第2話

 スタジオで、スタッフとそんな世間話をした約半月後。

 9月に入り、街の装いも秋支度を始めている。


 巡は、以前に二人でよく来ていたカフェで、綺羅と会っていた。



『金輪際会えないわけなじゃいんだからさ』

 そんなスタッフの言葉が、巡の心にずっと残っていた。


 そうだ。

 自分たちは、会えないわけじゃない。

 こうして、会うことができる。……いつでも。

 むしろ、互いにそれを知られることなく——単独で、自由に彼女と会うことができるようになったのだ。

 巡は、ふとそんなことに思い至った。



 薫と綺羅が、自分の知らないうちに、どこかで会っているかもしれない——。

 次第にそんな光景が巡の脳裏に浮かぶようになり……その度に、強い焦燥が襲ってくる。


 この不安を、何とか晴らしたい。

 そんな思いで、綺羅をここへ呼び出したのだった。




「忙しいのに呼び出したりしてごめんね、綺羅ちゃん」

「ううん、全然」


 少し疲れたような表情で微笑み、綺羅はコーヒーのカップを静かに口へ運ぶ。


 もう済んだことを蒸し返すような自分が、情けない。

 それでも……これだけは、ちゃんと確認したい。

 巡は思いつめたような硬い声で問いかけた。


「綺羅ちゃん。

これだけ、聞かせて欲しいんだ。

君が部屋を出て行ったのは……

俺とのことは、もうちゃんと考える気がない……そういうこと?」


 その言葉に、どこか躊躇うようにしながらカップを静かにテーブルへ置き、綺羅は小さく答える。


「——ごめん、巡くん。

あなたが嫌いになったとか、そういうことじゃないの」


 綺羅のその曖昧な答えに、巡は微かに苛立ちを感じる。


「——それはつまり……君は結局薫を選んだ、という意味なの?」



「…………え?」


「もしも、あの部屋にずっと居続けたら……綺羅ちゃん、あの状況で俺か薫どちらかを選べるわけなんてなかったよね。

よく考えたら、それに気づいたんだ。


綺羅ちゃんはもしかしたら、一旦あの部屋を離れて……

俺から離れた場所で、改めて薫に気持ちを向けたい……そう思ってるんじゃない?」


「どうしてそうなるの?

——私、そんな計算高い女に見えた?」

 その問いかけに、綺羅は一瞬悲しげに強く眉を歪め……そしてぐっと巡を見据えると、低くそう呟いた。


「——じゃあ。

あの部屋を突然出た理由を、ちゃんと聞かせて。

それを聞かないままじゃ、俺……」


 真剣な眼差しを向ける巡に根負けしたように、綺羅は小さなため息をついた。



「——なら……

本当のこと言うね。


薫さんに、言われたの。

『巡と本気で向き合う気がないなら、これ以上中途半端な気持ちで巡の側をうろうろしないでくれ』……って。


その時の薫さん——

今までに一度も見たことのない目だった……」


 表情を固くして俯き、綺羅はそう呟く。



「薫が——そんなことを?」


「お願いだから、薫さんを責めないで。

彼の言う通りなの。

私は、自分が順調に進み出したことで、いい気になってた。

まだこのままもう少し、優しい二人の間で心地よく揺れていてもいいのかもしれない……そんなふうに、思いかけてた。

それを、薫さんに見抜かれちゃったのよね。


そんなことがあって——こんな気持ちでずっと二人の側にいちゃいけないんだって、はっきり気づいた。

今は、あなたからも薫さんからも完全に離れて、一人になって……甘えた自分を追い出したい。

だから……

もう、あなたとも薫さんとも、特別な関係になるつもりはないの」



 綺羅のその言葉に、巡はぐっと俯いた。


「……薫のやつ。

マジで余計なこと言いやがって」



「——ねえ、巡くん。

あなた、本当に気づいてないの?」



「————え?」


「……ううん。何でもない。

この話は、もうおしまいにしない?


