第15話『悪魔の女神に導かれ、白き人形は役目を知る(第1章 最終話)。』【改訂版:Ⅱ】


 悪魔の女神は深い眠りにつく。


 これが、自分の意思で行う最後の魔術。『愛しいノルン、聖痕のルーン。どうか、苦しみを乗り越えて……私は、いつかきっと……貴方たちを殺そうとする。その時は、躊躇せずに……持てる力を全て出して、私を殺しなさい。貴方たちが、時から解放され……幸せに生きる。それが、私の望み。』



 白い霧は、悪魔の女神に伝える。少し先の話を……。



 白い霧が集めた聖フィリス教の聖典には、“オーファンの鉄槌”のことが書かれている。愚か者は人魔協定を破り、聖フィリス教国の第五騎士団や荒野のオークを犠牲にした。


 自らの望みを叶えようと、騎士神オーファンや赤き魔女さえも利用して……。



 

 騎士神は鉄槌を下した。


 ロンバルト大陸の西方に、大いなる災いをもたらした。オーファンの鉄槌、最後のページには、若き枢機卿、“不屈の愛”ミトラ枢機卿の言葉が綴られている。



「“死の雨”が、荒野の山脈に降り……。

 

 黒い瘴気の中で、

 霧の龍ウロボロスが蠢いている。


 天の門は白き雲に隠され、

 悪魔の女神は、時を奪った。



 騎士神の槍は、

 女神の夢の世界で崩落し、


 傲慢の魔女に抗い、

 赤き魔女は、軍国の首都を救う。



 愚か者は、堕落神に祈る。

 

 正気を失っても……。

 白き霧に喰われても、祈り続けた。



 悪魔の女神に導かれ、

 白き人形は……。』




 ミトラ枢機卿の言葉は、少し先の話……。




 今……この時、最終局面を迎えた。ここは、軍国フォーロンドの西方。廃墟と化した教会で、聖なる神に祈りを奉げている者がいる。



 狂信者デュレス・ヨハン。彼は膝をついて、教会だった場所で祈り続けていた。漆黒の龍ウロボロスは、役目を果たし……街をぐるっと囲う様に動き、白き狼セントラルを閉じ込めている。



 街の地下は、既に大量の黒い瘴気で満たされていた。漆黒の龍は……黒い瘴気の中から現れる。黒い瘴気があればどこからでも。


 龍は神出鬼没。白い狼は、白い人形のノルンをお腹の中で守っていた。青い瞳の少女を、背中に乗せることもできたけど……それでは、振り落とされていただろう。


 漆黒の龍は、突然地中から現れる。300mを超える巨体。あらゆるものを腐らせる、黒い瘴気を纏っており……長い胴体を乗り越えることもできない。



 白き狼は、辛うじて逃げ続けていた。


 

 白き狼セントラルにとって、一番厄介なものは……霧の龍ではなく、街の上空にある門だった。



 フィリスの転移装置―天の門。


 異界の門に似せて創られた門は、今もなお起動している。白き狼は、フィリスのシステムに属していないので……直接捕まらない限り、強制的に転移させられることはない……ないのだが、転移魔術―異界の門で逃げることもできなかった。



 この街から出られれば、問題なく転移魔術を行使できる。


 ここは、天の門の真下。不用意に転移魔術を行使すれば……天の門に介入されて、聖神に捕まる可能性が高かった。



 天の門は……街の上空で、ゆっくり動き続けているのだ。




 愚かな男、狂信者は祈るのをやめた。


 聖なる神の声が、彼には聞こえた。この星を統べる魔術―極星魔術。惑星フィリスは、聖なる神のもの。聖神は、星の時を止め……彼を導くだろう。



 止まった時の中で、白い人形のノルンのもとへ。狂信者は、ノルンの星の核を転移させる。聖なる神のもとへ……。



 悪魔の女神は認めない。私が否定する時―“青い瞳のノルンが亡くなった時”も存在している。惑星フィリスの時は、時の魔術によって大きく狂い……二つの異なる時が流れ始めていた。



