時の間「聖痕の少女、ルーンとゆかいな仲間たち。」【改訂版:Ⅱ】
悪魔の女神は時を奪う。奪った時を、白い霧が運んでいく。私の夢は、時の墓場。私の様に、白い霧の様に……私の夢も、壊れかけている。
聖痕の少女は、私の夢の中で待っている。『貴方は、もう大丈夫。貴方を……呼ぶ人がいるから。聖痕の少女、“ルーン”……私の様に、壊れないで。』
『………………。』
軍国フォーロンドの西側にある街―ゴーストタウン。人の姿は見えない。街の中心にある、聖フィリス教会の廃墟。
教会の椅子に座っている、白い人形。白い瞳の少女―“再生の聖痕”。聖痕の少女は、俯きながら座っていた。
ズキッ!……心臓がある、体の真ん中が痛い。女神が創れないものは治せない。聖痕の少女はずっと眠っていた。白い人形の夢……青い瞳の少女ノルンの夢の中で。
つい最近、夢の中に自分の体があることに気がついた。今までは、体は見えず……感覚だけだったのに。何かが、ノルンの夢の世界に影響を与えている。
『ここは……お母さんの夢?』
白い霧の中を彷徨っていると……ノルンの夢の中から出てしまった。気がついた時にはもう遅い。
辺りを見渡すと、霧の中に街があった。あらゆる建物の表面が、どろどろにとけている。特に屋根の損傷が激しかった。黒い雲―黒い瘴気が、街を囲っているので、街の外は見えない。騎士神の槍(ロンバルト大陸最高峰)も、黒い瘴気に隠されている。
ここは、女神が奪った時―女神の夢の世界。悪魔の女神の極界魔術によって、創られた世界だった。
『…………。』
スキル・転移魔術―異界の門を構成した。どろどろにとけた街から離れ、ノルンの夢の中に帰ろうとした。でも、異界の門は発動しなかった。許されなかったみたい。本来の持ち主に……。
『お母さん、私……どうしたらいいの?
教えてくれないと、分からないよ。』
聖痕の少女は、死にたかった。
女神に死を求めた。少女の声を聞いたのか……怒った母は、この街に閉じ込めた。『怒るのも分かるよ。でも、今のままだったら……私は、ノルンを喰ってしまう。』
聖痕の少女は、お母さんに願った。『私が消えれば、あの子も死んでしまうかもしれない。けど、死ぬのは一度だけ……スキルや魔力が戻り、ノルンは霧の人形として蘇生できる。お母さん、お願いだから……ノルンではなく、私を消してよ!』
『どうして、私を消してくれないの?
答えてよ、お母さん……。』
悪魔の女神は答えた。でも、聖痕の少女には聞こえない。私の代わりに……聖フィリス教の司教が、白い瞳の少女に伝えてくれる。
「母親だからですよ。
自分の娘を愛しているからです。」
『!?………。』
人の女性の声。聖痕の少女は、この声は聞いたことがなかった。聖痕の少女は、急いで椅子から離れた。
廃墟の入り口に、一人の女性が立っている。
金色の髪と赤いリボン。聖フィリス教の白いローブを纏った、神官の女性―ミトラ司教。歳は30代くらい。金色の長い髪を後頭部で、赤いリボンで一つにまとめて垂らしていた。
神官の女性は、何も持っていない。
司教の眼から零れ落ち……頬をつたうものがある。
ミトラ司教は眼が覚めると、なぜか、3日経過した世界で眼を覚ました。必死になって探したけど、女神の夢に出口はない。何度も、何度も……漆黒の龍ウロボロスに喰われた。
霧の龍に、司教の杖を食べられてしまったので、今は何も持っていない。行く当てもなく、歩いていると……教会の廃墟が眼に入った。
【第三惑星……。
ザッ……フィリスの教会。】
ミトラ司教が見つけた、30cm程の機械の蜘蛛は……体の半分、どろどろに熔けてしまい、小さなケーブルの様なものが中からはみ出ていた。
フィリスの教会。確かにそう言った。廃墟の入り口に着いた時……嬉しすぎて、涙が零れ落ちた。だって、追い求めた白い人形がそこにいたのだから。
「ノルン? 貴方の姉がとても心配している。
赤き魔女のもとへ帰ろう。」
『…………。
私は、ノルンじゃない。』
「?……貴方は、赤き魔女の妹―」
『だから、違うってば!
