第9話

 図書館にはずいぶんと長居をした。

 レギンは絵本が気に入ったらしく、字はまだ読めないまでも挿絵を眺めるだけでも楽しいらしい。

 ユウはいくつか渡した絵本の中でもレギンの食いつきのよかったものを借りて帰ることにした。

 それは捕らわれのお姫様を王子様が助けに行くという女の子が好きそうな物語だった。レギンの琴線に触れたのはお姫様の挿絵であり、そのドレス姿にうっとりとした表情で見入っていた。

 姿が女性型だが趣味趣向も女の子寄りなのか。ユウは改めて感心していた。

 受付で貸し出しの手続きを行って、絵本をレギンに渡すとそれを抱きしめるようにして抱えた。

 「ユウありがと」

 レギンの喜ぶ表情というものをはじめて見たかもしれない。ユウは少し照れくさくなった。

 昨夜からのベルニカとの件があってずっと陰っていた表情を浮かべていたのだ。

 「どういたしまして。さ、帰ろうか」

 連れてきてよかったとユウは内心で安堵した。

 図書館を出る。外は変わらず白煙が漂い視界が悪かった。

 気が付けが夕方近くで市場の賑わいもひと段落といったところだった。

 これは帰りも手を繋いだほうがよさそうだ。ユウがそう思ってレギンに振り向くと、レギンは遠くを見つめるようにして固まっていた。

 「レギン?」

 名前を呼んで見るが無反応だった。心ここにあらずといった風である方向をじっと見ている。

 不思議に思ってレギンの視線の先を追うと通りを行きかう人の様子がどこかおかしい。慌てて走り去っていくのだ。ぽつぽつとそんな人がいるかと思ったら次第に走り出す人が多くなっていく。

 何事かと目を見張ったそのとき誰かが叫んだ。

 「魔物だ。魔物が出たぞ!」

 それはユウたちの帰り道の先から聞こえてきた。

 その声に追い立てられるようにして人々が足早にユウたちの目の前を通り過ぎて白煙の中へと消えていく。

 「家の方だ……」

 ユウがぽつりとこぼした。

 人々の流れをせき止めるようにユウとレギンは立ち止まった。

 ユウは嫌な予感に胸のうちがざわめくのを感じた。

 「あの、魔物が出たって本当ですか」

 すれ違う人を捕まえて聞いた。

 「らしいぜ。イーストブロックの住宅街、すぐそこだ。怪我人も出たって……。あんたたちもぼーっと突っ立ってないで早く逃げな」

 慌しく白煙の中に消えていく背中にユウはお礼のひとつも言えなかった。

 「ユウ……?」

 脅えるようなレギンの声にユウは我に返った。

 イーストブロックの住宅街。まさしくユウの住むアパートのある方だ。

 怪我人も出た。さきほどの言葉が頭の中でこだました。

 戻らなければ。母も妹も家にいるはずなのだ。

 ユウはレギンを連れて足早に歩き出した。

 魔物とは魔石に内包される魔力を吸収し糧にできる生物の総称である。言い換えると魔力を生命維持に必要なエネルギーとする生物のことである。

 この世界には魔力を必要とする種とそうでない種がある。

 たとえばエルフは前者であり体内に取り入れた魔力を己が力に変えて、時には魔法として出力する。

 後者は人間のような種だ。魔力の恩恵に与ることができないどころか魔力を取り込んでしまうと病気になってしまう。魔石を熱源とし絶えず火にくべ続ける工場では魔力が充満し、人々はマスクなしでは工場で働くことができない。街中に漂うスモッグも工場から排出される排煙が原因であり、その成分のほとんどが魔力と呼ばれる汚染物質なのだ。

 こうしたエルフと人のように魔物と動物の区別がある。

 そして大抵の場合、魔力をエネルギー源とする生物の方が身体が大きく気性が荒い傾向がある。

 たとえば犬だ。数ある犬種の中に魔力適正をもったハウンドドッグという種がいる。人よりも大きく、成獣は体重が平均的な成人男性の三倍から四倍ほどになる。極めて攻撃性が強く、口から炎を吐く能力を持っている。

 このようにハウンドドッグの一例同様に魔物は人類にとって危険な存在であり、獣害は毎年何百件と発生する。

 魔物対策の不十分な地方の小さな村などが主な被害地域となるが、首都であっても年数回は魔物が出没するのだ。

 「スモッグの臭いに釣られて人里に迷い込んだのかな」

 途中すれ違う人と何度もぶつかった。取るものもとりあえず家々から飛び出して来る姿を見るうちにいよいよ大事になっていると実感が沸いてくる。

 それならばレギンは連れて来ないほうがよかっただろうか。いっそ公園か図書館で待っていってもらったほうが良かったかもしれない。

 今からでも彼女だけ戻ってもらうという手もある。そう考えてユウが振り返ると――

 「レギン……?」

 そこにレギンの姿はなかった。

 しまったとユウは内心毒づいた。人ごみに揉まれいつのまにかはぐれてしまったのだ。

 「戻って探すか?」

 足を止めようとしたのと同時に大きな音がした。ガラスの割れる音だろうか。甲高く何かが壊れるような音だ。それは家の方角からだった。

 物音と悲鳴が白煙に閉ざされた通りの向こうからこだまする。

 今は母と妹の安否確認が先だ。

 ユウは逡巡に止まりかけた足を再び前へと運んだ。

 大通りを抜けて地元の人間しか通らない細い道に入る。足元に注意しながら早足でしばらく進むと、さきほどまでの喧騒が背後に遠ざかっていった。

 慣れた近所の道は不穏な静けさ包まれていた。

 家々の扉は無用心に開かれ、道にはさまざまな物が転がっていた。靴が片方だけ落ちていたり、帽子が路肩で潰れていたり。みな振り返る余裕もなく逃げて行ったのだろう。

 静まり返った住宅街はまるで廃墟のようだ。をユウは足音を消すようにして慎重に歩いた。

 そうしてユウは人気のない自宅アパートにたどり着いた。

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