1 9 6 2 / キ ュ ー バ 《後編》


 わたしは顔にピタリとつけた双眼鏡を、いま一度押し付け、つかのまの回想から現実に戻った。確かに何か、黒いものが白い入道雲の谷間を抜けた気がしたのだ。

「あ」

 わたしは思わず声を出した。

 あの時と同じだ。

 兄を殺した戦闘機が、上空で旋回する時に光ったキャノピーと同じように。雲の切れ間に、真っ黒な、長い羽根を持った飛行機が輝いた。

同志タワーリシチ!」と、わたしは、双眼鏡を目に押し付けて、その飛行機を捕らえ続けたまま、ソ連の友人を呼んだ。わたしの乾いた大声に、友人はすぐさまトーチカから走り出てきた。

「何か見つけたのか!」

「飛行機だ」わたしは答えた。そして、双眼鏡を外し、大男の友人に手渡した。空の一点を指差したまま。

 彼はすぐさま双眼鏡をあてがうと、ピントを調節しなおした。そしてその飛行物体を捕らえた。

「あれは…」

「あれは、何だ?」わたしは、問うた。

「あれは。

 …あれは、アメリカ軍の偵察機だ」

 と、彼は教えてくれた。そして彼はすぐさまトーチカにとって返した。わたしも彼の後を負う。

 トーチカの中では、仲間のキューバ人が無線機にかじりついていた。彼はそのキューバ人に手短に指示を出した。

「司令部へ、偵察機発見、と一報せよ」

 そして彼はわたしに振り向くと、また手短に言った。

「迎撃体制を取れ」

 わたしは慌てて外に出、停められた軍用トラックにかぶせてあった迷彩色の幌を外した。そして訓練で教えられたとおりに軍用トラックの運転席に入り、ブレーキを踏んでエンジンをかけた。セルモーターのまわる甲高い悲鳴がした後、ガランゴロンとエンジンが目覚める。サイドブレーキの脇にあるレバーをグッと引いてから、アクセルを踏み込んだ。そしてドアを開け、車外へ飛び出した。

 グレイに塗られた軍用トラックの荷台は、ダンプカーの荷台のようにぐんぐん空に向かって傾きだした。しかしその荷台にあるのは土砂などではなく、全長五メートルほどのロケットミサイルと、その発射台ランチャーだ。直径三〇センチほどの円筒形の胴体に、三角形の羽根が、根元と中間に四枚ずつ、生えている。

「発射するぞ。トーチカに戻れ!」

 ソ連人の同志の声がした。

 ロケットに見とれていたわたしは、あわててコンクリートの小屋の中に戻った。と、通信兵が叫ぶ。

「司令部から撃墜命令が出た!」

 同志は、トーチカの中にあるコンソールにつき、いくつかのボタンを急いで操作した。電気信号がピカピカ点滅し、ブザーが鳴った。恐らく、そのミサイル制御装置が電気の目で飛行機を捕らえたのだ。

「発射!」

 言って、同志は赤いスイッチを押した。

 トーチカの外で、もの凄い轟音がした。風があたりの小石を吹き飛ばし、白い煙がもうもうと立ち込めた。トラックの荷台で活性化し、スタートボタンを押されたミサイルは、ほんの一瞬、そこで誕生の号泣をした。しかしわたしにはとてもとても長い時間だった。トーチカ中が震え、小さな観測窓から白い煙が入ってきた。目を射られ、誰もが咳き込んだその瞬間、ミサイルロケットは地面を離れた。

 あっという間に、噴射音が遠ざかってゆく。我々は息苦しいトーチカを出た。風が、白い噴煙をあっという間に運び去っていった。けれども、深く青い空に突き刺さるように、我々が放ったロケットミサイルは遠く遠く飛んでいった。まるで意志があるかのように。

 そのオレンジ色の光点は、白い入道雲に消えた一瞬のち、カッと光って消えた。黙って見ていると、雲の合間に、ロケットの部品がバラバラと落ちてゆくのが見えた。


「首尾は?」わたしは言った。

 北の同志は、黙って首を振った。そして我々は言葉もなく、空を見つめ続けていた。

 と、南に10マイルほど離れた台座でも、こちらと同じような迎撃が行われたようだ。彼らのほうはこちらよりもすこし、時間的余裕があった。見上げる入道雲の中に、また白い矢が刺さっていった。我々はただぼんやりとそれを見つめていた。

 と、雲の中で、先ほどとは違う、オレンジの火球がきらめいた。

 当ったのだ!