皆……ノルン、ノルン!
あの子のことしか見てない!
私は違う。違うのに……。
誰も、気づいてくれない。』
「…………。
もしかして……もう一つの魂?
第六惑星オーファンで、
魂が入れ替わったことが、あったでしょう?
どうしてかは、分からなかったけど……。
ごめんね、間違えて……貴方のお名前は?」
『……ないよ。
呼び名はあるけど……。』
「なんて、呼ばれているの?
あ、私は……ミトラ・エル・フィリアです。」
ミトラ・エル・フィリア司教。司教は、礼儀正しく……ぺこっと頭を下げた。聖痕の少女は、司教の質問に答えなかった。『この人……私たちを見ていた、管理者の仲間……蜘蛛を操った……。』
『管理者の仲間でしょう?
蜘蛛たちを操って―』
「違います!
あんな変態の仲間じゃない。
私は、飛空船カーディナルから……。
無理やり、放り出された。
赤き魔女と若き魔王と、共に行動して、
天の門の転移魔術で、貴方のもとへきました。
貴方が既に……。
第三惑星フィリスに、
帰ってきていたのは……予想外だったけど。」
『えっ!?』
「?……ここは、惑星フィリスだよ?
オーファンシステム―セントラルのことも知らない?」
『……………。』
ミトラ司教の声かけに対して……白い瞳の少女は答えてくれない。
司教は信用されていない。狂信者デュレス・ヨハンの仲間だと思われている。「それなら……すぐには、信用されないね。白い瞳の少女は……本当に知らない。もしかして……。」
考えられるのは、蜘蛛の銃。容赦なく撃たれ、自分の魂である星の核が剥き出しになった。「もしあれから、一度も眼を覚ましていなかったら?……この子は、やっぱり、あの時に殺された。この子の時は……止まっている。」
【セントラル……。
オーファンシステム―セントラル。
来訪者、封印―解放。】
機械の蜘蛛が正しければ……システム―セントラルを解放したのは、もう一つの魂ノルン。「ノルンとはぐれて、たった一人? フィリスに戻ってきた時かな? 可哀そうに……どろどろにとけた街には、漆黒の龍が彷徨っている。教会の廃墟で、たった一人で……。」
ミトラ司教は……あの時、傲慢の魔女ウルズの転移魔術で落下して気絶した。
でも、その後……砂場で眼を覚まして、赤き魔女に助けられた。白い瞳の少女は、蜘蛛の銃で撃たれた。白い瞳の少女の時は、止まったまま……。
女神の夢の中で、白い瞳の少女とミトラ司教は生きている。
今……同じ時、同じ場所で。聖痕の少女を起こすには……今、この時しかない。悪魔の女神は思った。『ミトラ司教、愛しいノルンを守って。貴方なら、霧の七つの元徳の一つ、“愛”に手を伸ばさなくても……ノルンを守れる。貴方なら、聖痕の少女ルーンも。いつかきっと……。』
『とにかく……信用できない!
