口渇ー2
「……ゲーム?」
「うん。僕が杏奈をくすぐるからさ、それに耐えたらトイレに行かせてあげる」
「え?」
「ね、じゃあさっそく」
ユウがそばへ寄ってくる。拘束されたままの私は、なにもできない。
「ま、まって……っ」
ゆっくりと手が伸びてくる。
ーースリ。
脇の下をくすぐられた。身体がピクンと反応する。
「ンッ……」
「あ、もしかして結構弱いの?」
ユウが頬を緩ませる。そして、反対の脇下にも手が伸びてきた。くすぐられるのは、大の苦手。触れられるたび、無意識に痙攣する。
「ユゥ……ッ」
「くすぐったい?」
ユウは楽しそうだった。まるで子どもの遊びをするかのように無邪気に笑う。けれど、私はそれどころじゃなかった。ユウがくすぐるたびに、身体がビクンと反応する。
「ほらほら、こことかどう?」
「ぁ……ッ」
「くすぐったいんだ。ほんと弱いんだね」
ユウは執拗に私の脇の下をせめる。強弱をつけた指の動きは巧みでたまらなかった。
「もう、……やめて」
「んー、なに?」
「それ以上は、だめ……」
「え、もう限界なの?」
「……っ」
コクコクとうなずく。波が押し寄せてくる。
ーーだめ。我慢しないと。
限界の波を必死に堪えつづけた。すると、
「そろそろかな」
ユウの手がようやく止まった。
「ッ……」
「杏奈、がんばったね。トイレに行かせてあげる」
その言葉をどれだけ待っただろう。
「抵抗しないでよ? いい?」
無言でうなずく。ユウは拘束具を順番に緩めていった。私は大人しく待った。すべての拘束具から解放される。
「そこにあるドアがトイレだよ」
「……ぅん」
ゆっくりと立ち上がった。丸一日横になっていたせいで足が震える。それでも、なんとか足を踏み出すと、部屋の隅にあるトイレまで走った。
勢いよくドアを開ける。
ーーバタン。
地獄のような時間からの解放。私は限りなく深い息をはいた。
「……は、はぁ……」
全身の力が抜けていく。とてつもない脱力感。 自分に置かれた今の状況を忘れるほどだった。
レバーを引いた。ジャボジャボと勢いよく流れていく。起きていることすべて、夢だったらいいのにと思った。
けれど、これは現実。 鍵の付いていないトイレを出ると、ユウがベッドに腰掛けていた。満足そうな顔で私に笑いかける。
「間に合った?」
そう訊かれたので純粋に、
「はい」
と答えた。
「よかった」
ユウが私を見つめる。その瞳はどこか魅惑的だった。それも、ユウの計画のうちなのかもしれない。
「はぁ」
重たげな吐息を漏らす。
「ねぇ、そんなところで立ってないでこっち来なよ」
ユウが声をかけた。不安に包まれながら寄っていった。
「さてと。遊びも終わったし、そろそろ僕は仕事に行こうと思う。杏奈はどうしたい? またベッドに繋がれたい? この汗で濡れたベッドに」
私は顔をブンブンと横に振った。
「あはは、可愛い反応。そうだよね。わかった。じゃあ、違う部屋に連れていってあげる。その代わりこれまで以上に僕を好きになってよ。いい?」
「……ぅん」
「わかった。じゃあ、手を出して」
恐る恐る差し出すと、ユウがポケットから手錠をとりだした。シルバーの頑丈な手錠がかけられていく。
「目隠しもするよ」
ユウが私に布をかぶせた。私の視界はゼロになった。
「よし、じゃあ、こっち。ゆっくりね」
そして、私の身体を引き寄せると部屋を出た。すぐに階段を十段ほどのぼった。
それから、誘導されるまま進んでいく。しばらくして、ドアの開く音がした。小さな段差を乗り越えて入っていく。
「驚くよ、きっと」
そこでようやく目隠しを外された。視界に入ったものをみて驚愕した。
ピンクの壁紙、花柄のカーテン、丸テーブル、黄色いソファー。
「そんな……」
私は目を見開いた。調和のとれた可愛い部屋。見覚えのある家具と壁紙。
ーー私の部屋とそっくり。
「信じられない……」
「驚いた? 杏奈の部屋をこっそり覗いてさ、同じ空間を作ったんだ。結構大変だったんだよ。ネットとか家具屋を回って、揃えるのにずいぶん苦労した」
ユウが嬉しそうに私を見つめる。そして、やさしく語りかける。
「杏奈……さっきはごめん。ちょっとイタズラが過ぎた。水のことも……杏奈を自分のものにしたくてつい……」
「ユウ……」
心臓が跳ねる。
ユウの悲しげな瞳が純粋だった。そして、虚ろな視線がセクシーだった。私は、自分が監禁させていることも忘れて見惚れた。
ーーなんてきれいな顔なんだろう。
ユウが私を見て、微笑みかける。
「だから、この部屋はそのお詫び。喜んでくれるよね?」
こんなにも忠実に私の部屋を再現している。ここまで揃えるのは大変だったに違いない。
……そんなにも、私のことを?
私は頷いてしまった。
「うん……」
「……杏奈。きみが好きだ。ずっと前から。だから、離したくないんだ。わかってくれるよね?」
「……ぅん」
「ありがとう」
それから、ユウはまた私をベッドに繋ぐと、部屋を出ていった。
一人残された私。壁紙、テーブル、そして、私を繋ぐこのベッド。どれも見慣れたものばかり。それが安心したのか、次第に眠気が襲ってくる。
……疲れたな。
久しぶりの睡魔に誘われて私は目を閉じた。
私を見つめるユウの視線は、愛に満ちていた。
たとえそれが、間違った愛し方だとしても、私を愛しているのには違いない。
半年前、恋人から振られて以来、私は恋愛を避けてきた。
前の恋人は、浮気症だった。どんなに泣いても、恋人は浮気をやめなかった。
浮気する男なんて大嫌い。私だけを愛してくれる人がいい。
そんなことを思っていた。すこしばかり狂気的でも、私だけを見て、私に尽くしてくれる。そんな人がいい。
あれ、それって……ユウのこと?
ーー違う。そんなわけない。
ストーカーに恋するなんて……いくら格好良くても、そんなこと……ない、よね。
艶のある自然な茶色い髪、切れ長の二重まぶた、整った顔立ち。そして、私を見つめるその視線。
漆黒の透きとおった目。その瞳が、私を捕らえて離さない。
「杏奈。好きだよ、だから僕を見て」
そう言って優しく微笑む。
固定具でつなぎとめるのはなぜ? 不安だから? 私を逃がすのがそんなにいや? そんなに……私を愛している?
へんだな。ストーカーから監禁されてるのに、私……どこか安堵してる。
だれかに愛されていたと知ってやすらぎを感じてる。その相手がユウだからかな。
タイプの人だったからかなーー。
私……おかしくなっちゃったのかも。でも、……それでもいいかな。
そんなことを思いながら、眠りにおちた。
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