第五夜 鬼と竜と風車と散り花
討ち入り 一
「さて、どこから──」
表通りに面した本屋の方から乗り込むわけにはゆかぬから、とりあえず裏に回る。回って竜が言い終わらぬうちに、三蔵の姿がいきなり消えた。はっとして見上げると、三蔵は猫のように塀の上に身を置いていた。
「なんて野郎だ、全く」
ぶつぶつと文句を言いながら、自分も瓦塀に手を掛け足を掛けして登り、ひとつ息を整えた。
月を背負うような格好になっているから塀の上に留まることはできず、そのまますぐに内側に降りる。
中に、何人いるのか。大きな商家をそのまま買い取っただけあって敷地は広く、裏にあたるこの位置からいちばん近い小屋だけでも三十坪ほどの建坪がありそうだった。中には油でもって灯が入れられており、時折影がそれを横切るのが見えた。
「旦那。まずいな。
竜が小声で言い、身をさらに低くした。三蔵は答えず、じっと闇に滲んでいる。息をしているのかどうかすらも怪しくなるほど、見事な溶けっぷりだった。これほど近くにいても、その気配がしない。たとえば臭いの類まで、月で薄く濡れた夜に溶け込んでいるようだった。
「見つからぬように、そっとだな」
竜が、方針を確かめた。三蔵は頷くかと思われたがそれをせず、おもむろに身体を高くした。
「そうでもない」
言って、いきなり大股でその小屋に向かって行った。
「おい、旦那──」
竜はそのまま物陰で身を低くしたまま見送り、ぎょっとした。三蔵が小屋の土壁を拳でもって強く叩いたのだ。
中の気配が、静まる。
「見てこいよ」
「どうせ、猫だろうが」
「だとしたら、とんでもねえ化け猫だぜ。いいから、見てこい」
ひそひそとした声がして、気配が動きだした。
どうするのかと思って竜が見ていると、果たして男が一人、灯を手に戸口から出てきた。
どくだみか何かの葉を踏んで鳴らすような足音が、三蔵の潜む小屋裏へ。
「うわっ」
みじかい悲鳴と共に、男は顔を覗かせた闇の中に飲み込まれた。それを聴いた小屋内の気配が、一気に緊張する。
「全く、なんてこった」
竜はすぐさま駆け寄って同じ闇に身を隠し、鯉口を切った。
「もっと、こっそりとやるもんだとばかり──」
そこまで言って、言葉を詰めた。
来ている。足音は、複数。
「おい、
今三蔵の足元で首を妙な具合に曲げて息絶えている若い男の名だろう、それに向かって一人が呼ばわった。
また暗がりを覗き込んだそれを引きずり込んで黙らせた。同じことを、もう二度繰り返した。
「旦那。あんたらしくもない。俺はてっきり、ひっそりと母屋に乗り込み、利八の野郎を殺すものとばかり」
消えた小屋の中の気配の代わりに足元に積み上がった死体を見ながら竜が脂汗を流した。
「なんだ。お前さん、利八の一党を潰しに来たんじゃねえのかい」
「いや、潰すのは、潰すけどよ」
三蔵は、そこでふと気付いたような顔を浮かべ、問うた。
「お前さん、何のために?」
それはそうである。もともと竜が三蔵の前に現れたのは利八からの依頼であり、三蔵にしてみれば竜がそれを裏切って利八を殺しに来た理由が分からぬのである。
「そもそも、旦那。よく、俺が利八を殺しに来たと分かったな」
三蔵は、屋敷の前の暗がりから、気軽に声をかけてきた。普通ならば、竜が雇い主のところに戻ってきたと見るだろう。だが、三蔵はあたかも竜が利八の一党を潰しに来たのを察しているかのようであった。
「まあな。雇い主のところに来るのに、目釘を湿す奴はいないからな」
