第14話

 病院を出て、それからどうやって帰ったのか覚えていない。気がついたらレギンの声が聞こえてきたのだ。

 「ベルニカとアリシアは? 一緒じゃないの?」

 部屋の中は真っ暗だった。そういえばレギンは明かりの点け方を知らないのだ。

 本人は特に気にした風もなく、玄関まで小走りでやってきて出迎えた。その純粋無垢でなにも疑う事を知らない瞳が一瞬翳った。

 「ユウ、嫌な臭いがする」

 「え……?」

 言うなりレギンの顔が近づいてあちこち臭いをかがれた。

 「手……。手からよくないものの臭いがする」

 言われてユウは思い当たった。その手はアリシアの腕に浮かんだ呪いの模様を触っていたのだ。

 「よくないもの。危ない臭い。熱くて苦しい臭い……」

 レギンはそれがなんであるか感覚的に理解しているようだった。

 ユウが手をレギンに近づけると、レギンは一歩後ずさった。松明の火を怖がる獣のように。

 「僕じゃないんだ。」

 そう口にした途端涙があふれた。

 「僕じゃないんだよレギン。呪いを受けたのは僕じゃないんだ」

 僕じゃない。何度もそう続けているうちにユウは立っていられなくなった。

 よろけるユウをレギンがとっさに支えた。ユウはそのままレギンの胸にすがりついた。

 「母さんとベルニカなんだ。呪いを受けて目が覚めないんだ。僕はどうしたら……」

 ユウはそれ以上なにも言えず泣き続けた。

 病院ではまだ実感が沸かなかった。でもこうして日の落ちた真っ暗な家に二人がいないことが、病室で苦しむ姿が夢でも幻でもなく現実であると容赦なく突きつけてくる。

 「ユウ……」

 レギンが嗚咽を漏らすユウを抱きしめようとして――

 ふと青い光を見た。

 光は窓をすり抜けて部屋の中へと侵入し、ユウとレギンの側を泳ぐように飛んだ。

 ユウもその光に気がついた。それは蝶のように見た。翅の輪郭が青白く輝き、不安定にそのシルエットをゆがめる。

 その輪郭が一瞬弾ける様に歪んだ。と、淡い輝きが膨張し部屋中を何も見えなくなるほど明るく照らす。

 「駄目! ユウ!」

 ユウの胸に衝撃が走った。レギンに突き飛ばされたのだと気がつく前に轟音と共に全身を打ちのめす痛みが感覚の全てを支配した。視界が暗転し天井も床も分からずに転がった。

 それは一瞬のできごとだった。

 自分はどうなってしまったのか……。

 全身に走る痛みにうめき声が上がる。ユウは床に倒れこんだ我が身を満足に起こすこともままならない。

 すると床がきしむ音が聞こえてきた。

 階段を上がってくる音だ。

 「どうだい? 僕の蝶は美しかっただろう?」

 「ええ、ええ。まことにこの世のものとは思えぬほど美しい光でしたとも」

 「そうだろうとも。人の身でこの輝きを見れたこと光栄に思うだろう」

 「もちろんですとも」

 上機嫌な声が聞こえて、男が数人壁も床もないグレズビー家に足を踏み入れてくる。

 「おやおや。相当威力は抑えたはずだが、それでも犬小屋には過ぎた力だったかな」

 ユウは口を開いたが言葉にならず咳き込んだ。半壊した部屋の埃を大量に吸い込んでしまったのだ。

 「おお、まだ生きている人間がいるじゃあないか」

 ユウに気がついた男の一人が近寄ってくる。

 うつぶせに倒れたユウの視界に男の靴が見えた。次の瞬間視界がぶれる。髪を掴まれ強引に上体を立たせられたのだ。

 「僕はこんな汚いところにいつまでもいたくはないんだ。さっさと起きてくれないか」

 「ぐっ……、なんなんだ、あんたは……」

 「おいおいずいぶんな口を利くじゃないか下位種族が」

 頭が乱暴に振り回される。常人の力ではない。ユウはそのまま投げ飛ばされて壁に叩きつけられる。

 「エルフ様だよ。君たち人間の飼い主であり守人だ」

 エルフという言葉にユウが顔を上げる。

 「エルフ……?」

 エルフ。その言葉を聞くのは今日で二度目だった。

 ユウの中で母と妹の顔が浮かんだ。

 突然の蛮行。家族を襲った呪い。エルフ。ユウの中でそれらが一つに繋がった。

