第2話  欲という名の狂気の沼・扉{前編}

「ははは…」


一瞬、狂気を感じた。「何がおかしい」と私が言う、自分ですぐに気がついた。私自身の声も体が震えている。


「いやぁ、樹珠じゅじゅちゃんはさっきまでめんこい女の子だったのに、いまじゃ誇り高き糞餓鬼くそがきだ。…君、生まれてくるべき生き物間違えたねぇ。お前のような餓鬼がきはカラスの餌として生まれたほうがよかったかもしれんな…」


               やばい。


そう思った。なぜか、理由はないけれど、この人の笑顔が恐ろしい。

鬼でも震える狂気の目、そして嫌なほど確信した私が間違っていたと、書物は正しかったのだと、兄様あにじゃは正しかったのだと。

億の人を殺したのはこの人喰いだ、平気で


             そして楽しく。


彼の目からは悲鳴が聞こえる、たくさんの人  人  人  人。

肉体が切り裂き、血が噴き出し、骨は砕かれる。

主様ぬしさまの本当の姿が見える。


兄様あにじゃ以上の、闇、狂気



             圧倒的な殺意。



殺意が嫌でも伝わってくる、彼の顔を目視できない。

私はただ下を俯いて、自分の影だけを見つめていた。まるで大蛇にでも睨まれているような感覚、いや、大蛇だけでは足りない、もっと何か、化け物のような。

怖い、と心が叫ぶ。

誰か助けてと泣き叫びたい。

涙を流してはダメだ、けっして、それはならぬのだ。

俯いたまま。それは多分私が一番してはいけないことだったのかもしれない。俯いていたからこそ、私の顔が見ていた影に赤き目が宿った。気づけば首が締め付けられていた。

真っ黒い細い腕、影がゆっくりと力を強めていく。最後には、私は、これだけ力があったのか?と意識朦朧の状態で感心していた。


           私は今から死ぬんだ。



そう直感し、私はまぶたをゆっくり時、息を引き取った。


兄様あにじゃがなぜこの人の話を嫌がるのか、ようやく理解できた。

なぜ兄様あにじゃたちが私を部屋支度に行かせようとしたのもわかる。

歴兄れきにいもこのことを知っていたのだろう、だから私を台所へと連れて行こうとしたのだ。

なぜなら、この人ならぬものは、危険だから。

もともと人食いの故に、食欲が大きい。


      まるで、「人の七つの大罪・暴食」そのもの。


二人きりになると、警戒心を解いて食うのが主様ぬしさまの手口だろう。

じゃぁ、兄様あにじゃもこの人を怒らせたことがあるのか?そうしたら余計理解できる。



 






   「ーーーめ。ーーーうめーー梅木樹珠うめきじゅじゅ!!」








兄様あにじゃの叫び声がして、はっと目がさめた。


兄様あにじゃは今まで見せたことのない表情をしていた。

何か大切なものを失いそうな顔。なぜだろう、普段の自分なら、可愛らしいとか、面白いと思うのに。


            死ぬほどツマラナイ。


夜見よみ様、このような試験、聞いておりません!」と、兄様あにじゃは叫ぶ。


「なに、教育しただけだよ。彼女は鬼としての欲ってもんがなさすぎる。それに、俺に喧嘩を売ったんだ、ちょっとくらいじゃれたっていいじゃぁないか。」と楽しそうな主様ぬしさまは言う。


戯れる?あれだけの殺意で戯れる?



「なんてツマラナイ」という、「主様ぬしさま、あれではおもしろくない」と、ツマラナイ、オモシロクナイを連発する。


「ツマラナイツマラナイツマラナイツマラナイツマラナイツマラナイ。退屈させないでよ、全然オモシロクナイから。オモシロクシテヨ。ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ。」



そんな私を見る兄様あにじゃは、

「貴様、梅木樹珠うめきじゅじゅになにをした」といつもと異なる殺意を身にまとった。


「だーかーらー、彼女が鬼としての簡単なしけーー。」

主様ぬしさまが試験といいかけた瞬間、彼の腕が飛んだ。


「痛いよ、巫廻麗刄ふみつば。」と、主様は平気な顔をして、廊下にぼとりと落ちた彼の腕を開始してまたくっつけた。


「ちぎられても切られても食われてもくっついたり又生えたりするけど、切断される瞬間は案外痛いんだよ?きっも知っているだろう、巫廻ふみ。」


「これは簡単な試験。彼女は合格だ。みろよ、まだ生きているだろう?」と、私のほうを指差した。あぁ、あの指食べちゃいけないのかな。


「しかし、この梅木樹珠うめきじゅじゅの性格をどうしたのですか。あのたの試験を合格したもので、こんな態度をとる者はいないでしょう。しかも、あなた様の殺意を見て感じ取って、オモシロクナイなどど…試験の他に何かした以外にありえない。」と歴兄れきにいは言う。