竜は、無意識でそれをしていたらしい。たしかに、斬り合いになることが予め分かっているときは、目釘が緩んで刃が抜けぬよう、唾でもって湿す癖がある。屋敷の前で、それをしていたのだろう。
「それで、なぜ利八を?」
不思議なもので、言葉を発すると、三蔵は確かにそこにいる。しかし、目でその姿を見、耳で声を聴いてもなお、気配が薄いように思えた。
「あの、水仙という伊賀者の娘のことさ」
「ああ、あのくちなわ女か」
「わけあって、奴らにつけ狙われることになってな。聞けば、奴ら、あんたをも殺そうとしているって言うじゃないか」
「どうも、そうらしい」
三蔵の表情が少し変わったらしいが、月を背負うようにして立つ闇の中のことだから竜には分からない。
「利八を殺し、奴らがあんたを狙う理由を無くしてやることが、結果として俺のためにもなる。詳しくは言えねえ。どっちにしろ、あんたにとっちゃ、悪い話じゃあるまい」
「まあな」
「あんたも、大変な身の上だ。利八に狙われ、伊賀者に狙われ。あっちで戦い、こっちで斬り結びしてちゃ、身がもたねえだろうよ」
「実際、爺だからな」
自分で言ってちゃ、世話はねェ。と竜は苦笑を漏らしたが、三蔵は竜の方を見もせず、細く長く息をしている。今の殺しで荒れた息を整えようとしているのかもしれぬ。
「それで、旦那は、どうしてここに?」
「利八に、色々聴きたいことがあってな。ついでに、利八の意を受けて俺を付け狙う連中が、俺を殺す理由を無くしてやろうと思ってな」
口調は変わらぬが、明らかに竜への皮肉が混じっている。竜から直接聞きはせずとも、竜が勧進橋の一件から三蔵を辿ってきたということは新九郎から聞き知っており、その時点で三蔵が何者かに狙われる心当たりといえば利八しかないわけであるから、竜が利八の意を受けて三蔵を追っていると目当てを付けて当然である。
――どの口が。よくもまあ、抜け抜けと。
竜は内心鼻白んだが色には出さず、曖昧に喉を鳴らすに留めた。
息が整ったのか、三蔵はのっそりと身を滑らせ、歩きだした。その背が、言った。
「お前さんの言う通り、潰すのは、潰すさ。だが、利八だけじゃねえ。全員だ」
竜の背に、また粟が立った。今まで彼の知らなかった類の凄味を、この男は持っている。
そこで、思い出した。いや、思い出したというわけではないのだろうが、とにかく知覚した。たった今しがた、三蔵がしてのけた殺しを。あまりにあっさりと、それこそ菜でも摘み取るような容易さで、三蔵は殺しを行った。竜の足元には、七つの死体。小屋の中にいた全員であろう。
風は、春。しかし、今更三蔵の背が恐ろしいもののように見え、身震いを禁じ得ない。
「なあ、旦那――」
なぜか、竜は口を割いてしまいそうになった。割いた口から、唯のことをこぼしてしまいそうになった。だが、三蔵がその呼びかけに気付かぬまま、あるいは無視をして歩いてゆくものだから、機を逸した。
――こいつは、鬼だ。紛れもなく。だが、その鬼が、どういうわけか、唯のために鬼をしていやがる。
三蔵は竜の思考など知るはずもなく、おもむろに濡れ縁に上がった。灯りのある部屋の障子の前に立ち、
「おい」
と声をかけた。
「なんじゃ」
小屋の方にいた者と思ったのか、一人が無用心にそれを開いた。そこに棒のように立つ者が何者なのか判断がつかず、一瞬、間が空いた。空いた間に三蔵の手がするりと伸び、帯から短い刃物を抜き取った。三蔵がいつも携行しているものよりはいくらか長く、普通の脇差よりは短いそれがすらりと光るや否や、男の腹に突き立て、喉笛を拳で潰し、突き倒した。
「なんだ、てめえ」
