第18話

 大工場地帯を出てエルフの逃げ込んだフィラディル領に入る頃には日はだいぶ高いところまで昇っていた。

 さらに稜線の向こうから件の森の輪郭が姿を現すころにはすっかり正午となっていた。

 一日で一番日が高い時間であっても森は暗く、来訪者を拒むように木々が入り乱れるそのさまは剣山のようでもあった。

 森へは一本の街道が延びていた。

 元は整備され往来があっただろうが、雑草が生い茂り、苔むしてひび割れた石畳は獣道とそう変わらないありさまだった。

 それがまっすぐ森への中へと吸い込まれるように伸びている。

 「街だったころの名残だ。木の葉の隙間から赤い屋根が見えるだろう。あれは検問所だったものだ。街はこの辺まで続いていたんだが、すっかり飲み込まれてしまったようだな」

 ノーマンの領兵の一人が窓越しに指差し解説を入れた。

 それを聞いたアンナが胸の前で両手を握った。

 「ここからが本番ね。気を引き締めましょう」

 街道はビークルがすれ違えるほどには広く、ほとんど緑に飲まれてはしまっているが、木々は道をよけるようにして立っていた。

 おかげでユウたちは徒歩で森を進むことはしなくてすんだ。

 森は木々の葉が空を覆い日の光をほとんど落とさなかった。

 真夜中のような暗い道をビークルのランプが照らし出す。

 風で木の葉のすれる音だけが森を支配している。この不気味な静寂を威嚇するかのようにエンジン音が唸る。

 ユウの乗るビークルは御者を除いて四人が客室へ乗り込んでいた。

 ユウの左隣に近衛のアンナ。正面に向かい合うようにして座るのはノーマンの領兵が二名。二人はロイとエドマンドと名乗った。

 レギンはその体の大きさから客室には乗れず屋根に乗っている。

 ちなみに鋼鉄の爪を屋根に食い込ませたのを見た整備士は口をあんぐりと開けていたが、ユウは気がつかないふりをした。

 『各位警戒態勢を崩すな』

 天板には有線が通っており、備え付けらた通話機で各車両と連絡が取れるようになっている。

 ユウたちは鎧戸の隙間から外の様子を伺った。とはいえほとんどが暗闇の向こうであり視界は最悪と言ってよかった。

 『各車状況報告』

 『最後尾異常なし』

 『三号車異常なし』

 『二号車同じく異常なし。暗くて何も見えない』

 ロイが四号車の定期報告のタイミングで通信機を手にとって報告をした。

 「四号車。異常ない」

 『レギン。君の五感でなにか感じないか』

 声はノーマンのものだった。

 『竜である君はエルフや魔物の魔力を感じる事ができるんじゃないか』

 『匂いがする』

天井のレギンがポツリと言った。彼女の声は専用に取り付けた通話機越しにユウの乗る四号車にも伝わった。

 『匂い?』

 ノーマンが聞き返した。

 『そう。たくさんの匂い。魔物の匂い。ずっとついてくる。森に入ってからずっと。ずっと……』

 『数は?』

 『わからない。森中から匂いが漂ってくる。でも私たちよりももっと多い数』

 『仕掛けてくる気か』

 『様子を伺ってる……』

 レギンは緊張した声色で質問に簡素に答える。

 天井がきしむ音がして、レギンがわずかに体勢を変えたのがわかった。

 『囲まれてるみたい。右にも左にもたくさんいる。どんどん近づいてくる』

 『各車警戒しろ』

 ノーマンの合図に各車から次々と声が上がる。

 『なにも見えないぞ。真っ暗だ』

 『物音一つ聞こえないじゃないか? ほんとに魔物が近くにいるのか?』

 各車から疑問の声が上がる中、ロイの凍りついたような声が聞こえてきた。

 「おい、最後尾がついてきてないぞ」

 ユウが座席を振りかえる。窓越しに後方を確認すると街道の薄暗闇だけが見えた。

 「え……?」

 最後尾の五号車と繋がっていたはずの有線ケーブルが尻尾のように揺れていた。

 ロイが通信機に飛びついたのと同時に各車両から次々に悲鳴にも似た声が響いた。

 『木の陰に何かいる! すごいスピードで併走してる!』

 『こっちもだ! もう手を伸ばした先まで来てる。十や二十じゃきかないぞ! なんで今の今まで気がつかなかったんだ!』

 「止まってくれ! 五号車がついてきていない!」

 ロイが通信機に怒鳴った。

 『なんだと? 好き勝手に喚くな! 四号車! もう一度言え!』

 「だから最後尾車両がいないんだ! 有線ケーブルがなにかに切られて――」

 ロイの怒声はそれ以上続かなかった。

 『どうした? 五号車がどうしたんだ!』

 ロイはスピーカーの声が聞こえなくなっていた。通信機を取り落として、呆然とそれを見た。

 窓の外に見えたのは消えたはずの五号車だった。

 それは宙に浮いていた。

 いいや、そうではない。あれは腕だ。五号車は陰のような黒い体毛に覆われた巨大な腕に掴まれている。腕が五号車ごと暗闇の向こうへと消えていく。

 それは全車両の全隊員が目撃した。

 『右だ! 五号車が連れて行かれる! 撃て!』

 とっさに動いたのは領兵のエドマンドだ。鎧戸を開け放つと蒸気圧連発小銃を窓に突き刺した。

 うねる大木のような腕へと狙いを定め引き金を引いた。

 反動は火薬式よりも軽い。引き金を一度引くと五発いっぺんに発射された。排気弁から蒸気が噴き出し、計器の針がガクンと落ちる。下がった気圧が一呼吸の間で再び高まり、針が時計回りに動き出す。エドマンドは冷静に発射可能位置まで針が動いたのを確認し再び引き金を絞る。

