第6話

 早朝の冷たい空気が喉の奥に触れて肺へ流れ込んでくる。

 空気は澄んでいたが、風は少しばかり冷たくユウは帽子を深くかぶりなおした。

 道行く人々はユウと大差ない格好をしている。帽子と外套は灰雲から降る煤よけなのだ。紳士は外套。淑女は煤傘を差すのが一般的だった。

 空は分厚い灰雲に閉ざされ陽の光りはぼやけてしまっている。

 首都オーバーハウゼンの空は年中曇り空だ。首都外周の大工場地帯で排出される排煙が空中に溜まって空を閉ざしているのだ。

 吐く息はマスクのレンズを白く曇らせる。


 「今朝は冷えるな。えぇ」

 駅のホームで同僚のカレルと会った。ユウの住むイーストブロックには駅は一つしかない。そのため顔見知りと会う機会は多い。通勤時間などは特に。

 「昨日帰りの汽車で竜を見たよ。ずいぶん近いところまで来たんだぜ。こんなさ」

 会うなり少し興奮した様子でカレルが言った。空に手を伸ばして目の前で見たんだと説明してきた。

 「日ごろから善行を積んでいるからかな」

 よく言うとユウは思った。昨日仕事をほっぽり出して先に帰ったのは誰だったか。

 一方ではしゃぐ同僚の姿にあきれつつも竜の話には興味があった。

 「どんな感じなんだ。僕は首都に来て三年ほどだがまだ近くで見たことがないんだ」

 「おぉ、やっぱり日ごろの行いが悪いから」

 「それはもういいよ」

 竜とは魔物の一種族である。そしてこの世でもっとも強大な魔物として知られている。その羽ばたきは暴風を巻き起こし、吐く炎は国を一夜のうちに焼き払うという。上位種族束になってかかっても竜を倒すことはできないと言われている。

 そんな世界最強の生物がこの国には存在するのだ。

 「でも本当に機械の体なんだな。新聞によく載ってる挿絵のどおりだったぜ。あんなんでも生きてるってんだからすごいよなあ」

 「地に落ちた竜は肉の一片になろうとも魂の火を消さず、体を取り戻すその日までグニタヘイズの魔力を吸い集める。だっけ?」

 ユウの暗唱したのはこの国に古くからある詩の一節だ。

 太古の昔この土地グニタヘイズには竜が住み着いていた。そこへ人間がやってきたことで土地をめぐって争いが生まれた。

 上位種族でもかなわない魔物をどうやって倒したのか、ともかく人間は竜を打ち倒しこの土地を手に入れた。

 しかし竜は不死の存在だ。首を刎ねようと、その体を何度突き刺そうと滅びることはない。

 そしてそれは人間にとって好都合だった。

 「ああやって空を飛んで、この国の魔力を集めてるんだな。大工場地帯から出る排煙には魔力が含まれてるから工場の上空をぐるぐる飛び回ってるんだ。おかげで首都は深刻な魔力汚染が起こらずこうして暮らしていけてる」

 竜は失った体を取り戻すため大量の魔力を求めている。そして魔力が毒でしかない人間にとってそれは願ってもないことだった。

 古くは魔力濃度の高い汚染地域に肉片を置いて浄化してもらっていたが、近年では鉄の体を与えて勝手に飛び回ってもらっている。

 人間に滅ぼされ、復活のためとはいえ人間の利となる魔力吸収を続ける。

 それがこの国の竜という存在だった。

 「やっぱり人間は恨まれてるのかな?」

 もし自分が竜の立場であればどうだろうか。カレルは苦笑して言った。

 「どうだろう。恨んでいるなら襲ってくるんじゃないか。でも今までそんな話は聞いたことがないよ」

 「細切れにされても恨んでないってのかよ?」

 「さあ、竜と話したことがないからなんとも……」

 言いかけてユウは口を閉じた。

 「なんだ? ずいぶん混んでるじゃないか」

 通りの向こうに駅の緑の尖がり屋根が見えてきたあたりでずいぶん人通りが多くなった。

 ユウたちと同じく工場へ向かう労働者たちが駅へ集まっているのだ。

 毎朝駅は混雑する。イーストブロックから工場へ向かう駅は一つしかないからだ。

 今日も人ごみにもまれ労働へと向かうのだ。

 「毎朝堪らんな」

 「まったくだよ」

 悪態をつきながら二人は労働者の波の一部となって駅へと消えていった。


 皆工場へ向かう労働者のようだが駅の前で立ち往生しているようだ。

 「汚染濃度が高過ぎて運行停止か?」

 まれに工場までの路線区画で大量の魔力が滞留してしまい通れなくなることがあるのだ。

 「さあ、行けば分かるさ」

 二人は帽子をかぶりなおして人ごみの中へ入っていった。

 人だかりの向こう。駅前には看板が立っておりそこには「本日運休」と書いてあった。

 「よう、ありゃなんだね?」

 カレルが彼らと同じく看板の前で棒立ちになっている近くの人に聞いた。

 「イーストブロックの工場で事故だとさ。なんでも軍需工場で爆発事故があったんだと。この分じゃ当分休業だな」

 「へえ俺たちの働き場の近くに軍の工場があったとは知らなかった」

 「俺もはじめて知ったね。自分のとこの隣がなに作ってるかなんて誰も把握しちゃいないさ」

 「違いない」カレルがうなずいた。

 「なんでも二脚砲車の砲塔作ってたとかで、一緒に作ってた弾薬が爆発したんだと」

 聞いてみるとずいぶん大事のようだ。

 「駅員がさっきから言ってるが、その工場はもちろん周りの工場も吹っ飛んだとかで区画単位で封鎖されてるんだとさ。だからイーストブロック行きの汽車は当面は運行しないそうだ」

 「商売上がったりか」

 「そういうことだな」

 カレルがお礼を言って隣にいたユウも頭を下げた。

 二人で人ごみから抜け出して通りの向こうまで下がると改めて駅を見上げた。

 「参ったな……」

 ユウはため息をはいた。

 「いいじゃねえか。この分じゃあ今日明日で復旧する感じでもなさそうだ。連休なんて早々ないぜ? ゆっくりしようじゃねえか」

 「お前は気楽でいいな。その分の給料はでないんだぞ」

 「そうは言っても眉間に力を入れて念じたところで事故がなかったことにはならないさ。吹っ飛んじまったんならしょうがねえ。それよりも労働から解放された今日を楽しもうじゃねえか。どうだいこの後」

 カレルは手で輪をつくり口元へ持っていくジェスチャーをした。朝から飲もうというのだ。

 「遠慮するよ。こんな時間から飲む気にはならないよ」

 「そうかい。じゃあ、お互い休日を楽しもうや。じゃあな」

 切り替えの早いカレルはさっさと駅から引き上げてしまった。

 ユウもここにいてもしょうがないと来た道を引き返すことにした。

 工場で事故と聞いたときはレギンの居た部屋のことかと思い一瞬ドキッとした。自分のあずかり知らない事が原因でよかったと胸をなでおろす。

 もしレギンを見つけておらず、彼女が今日もあの部屋で眠ったままだったら今回の事故に巻き込まれていたのだろうか。

 ともかく今日は帰ろう。レギンと妹のベルニカがうまくやっているか心配だ。

 「朝の感じだと駄目そうかな」

 ユウはつぶやいてそっと息を吐いた。

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