鬼神時代

第23話 下駄投げ




     嫌なほど、目が冴えるときは誰にだってあるはずだろう。


人間でも、鬼でも。



私は、目が閉じたまま目を開かせた。

周りは真っ暗だったけど、真っ暗にさせる小さな生き物がはっきりとよくわかる。空気の中をそれで充満させ、なぜ私がそれに押されていないかもわからなかった。


空気は京のものそのものだった。だけれど、花の匂いが強く香る。

梅の花の匂いが私が何もない暗い空間に落ちていかないために、目を覚まさせてくれる。



久しぶりに目を開いてみたら、京は昨日見た京とはまた違っていた。頭の中が空洞になって誰かが金槌で叩いているような感覚を抑えながら、活気があふれる町中を見渡した。


「1日だけ眠っていたわけでもなさそうだ。」


声が『昨日』より大人っぽくなっていて、自分でもびっくりした。やはり、1日だけではない、何年か眠っていたのだ。


 大きな梅の木は、『昨日』より何倍か大きくなっていて、ご神木のような飾り付けもあった。木がこれだけ大きいと、確かに、祀られるだろうな。大きい枝達の1本の上に座っていた私は、自分の鬼としての力が前より大きくなっていると感じた。

眠っていたからなのか?

力が貯まったのか?

それとも京には民が多く、そのうえ欲が多いからなのか?


 『昨日』ではなく、『何年』か私がいなかったのならば、その妖気はどこに行ったのだろう。



ご神木でわかるのは一つ、人間が自分の願いを叶えさせるために頭をさげる。


まさに欲を『提供』するための完璧な環境だということ。

欲を提供され、私の力が大きくなり、その影響でこの梅の木が大きく育つ。


それで奇跡だと言い伝えられ、またより多くの民がここにやってくる…その繰り返しがこの始末ならば。




だけれど、私には『昨日』眠る前、妙な記憶がある。私が小鬼で狂気の沼の底のない底に落ちて、その記憶が曖昧だったような感覚が今ある。

影、それは私が持っていなく、反対側が持っているもの。

影、それは私が持っていて、奴らが持っていないもの。


               正反対の存在。



だけれど確かに影はこう言った。

私にはっきりと。



                『あなたは私、

                私はあなた。』



影なのに、正反対なのに、それでも同じな一心同体。いや、二心同体の方がしっくり来る。

わたしの記憶が、私にない。

それは、二つの意思だからなのだろうか。


長い年月が本当に過ぎてしまったのだと確信したのは、やはり京の巨大的成長だろう。人間から見たら、あまり変わってはいないのだろうが、時間を持て余している鬼はその成長を我が子のように観察ができる。

短い間で、この成長は京の長にとっても嬉しいことだろうな。


目を覚ましてから日々が過ぎ、私は少し探検をした。


探検といえども、梅の木周辺だった。これは、『どうせ人間は人間化した鬼以外の者は見えないから』という上から目線の侮辱と、『気付かれず、無視されるならば、会いに行かない方がまだマシ』という自己中心的な恐怖だった。


     いや、恐怖の言葉は強すぎる。正しくは『怯える』。


恐怖と怯えるは同じだとよく『人間』として思っていたが、実際は違う。


 恐怖とは、一回体験し、見て、本能が震え、自動的に自分を守ろうとする暴走した意思だ。主様に初めて会った時、私は恐怖を見に委ねた。

恐怖という感情を心に蝕ませることで、狂気に飲まれず、恐怖という自己防護を解く時また自分の意思を正常に操作する。


恐怖という感情、いや、手段は、鬼からも人間からも、ましてやヒトからも重視されなければならない。恐怖のない生き物は、もはや自分を守る術もなく、ただ狂気に飲まれるしかないのだから。



『怯える』は、恐怖とはまた違う。恐怖が手段なのならば、怯えは行動であり、感情である。恐怖が自動的に暴走する自己防御の手段ならば、怯えはその行動へ移すための行動である。

恐れを感じる前には必ずそれを引き起こす引き金がある。


『怯え』はまさに、その引き金である。自分の恐怖を感じさせるための、鍵だ。鍵無くして、開く扉は何一つない。




           私は、怯えていた。



           人間に、怯えていた。




なぜかわからなかった。ある人間の男が梅の木に向かって歩いて来た時、私は咄嗟的に見下していた。たかが人間、所詮は人間、愚かな人間、醜い人間。


私は、人間に嫉妬しているのだろうか。

人間が憎いのか。

それもわからず、急な嫌悪のような感情を気づいた時は自分の下駄を人間の男に投げようとしていた。



           気づかないのだろう。


           人間は。







手が止まったのは自分の恐怖を抑えようとしたからだ。

私の恐怖は、嫌悪にまみれて、殺意とかしていた。

男の顔をしっかり見たとき、手が止まった。



           怖かったからだ。



いや、怖いという言葉は弱すぎる。正しくは『恐怖』だ。私は恐怖をその場で感じていた。

何かが背中をなぞっている感覚がした。


指先なのだろうか。

髪なのだろうか。

足なのだろうか。

舌なのだろうか。


とにかく恐怖を感じた。狂気にまみれた恐怖を。あの人間の男の顔は普通で、少し疲れた顔をしていただけだ。何も変わらない、普通の人間。でも、なぜ主様を思い出すのだろう、なぜ神主の白豹鈴蘭を思い出すのだろう。


この恐ろしくて、青く揺らめく巨大な後悔、嫌悪、憤怒は一体なんなのだろう。


なぜ、逃げられないと感じたのだろう。

本能的な暴走。それが恐怖、なのに、その自己防御を通り越して私を呪うこの感覚はなんだ?



下駄を投げることをよした。

自分の本能が、もう手遅れだと感じた。


この人間には、いや、人間には手を出さないでおこう、ここには先約が居たらしい。

この京に、嫌なものがいる。その嫌なものは、人間でもなく、鬼でもなく、幽霊でもなく。


           化け物がいる。



いろんなものが混ざり合って、気持ち悪いぐらいに豹変している。



感情の整理を行おう。そうした方が、この恐怖心をなんとかなるのだろう。


人間の男は、疲れた顔をしたまま、梅の木の下で少し休んだ。何も言わず、ただ京の町並みを観察していた。


「変わったな、ここも。」


そう言って、また京の町へと歩いて行った。




 鬼のような感想をするんだな、あの男は。

そう思って、私は少し笑ってしまった。


怖い顔をした人間の男が、鬼がしそうな発言をした。鬼人にしたらきっと何の賭け金をあげ渡さずに大物になりそうだ。



まだまだ青年の人間の男、面白い。

純粋にそう思った。



そこから私は普通の男には興味なく、あの青年以外の男には下駄を投げつけて検証をしていた。

一度でもいいからあの男と会話がしてみたい。


人間じゃないような疲れた目をしていたあの男、あの恐怖が他の人間に下駄を投げても起こらない。あの男だけ、私の恐怖心を何度も無理やりこじ開けてくる。


法則を無視して、怯えよりも恐怖を先につけさせる。


あの人間の男にはなにか憑いている。いや、あの男そのものに、何か埋まっている。


理性の底に埋まっている、底のない狂気を、奴は目覚めさせることができる。他の人間にはできることじゃない。



とても興味深い。





そして今日も私は無邪気に下駄を投げる。



検証を続けよう。

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