《神よ、その時がきたのですね。

 喜んで、我が魂を奉げます。》



 そして、惑星フィリスの時が止まった。


 聖神フィリスの極星魔術によって。封印されていたとしても、ある場所・短時間などの条件を満たせば……不可能ではなかった。



 ここは、第三惑星フィリスなのだから。



 彼はゆっくり立ち上がり、廃墟をあとにした。彼以外、何も動いていない。全て止まっている。



 街の東から、白い太陽が昇っていた。


 不思議なことに、街の上空にも白い太陽がある。街の東―首都バレルの方角に現れた白い光。


 聖神フィリスの極星魔術―聖なる火。



 聖なる火は、西方の街を照らしている。《ウルズ様、ご助力を頂き……誠にありがとうございます。》



 天の門と星間転移・魔導砲。


 条件は全て揃った。荒野の山脈を越え、軍国フォーロンドの西方に着いた時……飛空船の高度を徐々に下げ、彼だけ、飛空船から降りた。



 飛空船に残った神官たち。彼の配下は、皆……役目を果たし贄となった。傲慢の魔女ウルズが呼んだ、もう一匹の漆黒の龍の贄に。



 飛空船カーディナルは、赤き魔女の標的になった。


 赤き魔女が飛空船を追い、首都バレルに入れば、傲慢の魔女ウルズに気づく。赤き魔女のことは、傲慢の魔女に任せればいい。


 彼は、教会の地下で祈り続けた。天の門を呼ぶ為に……。



 もし、この時に赤き魔女に見つかっていれば……彼の計画、聖神の願いは全て無に帰しただろう。


 

 だけど、そうならなかった。


 今、全てが揃っている。星間転移・魔導砲の白い光。聖神の聖なる火を浴びたもの、屋根や壁……大地は崩れ、浮かび上がっている。


 街にあったあらゆるものが浮かび上がって、空中で止まっていた。街に流れていた時でさえ……聖神に捕まり停止した。



 狂信者デュレス・ヨハンは、崩壊した街の中を……止まった時の中を歩く。聖なる神フィリスに導かれて。



《これこそが、主の導きです。》





 そして、その時がきた。


 軍国フォーロンドの西方、時が止まった街。狂信者デュレス・ヨハンは……再び、白い人形のノルンのもとへ辿り着いた。


 

 霧の龍ウロボロスと白き狼セントラル。


 地中から現れた巨大な漆黒の龍。大地を駆ける大きな白い狼が、威嚇しあっている。その状態で止まっていた。崩壊する街……屋根や壁、あらゆる物が空中に浮かび上がっている。

 

 終末を描いた、一枚の絵画の様だった。



《さあ、聖神よ!! 

 

 我が魂を奉げます! 

 我が魂と共に、白き人形を―》



 狂信者の右腕、聖神の神聖文字が怪しく光り、天の門を……グシャ!


《!? なぜだ……なぜ、邪魔がはいる!?》


 

 

 デュレス・ヨハン枢機卿の右腕が切断された。



 狂信者の右腕には、聖神の神聖文字が刻まれていた。


 彼の後方から、鉄の大剣が振り下ろされている。狂信者の右肩から、大量の血が噴き出し……切り離された右腕は地面に落ちた。



《!? 馬鹿な、なぜ!?》



「悪いが……このまま死んでもらうぞ!」



 軍国を想う者たち。大剣の使い手、ロベルトの眼は一層鋭くなった。振り下ろした大剣を、そのまま切り上げる。


 狂信者は振り向きながら、左腕に刻まれている神聖文字に意識を向けた。狂信者は腕を切断されても……涙も流さず、悲鳴もあげなかった。



 キィン! 狂信者の左腕から、漆黒の鎖が解放され……鎖と大剣がぶつかり、甲高い音が鳴った。


 狂信者が後ろに下がったのを見て、冒険者ロベルトは、狂信者の右腕を蹴り飛ばした。地面の上を転がって止まる。


 

