1 9 9 3 / キ ュ ー バ




 アスファルトが途切れ、赤い土の道をほんの少し歩く。

 すると土は白っぽいベージュ色の砂となる。そのまま砂浜にでる。白く、美しい浜だ。その向うにはエメラルド色に輝く海が横たわっている。海底の白砂が、緑色の海水に透けて見えている。


 学校が休みの土曜日。

 わたしは犬を連れてこの浜を訪れる。わたしの自宅から、歩いて20分ほどの距離だ。

 犬はわたしの家で飼っているもので、わたしと気が合う。首輪などつけることもなく、犬は自然にわたしに沿って歩く。

 サンダル履きのまま、海岸の白く乾燥した流木まであるいていくと、そこにゆっくりと腰かける。五〇を越えたわたしは、昔のように機敏に動くことができなくなった。

 のんびりと、流木に腰かけて、波と戯れる犬を見る。犬はときおりわたしの存在を確かめるように振り返るが、声をかけるまではずっとひとりで遊んでいる。


 のどかな、美しい光景だ。


 この海の向う、100マイル先はもう、アメリカ合衆国だ。

 若い頃、わたしが強く激しく憎んだ国。

 三〇年以上前、わたしは彼らに向かって、銃の引き金を引いた。実弾が、わたしの機関銃からびしり、びしりと発射されるその音と力、そして硝煙の匂いを、わたしの身体はいまでもはっきりと記憶している。

 けれどもそれと同時に、わたしの怒りはずいぶん揺らいだ。三五年。長い月日だ。フィデルも老いた。アメリカはあれから、何人かの大統領が変わった。けれどもアメリカという国は、大統領が統治する国ではない。大統領とは仮面であり、窓口に過ぎない。アメリカとは自由主義経済の別名だからだ。わたしの怒りは、諦めになり、そして時に嘆きに変わる。

 それは、人は結局、分かり合えないのかもしれない、という気持ちだ。人にはそれぞれに正義と真実があり、時にそれは人の心を支え、暗闇をおそれずに歩みを進める原動力となる。同時にそれはまた、人の心を燃やし、銃やナイフを手に取らせる。


 わたしは動乱の時代を過ぎた後、教師として――歴史を教える者として、長く教壇に立った。そして世界がいかに、人々のひとりひとりに異なる正義と真実によってドライブされてきたかを、子ども達に理解のできる言葉で語った。


 この白い砂浜に座っていると、多くの漂着物を見ることができる。

 ジュース。洗濯用洗剤。シャンプー。プラスティックのボトルの多くは、アメリカ本土からもわずか200マイル程度しか離れていないここにも、いくつも流れ着く。コカコーラやマクドナルド。それらはいま、地球上の多くの国で手に入れることのできるアメリカ自由主義経済の偶像アイコンだ。中世ヨーロッパの人々は十字をイエスの象徴とし、アジアの人々はブッダを形作る多くの像を作っては、それに祈った。現代の地球人は、コカコーラを信仰の象徴として、祈りを捧げる代わりにコインと交換する。そういう形で広まる、それはなのだと感じる。

 自由主義と社会主義の衝突。それはイデオロギーのぶつかり合いだといわれている。しかしそれは違う。この白砂に洗われて白茶けてしまったマウンテン・デューのプラスティック・ボトルを見ながらわたしは思う。それは、そんな科学的なものではない。それは単なる、宗教観の違いなのだ。


 かつて。

 この国の正義と真実を守るために訪れた北の国の同志たちがはじめた社会主義経済は、わたしが理解する範囲では、この地球上でわが国だけがその理想を正しい形で現実世界に定着させた。社会主義経済とは、人の手で発明されたな概念だと考えられる。それに対して自由主義経済とは、既に存在してしまったものを、したものに過ぎない。それが故、それは理想やヴィジョンをベースに持たない。よって欲望に忠実であり、それゆえに本質的に規制を必要とする考え方となる。自由主義といいながら、その存続のために規制を求めるなんて、矛盾している、とわたしは考える。

 しかしだからといって、社会主義がすぐれた“宗教”であったかどうかは、わたしにもわからない。

 レーニン、毛沢東。いくつかの大きな器を持った人物達が彼らの国でその人口政治・経済概念の実施に挑戦した。その副作用して、多くの人物が投獄され、あるいは殺された。

 その後の何人かのいわゆる独裁者達。チャウシェスク、金日成。彼らは社会主義という名の元に、旧態依然とした20世紀の帝政を敷き、自分の銅像を首都に作らせ、肖像画を学校に貼らせた。

 我々のかつてのコマンダンテは、ゲリラ戦の天才として歴史の舞台に登場した。そして最後は、として歴史書に記述されるべき行いをした。

 西欧社会が、―――海の向うの“自由の国”がどれだけ我々のことを正しく理解しているのかはわからないが、我々の社会では、教育費と医療費は無料である。それは公共の福祉であり、貧富の差によって受容できるサービスの質に変化があってはならないものだからだ。

