2:空調

 夏、および冬。車の中とはいえど外気の影響は底知れず、夏であれば熱中症、冬であれば手がかじかむ、といった悪辣な環境はドライバーの命をも奪いかねません。

 ゆえに安全運転のためエアコンをつけることは推奨されるべきなのです。

 とはいえ僕は一人で運転するとき、極力エアコンをつけないようにしています。節約です。

 ただし、他人を乗せるというときは別です。ひとを自車に乗せるということは家に招き入れることと同義であり、ゲストには快適に過ごしてもらいたいと僕は思うわけですが、いかんせん難しいものです。



 ある冬の日。後輩三人を食事に連れて行くため運転した時のことです。

 12月の冷気は車外も車内も隔てなく冷やし、車の中でも息が白くなるほどでした。

 後輩たちも口々に寒さをぼやいていたので、僕はすぐに暖房をつけて車を出しました。談笑しながらしばらく運転を続けエンジンがあたたまってくると、車内も少しずつ暖かくなり、柔らかな温風がハンドルを握る手を包み込むようにほぐしてくれました。

 その温かさに、はあ〜、と声を漏らします。

「いや〜寒いっすね〜車の中でも外の空気と変わらないっすもんね〜」

 と、僕の吐息に反応したのでしょうか、後部座席の左の後輩が声をかけてきました。

 ああそうか、後部座席はもっと寒いのか。これは申し訳ない。

「そやな〜。でもすぐ暖まるからな〜」

 そう言って、すぐにエアコンの風量を最大にしました。ありがとうございますと聞こえたので、振り返らず後ろに片手をかざして先輩風を吹かせました。

 しかしそのすぐあと、あまり話に入ってこず、なんだか今日は静かだなーと思っていた後部座席の右の後輩がついに声を上げました。

「あの先輩……すみません……ちょっと酔いそうです……あたたかくてぼーっと……」

 後輩は申し訳なさそうに言いました。

「まじか……!とりあえず右の窓だけ開けよか!風に当たっとき!」

 ありがとうございます、と弱々しい声はすぐに窓から入る風の音でかき消されました。

 さむっ、という声が左後ろから聞こえた気がしましたが、これは仕方ありません。そんな彼のために窓開けて暖房をつけたままにするという大罪を犯すことにしましょう。

 ですがそのとき、助手席の後輩がさらにたたみかけるようなことを言いました。

「あのごめんなさい……助手席側の暖房だけ消したりできないですか?エアコンの風苦手で頭が痛くなるというか……」

「…………ごめん、できない仕様なんや……正面の風をなくして足元だけにするから、それで我慢してくれ」

 僕はひねり出すように言いました。

 わかりました、ありがとうございます、と左から聞こえました。



 思わずため息をつきそうになります。さきほどの至福のそれではなく。

 まだ寒いと言う後輩。

 暖かすぎて酔い始める後輩。

 温風の直当たりが苦手だという後輩。

 そして手を温めていたい自分。

 誰かを幸せにすれば誰かが幸せになれない。まるで社会の縮図だと思いました。

 車という狭い社会の中で、エアコンという一つの環境変化を共にする4人。それぞれ異なった基準をもつ僕らはいったいどうすれば幸せになれるのでしょうか?

 譲り合いの精神?忍耐の心?妥協点とはどこにあるのか……

 悩む僕でしたが、答えは意外と簡単なところにありました。



「おーい、酔いは大丈夫かー?」

 僕は後輩に声をかけました。

「はい、もう大丈夫です……とりあえず遠くを見とけばマシになるので」

 と右後ろの後輩ははっきりとした口調で答えました。

「そうか。後ろ、寒くない?」

「はい!いまカイロ出したんで大丈夫っす!」

 左後ろの後輩も元気に答えました。

「そうか。エアコンの風マシになった?」

「はい。でもこれ風の向き変えられるみたいなんで、もう足元だけにしなくても大丈夫ですよ」

 助手席の後輩もそう配慮して答えてくれました。

「そうか……そもそも幸せを与えようとすることがおこがましかったのかもな……」

「……?なんですか?」

「いや、なんでもない」

 僕がひとりひとりの快適さを求め、この狭い社会の誰もに幸福を与えることは不可能です。けれどそんなことをしなくても、それぞれが自分の幸せを自分で工夫して手に入れようとすること。それがみんなが幸せになる方法だという、いってしまえば当たり前の結論に達しました。

 僕も今度からは手ぶくろをつけて運転しようかな。

 そうこう考えているうちに今日も無事目的地に到着したので、ここまでにしておこうと思います。

 空調と社会の縮図の話でした。ありがとうございました。

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