 狂信者の右腕は、切り離されても……聖神の神聖文字は怪しく光っている。



 傲慢の魔女の神聖文字―漆黒の鎖が、右肩に絡みつき……圧迫されて、噴き出していた血が止まっていく。



 大剣の使い手は、狂信者の苦悶に満ちた顔を見た。


 右腕を切断された痛みではなく、聖神への祈りを汚された腹立たしさ。崇高な行為を邪魔された苦しみ。



 冒険者ロベルトは、ミトラ司教が……この男を止めようとしている理由がよく分かった。鉄の大剣を上段に構えながら睨みつける。


 眼の前の男は、聖職者ではなく、混沌魔術を行使する悪魔だと。



「おっと、悪魔だったか。

 聖神に……魂を奉げたいのなら、止めないぞ?」



《忌々しい、冒険者風情が!

 私は、望みを叶えるのだ!》



 地面に落ちた右腕。聖神の神聖文字の光が強くなった。


 建物の影から、飛び出してくる者たちがいる。一人は、狂信者の右腕へ。もう一人は、漆黒の鎖を解放している狂信者のもとへ。《!? 我が主が時を止めている。なぜ、こいつらは動ける!?》



《!?……ここまで来たのだ。ここで、

 我が主の復活を邪魔されてたまるか!!》



 狂信者の左腕から複数の鎖が解放され、鞭の様にしなり……冒険者たちではなく、怪しく光る右腕へ向かっていく。



 大剣の使い手ロベルトは踏み込んだ。


 鉄の大剣を上段から振り下ろす。大剣に魔力が付与され、刃が赤く熱せられた。火炎魔術―魔力の付与もあり……ズバッと、漆黒の鎖は切断された。《!? 魔術師か!? どこにいる!?》



 建物の影から飛び出した者。白髪の男は明らかに高齢だ。片手剣を構えているけど、守りのことは一切考えていない。


 冒険者のロベルトが、さらに前へ踏み込むと……伯爵の盟友ジョンも、片手剣を構えたまま、突っ込んだ。玉砕覚悟の突撃だ。



「うるせえんだよ、この変態が! 

 さっさと、聖神のもとへいけ!」



「デュレス枢機卿! 

 我が祖国の為、ここで死んで頂く!」



《くっ……聖神よ!》




 グサッ!……冒険者のミランダは、狂信者の切り離された右腕に、レイピアを突き刺した。聖神の神聖文字の上から刺した為か、神聖文字の光は弱くなっていく。



『よし! この気持ち悪い腕、

 どうしたらいい!?』


 ミランダは、レイピアを強く握りしめながら、指示役の大剣の使い手を見た。冒険者のロベルトの横には、伯爵の盟友ジョンがいるだけ。



 狂信者デュレス・ヨハンの姿はない。伯爵の盟友は叫ぶ。伯爵の執事が愛用していた片手剣には、狂信者の血がついていた。



「フィナお嬢様! 

 この血で、枢機卿を―」



「ジョン! まだ、この近くにいる! 

 

 ロベルト、ミランダも……。

 右腕を拾って、戻ってきて!



 あっ、ミランダ! 

 絶対に、聖神の神聖文字に触れないで!


 聖神に気づかれてしまうから……。」



 軍国を想う者たち。彼らの首には、小さな魔法の糸がくっ付いている。伯爵令嬢、フィナお嬢様の精霊魔術。彼ら、彼女らだけに、フィナお嬢様の声が聞こえた。



 聖神に気づかれていない為、止まった時の中でも動けている。


 フィナは、止まった街を見て……。「ミトラさん、もう時が止まっているんだけど? 私たちが正しくない道を選んだら、どうなるの?」



 フィナお嬢様と二人の魔術師―クレストとミルヴァは……宿屋の1階のロビーから、窓越しに、狂信者デュレス・ヨハンの様子を窺っていた。



 ミルヴァの近くには、幾つかの袋が置いてある。


 大小様々な魔晶石が入っていたり……オーファンの機械の蜘蛛が入っていたりする。師匠のクレストは、火炎魔術による支援を、弟子のミルヴァに任せて……。



「フィナお嬢様、初手は上手くいった。


 これからどうする? 