 蒸気圧式の利点は薬莢が排出されない点だ。車内であっても高温の空薬莢が飛び散る心配がない。

 エドマンドに続いてロイも反対の窓から射撃する。同時に天井から振動が伝わりレギンも撃ち始めたのだとユウは理解した。

 そうして全隊員が五号車を掴む腕へ射撃を集中した。

 ユウとアンナは客室後方の窓から戦況を確認する。

 レギンの銃撃により屋根から大量の空薬莢が落ちてきて道へばら撒いていく。

 『このっ! このっ!』

 通信機からレギンの奮戦の声が聞こえてくる。しかし腕がダメージを受けているようには見えない。

 『ぜんぜん効いてないぞ』

 『一号車! 主砲はどうした。撃ち込んでやれ!』

 『無理だ。走りながら撃てばビークルがひっくり返る』

 『使えねえな! 隊列の足が遅いのはそのデカブツのせいだぞ。しっかり仕事しろ!』

 腕はまるで動ずることなくあっという間に樹海の向こうへと五号車を引きずりこんでしまった。

 『追おう。まだ間に合う』

 前を走るビークルの一台が方向を変えようとする。

 『駄目だ。街道を出るな!』

 直後ノーマンの叱咤がとんだ。

 『しかし、このままでは五号車が』

 『もう無理だ。ここで深追いすれば我々も帰ってこれなくなる』

 ノーマンの搾り出すような言葉に誰もそれ以上なにも言えなくなってしまう。

 『それにすでに我々も危険な状況だ』

 木々の間に走る影が見える。ユウたちに追走するようにして藪が揺れ動く。枝が折れる音があちこちで聞こえてきて、木の葉が雨のように街道に降り注ぐ。

 『魔物だ。たぶんゴブリンの群れだ。すぐそこ。手を伸ばせば届く距離にいるぞ』

 『ゴブリン? ビークルよりも大きいだろ。もっと違う何かだ』

 不意にユウたちの四号車が大きく横に揺れた。

 「きゃあっ!?」

 アンナの悲鳴に振り返ると客室後方の窓にゴブリンが張り付いていた。

 「こいつ、全速力で走ってるビークルに追いつけるのか」

 ゴブリンは首を引くとその大きな額を窓ガラスに叩きつけた。

 その矮躯のどこにこれほどの力があるというのか。頭突きの一撃で窓ガラスにヒビが入る。

 ゴブリンがもう一度首を引いく。窓ガラスは二打目は防げない。ユウが小銃を窓ガラスへ向けたのと同時に銃撃音が響いた。ユウではない。

 ゴブリンがぐらりと揺れてそのまま車上から転げ落ちる。

 『大丈夫。撃ち落したよ』

 通話機からレギンの声。ユウは詰めていた息を吐いた。しかしこれで終わりではなかった。

 このゴブリンの一番槍が引き金となった。

 『各員……、禁忌の門が開いたぞ』

 あとに続けと次々と魔物が飛び出してきてビークルの横っ腹に取り付こうと手を伸ばす。

 『ゴブリンだけじゃないコボルトやハウンドドッグ、それから……、見たこともない魔物でいっぱいだ』

 『スライムは最優先で撃ち落せ。取り付かれたら鉄でも熔けるぞ!』

 『ユウ! 右側にゴブリンが二匹』

 「くそっ! 了解!」

 レギンの声に反応してユウが狙いをつける。

 「ユウはそのままロイと一緒に右を見ろ。アンナは俺と左だ!」

 エドモンドの指示にアンナとロイが動く。

 草むらの向こうでギラリと光るのはゴブリンの爪か牙か。

 ユウが狙いを定め引き金を引き絞るその刹那。またもビークルが大きく揺れた。同時に金属を引っかく甲高い音が響いた。

