第12話

 「うーん」

 早朝。ユウはベランダから身を乗り出して、白煙の向こうに目を凝らしていた。

 「どうかしら?」

 年季の入った木製テーブルに朝食用の皿を並べながら母アリシアが聞いた。

 「見えないな。今日も休みみたい」

 首を振ってユウが室内に戻ってくる。

 「駅に灯りは点いてないみたいだ。今日も汽車は動きそうにない」

 そう言ってテーブルにつくと、向かい合わせに座っていた妹のベルニカが目を輝かせた。

 「お休み? にいさま今日はお家にいるの?」

 「そうだね。今日はずっと家にいるよ」

 「わー。なにして遊ぶ? 積み木? それともお絵かき?」

 「積み木なら私もできるよ」

 「そうね。レギンも一緒にやりましょう。三人で積み木の町を作りましょう。きっと楽しいわ」

 盛り上がるベルニカとレギンを見てユウはほっとした気持ちだった。

 当初は二人が仲良くなれるか心配だった。機械の体のレギンを怖がるベルニカと、距離の詰め方がわからずうまくコミュニケーションが取れなかったレギン。

 昨日の魔物騒動は一歩間違えば大惨事になっていたところだが、二人が仲良くなるきっかけにもなってくれた。

 それも全てはレギンのおかげだ。

 彼女の活躍なくしては今日のグリズビー家はなかった。ユウは感謝してもしきれない思いだった。

 「昨日は大変だから……。今日は家でゆっくり出来るわね。」

 アリシアが朝刊を渡してくれた。

 「載ってるわよ」

 なにがとは聞かなかった。

 一面記事とはなっていなかったが、そこそこの枠に昨日のゴブリン出没の件が記載されていた。

 レギンが退治したゴブリンはあのあと自宅から引きずりだして道端に放置したのだ。それを首都警察が見つけ回収していったのをユウはベランダから見ていた。

 新聞には見つかったゴブリンには銃弾の貫通した跡が見つかったものの誰が退治したのかは不明とあった。

 ゴブリンがどこから来たのかは不明。当時首都にはスモッグが発生しており、その魔力に惹かれて人里に迷い込んだ固体だろうとのことだった。

 また今回のゴブリンは成獣であり、これは大人数人がかりでも討伐は難しい大変危険な固体であったという。重ね重ねレギンには感謝である。

 そのあとは討伐者は誰だったのか、お手柄なのになぜ名乗り出てこないのかと続いた。

 「まあ言えないよね」

 新聞から顔を上げてレギンを見た。妹と今日の予定を立てる彼女の楽しそうな顔を見ていると、やはり昨日のことは誰にも話さないほうがよいと思った。

 もともと出自不明の立場のあやふやな子であったが、その上魔物を討伐せしめる力を持っているとあっては、おいそれと彼女のことを外に漏らすのは憚られる。

 色んな人が彼女に興味を持つだろう。その興味が彼女にとって良い方向に転べばいいが、全てがそうなるわけではないだろう。

 レギンはとても良い子で命の恩人である。願わくば彼女には不幸な目にはあってほしくない。

 家に押し込めておくつもりはないものの、彼女の今後については少し慎重になったほうがいいかもしれない。

 「さあ、朝ごはんを食べてしまいましょう」

 ユウは新聞を畳んでテーブルの脇へそっと置いた。

 「ありがとう。いただきます」

 「いただきますー」

 「……いただき、ます?」

 「はい。召し上がれ」

 三人が手を合わせるのでレギンもそれを真似た。

 テーブルの真ん中には大皿のサラダとそれぞれの席にパンとスープ。レギンの席には白い皿の上に黒い石がいくつか。

 「レギンそんなの食べるの?」

 「うん。おいしいよ」

 不思議そうにたずねるベルニカにレギンはそう答えると、黒い石、魔石を口ではなく腹部の釜に投げ入れた。

 ベルニカが目を丸くする。

 次いでレギンがコップ一杯の水を今度は口から一気に飲み干す。

 ぶしゅー。と背びれ状に連なる煙突から蒸気が噴き出した。

 「うん。おいしい」

 ベルニカはぽかんとして一連の動作を見ていたが、プッと笑い声が漏れた。

 「あはは。レギンってば変なの。ご飯を食べると煙が出るのね」

 「へんかな?」

 「ええ、変だわ。とっても変。とってもおもしろい」

 お腹を抱えて笑うベルニカ。レギンは蒸気が出るのが彼女の笑いのツボだったのだと理解すると、再び蒸気を吐き出して見せた。

 するとまたベルニカが笑う。レギンも面白がって何度も蒸気を出してはベルニカを笑わせた。この遊びはアリシアに朝食を食べてしまうようにと注意されるまで続いた。