そしてはっと目開き、「もしかして、影の少しを食わせたのですか?」と絶望しきった目で聞いた。


そして主様ぬしさまはふーんと言い、笑みを浮かべた。

「正解だよ、流石!過去と未来と現時という名の歴史を食う鬼、歴歌留多れきがるたくんだねぇ〜。そう。この子に必要な者は欲、だけど彼女にはそれを引き出すそれ相当な欲がない。鬼が人間以下の者を持つことはタブーのような者。だから彼女の影を無理やりこちらへと誘き寄せ、樹珠じゅじゅちゃんが意識飛んだ時に体を操って欲をあちら側から分けてもらったのさ。こちらが光の世界ならば影は闇。こちらが欲がなければ、あちらから奪えばいい話だ。あちらはこちらがないものを持って、こちらが持っていてあちらがないものを持っていない。便利だよねー影の召喚というものは。」 


影?召喚?たぶーってなに?あぁ、さっき首を絞められた時か。確かに、口の中に血の味がする。

だけれど、嫌な感覚はしない。逆に、何か満たされたような、今までかけていた部分がぴったり、完璧に満たされたような。

だけれど、欲求不満だ。

もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっとほしいの。


今なら、全てを食べきる自信や、確信ができる。食べたい。食べたい。




…あか。



赤の色が見たい。人や動物だけが咲かすことができる真っ赤な花。


私は手を伸ばした。

「オナカガスイタ、もっと食べたいもっとちょうだい。私の不満を満たして頂戴。」

地面についた自分の影に顔を近づけ、床の木ごと食べた。

『もっと』

その欲が、噴水のように溢れ出す。

『もっと赤が見たい』

『もっと強くなりたい』

『もっとキレイになりたい』

『もっと愛されたい』

『もっと食べたい』

『もっと殺されたい』


もっともっともっともっと。


廊下の床に穴が開いて、土にまた自分の影が映る。私のかけていた部分を満たしてくれた影。あなたを食べれば、私は満足できるの?影を食べようとした瞬間、腕が掴まれた。

「だめだ、樹珠じゅじゅ。正気に戻れ。」と歴兄れきにいは言う。


本当にうざったらしいったらありゃしない。あなたには関係ないでしょう?


「うるさいなぁ…黙れ、口に糸を縫ってやろうか?」と私は言う。

歴兄れきにいは舌打ちをし、こりゃだめだな、といい『兆化呪者物語ちょうかちゅしゃものがたり』の唄を読み始めた。


月水兎げすうと」と、呼びたい妖の名を呼び、私の目の前へと読んだ。


「この展開は何回目だい、歴様れきさまよ。」と不細工な月水兎げすうとは言う。

すまんな、と歴兄れきにいは言って、月水兎げすうとは「いや、なんのなんの。名を呼んでくれるだけで嬉しいさ。」

と笑う。




           あ、そうだ、こいつを食おう。



兆化呪者物語ちょうかちゅしゃものがたり』の中にいる鬼は人すら知らない鬼ばかり。

なぜか、それは奴らが鬼としての大罪と禁忌を犯したから。

それはまさしく人との恋愛、赤き糸を無理やりつなぎ合わせた罰、又は中途半端な鬼を産ませたこと、まさしく半鬼はんき

この大罪の業を背よった鬼たちを見張るのが歴兄れきにい、いや歴歌留多れきがるたの役目。罰を与える代わりに兆を超える歴史の中監視される。大罪をせよった鬼は誰にも見られず聞かれず存在丸ごと無に近い。


そいつらを食っても誰も文句は言わないだろう。


思考を流している間、いつのまにか気絶していた。


起きたのは大体250年後らしい。あの時は懸命に覚えている。

自分のしたことを思い出した、主様ぬしさまに喧嘩ふっかけて影に殺され食わされ正気を失い『欲』と言う名の沼に一時的に溺れたことを。欲の沼の底は狂気だ。あの扉は2度と開けないと自分に誓う。


けれど、あの扉の中には、大切な記憶が詰まっていた。

自分の一生を大きく動かすような、主様ぬしさまの過去を知ることになる。






         あの人が。

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