第7話
次の日ユウは休みだった。
レギンが来てから二晩経ったがベルニカの警戒心は依然として緩まることはなかった。
母アリシアがあれこれと世話を焼いてはいるのだが一向に二人の距離が縮まる気配はない。
「もう少し時間がかかるかもね」とはアリシアの見解だった。
聞いてみればベルニカはレギンを避けて寝室にこもってしまうらしい。
レギンの方も仲良くしたいらしく何度か寝室にちょっかいをかけに行くのだが、その度に泣かれてしょげて戻ってくるのだという。
「ユウ、今日休みでしょう。レギンちゃんとその辺お散歩でもしてくるといいわ」
このまま二人を同じ屋根の下においておくのはお互いのためにならない。レギンの気分転換にもなるし、その間にベルニカの心の整理もできるだろう。母はそう考えたのだ。
そんなわけで朝食を食べた後、頃合をみてレギンと街に繰り出すことにした。
「ベルニカがまさかあんなに怖がるとは」
「……ごめんなさい」
「レギンのせいじゃないよ」とユウは慌ててフォローをした。
「僕も驚いてるんだ。あんなに怖がりだとは思ってなかった」
しかし考えて見ればベルニカはまだ3才。赤ん坊と呼ばれる期間をようやくすぎたあたりなのだ。家族以外の人との関わり合いがこれまで多くはなかった。レギンを怖がるというよりは、家族以外の者が家にいることに違和感を覚えているのかもしれないと思った。
空は昨日よりも雲が厚い気がした。街も薄いベールがかかったようにスモッグが漂っている。
ユウは仕事日と同じように中折れ帽の下にマスクをかぶり、外套を着込んでいた。レギンには引き続き外へ出るときはマントをかぶってもらうことにした。
「これから市場のほうへ行こうと思うんだけど、みんな僕と同じような格好をしているからはぐれないようにね」
レギンは何度もうなずいた。どうやらすでに見分けがついていないらしい。するとなにかを熟考するように真剣な顔つきになって、そっと手を伸ばしてきた。レギンはユウの手を繋ぐのが良いと考えたのだ。
「名案だね」
ユウも拒む理由はなくレギンの冷たく硬い金属製の手をとった。
すでにわかっていることだがレギンはとても人懐っこい。母のお気に入りになるわけだ。とユウは内心笑った。
市場につく頃にはスモッグはさらに濃くなって、数件先の店の看板が見えなくなってきた。
「これは手を繋ぐ案は大正解だったよ。真っ白だ」
足早に帰って行く人もちらほら見え始めていた。
一方レギンはといえばけろっとしていた。大工場地帯でマスクが不要な彼女なのだ。スモッグくらいなんでもないらしい。
なんでもない顔でそれよりも市場に並ぶさまざまな商品に興味津々と言った様子だった。
レギンの琴線に触れるがまま露店を見て回った。その中でもっとも興味をもったのが道路の隅に山と積まれた黒い鉱石。魔石売りだった。
「レギンにとっては食べ物だもんな。一番関心が高くて当然か」
目を輝かせるレギン。そういえば自宅の備蓄分もそろそろ心もとないか。
ユウは魔石の山の横で暇そうにしている売り子に声をかけた。
「お兄さん。一週間分ほど欲しいんだけどいくらかな」
黒ずんだつなぎに口元だけを覆うマスクをつけた売り子の少年がこちらを見た。
売り子は最初に声をかけたユウを見て、目線が流れて横にいるレギンで止まった。
男よりも頭一つ分は大きい黒マントの少女を見て売り子は一瞬固まった。それからマントの下からのぞく鉄製の脚を見てなにかを納得したのかうんうんとうなずいてみせた。
「首都じゃ変わった義足が流行ってんですねえ」
どうやら彼はレギンを人間と思っているらしかった。
彼に限らずレギンは人の視線を集めているようだった。そしてたいていの場合は彼のような感想を持つようであった。人肌の頭部と機械の脚。マントから露出した部分から判断し特殊な義足をつけた少女という理解をするようだ。
もしマントの下の彼女の姿を見たときに人々はどんな反応をするのだろうか。
いずれにせよ無用な騒ぎは起こしたくはない。マントはそのためにかぶってもらっているのだからこれはユウの期待する結果であった。
売り子は気を取り直してシャベルを鉱石の山に突っ込んでみせた。
「ご家庭で使うんなら半すくいもありゃ十分でさ。この季節で暖炉にくべたいってんならもう少し必要ですがね」
売り子が差し出すのは紙袋に入れれば片手で持ち歩けるほどの量だった。
それだけでも料理をするだけであればこと足りる。
魔石のエネルギー内包量はどの物質よりも高く、石ころ程度の魔石であってもひとたび火がつけば丸一日は燃え続ける。
人間の国でもっとも普及している燃料なのだ。
「いやそれで十分だよ。いくらかな?」
売り子が値段を言う。ユウはその額を聞いてマスクの下で眉をひそめた。
「ずいぶん高いな。先月ならその値段で半月は暮らせた」
「へい。それが今月からエルフ様へ収める分が増えたんでさ」
売り子の少年が腰を低くしてそう言った。
「エルフ様か……」
ユウは合点がいったという表情でうなずいた。
「へい。神様、エルフ様、仰せにままにでさ」
ユウはため息をついて言い値で魔石を買った。少し申し訳なさそうにして紙袋に魔石を入れて渡してくれた。
「ありがとう。良い一日を」
「お客さんも」
渡された袋はレギンが持った。好物である魔石を持ちたがったのだ。
「食べるのは家に帰ってからね」
「わかった」
レギンはにこにこの笑顔でうなずいた。
「レギンは市場が初めてだけど他に気になるところはあった?」
「うーん? うん。さっきの話。エルフってなに?」
「ああ、エルフ様っていうのは上位種族でありこの国を守ってくださる守護者様のことだよ」
「ジョウイ? シュゴシャ?」
「ごめん。わからないよね。それじゃあ次は図書館へ行こうか。市場の通りのすぐ先にあるんだ。この辺のことは知っておかないといざというときに大変なことになるからね。教えるよ」
「大変なこと?」
「そう。たとえばエルフなんて呼び方をするとね。下手するとその場で死刑にされてしまうんだ」
ユウは冗談半分でレギンを驚かせようと首に手を当てて苦しがるそぶりをしてみた。
「シ、ケイ?」
レギンはそれもピンときていない様子だった。それはそうだ。彼女は生まれたばかりこれから色々知っていくのだ。
「それも教えるよ」
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