 朝食のあとは各自家事をこなす。

 アリシアは洗い物。ユウはテーブルを拭いたあと、玄関に置いてある魔草の水やりをした。

 「それはなに?」

 レギンが寄ってきてプランターに植えられた小さな木をつついた。

 「魔草って言ってね、この木の葉っぱが魔力を吸ってくれるんだ。こうして植えておけば家の中の空気はきれいになる」

 「まそう」

 「魔力を吸ってくれる植物はなんでも魔草って呼んでるんだ。本当はそれぞれにちゃんとした名前があるみたいなんだけど僕たちはよく知らなくてね。全部おんなじ呼び方をしてるんだ」

 「ふーん?」

 レギンはわかったような、わかってないような曖昧な返事を返した。

 「便利な植物なんだよ。こうして葉っぱをちぎって……、それをこのマスクのフィルターに入れれば、僕が吸い込んだ空気のうち魔力だけを葉っぱが抜き取ってくれる」

 ジョウロの水を弾く青々とした葉。この植物が元気だということはそれだけ室内にも魔力が漂っているということだ。

 人間の国の外では珍しくもない雑草の類らしいが人の暮らしには欠かせないものだ。

 グリズビー家のこの魔草も高価なものではない。噂だと魔力を与え続ければ大樹に成長するらしいのだが、そのためには膨大な魔力が必要らしい。室内に置く分には人の肩程度までの成長しか見込めないそうだ。

 水やりが終わるとちょうど出勤の時間である。

 今日は仕事がない。

 この言葉の響きはユウの心にわずかな焦燥感を抱かせた。

 手持ち無沙汰になったのがなおさらユウを後ろめたい気持ちにさせる。

 「なに突っ立っているの? ゆっくりしていればいいじゃない」

 そんなユウの内心を察したかのようにアリシアが言った。

 彼女もこの家のお財布事情は当然心得ている。連日仕事がないというのは家計的には中々に厳しい。

 とはいえ騒いだところで仕事が転がり込んでくるわけでもない。

 「こんな日もあるわよ。今日出来ることをすればいいわ」

 母はそう言って笑った。

 それから昼食をはさんで夕方近くまで各々の時間を過ごした。

 レギンとベルニカはおもちゃ箱をひっくり返して遊んだ。ユウは最初のうちは二人の遊びに付き合ったが、きりのよいところで母の内職の手伝いに移った。

 のんびりとした時間が過ぎていく。するとアリシアがぽんと膝に手をついて立ち上がった。

 「そろそろ今晩の夕食の買い物に行こうかしらね」

 「あれ? なにもないの?」

 ユウもネジとナットの袋詰めをしていた手を止めた。

 「ええ、なにかほしいものはあるかしら?」

 「いや特にないけど、代わりに行こうか?」

 「大丈夫よ。今日はずっと座りっぱなしだったし少し歩きたい気分なの。ユウは二人の面倒を見ていて」

 そんな大人二人のやり取りを聞いてベルニカがてててと走ってきた。

 「ベルニカ? どうしたの?」

 母の問いにベルニカは答えない。じっと床を見つめてスカートのすそをぎゅっと握っている。

 母も兄も彼女のそのしぐさを知っていた。

 「なにか欲しいものがあるのね」

 アリシアがため息まじりにそう言った。

 ベルニカはばつが悪そうに目を合わせようとしないが、しばらくしてちいさくうなずいた。

 「二人で行ってきなよ」

 ユウも苦笑交じりに言った。

 アリシアは腰に手をあてて「わかりました」と言った。

 「なにが欲しいのかしら?」

 新しいおもちゃか、それともお菓子か。

 いたずらっぽくたずねる母にベルニカは歯切れが悪かった。

 いつもなら照れながら欲しいものを言うのだ。

 それなのに今日はもじもじとするばかりでなにが欲しいと口にしない。

 「いいわ。それなら歩きながら聞かせてちょうだい」

 ベルニカが再びちいさくうなずいた。

 よほど言うのが恥ずかしいのか。ユウには妹が欲しがっているものの見当がつかなかった。

 「それじゃあ準備なさい」

 「はい!」

 元気よく返事をすると花の刺繍の入った頭巾とマスクを持ってくる。

 「お返事はいいのね」

 再び母のため息。

 「それじゃあユウ、行ってくるから」

 「うん。行ってらっしゃい」

 そうして二人が買い物に出かけていった。

 「お留守番」

 「そうだね。僕たち二人はお留守番」

 ベルニカはなにを買って欲しいのだろう。ユウは帰ってきた妹がなにを持っているのかあれこれ予想して待つことにした。

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