 また、“自由の国”のように、富める者と富まざる者の差は少ない。猛烈な金を持つものはいない代わりに、の国のようなホームレスなど、考えられもしない。我がフィデルでさえ、壊れたクルマを何度も修理して長く乗り続けているのだ。


 しかし。

 確かにわたし達の国は、貧しい。

 蛇口をひねれば清涼飲料水があふれてくるような、彼の国とは違う。人々の生活はけっして豊かではなく、輝きに満ちているとは言いがたい。例えば年端もゆかない子ども達にとって、玩具におぼれるような暮らしを続けているであろう、彼の国の同級生の家庭を見たら、きっと切ない涙をこぼすだろう。またあるいは、成人を迎えたばかりの若者たちにとって、刺激的なエンタテインメントであふれた彼の国の都会は、羨望の的であろう。その意味では、我々の社会には人間存在の本質に関わる何かが致命的に足りていないのではないか、という気がしないではない。しかしそうやって他国との比較をせずに自分の足元を見れば、我々が天から与えられた恵みをつかって、十分幸せに生きていることを実感できる。それは建国三〇年を経てまだこの国が存在し続けていられることで証明できる。我々は、このカリブ海に浮く島に在り、分相応な暮らしをつづけて来られたのだから。


 おーい、とわたしは遠くで波と戯れている犬を呼ぶ。

 犬は一度こちらを見ると、大きなストライドでこちらへ走ってくる。前後の二本脚をそろえて交互に地面を蹴る、犬独特の走法だ。こうしてみていると、その走りっぷりは非常に効果的で美しく見える。

 やってきた犬は、わたしのまわりをぐるぐると二周ほど走り回ると、おもむろに地面に伏せた。

 わたしは彼の頭をそっと撫でながら、子どもに恵まれなかった自分の人生を、そっと振り返った。それもまた、分相応である。


 昨日、街の居酒屋のラジオ放送で聞いた、アメリカ人の女の歌声が耳の裏に響く。

 ずいぶん長い間、国内でアメリカの放送を聞くことは禁じられてきたけれど、最近はその規制もゆるんできた。これからの社会を支えてゆく若い世代に、政府がすこしずつおもねっている傾向なのだろう。

 わたしはブカネーロ(キューバン・ビール)を飲みながら、その歌を聞くともなく聞いていた。

 キューバの音楽に乗って、アメリカ風に洗練された歌い方で、そのアメリカ女は歌っていた。その音楽の様相は、かつて、パティスタ将軍とアメリカがこの国を支配していた頃の、富裕層が好んだ音楽だ。いまは失われてしまった優雅な音楽。その楽曲に罪はない。貧富を問わず、美しいものは美しい。

 しかしスペイン語で歌われるその歌詞は、もしかして、我々の国のことを歌っているのではないか、と思った。





 わが(ミ)美しき故郷(ティエラ)より

 わが(ミ)聖なる故国(ティエラ)より

 ドラムとティンパレスの叫びが騒がしく聞こえる

 故国を遠く離れて暮らす兄弟がリフレインを歌いあげ

 そして思い出が彼に涙をもたらす

 彼が歌う歌は彼自身の痛みと

 涙から湧き上がるのだ

 そして彼の泣き声が聞こえる


 あなたの祖国はあなたを傷つける

 あなたの祖国はあなたが去った後、その魂を殴りつける

 あなたの祖国はあなたを根こそぎ押し倒し

 あなたの祖国はあなたがいない時、ため息をつく


 あなたが生まれた国は、決して忘れることができない

 そこはあなたのルーツと、置き去りにしたすべてを持っているから





 セニョリータ。

 あなたが想像する祖国とは、一体何なのだ?

 あなたを傷つける祖国とは、一体どんな国なのだ。

 犬の頭を撫でながら、わたしは海の向うでわたし達をにらみ続ける“自由の国”に向かって言った。

 あなたがたは、一体いつまで、わたしたちを踏み続ければ気が済むのだ?

 一体いつまで、理由のない怒りで、わたし達を苦しめ続ければ気が晴れるのだ?

 この20世紀の末。

 十字軍がイスラム世界を弾圧するために攻め込んだのと同じように、すこしの見解の違いで、人々はよその人々を憎み続ける。

“自由の国”の人々には、世界の多様性を理解する気持ちはないのだろうか? 世界中の国々の人々が、コカコーラと、マクドナルドを食べ、ロックンロールとハリウッド映画を見るようになるまで、その怒りを持続させ続けるつもりなのだろうか?


 悲しいのは、歴史を学んだことではない。

 悲しいのは、それが、わたしに諦めしかもたらさなかったことだ。


 わたしはゆっくりとたちあがり、海とアメリカ合衆国に対して背を向けて歩き出した。犬とともに。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る