なにを言っても―』
「じゃあ、仕方がないね。
ここで、待ちます。」
ミトラ司教は、まだ壊れていない椅子に座った。
聖痕の少女は、何かを言いたそうにしていたけど……何も言わず、暫くの間、廃墟の中をうろうろしていた。今は、ミトラ司教から、少し離れた所に座っている。
聖痕の少女は気づいた。ミトラ司教の首に、小さな魔法の糸がくっ付いている。
『?……精霊魔術?』
魔法の糸は枝分かれして……それぞれ、別の方向に向かっていた。『……誰かに操られてる? いったい、誰に?』
聖痕の少女は、その糸のことを忘れようとした……したのだけど、気になって、気になって仕方がない。
ミトラ司教は、眼を閉じて俯いているので、背後から近づけば……。
司教の後ろ、白い瞳の少女がこそこそ……こちらを伺いながら、ゆっくり近づいてくる。可愛いので、このまま放っておいてもいい。
でも、今は時間がない。
できれば急ぎたい。この子が怯えてしまっては元も子もない……ミトラ司教は、聖痕の少女に優しく伝えた。
「気になるのなら、触れてみる?」
『!? べ、別に……。』
聖痕の少女は帰りたい。
白い人形の夢の中に……。『別にと言ったけど……やっぱり気になる。ノルンの夢の中に帰りたい。この街から離れて、ノルンの夢の世界に戻るには……私一人では無理。それは間違いない。少しでも、可能性があるのなら……。』
ミトラ司教の首にくっ付いている、魔法の糸。
聖痕の少女は……魔法の糸にゆっくり触れた。
悪魔の女神は、二つの異なる時を見る。
“私が認める時”と……“私が否定する時”。ここは、私が認める時―愛しいノルンが、生きている世界。
“エマの装飾店”―綺麗な看板にそう書かれている。
金属で作られたキャンドルスタンド。施錠された棚には……高価な魔晶石があり、二人の魔術師、クレストとミルヴァが何とか鍵を開けようとしている。
カウンターの後ろにある棚には、色鮮やかな布―織物やレース、フェルトなどがあり……フィナお嬢様が両手で抱えて、お店の奥へ運んでいく。
お店の奥は、居住スペースとなっており……ソファの上で、ミトラ司教が眠っていた。フィナお嬢様が、精霊魔術を行使しても、司教を眠りから覚ますことはできなかった。「天の門の転移魔術のせいかな……。」
ぐらぐら……ぐらぐら……お店が大きく、何度も揺れた。巨大な漆黒の龍が、また地中に潜った。白い狼を、漆黒の龍が追いかけている。下手に近づけば、霧の龍にすぐに殺されてしまう。
ミトラ司教が起きないこともあり……軍国を想う者たちは、エマのお店で待機していた。執事のジョンは、愛用の片手剣を腰に下げて、お店の周りに眼を配らせている。30cm程の機械の蜘蛛は、ガチャガチャと……ジョンの後を追いかけていた。
ミランダとロベルトは、漆黒の龍に近づかない様にしながら……エマのお店から遠くない場所で、街の状況を調べている。
ミトラ司教の首には、小さな魔法の糸がくっ付いていた。
フィナお嬢様が触れて調べてみて、赤き魔女の糸だと分かった。フィナは、精霊魔術でその糸を二つに枝分かれさせた。
一つは、伯爵令嬢の右手にくっ付いている。もう一つの糸は……軍国の東、首都バレルへ向かっていた。
フィナお嬢様は、ミトラ司教の言葉を思い出して……。
「あの男を止めれば……赤き魔女が、
飛空船カーディナルを破壊してくれます。
首都バレルは救われます。
だから、今すぐ起きて……。
私を助けて下さい。
もうこれ以上は……。」
「ミトラさん、私……起きたよ。
まだ遅くないよね? 答えてよ?」
フィナお嬢様の右手にくっ付いている、小さな魔法の糸が……微かに動いた。明らかに、何かに反応している。
「!? ミトラさん、聞こえる?
お願いだから、起きて!
白い狼は、逃げているけど……。
このままだったら、
黒い龍に捕まってしまう。
白い狼のお腹に、ノルン様がおられるの。
どうすればいい?
どうすれば、あの龍を倒せるの?」
魔法の糸は効果を発揮した。相手側に、フィナお嬢様の声を届けると……。
『どうして、狼のお腹の中にいるの?
ノルン、狼に食べられたの?』
「!? 青のお嬢様ですか!?」
フィナお嬢様の声を聞いて、お店の奥にクレストやミルヴァが来ていたけど……聞かれても気にしない。フィナは、無我夢中で魔法の糸に話しかけた。
「私、フィナです!