 「お前、嫌な臭いがするな」

 レギンの声。瓦礫の山が吹き飛び中から機械の少女が姿を現す。

 「ユウの手と同じ臭い。お前か?」

 鋼鉄の足が床を踏みしめる。

 「お前、アリシアとベルニカになにをした?」

 これまで聞いたこともないような地の底を震わせるような声音だ。

 宙を舞う埃の中から浮かび上がるレギン。機械の少女は人の形を損ねていた。

片目、片腕がなくなり腹部に木片が突き刺さっていた。先ほどの蝶の爆発からユウを庇ったからだ。

 レギンは腹部の杭のような木片を引き抜く。すると赤く燃える魔石の破片が零れ落ちた。折れ曲がり、あるいは根元からちぎれた背中の煙突から蒸気が吹き出る。

 満身創痍のその姿であってもレギンの顔色に苦痛の色はない。そこにあるのはユウが今まで見たことのない怒りの色だった。

 「やっぱりいるじゃあないか。ドラゴンの破片」

 エルフはレギンを指差していった。

 「ドラゴンの、破片?」

 聞きなれない呼び名だった。

 「おや? 君知らないで一緒にいたのかい? 本当に人間というのはつくづく物を知らない。よくそんなんで生きていられるね。ああ、つまりあの二人も本当に知らなかったのか。それは悪いことをしたね?」

 「あの二人?」

 「ああ、すぐそこの市場にいた親子さ。ドラゴンの魔力を纏っていたからね。どこに匿っているのか聞いたんだけど、知らないの一点張りでね。小さいほうは泣き出してうるさいし。これでもお忍びの身でね。騒ぎになるとめんどうだったから簡単な呪いをかけてやったのさ。うそつきには罰が必要と思ってね。でも本当に知らなかったというわけだ。いやいや悪いことをした」

 エルフがそこまで言うとレギンの腕が持ち上がった。

 指先の全てをエルフへと向ける。

 「レギン! 駄目だ!」

 ユウが意図を察したその瞬間、五指が轟音を響かせた。

 ゴブリンに大穴を穿ち絶命に至らしめた弾丸がエルフへと殺到した。

 「それ、銃というんだろう。その体といい、ずいぶんと人の世に染まったものだね」

 発射されて弾丸は全てエルフへ命中しゴブリン動揺に蜂の巣にして絶命させる――、はずだった。

 狙いは間違いなかった。しかし弾丸はエルフまで届かず宙で静止した。

 弾丸はその運動エネルギーを持ってして前進しようとするが、どうしてもエルフまで届かない。

 弾丸はエルフの眼前に紙一枚の薄さで展開した円状の模様の壁によってその動きを封じられていた。

 「野蛮な猿の国だからね。防御陣の一つは仕込んでおくさ」

 弾丸はその莫大な運動エネルギーを受け止められ、数秒もしないうちに力尽きて床に散らばった。

 「外装は必要ない。僕が欲しいのは核だ」

 エルフが手のひらをレギンへと向ける。

 エルフが防御陣と呼んだ魔法陣とは別の魔方陣が展開され、その幾何学模様が宙で回転する。

 「ウインド・シュート」

 エルフの詠唱と共に突如室内に暴風が吹き荒れ、レギンが吹き飛ばされた。

 壁に叩きつけられたレギン。体勢を立て直そうとするがうまく立ち上がることができない。今暴風で脚部のフレームが曲がり自立できなくなっていたのだ。

 エルフが次の詠唱を始める。

 「させない!」

 床に崩れ落ちたままの体勢でレギンはふたたび五指をエルフへと向けた。

 轟音と共に弾丸が吐き出される。今度は単発ではなく連発だ。手の甲から大量の薬莢をばら撒きながら、無数の弾丸がエルフめがけて発射される。

 しかしそのこと如くを防御陣が受け止め無効化してしまう。

 「もっとも神に近いとされるドラゴン種がなんとも情けない。それでは馬鹿の一つ覚えじゃないか。効果がないのはすでに分かっているだろう」

 一発一発が致命的な威力を持つはずの弾丸を涼しい顔で防ぎ切るとエルフは詠唱を完了する。

 「ウインド・カッター」

 再び風が吹き荒れるが、最初の空気の塊をぶつけるような魔法とは違う。鼓膜を引き裂くような甲高い音と共に目に見えるほどに圧縮された空気が刃となってレギンの体を引き裂いた。