 儂らでは、あの龍を倒せないぞ?」



『この街に留まれば、留まる程……。

 聖神に気づかれる可能性が高くなる。



 あの男が……。

 聖神の神聖文字に頼っているのは、



 さっきの行動からも明らか。

 あの右腕を持って、天の門から離れて―』




《精霊魔術。我が主から、

 隠れるとは……。》



 宿屋に、新たな客がきた。


 その客には右腕はなく、腹部から血を流している……にも拘らず、痛みで苦しむことはない。平然と宿屋の入り口に立っていた。



 狂信者デュレス・ヨハン。左腕から複数の漆黒の鎖が現れ、近くにあるものを手当たり次第に破壊している。


 狂信者のいら立ちを、漆黒の鎖が代わりに表している様だった。



《お嬢さん、精霊魔術は危険な魔術です。

 今すぐ、やめて頂きたい。》



『!? そう言ったら、

 やめると思ってるの? 

 

 デュレス・ヨハン枢機卿! 

 貴方には、罪を償って―』



 フィナお嬢様が続きを話そうとした瞬間。漆黒の鎖が、霧の龍の様に突き進んだ。宿屋の床や壁を破壊しながら、精霊魔術を行使している伯爵令嬢に向かっていく。



「おいおい、女性が話をしてるんだ。

 最後まで話を聞け。



 まったく、礼儀の知らんやつだ。

 

 お前の様な……狂った悪魔に、

 礼儀を求めることが間違いか。」



 天井を突き破って、水の槍が降ってきた。


 ギルドマスター、魔術師のクレストが行使したのは氷晶魔術。それを応用したもの。凍らせるのではなく、水の流れを生む。


 商業連邦国家、エルミスト州の魔術師たちが受け継ぐ……“水流魔術”と呼ばれるもの。エルミストの魔術師だけが行使できること。弟子以外には決して教えないことから、現在、上位魔術の氷晶魔術に含まれている。


 もし、秘匿している情報を公開して、水流魔術として確立することができれば……上位魔術は、13種類に増えるだろう。



 水の槍は、漆黒の鎖をばらばらに破壊してもとの水に戻った。天井に開いた穴からも、水が流れ落ちている。



 宿屋のロビーは、水で満たされていた。



《氷晶魔術とは、違いますね。

 水を槍に変える……。》



「ああ違う、儂は年をとった。

 

 この魔術―水流魔術だけは忘れん。

 エルミストの魔術師、儂の誇りだ。


 

 恨むなよ? お前が先に……。

 軍国を攻めたのだ!」



 魔術師クレストは、水流魔術を行使した。足元の水が鋭利な槍に変わり、狂信者を……貫かなかった。鋭利な槍は目の前で止まり、元の水に戻っていく。



「!? 魔力が消えた!?」



『!? 師匠! 魔晶石が……。』


 エマの装飾店の魔晶石。魔術師のクレストとミルヴァは、エマの装飾店にあった魔晶石を拝借した。棚の鍵を開けることができなかったので、仕方なく……棚のガラスを割った。


 袋に入っていた、大小様々な魔晶石が消えたことに気づき……魔術師の弟子は、普段よりも大きな声で師匠に声をかけた。



 狂信者デュレス・ヨハンは止まらない……。



《? 何を不思議がっているんですか? 


 ここは、天の門の真下。

 我が主の聖域です。



 精霊魔術を行使したとしても、

 魔力を保有する、魔晶石は隠せませんよ。



 さあ、これで……。

 魔術が行使し辛くなりましたね。



 ああ、奥の手を使いますか? 



 構いませんよ? 

