第16話

 貴族とは一定の土地を国王より与えられ、土地とそこに住む領民の管理及び保護を責務とする者のことである。

 竜の加護を受けられない首都から遠い地ほど魔物が出没し、貴族はその脅威から領民を守る役目があった。しかし人と魔物の力量は雲泥の差があり、わずか数匹のハウンドドッグに一つの村が焼かれ、村民全員が食い殺さた事例もある。

 こういった獣害の脅威に貴族は国王へ兵力の融通を求めた。だが王宮のある首都の守りを手薄にしたくなかった王家はこれを認めなかった。

 自前の領兵だけでは領民を守りきれない。王は助けてはくれない。いつしか貴族は外へと助けを求めるようになった。

 外。つまり国外の人外。上位種族たるエルフである。

 エルフは領土の用心棒を請負、その代金としてさまざまなものを要求した。貴金属から家畜、労働力等求めるものはさまざまであったが、特にエルフが欲したのは魔石だった。

 幸いなことに人の住む土地グニタヘイズは魔石埋没量は大陸一であったし、魔法の使えない人類にとって魔石の価値は高くはなかった。

 魔石の国内需要は近年の機械化革命の影響で高まったもののそれでも上位種族の消費量に比べれば微々たるものである。

 そんな経緯があって各地の貴族は魔石を採掘しエルフへ差し出す代わりに土地を守ってもらったのである。

 こうした貴族とエルフの繋がりは約百年間続いており、両者の結びつきは非常に強い。ともすれば助けを拒んだ王家よりもエルフへ忠誠を誓っている貴族もいるほどである。

 これをエルフ派といいグニタヘイズ国の貴族の役半数はこれに当たる。

 「そして今回、竜を撃ち落として心臓を奪った人物もこの親エルフ派の貴族の一人だ。やつらはエルフの頼みであればなんでも聞く。首都機能の根幹を担う装置の破壊だって二つ返事で引き受けるのさ」

 王家に領地を任された身分でありながら嘆かわしいことだ。自身も貴族であるノーマンはそう言って首を振った。

 ノーマンは王家派の貴族だという。王家派とはグニタヘイズ国の建国に関わった由緒正しき家柄であり、その領地は首都と同じように竜に守られている。

 「もっとも、もし私の領地が竜の加護下になかったら、迷わずエルフに保護を求めるがね」

 薄暗いビークルの客室の中でノーマンは懐から望遠鏡を取り出した。

 左右のドアに取り付けられた除き窓の内戸は閉じられており、鯨油ランプの明かりがぼんやりと車内を照らしている。

 ノーマンと向かい合わせにユウ、レギンが座っていた。

 「エルフに傾倒し人間を裏切るとどうなるか。君も知っておくといい」

 ノーマンは内戸を半分開けて隙間に望遠鏡差し込んだ。

 望遠鏡は筒の外側に数枚のレンズが扇状に並んでいて、レンズの組み合わせを入れ替えることで倍率を調整でき仕組みになっていた。

 ノーマンは何度かレンズを入れ替えてピントが合ったのを確かめるとユウへ手渡した。

 ユウのノーマンに倣って外を覗いた。

 ビークルが止まっているのは首都郊外の裕福層の住む住宅街だ。その中でも一際大きな屋敷が見えた。

 「二階の手前から3つ目の部屋だ」

 ノーマンの指差す方へ望遠鏡を向けるとその部屋には人影が見えた。

 スーツ姿の男が落ち着きなく歩き回っている。

 「あれが屋敷の主。秘密裏にエルフを国内に招き入れ、竜を破壊し心臓を盗む手伝いをした者だ」

 「どうするんですか?」

 望遠鏡を返してユウは聞いた。

 ノーマンは答えず、有線の通話機を取った。

 「確認した。はじめてくれ」

 短くそう言って通信機を置くとビークルが低いエンジン音を上げる。

 客室が左に傾いてビークルが脚を持ち上げるのを感じた。三対の脚を持つビークルは四人乗りの客室を胸の上に載せており、頭部は壷上の操縦席となっていて御者が窮屈そうに収まっている。腹にあたる部分には蒸気エンジン一式が取り付けられている。

 ビークルはその巨体をゆっくりと旋回させると大通りを歩き出した。

 「君にはこれを渡しておこう」

 ノーマンが座席の下に収まっていたケースを膝に乗せた。止め具を開けて蓋を持ち上げると中身をユウの方へと向けた。

 そこには黒い布をに包まれた一丁の拳銃が収まっていた。

 ユウは息をのんだ。

 「これを手に取れるか? 陛下のご命令により君たちを連れてきた。しかし私は君たちがこの件に関わることを良しとは思わない。これから君たちはよくないものを見るだろう。引き返す最後のチャンスだ。これは恥ではない。ご家族は君たちが傍にいることを望んでいるはずだ」