 ユウは背中をドンと押される衝撃に狙いがはずされる。

 「なんだ、どうしたんだ!?」

 左側を見ていたエドモンドに問いかけるが返答はない。

 振り返ると彼の姿がなかった。

 「え……?」

 客室左側の扉が消えて、外の景色が高速で流れていくのが見えた。

 「エドモンドさんが……」

 血の気の引いたアンナの声。

 エドモンドの座っていた席には鋭利な爪痕が深く刻まれ革のシートの中綿が飛び出していた。

 状況の整理が追いつかなかった。エドモンドはつい数秒前まで確かに一緒にいたのだ。

 「エドモンドさん!」

 声に出すことでフリーズした思考が回りだす。右側のゴブリンに気をとられた一瞬の隙をつかれたのだ。その一瞬の油断で仲間が連れて行かれた。

 ユウは破壊された扉から身を乗り出して連れて行かれた仲間を探した。

「エドモンドさん! どこですか、返事をしてください!」

 返事はない。張り上げた声はことごとくが木々の隙間に吸われて消えていく。

 凍りついていたロイが通信機に飛びついた。

 「ノーマン! こちら四号車。エドモンドがいない。連れて行かれた。ビークルも半壊状態」

 『了解した。走行に支障は?』

 「それは大丈夫です。それよりもエドモンドだ。隊列を止めて。引き返して」

 『駄目だ。止まる事はできない』

 「そんな……」

 ロイは歯噛みしたがノーマンの判断が正しいと理解していた。ここで救助のためビークルを止めれば、その瞬間魔物の袋叩きにあるだろう。

 これが魔物との戦闘なのだ。

 一度あちら側に連れて行かれれば助けに行くことすら叶わない。

 「くそ! 僕が左を見ます。アンナさんはユウと右側をお願いします」

 「わ、わかりました。でも扉が壊されて……」

 「扉なんてあってもなくても同じです」

 扉が破壊され乗員にその爪が届くまで数秒もかからなかった。魔物に鉄の装甲など紙切れ同然なのだ。

 ユウは右の扉を開いた。

 「ユウさん、なにを!?」

 右側のカバーに回ったアンナが目を見開く。

 「鎧戸越しじゃ視界が悪すぎます。盾にならないなら閉じていても意味がない」

ユウは後ろに座るロイに背中を押し付けるようにして座り、肩膝を立てて重い銃を抱え込むようにして構える。

 「これならお互いにいなくなったらすぐにわかるでしょう」

 ロイもユウに体重を預けた。

 「名案だ」

 アンナもユウに習って同じように構えた。

 「頼りにしてますよ。専門家さん」

 「必ず生きて帰りましょう」

 ユウは大きく息を吸ってそのまま呼吸を止める。

 照準器ごしに狙いを定める。すぐ目の前の藪の中。獣の息遣いが聞こえてくる。

 『来るよ』

 レギンの声が聞こえるのと同時、藪が大きく揺れた。


 ユウたちが森へ入った頃、エルフはすでに森の出口、グニタヘイズの国境までたどり着いていた。そこが仲間との待ち合わせの場所だ。

 エルフは心臓を脇へ置き大きく息を吐いた。

 竜の心臓は首尾よく手に入った。反抗的な不届きな人間たちも出し抜いて後は本国へ心臓を持ち帰るだけである。

 あと一歩のところでしかしエルフは気を緩めることができなかった。

 魔力を持たない人間を蹴散らすのも出し抜くのも苦ではなかった。

 問題はこの竜の心臓だ。