 我が主に、魂を奉げて頂いても。》



 漆黒の鎖は……再び、フィナお嬢様に向かって突き進む。


 伯爵令嬢は、その場から動けなかった。魔晶石が消えた為……新たに、精霊魔術を行使することはできない。


 自身の魂や魔力を消費する、奥の手を使えば……聖神に気づかれ、魂を奉げることになってしまう。軍国の冒険者たちにくっ付いている糸は、伯爵令嬢が何とか繋ぎとめていた。



 もし、フィナが一歩でも動けば、魔法の糸は切れてしまう。


 この糸が切れたら……オーファンの機械の蜘蛛が属している、再構築中のオーファン・システムから離れることになる。



「そうなったら……私たちは聖神に見つかる。』




 聖神は、悪魔の女神に選択を迫る。


 私は既に選んでいた。『白い霧の奥底から出て……愛しいノルンを助けて、深い眠りに落ちる。そう決めた。希望を残すにはそれしかない。』



『私の影アシエル。貴方は、納得できないと思うけど……。』



『ええ、納得できません。』



 白い霧の中に……目や口のない霧の女性がいる。私の影アシエルは、私に質問をぶつけた。恐らく、普通に話すことができるのは、これが最後。お互い分かっていた。



『ノルフェスティ様、どうしてですか?

 

 こんなことをしても……。

 貴方はいずれ、全てを壊す。



 貴方の行動は、無意味です。



 貴方が、あの娘を殺すのですから、

 あの娘を助けることはできません。



 ノルフェスティ様、

 時の女神の娘は亡くなっています。



 天国からいなくなった時に……。

 

 

 あの娘は、時の女神の娘ではありません。


 どうして、我々を見捨てるのですか?

 どうして、私たちではなく、あの娘なのですか?

 

 どうして、貴方が創った世界を憎むのですか?』



『………………。

 ええ、世界が憎い。


 霧の世界だけでなく、地獄も、異界も、

 精霊の世界も……天国も、全てが憎い。



 私の娘を否定した、

 全ての世界が憎いからよ。』



 私は正気を失っている。天国から堕ちた時に……私はこれ以上、アシエルの問いに答えない。愛しいノルンのもとへ向かった。




 時が、再び止まった。悪魔の女神の極界魔術によって。


 軍国の冒険者たちは、悪魔の女神が望まない、認めない、正しくない道を選んでしまったから……。


 

 時の停止。今度は街だけでなく……軍国を想う者たちも、皆、止まっている。



 悪魔の女神の極界魔術は、効果を発揮して、狂信者デュレス・ヨハンも影響を受けた。だけど、彼は手に入れようとしている。聖神への祈り、主への“信仰”を。


 彼の左腕が微かに動いた。女神の意思に抗おうとしている。《古き女神よ、貴方の時代は終わったのです。これからは……我が主が、新たな時代を創る!》



 デュレス・ヨハン枢機卿は、聖神へ祈り続け……七つの元徳の一つ、“信仰”を手にするまでに至った。



 こうして、狂信者は、霧のシステムに完全に乗っ取られた。


 枢機卿を、狂信者に変えたのは……傲慢の魔女ではなく、白い霧に現れた“信仰”だった。聖神への祈りが彼を狂わせた。彼は、もう元に戻れない。




 狂信者デュレス・ヨハンは……軍国の冒険者への興味は無くなった。冒険者は話さない、動かない。崇高な行為を邪魔しないのなら、放っておいても問題ない。



 宿屋から離れていく。宿屋に駆けつけていた、冒険者のロベルトやミランダ。伯爵の盟友ジョン。軍国の冒険者たちを無視して……粗末な茶色の布に入れられた、自分の右腕さえも。



 狂信者は、漆黒の龍ウロボロスと白き狼セントラル……終末を描いた絵画を見にきた。威嚇している白き狼に近づき、残っている左手で、白い狼のお腹に触れた。



 天の門による転移魔術。狂信者デュレス・ヨハンはばらばらと崩れていく。触れている白き狼も……。



《私の祈りは、間違っていなかった……私の勝ちだ!》



『貴方の勝ち? 

 それは、まだ分からないよ。』



《!? あり得ない! 