一人がそう声を上げようとしたが、ひゅうひゅうと息が漏れるのみであった。なぜかと思って手を喉にやり、そこに風穴が開いていることを知り、目を真ん丸にしたまま膝をついた。
血が飛ぶようなところは斬っていない。正確に、喉笛だけを斬り裂いたらしい。こんな馬鹿な技が、あるものか。竜は目の前で起きたことが信じられぬと思ったが、驚いてばかりはいられぬと自らの刀を握った。
「声を立てさせるな。一撃でな」
三蔵が一歩踏み出し、また一人を死骸に変えた。
「竹とんぼの作り方でも教えるみてえな口ぶりだな、旦那」
竜も腰を沈め、一人の首筋めがけて抜刀し、斬り付けた。三蔵のように血の脈を斬らず喉笛だけを斬るというわけにはいかず、あたりに鮮血が散らかった。
それを見て、ようやく室内の他の者が気を負って立ち上がった。
狭い。三蔵の刃物は短いからよいが、竜の腰の刀は二尺五寸、なかなかに振り回すことはできぬため、いちいち鞘内からの抜き付けで、手元で斬るような
「おい、何事だ」
廊下の方から、新手。室内にいた人数はほとんどが死んだが、さらに五人がそこに加わってきた。
「おいおい、まじかよ。やべえな」
余談であるが、まじ、やばい、という表現は江戸時代からある。まじは芸人の楽屋言葉が、やばいは盗人言葉が語源とされるからこの享保の時代に既にあったかどうかは微妙なところではあるが、竜ならばこのあたらしい語を問題なく使いこなすことであろう。
余談はさておき、二人のことである。
三蔵が、廊下の方の襖に向かってずかずかと歩み寄った。間際に立つ男二人が、刃物を抜く。
「てめえ、一体――」
一人の喉に刃を突き立て、それが首の後ろのあたりから飛び出たのと同じ瞬間、隣の一人の足首を踏み付け、顎のあたりをすくい上げるようにして殴り、首を折った。前のめりに倒れようとする男の喉に残っている柄を逆手に握り、腰を捻りながら引き抜き、旋回した。そのとき、自らの懐の内から自分の刃物も抜き、それで梟が獲物を捕るときのようにして低く、眼にも止まらぬ速さで動き、通り過ぎたときには五人が同時に倒れていた。
「こっちは、任せろ」
竜が、侵入した庭の方に身を躍らせた。異変を感じたらしい数人が、出てきている。広いところでの戦いなら、まず刀が有利であろう。
「あんたの分も付けておいてやるよ、旦那」
背中でそう言って懐を探り、紐が通されたままの銭束を宙に放り投げた。
竜に向かう者どもが、わっと一斉に撃ちかかる。
その瞬間、気を合わせ、鞘の内で刃を
一人。同じ抜き付けで、こめかみを割る。
一人。返す刀で、袈裟懸けに。
一人。突き出してきた刃物を我が刃に弧を描かせて弾かせ、顎を斬り上げる。
一人。ちょうど半身の位置から突きかかってきたそれの腰車を払う。
一人。払った勢いのまま姿勢を下げて回転し、脚を斬り飛ばし均衡を崩した頭部をさらにもう一回転してきた刃で斬り飛ばす。
さいごの、一人。怯えている。唇を震わせ、両手で刃物を握り締め、ひとつ叫ぶと目を閉じて突進してきた。
すう、と息が入ってくるのを感じた。それを鋭い風にして吐きながら、渾身の打ち下ろしで地に叩き付けた。
「声を立てさせるなと、言ったろうに」
室内から、三蔵の声。
月に弄ばれている闇が、騒がしくなった。
何人いるのか。竜は、それを数えた。途中で馬鹿馬鹿しくなって、やめた。
「とんだことになっちまった――」
懐にあった銭束をあと二つ出して、そのまま放り捨てた。
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