 ユウはレギンを見た。

 レギンは不安そうにユウの手を握った。

 「我々に任せるんだ。君の母上は君が危険な目に遭うのを良しとは思わないはずだ」

 母という言葉でユウの瞳に浮かんだ脅えの色が小さくなるのをノーマンは見た。

 「いいえ、行きます。僕たちの家族です。僕たちで助けます」

 ノーマンの言葉を遮りユウは鈍く光る銃を手に取った。

 「やれやれ。逆効果だったか……」

 ノーマンは首を振った。

 「回転式拳銃だ。弾丸は火薬式で装弾数は6発。銃を持ったことは?」

 ユウは首を振った。

 「首都育ちは銃を撃ったことがないのか。田舎は魔物が出るからな、君の半分くらいの背たけのこでも扱えるんだがな」

 嘆息をつくノーマン。

 「最低限の扱い方は覚えてくれ。いいか?」

 ユウはノーマンの説明に従って銃を操作する。

 まずは装填だ。トリガーガードの外側に沿うようにしてロックレバーがあり、引き金を引くようにして人差し指でレバーを引いた。するとフレームごとシリンダーが前に倒れる。

 ケースに収まっていた弾丸を一発ずつシリンダーに滑り込ませ、銃身も持ち上げて装填完了だ。

 「そうだ。あとはハンマーを起こして引き金を引くだけだが、君は撃つ必要はない」

 客室が一度大きく揺れてエンジンの音が一段下がった。停車したのだ。

 『各車配置につきました』

 有線の音声が天井に取り付けられた拡声器から聞こえた。

 ノーマンは通信機を片手に取りながら言った。

 「君は我々の後ろをついてくるだけでいい。安全装置をかけて銃口は常に下に向けてろ。引き金には指をかけない。いいね。それはあくまで護身用だ」

 そこまで言い切ると通信機を口元へ持っていき一言告げた。

 「作戦開始だ」

 ノーマンの声色が一段下がったのがわかった。ユウはその一言で喉の奥がひりつくのを感じた。

 しかしすぐに異変は起こらなかった。

 標的の屋敷は閑静な住宅街の中にある。

 窓越しには近隣住民が普段と変わらず出歩いている姿が見えた。

 ノーマンも号令を出したきり動く様子はなくのんびりと煙草に火を点けていた。

 「あの、僕たちは行かなくていいんですか?」

 「ああ、君たちの仕事は……、正確にはレギン君の仕事だが、エルフを捕縛してもうことだ。我々では上位種族に太刀打ちできないからね。それまでは待機だ。のんびりしていようじゃないか」