 エルフは額に浮き出る汗をぬぐい横目で心臓を見た。

 馬車の荷台に積み込んだ心臓は封印の魔法陣によってその力を押さえ込んでいる。

 こうしなければ竜の莫大な魔力に当てられ、人間はもちろんエルフでさえも近寄れなくなってしまうのだ。エルフはその魔法陣を常に維持しなければならず、それは考えていた以上に神経を使い魔力を消費する重労働だった。

 少しでも気をゆるめれば術式が壊れ竜の心臓が開放されてしまう。

 まるでガラス細工でできた大きな壷を抱えて歩くようだ。壷が割れてしまえば中身がこぼれて一大事になってしまう。

 「できればあの竜の破片も回収したかったが……」

 鉄の体で人間に化けたあの破片。人間たちの介入によって手を引いたのはすでに封印魔術を行使していて余裕がなかったからだ。

 「これさえ抱えていなければ人間ごときが何人いようが関係ないというのに」

 術式を安定させるのに精一杯で他に魔力を割くことができなかったのだ。

 「爪先程度の大きさの肉片だろうと、心臓がその分再生するには何百年もかかる。肉の一片だろうが血液の一滴だろうが残さず手に入れたかった」

 心臓だけになっても竜の力は絶大だ。しかしこれではまだ足りない。エルフは竜の復活を望んでいた。

 エルフは心臓を苦々しげに眺めた。

 「この先何億年とかかる竜の自己修復。しかしそれでは遅すぎるのだ。我らの国が滅ぼされる前になんとしても竜に復活してもらわねばならない」

 ふと森を漂う魔力の流れに違和感を感じ取った。

 「追いついてきたのか」

 それが人間の追跡者であることをエルフは即座に看破した。

 「魔力の満ちる森にあってこの異物感。この鉄の臭いもする。まったく人間と言うのはどこまでも下品な生き物だ」

 エルフは来た道を睨みつけた。仲間はまだ来ない。心臓を守りつつ迎撃しなければならない状況になると悟りゆっくりと立ち上がる。


 森の出口が近い。

 ユウたちの乗る四号車はいたるところに魔物の爪痕が刻みつけられていた。

 それでもビークルの四脚は森を突き進みついに魔物を振り切ってみせた。

 そうして訪れた静寂に一同は安堵よりも不気味さを感じ取っていた。

 『急に魔物が引いたぞ』

 『各車警戒を怠るな。これもやつらの罠かもしれない』

 森はシンと静まり返り、それまで気にも止まらなかったビークルのエンジン音が一際大きく聞こえる。

 『近いよ』

 レギンがポツリとつぶやくように言った。

 「なんだって?」

 『エルフ。近くにいる。この先の道をずっと進んだ先にいる』

 「聞こえたかノーマン。本丸が近いそうだ」

 『了解した。魔物の気配が消えたのもそのせいかもしれない。魔物は自身よりも強力な魔力を持つ者には近づかない習性がある。エルフを恐れているのかもしれない』

 それまで隊列に並走していた魔物の気配が遠ざかっていく。

 息遣いまで感じ取れるほど近くにいた魔物たちは一匹、また一匹とその気配を森の奥底へと薄れさせていく。

 そうして木々のざわめきが収まると高い壁が見えてきた。それは廃墟と化した街の防壁であり国境の壁だった。

 そして防壁の近くに一台の馬車が止まっているのが見えた。

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