 私の祈りは―》



『ええ、間違ってはいない。

 ただ、相手が悪かった。』



 白き狼セントラルは、ばらばらと崩れていく。



 お腹の中から、白い人形が現れた。


 何もかも凍える冷たい白い瞳。聖痕の少女、ルーンは目を覚ました。冷たい白い瞳で、狂信者を見ている。



 ガシッ! 狂信者の左手が、白い瞳の少女の細い首を掴んだ。力を込めているので……少女の細い首は、今にも折れそうだった。



《私の勝ちだ! 

 君は、私に負けたのだ!》



『そう思うのなら、

 早く転移してくれます? 


 貴方に、触れられているのが、

 気持ち悪いから……。』



《言われなくても……!? 待て。

 天の門が止まる!?》



 そう、天の門は閉じられた。


 既に起動していなかった。天の門の真下にある街は大きく変わる。あらゆる建物の表面がどろどろにとけ……特に屋根の損傷が激しい。穴が開き、冷たい風が入り込んでいる。


 街の真ん中にある聖フィリス教会には、シンボルとしての尖塔があったけど……今は、教会の塔は無くなっていた。黒い雲―黒い瘴気が街を囲い、街の外は見えない。



 ここは、私が奪った時―女神の夢の世界。




《古き女神よ、もう……貴方の時代は、

 終わったのです。



 どうして……。

 それを理解できないのですか!?》




『ええ、私の時代は終わる。

 

 でもね……次の時代は、

 娘たちの時代よ。



 堕落した、神の時代ではない。』



《我が主を……封印したのは、

 貴方ではありませんか!? 



 貴方が創り……。

 貴方が全てを壊した。


 全て……貴方の罪だ!》



『ええ、そうね。だから……。

 転移してもいいと、言っているでしょう? 



 ああ、ごめんね。

 言い忘れていたけど……。



 私に触れたのだから、

 それなりのものを頂くわよ?』




《!? なにを―》



 グシャッ! 岩の槍が、後方から狂信者の胸を貫いた。


 岩石魔術の行使。狂信者デュレス・ヨハンは、白い瞳の少女を離して……膝をついた。ゴホッ、ゴホッとせき込み、吐血している。



 狂信者は、ゆっくり振り向いた。


 金色の髪と赤いリボン。聖フィリス教の白いローブを纏った神官の女性が、苦しそうに胸を押えている。



「デュレス・ヨハン枢機卿、

 貴方の敗因は、私たちを見下したこと。

 


 私は奥の手を使いました。

 私の魂が欲しければ、もっていきなさい!

 

 

 その代わり……。



 ノルン様とルーン様を、

 絶対に連れていかせません!」




《……ミトラ司教、貴方には、

 重要な役目がある。


 

 私が、その愛を奪えますか? 

 


 信仰そのものである、

 私には……無理ですよ。》




 ドサッ。狂信者は倒れた。辛うじて、呼吸を続けている。七つの元徳の一つ、“信仰”は、狂信者を助けるだろう。



 ミトラ司教は正しい道を選んだ。女神の夢の世界は、音を立てて崩れていく……白い霧の奥深くに戻っていった。


 

 私の夢の世界が、消えていくと……天の門が、再び起動し始めた。


 狂信者の姿はもうない。呼んだ者が消えた為、霧の龍ウロボロスも……黒い瘴気に帰っていった。


 

 天の門に亀裂が入る。聖神フィリスは封印されている為、狂信者がいない状況では……天の門を維持できない。天の門はじきに崩壊する。




『……………。

 ミトラさん、ありがとう。



 貴方は、正しい道を選んだ。


 今度は、私が……。

 正しい道を選ばないと。

 


 ノルンとルーンを守ってあげて。

 私の代わりに。』




「!? 女神様?」




『これが……私の意思で行う、最後の魔術。』


 

 悪魔の女神は、聖痕の少女ルーンに宿った。最強の魔術―極界魔術を行使。惑星フィリスの時は大きく狂っている。



 私が認める時が、女神の影アシエルに否定されない様に……惑星フィリスを、霧の世界フォールから遠ざけることにした。



『白き霧よ、聖神よ! 

