第10話 紫苑が発狂

 自分の呼吸がやけに大きく聞こえる。

 それに心臓の鼓動も脳に直接響き渡るくらい大きく鳴り響いて聞こえる。


 隣から聞こえてくるのは上嶋さんの呼吸。

 そして後ろからは───あの女の喧しい喚き声と激しい破壊音が耳に響いてくる。


 俺と上嶋さんは階段を登り切り、遂に屋上の扉に手を掛けた。


「ねえ、片崎君」


「ん?」


 青い空、白い雲、そして大学中に広がる混乱の嵐。

 屋上に着いてから上嶋さんは真面目な顔で俺に問い掛ける。


「あのさ、迷い無く屋上ここまで走ってきたのは良いんだけど───この後の事はちゃんと考えてる?」


「…………………………………………あ」


 しまった。

 改めて思い返してみると何を考えてたんだ俺。


「『あ』って何! まさかとは思うけど何も考えてない訳無いよね!?」


「いやーお恥ずかしい限りですはいー」


「恥じて! そのスッカラカンで残念な頭を恥じて! 全力で!」


「……だけど、奴は着々と此処に近付いてきている。この大学は地上十七階建て。屋上の出入口は一つ。隠れる物陰はほぼ無く、逃げ道も残っていない」


「あれぇ〜、華麗にスルーされたぞぅ〜?」


 詰んだなコレ。

 でもあの女、すぐに追いついてくるとばかり思っていたのに……予想より遅いな。

 いや、嬉しい誤算だから良かったけども。


『追ぉいついぃた』


 とか思ってたらついにあの女が来てしまった。


『ぜぇっ、はぁっ、ぜぇっ、ぜぇっ』


 ───俺らと同じく苦しげに息を切らしながら。


「……」


 俺が幽霊のイメージとかけ離れたシュールな光景に固まってる間、あの女は黒いオーラを撒き散らして唯一の出入口を瓦礫に変えやがった。


「ちょっと、脱出口が無くなっちゃったよ!?」


「あの悪霊が……っ!」


 マジで追い掛けるなら石橋とかいう元カレの方だろ。もしくは佐藤某とかいう元カレの浮気相手。

 だというのにあの女は何で俺を追い掛けてきたんだ畜生!


