討ち入り 二

 利八の一党はこの地域で並ぶ者のないくらい盛んな勢いを持っているだけあり、この母屋とそれに連なる敷地の中で起居している者だけでも、相当な人数がいる。他に賭場に詰めていたり商いごとをしたりする者も合わせれば、ちょっとした小藩の江戸詰めの藩兵などよりずっと多いだろう。


「全く、旦那の野郎、あんたは──」

 旦那の野郎というのも妙な言い回しだが、竜は肩で息をしながら納刀した。途中で刃に脂が巻いて斬れぬようになり刃こぼれもしてきたから、叩くようにして斬るしかなかった。

 血の海になった庭に転がる死体の数は、十や二十ではきかぬだろう。

 三蔵は、室内に居着いたまま、次々と乱入してくる敵を倒し続けた。身体の自由を奪うなどという手の込んだ真似をしていればたちまちにやられると踏んだか、全てみじかい刃物か素手かで一撃のもとに殺していた。

 二人別々に同じことをし、ようやく静かになったところである。

「行くぞ」

 濡れ縁まで顔を覗かせて、三蔵が短く言った。汗をてらてらと月に光らせるその身体からは湯気が立ち上っていた。

 竜もまた室内に戻り、二人で奥を目指す。少しして、

「そういえば」

 と三蔵が口を開いた。

「お前、利八に顔が利くんなら、お前が俺を捕まえたってことにして中に入ってもよかったな」

 この爺め、と竜は思った。竜ははじめ、表から何食わぬ顔をして入り、利八の座敷に上がってそれを一刀のもとに斬り、すみやかに脱出するつもりであったのだ。それが、三蔵に呼び止められたせいで、とんだ大立ち回りをする羽目になった。

「勘弁してくれよ、旦那。とんだ殺生だぜ。刀も、研ぎに出さなきゃいけねえ」

 それに対して三蔵は、まあ、ちょうどよかったさ、とからからと笑った。

「なにが、ちょうどいいもんか。ちっとも、よくねえさ」

「いいや、ちょうどいいのさ」

 三蔵の声の色が、やや変わった。

「法外な利を取って金を貸し、取り立てる。カタに女子供を出しても何ともない。むしろ、喜んで受ける。お上と巧みに手を結び、自分たちに咎の及ばぬようにし、具合の悪いときは仲間でも売る」

 利八のことである。竜は、おやと思った。暗い世界を知り尽くしたはずの三蔵が、そのようなことを言うのが意外であったのだ。

「そういう親分に媚びへつらい、弱い己をこの世に繫ぎ止める奴も、同じさ」

 だから、一党をそのまま潰しに来たというのか。その単純すぎる不可解な動機を、竜は飲み込めずにいる。

「まあ、いいさ」

 ようやく息が戻ったのか、三蔵がゆっくりと老いた臭いを吐いた。吐いて、咳き込んだ。


「利八の奴、騒ぎを聞き付けて逃げ出してなけりゃいいけどな」

 竜が先導し、利八の座敷の襖を開いた。

「あッ」

 という声と共に尻餅をつく初老の男と、それを守るように立つ二人の男。用心棒と見た。

「おや、おや、親分じゃあねえか」

 利八は、そこに竜がいるのが何故なのか理解できぬ様子であった。

「逃げるのが、遅かったな」

 利八は、今まさに逃げ支度をしているところであった。あたりには家業柄、命よりも大事とされる証文などの類が散乱しており、それをまとめるのに手間取っていたのだろう。

「り、竜。なぜ、おめえが──」

 さすがに、利八を守りに駆けつけてきたわけではないことくらいは分かるようである。

 わっと声を上げて打ちかかってきた二人を、竜は即座に斬り伏せた。

「なぜ、お前が──」

「人間、耄碌もうろくはしたくないもんだね。どうして俺が、あんたのためにそのまま死んでやれるようなお人好しだと思うことができたんだい」

 竜は利八に忠誠を捧げた訳でもなんでもなく、ただ金で雇われているだけである。それは利八も分かっているが、今この場に竜がいるということが信じられぬという様子であることを嗤ったのだ。

「あんたと共にいたのは、その方が楽しみがあると思ったからだ。こんな世だ。何かを目当てにして、生きていたいじゃねえか。あんたの側にいて転がり込んでくる山椒みてえな小さい辛味よりも、真ッ赤に燃える大火事を見つけりゃ、そりゃ、そっちが大事と思って当然だろうがよ」

「金目当て。そう、思っていたさ」

 さすがこの一帯で最も大きな力を持ち、商いから何から何まで仕切る大親分だけあり、先ほどまでの狼狽が無かったかのように落ち着きを取り戻し、ひとつ笑った。

「金払いがいいのには、助かったもんさ。このところ、銭がいくらあっても足りゃしないもんでね」

 軽口を叩きながら、竜が血刀を下段に構えた。狭い室内であるから大振りな斬撃はできぬ。突くか、手元で斬るかのどちらかである。


「利八」

 三蔵が言葉を発したものだから、竜は気が削がれた。一晩で何十人も相手にすることなどいかに三蔵が鬼と呼ばれていてもそうあることではないから、息は整っても全身から吹き出る汗は未だ止まらず、黒であるにも関わらず薄汚れているのが分かる衣をぐっしょりと濡らしている。