6年前、霧の城で……。
メイドをさせて頂いておりました。
白い霧に覆われた街。
お嬢様は、初めて城の外へ。
覚えておられますか?」
『……栗色のメイドさん?』
「そうです!
お嬢様、お怪我はございませんか?」
『私は、大丈夫。
フィナ、ごめんなさい。
私、ノルンではないの。
私は、精霊。
城の霧の中にいた―』
「お嬢様、存じ上げております。
ご安心下さい……。
私は、“お二人のお嬢様”の味方です。
白き狼は、お腹の中で……。
ノルン様を守っている様です。」
『……ありがとう。
!? あ、ちょっと、動かないでよ!
糸が切れてしまうでしょう!?』
「貴方の手が、くすぐったいんです。
フィナお嬢様。
メイドの仕事、得意だったですね。」
「ミトラさん……。
無駄口をたたく暇があるのなら、
目を覚まして頂けます?」
「難しいですね。
恐らく……極界魔術。
悪魔の女神の極界魔術、
だと思われるので……。」
「………………。」
フィナはなにも喋らない。
相手もなにも話さないので、しーんと静まり返っている。ミトラ司教が眠り続けている原因が、天の門の転移魔術ではなく……女神の極界魔術と言うのであれば、フィナたちに打つ手はない。
女神の夢の中にいるミトラ司教が、沈黙を破った。
「フィナお嬢様、重要なことは……。
女神の極界魔術は、
今も効果を発揮しています。
『私は時を奪う。転移者達よ、
正しい道を見つけなさい。
正しい道であれば、時は動き出す。
夢から目覚め、
大切なものを守りなさい。』
私が聞いた女神の言葉です。」
「正しい道であれば、時は動き出す?
これから、正しくない道を選んだら、
止まるってこと?」
「ええ、その可能性はあります。
厄介なことに……こちら側にも、
巨大な黒い龍がいます。」
「!? 霧の龍が2匹。
どうやって、倒すの?」
「倒せません……。
私たちには無理です。
フィナお嬢様、
女神の大切なものとは何ですか?」
「青のお嬢様。」
「……悪魔の女神が、
私たちに好機をお与えになった。
それを生かせばいい。
ノルン様を……“お二人のお嬢様”を守る。
それが、私たちの役目だと思います。」
ぐらぐら、ぐらぐら……さっきよりも強く、お店が揺れた。巨大な漆黒の龍が、エマのお店に近づいてきている。
自分たちの役目を果たす。その時が、刻々と近づいていた。聖痕の少女が、ミトラ司教に聞いて……フィナお嬢様も、話に加わった。
『私は、どうすればいいの?』
「ここから、一緒に逃げましょう。
持てる力を全て使って……。
逃げればいいんです。」
「ミトラさん、自分だけ……。
良い思いをしようとしていません?
お嬢様、ミトラさんは……。
すぐ抱きついてくるので、
気をつけてくださいね。」
「印象が悪くなることを、
言わないでください。
青のお嬢様以外に、
呼び名はありますか?」
『再生の聖痕。
私は、女神の神聖文字だから。』
「……………。
それでは……お嬢様。
“ルーン様”と呼ばせて頂いても―」
「なっ!?
それは、どういう意味ですか!?
ミトラさん、恐れ多い―」
ぷちっ……魔法の糸が切れた。
ミトラ司教が、聖痕の少女の手を握って動かしたから。白い瞳の少女は、10~12歳ぐらいだけど、手足は細い。何とか自分の体重を支えている。
新しい呼び名を聞いて……少女の瞳に、何もかも凍える冷たい瞳に、温もりが宿り、瞳の冷たさが少し和らいだ。
ミトラ司教は、聖痕の少女ルーンに話しかける。
「よろしいですか? ルーン様?」
『呼びたかったら、
別にいいけど……。』
「では、ルーン様。ここから逃げる為、
赤き魔女の力を借りましょう。」
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