翻弄ー1

「杏奈。……杏奈」

 声がする。

「杏奈」

「……ぅ……ん」

 ぼうっとする意識。

 ……そうだった。私……寝ちゃったんだ……。

「杏奈ってば、起きて」

 その中で聞こえるユウの柔らかい声。ずいぶん長いあいだ、眠っていた気がする。家と同じベッドだったため、熟睡してしまったようだ。

「ぅ……ん……」

 私はゆっくりとまぶたを持ち上げた。

「え……」

 見えた景色に私は目を見張った。ユウが私に馬乗りになっていた。

 私をまたぐようにして見下ろすユウ。距離が近くて、心臓が跳ねた。

「ユ、ユウ?」

「ただいま。さっき仕事から帰ってきた」

「お、おかえり……なさい」

 拘束されたまま答えた。ユウが寝起きの私を愛おしそうに見る。

 ……恥ずかしい……。

 私は直視しないようにした。

「杏奈。よく眠ってたね」

「ぅ、うん」

「寝顔可愛いかった」

 ユウが笑いかける。トクンと胸が波打つ。

 そんな顔されたら……ドキっとする。

「それにしても、もう夕方だよ?」

「ぇ……夕方?」

 時計を見ると、午後六時だった。

 熟睡してたなぁ……。

 そんなことを考えていると、ユウが肩をすくめた。

「今日は疲れたよ。トラブルとかもあったし、社内でもいろいろね。あぁ、それと、また営業先の受付の女の人からしつこく言い寄られて……はぁ、勘弁してってかんじ」

 スーツ姿のユウがため息を吐く。

 仕事のことを話したのは初めてだった。話の内容からしてユウは、かなりモテるようだ。

 たしかにユウは格好良いし、スタイルも抜群。

 ストーカーということ以外で考えたら、完璧な人間。そんな人がなぜ私を好きになったのか理解できない。ユウなら何もしなくても、女の人は寄ってくるはずだ。

 ーー私なんて、どこにでもいる平凡な女なのに……。

 馬乗りになるユウが、私を見下ろす。顔に影がかかり、どこかミステリアスだった。

 ユウはどんな表情も色っぽく見える。モテるわけだ。ユウはほんとうにきれいな顔をしている。

 そんな人に愛されている私ってーー。

 ユウが私の頬を撫でる。反射的に身体が震えた。

「ッ……」

「杏奈、僕疲れてるからさ、癒してよ」

「え……癒す?」

「うん。ストレス発散させて」

 意味がわからなかった。

 ストレス発散?

 拘束具をつけられている私にできることなんてない。できるとすれば、話し相手になるくらいだ。

 ……話を聞いてほしいってことかな。

「話ならいくらでも……」

「あぁ、そんなんじゃないから」

 ユウが抱え込むように私の脇の下へ手を入れた。また、くすぐられると思い身体を強張らせる。けれど、違った。

「杏奈って細いね」

「え」

「腰のくびれも……」

 そして、ユウの手がゆっくりと動く。脇から肋骨、そして腰へかけて何度もなぞる動きに熱気が高まる。

「……ッ」

 直接触れるわけでもない。服の上からただ脇から胸の下をなぞられているだけなのに、ドキドキする。

 その指先の動きがいやらしいせいだろうか。ユウは胸に触れるわけでもなく、ただ同じ動きを繰り返した。

 それでも、私の心臓は強く打ち付ける。たまらず声をかけた。

「ユウ……ッ」

「なに?」

「……その触りかた……なんだか」

「なんだか?」

「くすぐったい……ッ」

 すると、ユウが言い知れぬ笑みを浮かべた。

「くすぐったい……ね。知ってる? くすぐったいのと気持ちいいのって、紙一重なんだって」

「それ……どういう、こと?」

 ユウはなにも言わなかった。その代わりに、先ほどまで脇の下から肋骨にかけてなぞっていた指が離れていく。私はユウの指に釘付けになった。

 次はどこを触れられるのか気になって仕方がなかった。けれど、ユウはなにもしようとしない。

「クスクス、杏奈。期待してる?」

「え」

「だって、そんな顔してるから」

「ッ……そんなこと」

 慌てて視線を逸らす。顔が熱い。

 そんな顔をしてる? ぜったいに違う。 監禁した相手に期待することなんてない。そんなことありえない。

 けれど、身体中からにじむ汗は疑いなく動揺からくるものだった。

 気づけば私の身体はぐっしょりと汗で濡れていた。たしかに何度もなぞられて、過敏になってるかもしれない。

 けれど、触ってほしいなんて決してーー。

「触ってほしい?」

「そんな、わけない……ッ」

「ほんとうかなぁ」

「もちろん」

 ユウの指先。細く骨ばった手。

 触れてほしいなんてそんなこと……思ったとしても言えない。

「ねぇ、杏奈」

「な、なに?」

「僕はきみが望めばなんでもするよ」

「……っ」

「してほしいことある?」

 私を見つめる甘い視線、その視線に溺れてしまいそう。

 素直になればよかった? 触れてほしいって言えばよかった?

 けれど、だめだった。そんな恥ずかしいことはできなかった。

「そんなこと……なぃっ」

「…………そう。わかった」

 ゆっくりと立ち上がるユウ。平然とした顔で、ネクタイを締め直す。

「素直になればいいのに……まぁ、僕はそれなりに楽しめたけど」

「……そんな」

「ストーカーに感じるなんて、きみも結構いやらしいね」

「ちが……ひどい」

「ひどいのはお互い様だよ。僕はずっときみを遠くから見てた。ずっと嫉妬してた。だから今度は僕の番」

「……ユウ、ねぇ」

「杏奈。僕はきみに嫉妬してもらいたい。もっともっと。だから、ね?」

「嫉妬だなんて……私」

「あ、携帯が鳴ってる。そう言えば、大手取引先の女の人から会いたいってメール入ってたんだった。大事な取引の真っ最中だから、無視できないんだよね。じゃ、杏奈。また後でね」

 そう言ってユウが背を向ける。

「ユウ……っまって」

 引き止めるも、ユウは行ってしまった。

 私はその日あまり眠れなかった。身体が熱を帯びて妙に落ち着かなかった。

 それからも監禁生活はつづいた。逃げだす機会をうかがいながら過ごした。その間も、私の頭は疑問ばかりだった。

 ユウ、どうしてこんなことをするの? 私のことを愛しているのになぜ? それほどに私を閉じ込めていたいの?ねぇ、ユウ。私はあなたがわからない。

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