風車と竜

 竜は、江戸の下町をふらついている。ぱっと見、食い詰め浪人にしか見えぬから浅草のあたりをうろついていても見事に風景に溶け込んでいる。浅草寺の参詣客とすれ違いながら、物見遊山のような具合であった。

 しかし、その目はきらりきらりと光りながら、人を観察している。その中に三蔵が混じっていないかと思ってのことである。

 人の多いところを避ける。それは、追う側の心理である。逃げる側にしてみれば、人の中に紛れ込んだ方がいいこともある。だからこそ、三蔵はこの江戸に入ったのだろう。

 ましてや、若い頃から暗い仕事を続け、一度も足がつかなかったほどの逃げ上手である。たとえばすれ違う杖をついた老婆が三蔵であるかもしれないし、それが連れている孫が物欲しそうに眺めている風車を売る男が三蔵であるかもしれず、その足元で春を待つ片喰かたばみがそうであるのかもしれない。

 それほど、三蔵とは当たり前のようにして世に溶け込むものだ。


「おッと」

 竜ともあろうものが、人にぶつかった。眼をやると、ぽつんとした顔をした少女が、見上げている。

「悪いな、嬢ちゃん。余所見をしてたんだ」

 少女は、何も言わない。無愛想な餓鬼だ、と竜は思ったが、べつに子供に凄んでやっても何の得にもならぬから、気にしない。

「一人か」

 このような人混みの中、少女は一人のように見えた。いや、よく見るとこれが少女であるのかどうか、分からなくなってきた。

 竜は、好奇心が盛んな性質たちである。少女ならばもっと手足までも短くなければならないが、それにしては目の前ののそれは伸びきっている。見れば見るほどに不思議な思いに駆られ、つい、にっこりと笑った。

「あれが、欲しいのかい」

 竜から逃げるように泳いだ少女の視線が落ち着いていた風車を指差し、腰を折り曲げて目線を合わせた。

「銭がねえのか」

 身なりは良くない。かろうじて着ている綿入れも傷んでいるし、髪もばさばさとしていて艶がない。問いかけに対して視線を戻すことで答えた少女にまた笑いかけ、袖のうちから銭束をひとつ取り出した。

「おじさんが、買ってやるよ」

 何も言わない少女の視線が自らの背を追ってくるのを感じながら、風車売りに銭を渡し、赤いそれをひとつ買い、与えてやった。

「ほらよ。赤くて、綺麗だろ」

 華美なるものを一切禁ず、というご時世だから、赤、という色は人々にとって特別である。梅の花すら恨まれるのではないかと思えるほど殺風景な世だからこそ、その小さな風車は少女によく似合った。

「気に入ったかい」

 少女は、わずかに口許を、ちょうど梅のつぼみが花になるくらいにほころばせて頷いた。そうすると、どういうわけか、ふわっと女が匂って、竜はちょっと戸惑うような思いであった。

「親は、どうした」

 人混みが竜と少女を避け、割れて通っている。往来の邪魔をするわけにはゆかぬため、竜は浅草寺の方に背を向け、歩きだした。少女も、それに続く。

「お前、大人しいな」

 やはり、少女は何も言わない。

「ひょっとして、口が利けねえのか」

 表情に、変化もない。竜の言うことが聴こえていないかのように、自らの息でもって風車を回している。

「親は、どうしたんだよ」

 もう一度、同じことを訊いた。すると少女の表情に、わずかな変化が起きた。振り返り、ちらりと動いた視線の先を、自然、竜は追った。

「唯どの。唯どの」

 武家風の若い男。父親にしては、若すぎる。それに、唯というのがこの薄汚れた少女の名であるならば、武家の男が敬称を用いて名を呼ぶというのはおかしい。おかしいから、また竜の好奇心が鎌首をもたげた。

「ああ、よかった。はぐれてしまって、どうしようかと思った」

 人混みを掻き分けて追い付いた男が、安堵したように笑う。

「こちらは──」

 それが、竜の存在に気付き、やや訝しい顔をした。

「なに。人混みの中、一人でぽつんとしていたもんでね。当たられて転びでもしちゃ危ないと思ったまでさ」

 綿入れの下から着流しをだらしなく垂らした無精髭に一本差しの竜を警戒する様子を若い男は見せたが、その声色が思ったよりも明るいことと、笑ったときに八重歯がひょっこり覗いたことで警戒心は解かれたらしく、