「聞きたいことが、ある」

 利八は、三蔵を知らぬ。目の前でのっそりと立つだけのこの老いかけた男に、訝しい眼を向けた。

「なんだ、てめえは」

「俺のことは、いい。それより、板倉って男を、知ってるか」

「板倉にも、色々いるさ」

「あんたのように、と同じような暗い世に生きる者を好んで使う板倉だ。伊賀者まで雇っている」

「ああ、そりゃ、板倉兵庫ひょうごだろ」

 利八は、即座にその人物を特定した。

「昔、その板倉に、江戸吉原の小尋こひろという女をあてがう都合をしたのが、お前だったな」

「小尋、小尋──」

 利八は、すぐに思い当たらぬらしい。それだけ、似たようなことを色々手掛けてきたのだろう。

「真名は、徳といってな。あんたがどこかに身請けの仲立ちをして以来、消えた。さいきんになって、その板倉が徳を身請ひいたことが分かった」

「旦那。いったい、何の話を──」

 竜が口を挟んだが、三蔵は答えない。

「その板倉が、どうしたッてんだよ、爺」

「徳がどうしているか、知りたい。生きているなら、連れ出す」

 利八は、あッはっは、と絵に描いたような高笑いを上げた。

手前てめえが誰かは、知らねえけどよ」

 そんな十何年も前に板倉のところに行った女なんざ、生きてるわけがねェ。と利八は吐いた。徳のことを覚えているらしい、と三蔵の目が光った。

「死んだよ、死んだ。とっくに、死んださ。ただでさえ病がちだった女だ。それを板倉は面白がり、夜にいたぶって泣かせるだけじゃ飽き足らず、塩ばかり舐めさせて滋養を与えず、骨と皮に痩せさせたりして、ずいぶんひでえ遊びをしやがったもんだ」

 三蔵が、わずかに瞑目した。それを見た竜は、さらに意外だと思った。三蔵のような男が、十数年も前に行方知れずになった女の生死を未だ気にかけているということが、である。意外なことばかりであるが、そう思うほど、竜は三蔵のことを何も知らない。

「板倉とその女の間に、娘が産まれているな」

「ああ、確かそうだった。しかし、どうやら、板倉との間の子じゃあねえらしい。少なくとも、板倉はそう思っていたようだ。自分が身請く前の男の子だろう、と」

「その子は、どうなった」

「知るもんかよ。同じように、玩具にされて、挙句借金のカタに売り飛ばしたって話だ」

「そして、その娘を、また借金のカタに引き取って──」

 利八が、怖れたような顔をした。利八には三蔵が何を言っているのか分からぬが、凄まじいまでの殺気が溢れ出しているのだ。

「分からんもんだ。どうしたら、女子供を銭や物の代わりにして、くれたりやったりをすることができるものか」

「手前、一体──」

「親分」

 竜が、血振りをして納刀した。あとは、三蔵が仕遂げるということであろう。

「俺は、あんたの頼みを確かに果たしたぜ」

「竜。何を言っていやがる」

「夜半三蔵を、生きたまま、あんたの前に連れて来た。これで、義理は果たしたぜ」

「こ、こいつが」

 暗い世界の中で、鬼と呼ばれた男。十年の昔、忽然と明るい世界からも暗い世界からも消えた男。

「このあと、その三蔵が何をしようが、あんたがどうなろうが、俺の知ったこッちゃねえや」

 言って、竜はまた懐から銭束を取り出してそれを解き、六文だけを投げ与えた。

「ま、待て」

「何を待つ」

 三蔵が一歩踏み出した。

「聞きたいことは、全部聞いた」

「なら、俺を殺す理由は、ないだろう」

「理由なら、あるさ」

「なんだと」

「やくざ稼業は、大いに結構。しかし、お前は、人を人とも思わず、ただ銭勘定の道具としか見ていない。はっきり言って、感心しないねぇ」

 するりと伸びた三蔵の手が利八の左手を掴み、ぐいと引いた。三蔵の方によろめくようにして前のめりになった顎を、残った掌の底で激しく押した。それで利八の首は明後日の方を向いた。

「さて、行こうかね」

 そのまま踵を返し、すたすたと立ち去った。


「旦那、旦那」

 竜の呼びかけに三蔵は答えず、そのまま夜を踏み続けている。

「なあ、旦那。唯のことだが──」

 ふと立ち止まり、三蔵が振り返った。その表情は、なんとも形容し難いものであった。

「あんた、まさか、唯の──」

「俺は、徳という女を探していたんだ。生きているはずがないと分かってはいたが」

 微妙に、話題をすり替えられている。竜はそう感じた。しかし、三蔵という男自体に興味があるから、その自分語りを聞いてみたいと思った。

「どこに身請かれたのか、どれだけ調べても分からなかった。その手引きをしたのがあの利八だということだけを知り、その営む賭場に雇われる形で、ずっと話を集めていた。さいきんになってそこを飛び出してから板倉のことを知ったときは、まさかと思ったもんさ」

「旦那。あんた──」

 板倉のことというのは、板倉が唯を探し求めているということであろう。何のために板倉が唯を欲しがるのかは分からぬが、板倉と唯に接点があるとすれば。そうならば、唯は。

 そのことについて問おうとした竜を、三蔵が遮る。

「──咲いたな」

 夜明かりに浮かぶ、梅の花。

 点々と、血の染みのように枝にこびりついている。

 竜の濃い草色の着物にも、三蔵の薄汚れた着物にも、同じ模様が入っていた。それはただの花ではなく、夜風を浴びてなお濡れていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る