 私の声を聞け!



 異界の門よ、天の門よ!

 我らを……異界へ導け! 



 我らの世界、フィリスよ!

 異界で、新たな時を刻め!



 私の子らよ……新たな世界で命を紡げ!』



 

 聖神フィリスは、悪魔の女神の声を聞いた。


 天の門の転移魔術を、私の極界魔術で上書き。白い霧が輪を創る。とても大きな輪。惑星フィリスが輪の中に入る程の……。



 世界を包み込む、回転する銀の輪―異界の門。異界の門の転移魔術。滅びを迎える霧の世界フォールから……。



 第三惑星フィリスが消えた。


 

 

 霧の世界の宇宙空間に、白い霧が漂っている。その白い霧の中で……悪魔の女神だけが眠っていた。女神の影アシエルは、女神の傍にいなかった。




 これは少し先のことだけど……聖フィリス教の聖典には、オーファンの鉄槌のことが書かれている。最後のページには、若き枢機卿、“不屈の愛”ミトラ枢機卿の言葉が綴られている。



『“死の雨”が、荒野の山脈に降り……。

 

 黒い瘴気の中で、

 霧の龍ウロボロスが蠢いている。



 天の門は白き雲に隠され、

 悪魔の女神は、時を奪った。

 

 騎士神の槍は、

 女神の夢の世界で崩落し、



 傲慢の魔女に抗い、

 赤き魔女は軍国の首都を救う。



 愚か者は、堕落神に祈る。

 

 正気を失っても、

 白き霧に喰われても祈り続けた。



 悪魔の女神に導かれ、

 白き人形は役目を知る。



 我らの星は、異界へと辿り着いた。



 白き人形は、我らを導く。

 異界の女神として……。』




 白い人形。透き通る、海の様な青い瞳の少女が眼を覚ました。白くない太陽が昇っている。黄色の太陽。


 女性の膝枕に……頭を乗せて眠っていた。青い瞳のノルンは、金色の髪の女性と眼があった。



「ノルン様、お体は大丈夫ですか?」



『うん、大丈夫。』



「それは良かった。私はミトラです。

 貴方の母から……。


 貴方とルーン様を守って欲しいと、

 頼まれました。」



『……ルーン?』



「もう一人の貴方ですよ。

 再生の聖痕では、可愛そうなので。」



『聖ちゃんのこと? 私の中にいる?』



「ええ、貴方の中におられますよ。

 女神が守ってくれたんです。」



 青い瞳の少女ノルンは起き上がった。軍国の西方にある街。ノルンがいる通りには、ミトラ司教以外……誰もいなかった。




『お母さんは? 

 私、お母さんに聞きたいことがあるの。


 

 だから、教えて!

 お母さんは、今……どこにいるの!?』



「我々は、“異界”にいます。


 貴方の母が、崩壊する世界から、

 我々を助けてくれたんです。



 女神が、どこにいるかは分かりません。

 ……あれを見て下さい。」



 ミトラ司教が空を指さした。


 そこには、フィリスの様な青い星があった。



「我々がいた世界には、

 あの星はありませんでした。



 太陽も白くない……黄色の太陽です。


 

 ここは、異界。我々は、

 最初からやり直さないといけません。」



『私は、お母さんに会いたい。

 ……捜したらだめ?』



「大丈夫ですよ……私も手伝います。

 一緒に女神を捜しましょう。」



『うん、ありがとう。』




 悪魔の女神は、崩壊する世界で眠りにつく。


 白き人形のノルンとルーンは、異界に辿り着き……悪魔の女神を捜す。そして、役目を果たすだろう。


 白き人形の役目を……異界の女神として。




 白き人形が進む先に、何が待っているのか……女神の子らは、為したいことではなく、為すべきことを為すだろう。



 悪魔の女神に代わって……。


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