 「はあ……」

 「なんだい緊張しているのか? 一本やろうか」

 「いえ、吸わないんで」

 「男なら吸えるようになっておきたまえ。将来馬鹿にされるぞ」

 ノーマンは落ち着いた様子だが、ユウは状況が分からず肩に力が入りっぱなしでいた。

 窓から屋敷を見ようとするのだが、数軒建物をはさんでいたため屋根の一部が家々の隙間から見える程度だった。

 喉がからからに渇き、手に持った拳銃がずっしりと重く感じる。どれだけ時間が経っただろうか。なんの予兆もなしに有線から声が聞こえてきた。

 『表入り口と裏口押さえました。屋敷内へ入ります』

 この一報を皮切りに次々と進行状況が伝えられるようになった。

 『ロビー確保』

 『一階確保。使用人5名、子ども1名、母親と思われる女性1名』

 『二階確保。エルフは確認できず』

 『一階ロビーにて有線の敷設完了。以降の通信は本有線から実施』

 淡々とした口調で伝えられるのは戦闘の経過報告だとわかった。

 屋敷からはいくらか離れているとはいえ一発の銃声も一声の悲鳴も聞こえてこない。外は変わらず長閑な昼下がりの様相を崩さない。

 「じゃあ、そろそろ行こうか」

 ノーマンがそう言ってマスクを被った。

 「レギン君はいいが、君はマスクを忘れるなよ。顔が割れると色々生きづらくなる」

 ユウは言われたとおりマスクを被った。

 客室の扉が開いてノーマンが車外へ降りる。

 ユウとレギンも後に続いた。ユウは降りる直前になって慌てて銃を懐に隠した。


 大通りを横断して小道に入りいくつかの建物を過ぎると屋敷の全体像が見えてくる。

 屋敷はレンガの外壁で囲われていたが正面の門は半開きになっていた。近くにビークルが一台止まっており、通話用の配線が伸びて正門をくぐり屋敷の中へ続いていた。

 ノーマンが屋敷の前まで来るとビークルから黒コートに黒マスクの男が出てきて三人を先導した。

 正門をくぐると芝の青々と茂った庭が広がり、花壇には色とりどりの花が植えられていた。

 花壇のそばには椅子やテーブル。子供用の遊具なんかもあって、この屋敷の家族の休日の姿が目に浮かぶようだった。

 ここまではまだ長閑な日常のひとコマだった。ユウは懐に拳銃を隠し持っているのも忘れてほほえましいとすら感じた。

 それが屋敷の扉をくぐると場は一変する。

 ロビーの隅に横たわった人が並べられている。

 石材の冷たい床に並んだ人たちはただの一言も声を上げない。目を閉じたままじっとそうしている。

 黒のドレスに白のエプロンをつけた使用人。赤いドレスを身に纏った婦人。半ズボンをサスペンダーで吊った男の子。それらが一様にして横たわっている。

 なにかの冗談でそうしているのではない。そのはずだ。これは冗談では済まされない状況のはずだ。

 ユウは知らず呼吸が浅く速くなっていった。

「奥で重なっているのが使用人たちです。こちらに並べてあるのがフィラディル卿の妻子」

 まるで市場の野菜売りだ。黒ずくめのマスクが指差しでノーマンに殺した人間の素性を説明していく。

 「すでに二階も制圧済みです」

 「フィラディル卿は?」

 「二階です。上がって左手。奥から二番目の部屋です」

 ノーマンは返事の変わりに手を振って二階へと上がっていく。ユウもレギンも言葉もなくそれに続いた。

 はたして案内された部屋に入るとそこに件の貴族、フィラディル卿が椅子に縛り付けられていた。

 部屋に入るとノーマンはマスクをはずした。

 フィラディルはノーマンの顔を見るなり青ざめていた血色にさっと赤みが差した。

 「ノーマン卿! 貴様の仕業か! これはなんのつもりだ」

 口角に泡を飛ばして問いただすフィラディル。

 「お久しぶりですフィラディル卿。最後にお会いしたのは……、お嬢さんの婚約パーティでしたか」

 「そんなことを聞いているんじゃない。これはなんのつもりなんだと聞いているんだ。妻や息子はどうした? 私の家族に指の一本でも触れてみろ。ただでは済まんぞ」

 フィラディルは顔を真っ赤にいして叫ぶ。

 彼はこの屋敷が襲撃されたときからずっと自室にいたのだ。階下がどうなっているのかまだ知らない。一階のロビーに彼の家族が横たわって並べられていることをまだ知らないのだ。

 「もちろんですとも。ご家族には危害をくわえておりません。今は下の部屋で身柄を預からせてもらっていますよ」

 ノーマンは顔色一つ変えず嘘をついた。

 「人質というわけだ」

 「怖い言い方をなさる。しかしそう考えていただいたほうがよいでしょうな」

 ノーマンは椅子を引きずってきてフィラディル卿の前に座った。

 「さて、あなたに聞きたいことはたった一つ。エルフの所在だ。あなたが匿っているのは調べがついているが、どうやらこの屋敷には居ないようだ」

 「なんのことだ」

 ノーマンが懐から銃をとりだす。

 「やめましょう。こちらも急いでいるのはご承知のはずです」

 ノーマンは黒ずくめの一人に視線を送る。すると黒ずくめは一人の使用人を部屋へ連れてきた。使用人がフィラディル卿の目の前に転がる。

 「貴様……」

 「次はどなたをお連れしますか。奥方か、それともお坊ちゃんがよろしいでしょうか」

 「うぐぐ……」

 フィラディル卿は最大限の怒りを込めてノーマンを睨みつける。

 「昨夜、大工場地帯のイーストブロックの軍需工場区画で爆発事故がありました。これはあなたの手引きですね」

 「……」

 「竜は毎日同じ順路で工場地帯を回る。待ち伏せして砲車で撃墜した。そして落ちた竜から心臓を抜き取った。竜の心臓は大量の魔力を発しています。人間が素手で触れるはずもない。どうやって盗んだのですか?」