 我々は誰ともなく歓声をあげ、同志の放った攻撃を祝福し、三人で抱擁した。遠い北国から来てくれた友は、その時本当の友人になった。


 その、黒い偵察機の撃墜は、後にアメリカ軍のU2偵察機だと知れた。

 それが後に、西側の歴史の教科書に書かれる『暗黒の土曜日』という事件になった。

 その偵察機の迎撃をきっかけに、アメリカは最終攻撃態勢に入った。

 我々には知らされなかったけれど、我が国土にはソ連軍の戦略核ミサイルが設置され、アメリカはそのわき腹に突きつけられた核の脅威に必要以上に過敏に反応した。JFKはカリブ海を封鎖し、すべてのソ連艦艇を臨検りんけんすると言い出した。我らがコマンダンテ、フィデル・カストロはソ連に対し、配備された戦略核の使用を進言した。しかしフルシチョフはそれを却下した。

 もしそこでそのソ連の老人がフィデルの要請を受け入れていたら。我々の戦略核ミサイルはアメリカの東部主要都市のひとつかふたつを焼き尽くしたろう。そして恐らく彼らの報復攻撃で、ミ・ティエラは今後数百年、残留放射能に覆われた、不毛の地となったろう。カリブに浮かぶ、スリーマイル島やチェルノブイリのように。


 しかし。

 その偵察機が迎撃され、北の友人がトーチカの中の無線機で、司令部に威勢のいい報告を行っていた時。

 わたしはまた丘の上に立って、双眼鏡をのぞいていた。

 ―――海も、野も、美しかった。

 サトウキビ畑は青々として風に吹かれ、カリブの海は穏やかに凪いでいた。

 わたしは、自分達の手で、この島を、この海の自由を守ったんだと、その時信じていた。

 南の海のちっぽけな島国であるこのキューバを、顎の先で指図するように支配しようとしたアメリカという悪魔から。我々の陽気で豊かな世界を、北の友人が気前良く貸してくれたロケットミサイルで、わたしは守ったんだと信じていた。

 でも本当は、世界を破滅の縁に追い込んだだけだった。我々が放ったロケット・ミサイルは、世界を未曾有の恐怖に陥れる寸前まで追いやったのだと、後にわたしは知った。


 フィデルは、―――ハンサムで理想に燃える我々のコマンダンテは、自分の頭上で勝手に停戦となった米ソ両国をひどく憎んだ。けれどもいま、八〇を越えた彼も気づいたはずだ。あの時のフルシチョフとJFKの判断は正しかった。

 我々は、幼く、理想に燃えた革命の子だった。でもその美しい聖戦の炎にはしかし、世界を焼き尽くす権利などなかったのだ。

 あの時、ミ・ティエラに戦略核が配備されていたと知った時。わたしは軍を辞めた。

 軍を辞めて、わたしは教師になった。

 サトウキビ畑で死んだ兄も、U2偵察機の撃墜に手を貸したわたしも。教育が十分でなかったから、運命を誤ったのだと思った。だから教師になった。


 あの動乱の時代は遠くなった。

 ミ・ティエラがまた美しく輝きだすまでには、あの地獄の日々から四半世紀以上の時間がかかった。

 けれども、わたしも、我らのコマンダンテも、それを生き延びた。反省と内省の時を経て、我々はふたたび、美しい国土を蘇らせたのだ。



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