六文揃え
「何か、食うか」
機嫌を取るような声色の竜に、唯はかぶりを振って応えた。もう、すっかり夜更けである。
「心細いんだな」
唯は、眉間に皺を寄せて竜を睨み付けた。
「おお、怖いね。大丈夫だ、心配すんな。すぐに、あの若侍と三蔵の旦那が来るさ」
自分を連れ去っておきながら、新九郎と三蔵がすぐに来ると言い聞かせるのが分からなくて、唯は訝しい顔をした。
「お前、ほんとうに口が利けないんだな」
唯は、戸惑っていた。この竜という男は新九郎に危害を加え、自分を連れ去って三蔵に害をなそうとする者のはずであるのに、不思議と声は柔らかく、表情は優しい。
「おじさんを恨んでも、構わねえ」
そう言って、竜は立ち上がった。
「ここに、いな」
同じように立ち上がろうとした唯に優しく声をかけ、竜は大刀を帯に差して出て行った。
自分の目が当たった。そういう小さな喜びも、好きである。竜は、やはり女への手練手管を工夫するようにして、自らの求めるものにたどり着くのが楽しいらしい。
月が出ている。
三蔵は、来るだろう。なぜなら、彼は、月の夜にあらわれる鬼だからだ。血相を変えて、唯を連れ戻しに来るに違いない。
ふと、唯とは何者なのであろう、と興味が遊んだ。あれほど見た目で歳の分からぬ娘も珍しい。ぱっと見、十二、三くらいのようにも思えるが、それにしては手足や口許に色気がありすぎる。もしかすると、幼く見えるだけで、ほんとうは十五、六くらいにはなっているのかもしれない。そうであるなら、もうそれは完全におんなである。
どちらにしろ、ろくな人生を歩んではいまい。口が利けぬのも、おそらくそのせいか。
「嫌な世の中だねえ」
一人、呟いた。呟いたところで、立ち止まった。三蔵か、と思ったが、違う。気配が若い。それに、おんなの匂い。
「なんだ。まだ、俺の周りをうろついていたのか」
月影に声をかけると、それが水仙の姿となって現れた。
「やっぱり、勘がいいんだね、旦那」
「隠そうとして、隠せるもんじゃねえさ」
「あの娘──」
夕方のことを、ひそかに見ていたらしい。
「──三蔵の、娘かい」
「お前にゃ、関わりないことだ」
「いいや、あるね」
水仙を取り巻く闇が歪んだ。笑ったらしい。
「あたしに、よこしな。あの娘を」
考えることは、同じであるらしい。
「よせ、よせ。やめておけ」
竜は、わざと放胆な声を出した。それで、気を逸らせようとしたらしい。しかし水仙はまたひとつ闇を歪めて、竜ににじり寄った。
「抜くなよ。抜けば、それまでだ」
竜はわずかに腰を落とし、水仙を制した。それを待っていたかのように、背後で月が影になった。
ぱっと雨が降り、振り返り、それが音を立てて転がる骸だと気付いた。
「くそっ、また斬っちまった」
手には、いつの間にか抜いた刀。
周囲の闇が一斉に気を放ち、竜に飛びかかる。舌打ちをひとつして袖の内から銭束を取り出し、振り下ろされる死の光を避けざま、結び目をほどいて六文だけを器用に今しがた自らが生み出した亡骸の上にばら撒いた。
その音が静かな冬の夜に鳴るのと、竜の刀が月を跳ね返すのとが、同時だった。
すれ違うようにして一人を斬り、さらに向かってくる別の一人を。
「どうする。俺が死ぬか、お前の一族の者が根絶やしになるまで、やるか」
刀を少し引き、自らの顔の右横に構えて言った。
「ちっ。あんたのように殺しに憑かれた男を相手にするのは、どうも具合が悪い」
「恨むなよ。そちらが仕掛けてきたんだ。お前の一族に一生付け狙われるなんざ、御免だぜ」
左手だけを残して刀を保持し、右手をぱっと振って闇の中に自ら殺した人数分の銭を撒いた。
「この人数を相手にしちゃ、文無しになっちまうぜ」
笑ったが、さすがに笑顔にはならないらしい。
「皆、これまでだ」
水仙がそうあたりの闇に小さく、鋭く声をかけた。それで、闇はもとの夜に戻った。
そこへ、別の気配。いや、はっきりとした足音。
