けれど、ドキリとしてやめた。ユウの表情があまりに無だったからだ。

 ふだんユウはニコニコと笑っている。ときおりムッとしたり怒ったりはするけれど、無表情のユウを見たのは初めてだった。

 無表情のなかにある感情。それがなんなのかわからない。怒っているのか、ならばそれは誰に対する怒りなのか。もしかしたら、別の感情かもしれない。

 とにかく心の内を押し殺しているようなそんな風に感じた。空気が張り詰めている。

 ……こわい。

 ただならぬ気配を肌で感じながらようすをうかがう。男の人はというと、驚きもせずユウのほうを見ていた。

「お前だれだよ」

「だれだろうね」

「はぁ? 意味わかんねぇ。邪魔すんなよ」

 私を押さえつける手が離れていく。男の人がユウに向き合った。その手にはナイフが握られている。ユウが怪我するかもしれない。

 ゾッとした。もしかしたら、怪我では済まない可能性だってある。ユウの手に武器らしきものはない。こんな暗闇で防御なんてできるわけない。迫りくる恐怖。

 警察を呼ばないと……。携帯は……あぁ、どこにあるのかわからない。

 身体が震えた。頬を伝う生ぬるい汗。喉はすっかりカラカラになっていた。

 だめ。いや。ユウが刺されるなんて、いやだ。どうしよう。どうしよう。

 後悔しても無意味なのに、それでも、後悔せずにはいられない。軽い気持ちで男の人の誘いに乗ってしまった。いっしょに飲むくらいならいいかなんて、軽はずみにオッケーした。

 そのせいで、ユウが危険にさらされている。なんてことをしてしまったんだろう。

 ユウ、ごめんなさい。ごめんなさい。

 謝ろうと思っていた。ひどいことをした。ちゃんとユウの話を聞こうともせず、言いたいことを言ってひっぱたいた。そして、やけ酒。どうにでもなれ、と思った。浅はかな私。

 ぜんぶ、私が悪いの。だから、自分で責任とらないとだめだよね。ユウを守らないと。

「まって……」

 振り絞るようにして声を出した。男の人が振り返る。

「なんだよ」

「ぃ、いいよ。……続き……」

「は?」

「続きします」

「いいのか?」

「はぃ……」

 男の人はキョトンとしたあと、すぐに笑いはじめた。暗闇のなか、笑い声が響く。

「そうか。ははは、聞いたか? ってことで、そこの兄ちゃん。お前は邪魔だからさっさと消えろよ」

 男の人がふたたび私に覆いかぶさる。これでいい。これで、ユウは傷つかない。

 だから、今のうちに逃げて。

 私は、身体の力を抜いた。

「ちょっと待ってよ」

 ユウの声。男の人が顔を上げる。

「まだ、なにかあんのか?」

 機嫌が悪そうだ。私は、困惑した。せっかく逃げる隙をつくったのに、ユウはまだそこにいた。

「はぁ、いったいなんなの?」

 ため息交じりのユウの声。

 ……なんで。

 私はユウを守りたい一心だった。それなのに、ユウの機嫌はさらに悪くなっている。ズンズンとこっちへ向かってくるユウ。男の人が驚き、ナイフを構える。

「こっちへ来るな」

 けれど、ユウは足を止めない。平然と男の人と私に近づいてくる。目の前までくると、ようやく立ち止まった。そして、肩をすくめて言った。

「せっかく助けに来たっていうのに、杏奈。君って人はひどいなぁ」

 その態度はあまりに、堂々としていた。この状況下で、ひょうひょうとしていられるその精神に驚かされる。

 普通じゃない。ナイフを突きつけられているのに、狼狽することなく立っている。理解不能。

 その感情は、男の人も同じだったようだ。次第に男の人の肩が、カタカタと震え出す。ユウの漂わせる雰囲気は、それほど不気味だった。

「何言ってんだ!? おまえ……このナイフ見えるだろ。脅しじゃねぇんだぜ!?」

「はいはい。静かにね」

「聞いてんのか!? お、俺は本気なんだぞっ」

「だからさぁ」

 ユウがゆっくりと男の人に詰め寄る。そして、満面の笑みを浮かべた。

「五月蝿いんだよ、わかる?」

 その声はひどく低かった。

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