「そうでしたか。それは、ご親切に。かたじけない」

 と礼を述べた。

「あんた、お武家さんのようだが、この子の親かね?」

 歩調を合わせて歩きながら、ちょっと返答に困るような顔をわずかに見せたのを、竜は見逃さない。

「いや、知り人の子を預かっているのです。退屈そうだから、浅草寺詣りに連れてやろうと思ったら、はぐれてしまって」

「ということは、この子は、江戸のもんじゃあない」

 断定的な言い方である。なるほど、預かった子の退屈を紛らわせようと浅草寺に詣るなら、少なくともこの子は江戸ははじめてか、慣れていないということになる。そして、浅草とは下町である。武家屋敷などはない。すると、この男はどこからこの子を連れてきたのか、という疑問に行き当たる。

「あんたは、どこから」

 と訊いてしまえば、奉行所の与力か同心の詮議ようになってしまう。だから、竜は、

「こんな下町まで、よく歩いたもんだ」

 と言い換えた。べつに、この二人が三蔵に連なる者であるかもしれぬと思い、をかけたのではない。竜とは、こういう言葉の遊びを楽しむような男であり、それだけのことである。

「いえ、わりあい近くから来ましたもので。それほどには」

 つい、男は吊り込まれた。竜は、ますます興味を惹かれた。


 こざっぱりととした武家風の男が、この近くにいる。そうなれば、この男もまた江戸の者ではないということになる。旅の途上か。旅の途上なら、少女の髪や着物が傷んでいても不思議はない。では、知り人の子を預かってする旅とは、どういうものなのか。この近くの宿といえば戸の半分破れた木賃か、旅商人向けの大店おおだなかのどちらかである。少女の身なりを思い、木賃の方だと竜は見た。

 男が腰に差している刀の拵えに目をやった。黒石目の鞘に蝋色の柄糸、鍔は無骨な武蔵鍔と質素ながらなかなかの拵えである。二尺三寸ほどか。生まれは悪くないらしい。

 ゆえあって主家を脱した。竜は、男のことをそう断じた。だが、どうしてもこの少女のことが分からない。

 分からないなら、知りたくなる。それが竜である。

「大変だねえ。こんな幼な子を連れて」

 と、同情するような言葉を投げかけた。

「そうでもありません」

 言った男の眼が、少女の手にいった。

「おや、唯どの。それは──」

 赤い、小さな風車。それを男に見せてやるようにして差し出し、ふっと息をひとつ吹きかけて回した。

「ひょっとして、あなたが」

「気にするな」

「唯どの。きちんと、お礼を言わねば」

 少女は、促されて竜に頭を下げた。

「よかったな、唯どの」

 少女はまた少し笑い、風車を回した。

「気に入ったようです。ほんとうに、かたじけない」

「いいさ。それにしても、ずいぶん、無口な子だな」

「どうやら、口がきけぬらしく」

 どうやら、とは、ずいぶんな言い草ではないか。まるで、この少女のことをよく知らぬとでも言わんばかりに。

「そうかい。やっぱり、大変だな」

「ええ、まあ。しかし」

 しかし、と言って、男は言葉を切った。しかし、何なのか。

「あなたは、どちらへ?」

 浅草寺界隈の雑踏から、少し離れた。隅田川を越えるのか、越えずに辻を折れるのか。男は、足を止めてしまった。足が動いていれば、会話を続けてその後に続くことができたものを、と思い、竜は口惜しい思いであった。

「これから、さ」

 明らかな浪人姿の竜が、仕事と口にした。下町で浪人がする仕事なら、良くてやくざ者の護衛か、下手をすればもっと暗い仕事である。

「そうですか」

 と男は深く詮索はしてこなかったが、そういうことに対する嫌悪感はないらしい。これは、いよいよ、気になる。

「俺は、車風太郎くるま ふうたろう。あんた、名は」

 適当な名を、でっちあげた。風車太郎、というのをひっくり返しただけである。名乗ったからには、この武家風の男も名乗らざるを得ない。

「私は、松戸新九郎」

「松戸の旦那に、唯か。あんたらには、縁がありそうだ」

 そう言って竜は着流しを隅田川の風に靡かせ、歩き去った。


「よい御仁であったな。車どのがおられなんだら、すぐに行き会えなかったかもしれぬ」

 木賃へ戻りながら、新九郎が唯に語りかけた。

「よかったな、風車」

 唯は嬉しそうに風車を握り締めている。

「さあ、戻ろう。三蔵どのも、もう戻られている頃だろう」

 あの炭屋の山笠屋のところに、三蔵はまた行っている。

 なにをしているのか、新九郎は問わない。だが、行って戻るたび、彼は銭を得ていた。血の臭いを纏いながら。しかし、そのおかげで宿にも飯にも苦労せぬし、唯の綿入れも買ってやることができた。新九郎には、できぬことである。だから、三蔵のしていることについて何も言うことはできない。

「もう、梅が咲くな」

 寒い風が吹き付けてばかりいると思っていたが、墨田橋の川べりの梅のつぼみが、ふくらんでいる。それに、唯が風車を少しかざすような仕草をした。

 花に見立てているのかもしれない。

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