「唯か」
思わず、声に出して振り向いていた。その隙に、即座に抜刀した水仙が襲い掛かってくる。
「旦那。あんた、釣りは好きかい」
右、左と目にも止まらぬ速さで脇差を打ち付けながら、水仙が笑う。
「釣りってのは、餌を仕掛けて、待つもんさ。じっと、獲物がやってくるのをね」
竜は、餌にされたということらしい。であるならば、水仙もまた、唯を狙っているということになる。竜と同じく、三蔵をおびき寄せるためか。
「唯!来るんじゃねえ!」
水仙の斬撃をいなし、また息を吹き返した闇をひとつ血で塗りこめた。
銭が鳴る。
「水仙よ」
片手で交えた刃の隙間から瞳を覗かせ、竜が静かに言った。
「銭の持ち合わせは、あるかい」
斬る。そう決めた。
ん、ん、と声がする。背後で唯が水仙の手の者に捕らわれたらしい。竜は火花を散らしながら水仙の脇差を跳ね上げ、その胴があるところに向けて刀を薙ぎ付けた。しかし、水仙は崩れた姿勢のまま大きく身体を逸らせ、背中から地に寝るようにしてかわしたから、何もない闇を斬っただけであった。
「どけ!」
形を持った闇を、手当たり次第に斬った。銭を撒く余裕などない。闇の中でぽつりと咲いた花のような唯のところに向かって、千切れた足が地に残るほどの勢いでもって駆けた。
一人、二人、三人と斬り、唯のところにたどり付いた瞬間、闇は急に静かになった。
「大丈夫か、唯」
その無事を確かめ、振り返る。そこには、十あまりの亡骸とそれが流した血が月に塗れているほか、なにもない。水仙とその手の者は退いたものらしい。
「なぜ、来たんだ」
屈み込んで唯と目線を合わせ、困ったように言った。竜を追いかければ三蔵や新九郎に会えると思ったのかもしれぬが、何も言わぬから分からない。ただ、粗末な帯に差した風車が、冷たい風に回っている。
「裸足じゃねえか」
綿入れも着ず、裸足で。竜は、今自分が抱いているのがどういう感情なのか分からない。ただ、それを、
「冷たかったろうに」
と言葉に表し、そっと手を差し出した。唯はその手をじっと見て、少し戸惑いながら、自らの手を重ねた。
「奴らは、あぶない。何をしでかすか、分かったもんじゃない」
なぜか、唯が少し笑った。新九郎を打ち倒し、三蔵を釣る餌にするために自分を連れ去った殺しの技を持つあやしげな浪人が何を言うか、とでも思ったのかもしれない。
「三蔵の旦那は、少し後だ。まずは、あいつらから、身を隠さなければ」
竜には、確信があった。水仙は、唯を狙っている。それは三蔵を誘うためであるようにも思えるが、なぜか唯そのものが目当てであるような気がしたのだ。
口も利かず、どこの出自なのかも分からぬ唯を目当てにする理由が分からない。興味はそそられるが、深追いするとろくなことにならぬように思い、まずは身を隠して水仙の追跡から逃れ、然るのちに自らの目当てである三蔵との対峙を果たせばよいと定めた。
「心配するな。大丈夫だ」
なにが、大丈夫なのか。自分がどうしてそう言ったのか、竜には分からない。ばかばかしくなって苦笑したつもりが、思ったよりも口許が綻んでしまっていて、それを見上げた唯が応じて薄く笑い返してきた。
「まったく。妙なことになりやがった」
唯から目を逸らして手を離して足を戻し、転がる亡骸それぞれに六文を与えてやる。
それを、唯が不思議そうに見つめている。
「死んだあと、困るだろ」
自分が何をしているのか、竜は唯に教えてやった。ならば、なぜ殺すのか。そういう問いかけが唯から来そうなものであるが、やはりそれは来ず、しかし、代わりにぱたぱたと足音が鳴った。
戦いながら竜が撒き散らかした銭を唯は拾い集め、ちゃんと六文揃えてそれぞれの亡骸の上に置いてやっている。
「妙な奴だよ、お前は」
その作業を、二人、無言で続けた。
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