 残った片腕もひじから先が切断され、ひしゃげて用を成さなくなった両脚も太ももを残して両断される。

 「レギン!」

 全身を引き裂かれ崩れ落ちるレギンにユウが駆け寄る。

 「ユウ、逃げて……」

 風の刃は四肢だけでなく胴体も深く切り裂いていた。触れば粉々に砕けてしまいそうなほどにレギンの体は破壊されていた。

 「どきなさい。君には用がない」

 エルフの冷たい声。ユウはレギンを背に庇うようにしてエルフの眼前に立ちふさがる。そして膝をついて頭を下げた。

 「待って、待ってください。エルフ様、どうかお願いします。あなたが欲しがっているものを彼女は持ってはおりません。彼女は人によって作られた機械人形であり、決してドラゴンなどではございません。これ以上彼女を傷つけないでください。そしてどうか私の母と妹の呪いを解いてください。エルフ様への無礼はお詫びいたします。気がすまないとおっしゃるならこの身を引き裂いていただいて結構です。しかしどうか、レギンと私の家族は見逃してください。お願いします」

 ユウは床に額をこすりつけて懇願した。

 エルフはまるで興味がないようにため息をつき、その後ろではエルフの手下の忍び笑いが漏れ聞こえた。

 「まったく話がかみ合わない。これだから魔力をもたない無知蒙昧な下等種族は嫌なんだ。彼女はドラゴンなんだよ。正確にはその肉片だがね」

 エルフがユウの頭を踏みつけた。

 「ぐぅ!?」

 「君たち人間が、放っておけば明日にでも魔物に食われ絶滅する最弱種族が、これまで生きながらえてきたのは我々エルフ族の庇護のおかげだと、まさか知らないわけじゃあないだろう。その対価を払いたまえよ。君たちにできることは我々の欲するものを差し出すことだ。命と引き換えなんだからどんな要求も安いものだろう。それが質問の一つにも満足に答えられないなどと、なんの利用価値もない家畜を生かす理由などどこにある。あまつさえ家畜の能無しにかけた呪いを解いてくれ? まったく私も対応が甘かったな。呪いをかけるだけで済ませるなどと。あの場で肉片に変えてやればよかった。いいや、いっそこの地区に住んでいる全ての人間を連帯責任として処分すべきだった」

 エルフは口角に泡を飛ばしてまくし立てる。

 「最低限の責務ははたしたまえよこの下等生物が!」

 エルフはユウの頭を蹴り飛ばし罵声を浴びせる。

 ユウはそれでもエルフの足にしがみつき許しを乞い続けた。

 「お願いします。どうか、どうかお慈悲を」

 理を説いて聞かせても、痛みによる理解を促してもまったく躾のつかない動物にエルフは諦めるように頭を振った。

 「お前はもういい。家族のところへ送ってやる」

 魔方陣を展開し詠唱を始める。

 詠唱するのは泣き喚くガキとそれを庇う母親にかけたのと同じ呪いの魔法。詠唱が完成し魔法が発動すればこのうるさい羽虫も黙ることだろう。ただ殺すだけでは面白くない。徐々に命を吸われる苦しみに絶望し、そして果てるがいい。

 エルフの口元に邪悪な笑みが浮かぶ。

 「そこまでです。エルーフ様」

 詠唱が完了する間際。部屋に新たな侵入者が現れた。

 「首都警察です。エルーフ様ですね。先日の大工場地帯での爆発事故の件でお伺いしたいことがございます。そう言えば通じますね? ご同行願えますでしょうか」

 男の声が聞こえて、大勢の人間が部屋の中に入ってきた。いずれも首都警察の制服姿であり全員が銃器を持ち、エルフへ銃口を向けた。

 唯一声を発した男だけ服装が異なった。マスクと外套は街人と同様であったがシルクハットに銀の装飾の施されたステッキを持っていた。

 それは貴族の証であった。

 エルフはめんどくさそうに首を振った。

 「やれやれ。時間切れか。悪いが君たちに付き合っていられるほど暇じゃないんだ。僕はこれで失礼するよ」

 エルフは自分の足元に魔方陣を展開すると部屋中に竜巻のような暴風が吹き荒れた。

 その場の全員が身動きが取れなくなった隙にエルフは窓から身を躍らせ、驚異的な身体能力で家々の屋根を伝って飛ぶように走り去っていった。

 「エルフ様、どうか、お許しください……」

 散々に痛めつけられたユウは朦朧とする意識の中でうわごとのように許しを請い続けた。

 貴族の男はそんなユウを見下ろして首を振った。

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