それより——私のせいで、こんな風に二人を騒がせるようなことになっちゃって、本当にごめんなさい。


……その後、薫さんと仲良くやれてる?」


「…………」


「巡くん。

私なんかのことより……巡くんと薫さんは、もっとちゃんとお互いの気持ちを伝え合うべきなんじゃないかと思う。

今までは、お互い正反対のキャラなんだから多少食い違ってたって当然だ、くらいにしか思ってこなかったのかもしれないけれど……

ね、これは私からのお願い」



「……ありがとう、綺羅ちゃん。

でも、いろいろあっても俺たち、昔っからこれでなんとかやってきてるんだし」


「——そっか。

こんなこと、他人があんまり出しゃばることじゃないよね。


あ……この後、私予定があるの。そろそろ行かないと。

これからも、二人と今まで通りいい関係でいられたら、私は嬉しい」


 綺羅は、いつにない大人びた表情で、穏やかにそう微笑んだ。







「——どういうことだよ、薫」


 帰宅して薫の部屋へ入るなり、巡は険しい声で兄に食ってかかった。



「何だ騒々しい、整理して話せ。俺は忙しい」

 机で作業をする薫は、手を止めないまま静かにそう返す。


「とぼけんなよ。綺羅ちゃんのことだ。

なんで、俺の気持ち何一つ聞こうともしないで、あんたの勝手な判断で彼女を追い出すようなこと言ってんだよ!?」

「……勝手かどうかは知らない。

ただ、彼女の態度を見ていて、単にそう指摘したくなっただけだ」


 自分へ視線を向けることもなく呟く薫の背に、巡は一層挑発的な言葉を投げる。

「——へえ。

そうやって彼女をここから追い出して……実は後から一人でこっそり綺羅ちゃんに接近しようとか、そういう考えなんじゃないの?」


「————

どういう意味だ」


「薫、綺羅ちゃんが好きだろ。

彼女の才能を見出して、ここまで育てたのは薫だもんな。

彼女も、多分あんたを本気で好きだ。

……俺は、そんな彼女にこっちを向いて欲しくてしつこくじゃれついていただけの存在だ。


——彼女に、会いに行けばいいだろ。

俺のことなんか、もういいから」


「巡、少し冷静に——」

「俺は冷静だ。

これ以上、あんたのお慈悲なんかまっぴらだって言ってんだよ。

俺のためにいくらあんたが彼女を拒んだとしても、彼女は俺を見ない。……あんたを見てるんだからな。

それに彼女も、あんたの隠しきれない気持ちに気づいたみたいだったよ。

彼女に、俺の側から離れろって話した時——あんたが今まで見たことのない目をしてたって、彼女言ってた。

……どんな目で見たんだよ?

今までずっと一緒に過ごしてきた俺も知らない熱い目でもしたのか?」



 その言葉を聞いた途端……薫の肩が微かに揺れた。



「——知りたいか」



 そんな呟きと同時に、薫はガタリと机を立つ。

 静かに振り向くと、巡の前へ大きく足を踏み出し、不意にその肩に摑みかかった。


 突然の勢いに抵抗する間もなく、巡の背は激しく壁に叩きつけられる。

 両手首を掴まれ、凄まじい力で顔の横へ押さえつけられた。




「————……な……」




 言葉も出ないまま——感情を露わにした、自分の目の前の美しい兄を見つめる。



 その瞳の奥にある、抑えようもなくたぎり、うねり——光のない炎のように、激しく揺れ動く何か。

 それが、自分だけを目がけて押し寄せる。


 今までに感じたことのない、兄の心の奥。

 それが、今そこにはっきりと見えてしまうような——



 そんな底知れぬ深みに絡め取られそうになり、巡ははっと我に返る。

 硬直したように動けなくなっていた自分に初めて気づき、腕に全力を込めて必死にもがいた。



 その抗いに、薫はするりと手を離し、何事もなかったかのように一歩退く。




「——ここを出て行け。お前も」



 呆気にとられたままの巡に静かな背を向けると、薫は抑揚なくそう呟いた。





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