第11話 疑うこと
桃色の夢、長い間見なかった。
見覚えのある視線、兄様の手を思い出させる大きな手が私の背中を支えていた。
「だめだ、くるな」と私は叫んだ。
男は動揺しつつ「大丈夫です、あの鬼は殺しました。」と私を説得をしようとした。
大丈夫、この男は安全だ。脳はそう呟いた。
だけれど、嫌な臭いが止まらなかった。そう、あの札の臭いがこの男から溢れるように漂っている。私は顔を思わず血まみれな着物で隠した。我慢できなかったのだ。
男は「あ、すみません…」と言い、ゆっくりと私を支えていない右手を背中の方で引っ込めた。
「触れられたら嫌ですよね、こんな血まみれな右手で…」
「あ、いえ、大丈夫ですけれども…」
「まぁ、とりあえず治療を受けられる場所へ行きましょうか。」
「あなた見ない顔ですけれど…道はわかるので?」
「あ…えっと…いいえ。」
男は焦っているのか、それとも照れているのか、私の眼球では判別がつかなかった。
「一応包丁は抜きましたし、止血もしましたので、今のところは大丈夫だと思いますが念のため急ぎましょう。俺は医術を学んでいないですし、あなたは鬼に襲われたんです。ちゃんとした医師の方に治療を受けないとー」
「いえ、だいじょうぶです。」
この状況は、まずい。
一刻も早く私はこの場所から立ち去るべきだ。ただでさえこの男には私の鬼への変化を見た可能性がある。まだ信用ができない。
「え、大丈夫じゃないですよ!!」
男は慌てながら立ち上がる私を見つめ言った。
「いいえ、大丈夫です。私は小さいころ、鬼に助けられその時に少々血をもらっています。最近は刺すだの焼くだの殴られるだのはされなくなりましたが、包丁に刺されたぐらい…すぐに治ります。」
真っ赤な嘘であったが、実際この場では他の言い訳が頭に浮かばない。
私の心の中には使命がはっきりと浮かび上がっている。
『この場から立ち去れ』ーと。
「つまり…あなたは半鬼…?!」男は驚き尻餅をついた。
「半鬼にも満ちていません。回復が異常にすごいただの人間です。」冷たい目線を送った。
人間だったら、こういう目をするだろう。
自分を人扱いしない人間に向かって、私は少々の苛立ちを覚えた。
男は言葉を返そうとしたが、彼は躊躇った。
自分が言った発言を後悔したのであろう。
「…っ、すみません。失礼なこと言ってしまいました。」下を向き俯いた彼はやがて頭を下げた。
「大丈夫ですよ、揶揄っただけです。」と私が笑う。
では、助けてくれてありがとうございました。後ほど村の人から鬼の処理を報告するので、どうぞ旅路を続けてください。と、私は頭を下げ森の中へ入った。
無我夢中に木の後ろへ隠れ、男が去るのを待った。
まだか。
まだなのか。
驚いた顔をしながら、男は自分の左胸をつかんだ。そのまま彼は立ち上がり、歩き出した。
間違いない、あの方向は
やがて男は夕焼けの日の光に溶け、そのまま見えなくなった。
私は誰も来ないか気をつけながらそのまま梅の死体の元へ走った。
「やっぱり。梅の札が使われている、嫌な臭いがする。」彼女の死因を確認した。
このまま私が生きていると、怪しまれる。
怪しまれたらきっと何か人だということを証明させるようなことを言われるはずだ。
私は、梅の皮を羽織った。
『報告』も村の人たちに『さようなら』も言わず、私は新たに名を変えた。
「お梅、この体は使わせてもらうぞ。」新しい手に私はただ川の水を見つめた。
月鬼村には散々世話になった。だけれど私はもうあの場所へには帰らない。
この北の方向の先にそう遠くも近くもない朝秋村があるはずだ。
文字どうりの『さようならもないさようなら』は実行された。
一歩もあそこへには寄らなかった。
だけれど、わたしはそれでもいいと思いそのまま縁を切った。
夕焼けの向こうにいる兄様と歴兄を思い浮かべ、そして願った。
「おねがいです。私は生きたい。たとえ、他の人間のしかばねを踏み越えたとしても。」
「私は生きたい」
心の中に響いた。その響きをもう一人の自分に聞かせたい。
もしもこの感情を音にするならば、それは壮大な雑音だろう。自分の意思なのか、それとももう一人の自分なのか安定しない声と音。まるで一つの心臓をたくさんの手が取り合っている想像だとて脳へ浮かぶ。
壮大な雑音の中で、わたしは座り込み誰の音を聞ければいいのかを悩んでいる。
言われたこともない
「大丈夫。たとえ君がどんな難しい選択肢をしたとしても、それは無駄にはならない。鬼は傲慢であれ、欲深くなれ。鬼は人より軟弱ではなく、強くあるべきだ。自分の思うがまま、選択をしなさい。」
だけれど、大きな疑問がわいた。この言葉は、本当に
悩むな、なやむな、ナヤムナ。
「大丈夫、もしあなたが本当に辛い時、わたしがあなたの代わりに選択肢を消してあげる。」
「なぜ消すの?」
「鬼は傲慢であれ。数個しかない選択肢はいらない。自分の思うがまま生きるがいい。選択肢の生き方なんて、自由がない。」
「わたしはあなたの言うことを聞いてもいいの?」
「それはあなた次第。だけれど、忘れているようだから最後に一度だけ言ってあげる。」
「あなたはわたし。」
「わたしはあなた。」
「この他の事実なんて、疑うに等しい。」
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