「きゃっ!?」


 あの女が撒き散らす黒いオーラによって発生した不自然な強風が上嶋さんの体勢を崩した。


「おっと」


 俺は上嶋さんが転倒する前に支えて、二人してあの女から距離を取る。

 その間、俺と上嶋さんは風に負けない様にお互いでお互いの体を支え合った。


『何抱き合ってるのよ! この泥棒猫!!』


 強風を巻き起こしているあの元凶は何故か親の仇を睨み付ける様な目で上嶋さんを非難し始めた。

 もう意味分からん。訳分からん。


 しかもついにフェンスの端まで追い詰められて後が無い。

 不可思議な怪奇現象は体験しておきながらも普段通りを崩さなかった上嶋さんは流石に逃げ道が無くなったのを理解してから身の危険を感じ始めた。


 平たく言うと上嶋さんの肩が震えていた。


 本当に詰みなのかと諦め切れず思考を張り巡らせたところ、俺は胡散臭過ぎて忘却の彼方へ放り投げていた神主の言葉を思い出した。


 ───ちなみにこの御札は拗らせた女性、またヒステリックな女性の霊に効く───


 まさしくあの女にうってつけの御札だ。

 そして───


 ───その御札は本当に危険だと思った時に使うのだ───




 ▼




「む」


 私は強大な気を感じ取り、思わずコントローラーを手放し、床に落としてしまった。

 その強大な気の正体を探るべく自分を中心に気を張り巡らせ吟味してみたところ、私の気をふんだんに練り込んだ札と拗らせた悪霊の邪気を同地点の場で察知した。

 と、なると……。


「少年───今がその札を使う時だ」


 私の操作してたキャラクターが敵性のマシュマロ型ゴーストに殺され『GAME OVER』の文字が液晶画面上に表示されているのを無視しながら窓から見える天を仰いだ。




 ▼




 そして───


「今が、その時だ……」


 俺は上着のポケットに入れたまま放置していた御札を手に取り、肩を震わせてる上嶋さんを見る。


「片崎君。それ……」


「ああ、どうやらあの神主、滅茶苦茶胡散臭かったけど嘘だけは吐いて無かった様だ」


 俺の危機に反応してか否か定かでは無いが御札が“使え”と伝えるが如く神聖な輝きを放っている。


「……神主?」


 そういえばそうだった。

 上嶋さんは陰陽神社の件を知らないんだったか。

 まあ良い。


「上嶋さんはそこで待ってて下さい」


 俺がこれから行うは悪霊退治レイスバースト

 この場には俺と上嶋さんのみ。

 そして、あの女に効果を発揮する御札は俺の持つこの一枚を除いて他無い。

 それ故に俺が土佐紫苑あの女を成仏させてこの騒動を終わらせる。


「ダメ……危ないよ?」


 俺が危険物あの女に近付く事を察した上嶋さんは懇願する様に俺を引き留めてきた。

 だが、しかし───


「そんな事は百も承知してる」


 それでも、動かなければ全てが終わらない。

 屋上の床どころかこの建物がいつ屋上出入口の二の舞いになるか分かったもんじゃない為、事態の収拾は早期解決が望まれる。


「だから───俺がやるんだ」


 彼はそれだけ言い残し、光輝く御札を片手に不可思議な現象の発生源へ駆けていった。

 途中、迫り来る瓦礫の猛攻を一身に受けながらも尚、土佐紫苑のもとに走り続ける。


 瓦礫が肉を裂き、血飛沫が上がる。

 痛みなんて関係無い。

 俺がここであの女を終わらせないと俺達がここで終わる。

 だから───


「これっ、で!!」


 宙を不規則に浮遊する瓦礫を掻い潜り、俺の目的は遂に達成せしめられた。

 そう。

 俺は土佐紫苑に御札を貼り付ける事に成功したんだ。


 束の間の達成感を感じると共に瓦礫が自由落下を始める。

 きっとあの女の周りにあった黒いオーラの様なものが薄くなってる事が起因しているんだろう。


『ぎゃああああああああああああああ!!!』


 あの女は怪鳥の如き叫び声を発し、宙でのたうち回る。

 御札がどんどんと輝きを増すに連れてあの女の体が徐々に崩壊を始めた。


 それで終われば良かったんだが、あろう事かあの女は意地でもこの世に残ってやると抵抗を始めた。

 その余波で出入口の瓦礫の破片が飛んでくる。


 俺は上嶋さんのもとまで走り、破片で怪我をしない様に上嶋さんを覆う様に抱き締めた。


「片崎、君?」


「大丈夫。すぐに終わる筈です」


 俺は祈る様に、願う様に上嶋さんと自分自身に言い聞かせる。

 これで終わらなければ、もう為す術が無いから。




 ▼




 このまま成仏したらあたし、もう何処にも居場所が無い。

 閻魔大王は言ってた。

 天国にも地獄にも、お前に行かせる場所は無いって。


 未練を断ち切る。

 未練を棄て去る。


 その何方かを達成しないとあたしの進路は無くなる。

 だから、この双方の何方かを達成する前に成仏したらあたしはあたしがどうなってしまうのか想像する事すら恐ろしい。


 あたしという意識が消えるのか、あたしという存在が無くなるのか。

 それとも、あたしの想像を越えた何かがあたしの身に降り掛かるのか。

 分からない。

 全く分からないからこそあたしは必死になって最後の頼みの綱であるカタサキに頼った。


 だけど、もういいか。

 どう足掻いてももう消えちゃうんだから。

 ああ、あたし……これからどうなるのかな……?


『最後の審判に寄り、貴様の地獄行きが決定した』


 不意に頭の中で暫く振りに聞いた閻魔大王の声が響いてきた。


『地獄行きの切符は既に貴様の魂の中に埋め込んだ。後は列車が貴様を導くだろう』


『そう、勝手ね……』


 緩やかに消滅していたあたしの体はふっと風に吹かれただけで跡形も無くこの世から消滅した。














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