 ノーマンを睨みつけ口を引き結ぶフィラディル卿。

 ノーマンは部屋にいた黒マスクの一人に目配せをする。すると黒マスクは部屋を出て行こうとした。ノーマンの合図がどんな意味を持つのか。わからない者はこの部屋にいない。

 「ま、まってくれ」

 ノーマンが手を上げて黒マスクの歩みが止まった。

 「心臓を取り出したのはエルフだ。よくはわからんが結界魔法だと言っていた。魔力の放出を抑える効果があると」

 「結構です」

 「……家族に会わせてくれ。知っていることは話すから」

 フィラディル卿がぽつぽつと話し始めた。

 彼の領地フィラディルは国の東に位置する。国境付近の土地で迷いの森と呼ばれる魔物の生息する森と隣接していた。

 獣害は深刻な問題であり領主何代にも渡ってエルフとは懇意にしていた。

 ある日エルフから要請が来た。竜の心臓を奪う協力をしろと言われた。これがなにを意味するのか卿は当然理解していた。だが協力を拒めば金輪際魔物の駆除は請け負わないと言われてしまったのだ。

 「私にどうすることができる。協力しなければ我が領地は数年と持たず魔の者の手に落ちるだろう」

 「エルフはどうして心臓を欲しがったのですか?」

 「知るものか。エルフがそんなもの丁寧に教えてくれるわけがない。言われたことに疑問を抱かずただ頷くのが彼らとの付き合い方だ」

 「心中お察しします」

 フィラディル卿は鼻で笑った。

 「はん。王家派の貴様にはわからんだろう」

 「それでエルフは今どこに?」

「それは……」

 フィラディル卿が言いよどんで下を向いた。

 「エルフへ加担してこの国の要所となる竜を破壊する。これは重罪です。もちろんご存知ですね? 女王陛下は大変に立腹されております。あなたを含めたご家族全員の首を持ってこいといわれているのですよ。しかし私とあなたは古い付き合いです。正直に答えてくだされば私から陛下へ減罪を申し出てもよい。そう言っているのです」

 「お前にはわからないだろう。エルフの後ろ盾あればこその平和だ。王家がなにをしてくれた? 村々が魔物に襲われ、領民がどれほど犠牲になろうとも、我らがどれだけ救いを求めても王族は竜の背に隠れたきりなにもしてはくれなかった。エルフがいなければこの国はとうの昔に滅んでいたはずだ」

 「同感です。しかしここは人の国です。人に危害を与える人外種を許すわけにはいきません。決めてください。次ご家族と会うときに妻子と会話ができるかそうでないか」

 「……エルフは心臓を持ってすでに当家を発った。私の領地を抜けて本国へ戻るつもりだ」

 「フィラディル領から国外に出るには、迷いの森を通るのが早道ですね」

 「そうだ。国内に入るときも森を使った。あそこは国内であっても魔物が生息する場所。普段人は寄り付かない」

 「どうもありがとう。そこまできければ十分です。ご家族に合わせてあげます」

 ノーマンは言い終わるや立ち上がると、フィラディル卿の眉間に拳銃をつきつけた。

 フィラディル卿がなにを言う前にノーマンは引き金を引き絞った。

 乾いた音がして椅子の上で弛緩した体が揺れた。

 「どうして。なにも殺すことはないでしょう」

 ユウの憤った声にノーマンは言う。

 「彼の罪状は国家転覆罪だ。死罪は免れない。それに我々が相手にしているのはエルフだ。いまからそんなんではついてこれないぞ。手加減をするな」

 言い捨ててノーマンさっさとは部屋を後にした。

 フィラディル卿の体が揺れて木製の椅子が軋む音がユウの耳に残った。


 ビークルの中は酷く冷えるように感じた。

 屋敷で見た凄惨な光景。目の前で見た生から死への変化。

 次に目指すは迷いの森だ。魔物が生息する地域を通るためには準備が必要だ。ノーマンはそう言った。

 ユウとレギンは一度病院の前で降ろされ明朝イーストブロックの駅まで来るように言われた。

 「ユウ、我々と一緒に来れば君は今日起こった出来事以上の悲惨な光景を見ることになる。君にはまだ選択肢がある病院で家族についてやることだって立派なことだ。選択を間違えるなよ」

 ユウはそれに答えることができなかった。

 ベッドに横たわるアリシアもベルニカも意識は戻らないままだった。ひどく汗をかいており苦悶の表情で横たわるのみだ。

 徐々に体力が失われていっているのは目に見えてわかった。

 家族の苦痛の表情がユウの凍てついた心を奮い立たせた。

 このまま黙ってみているわけには行かない。この先なにが起こったとしても家族を助けなければ。

 レギンとうなずきあって二人は病院を後にした。

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