第4話

 首都をぐるりと囲む大工場地帯。その輪から首都へ向かっていくつもの線路が延びる。俯瞰して見ればそれは自転車のスポークのように見えただろう。

 運行スケジュールは労働者の勤務時間に合わせられており、帰宅のピークタイムの終わればその日の運行は終了となる。

 ユウとレギンはその一日の最終便の汽車にどうにか飛び乗った。

 二人は客車の窓から外の景色を眺めた。

 レギンには備品置き場にあった埃よけの大きな布をマントにしてかぶってもらった。

 工場長のように道々で驚かれては面倒だと思ったからだ。

 黒いマントはレギンの全身をすっぽりと覆いその機械の四肢や背びれ、尻尾まで隠してくれた。

 最初は動きずらいのか不満顔だったが、自分も同じだとユウが通勤用の外套を羽織って見せると素直に身につけてくれた。

 おかげで工場内でも汽車内でもレギンを見てひっくり返る人は現れなかった。

 もっともユウより頭一つ分大きい背丈やその独特の形状による変な着膨れがあって、振り返る人は何人かいた。

 「きつくない?」

 「大丈夫。ユウとおそろい」

 車内でそんな短いやり取りをして笑った。

 景色は流れて工場地帯の人工物が少なくなっていき、次第に鉄も草木もない岩肌がむき出しとなった荒涼とした景色に変わった。首都と大工場地帯の間に広がる汚染地帯と呼ばれる土地だ。

 そこには魔力が充満し人は愚か動植物も自生できない。国を支える工業力の生み出した負の側面である。

 ユウはぼんやりと通り過ぎていく景色を眺めた。ユウにとっては毎日見る景色であり特に思うところはない。ラッダイト運動家のようにこの光景に涙を流すことはないのだ。しいて言えば地平線だけが見えるこの景色はユウは嫌いではないと思っていた。

 レギンもユウに倣ってジッと窓の外を眺めていた。


 最寄り駅であるイーストブロックに到着するころにはすっかり夜は更けて、分厚い排煙の雲の隙間から星々の淡い輝きが見えた。

 石畳のメインストリートには暴漢対策のガス灯が等間隔で並び煌々と道を照らしている。

 店はどこもクローズの看板が下げられていたが、一つ向こうのブロックでは酒場がまだにぎわっているのだろう。風に乗って笑い声の気配が伝わってくる。

 道行く人は多くはなかったが、誰もが中折れ帽の下にマスクをつけて外套を羽織っていて黒い影のよう歩いていた。レギンに気がついて振り返る人もいたが、声をかけてくる人は誰もいなかった。誰だってこんな夜中に黒マントで全身を隠した大柄な不審者(どんなに贔屓目に見てもそれ以外に形容のしようがない)と関わり合いになりたくはない。

 レギンは町並みを興味深そうに見渡した。

 「この辺はあんまり治安がよくないからはぐれないようにね」

 レギンは石ころ一つにも足を止めてしまうので自宅に着くまでにいつもの倍は時間がかかった。

 それでも手を引けば素直についてくるのでユウは犬の散歩している気分になった。


 「おかえりなさい。ずいぶん遅かったのね」

 玄関で出迎えたのはすでに寝巻きに着替えた母のアリシアだった。

 ユウが住むのは木造の二階建てのアパートだ。四世帯が暮らしておりグリズビー家は二階の表通り側だ。ダイニングキッチンの他に二部屋あって亡き父の書斎をユウが自室として使い、もう一部屋が母アリシアと妹のベルニカの寝室となっていた。

 トイレと風呂は共用で一階にあり、通話装置も共用のものがエントランスに設置されていて固定量と通話時間に応じた追加料金を支払えば使用できる。

 自宅から駅へは多脚オムニバスの定期を買うか迷うくらいには遠く、日々の食料を買いに市場へ行くにもそれなりの気力と体力が必要ではあった。

 それでも工場の検品アルバイトで家族三人が暮らすにはどうにか支払える家賃であった。

 「ユウ、そちらの方は?」

 母が声に戸惑いの色をにじませて聞いた。

 ユウの背に隠れて影のように立つレギン。脚部が人のものとつくりが違うために全長が高く、ドアの枠に顔が収まっていなかった。くわえて背ビレにより膨らんだシルエットが威圧感をかもし出していた。

 「あにさま、かえってきたの……。っ!?」

 困惑する母の後ろから顔を出したのは妹のベルニカだった。寝ていたのか目をこすって兄の帰りを出迎えた。が、レギンの姿を認めるとそのまま固まって動かなくなった。

 「母さん、ベルニカ。彼女は……」

 説明しようと口を開いた次の瞬間、妹ベルニカの泣き声が爆発した。

 「おばけー!」

 「違うんだベルニカ。落ち着いてくれ」

 アリシアにがっしりとしがみついたきり兄の必死な弁解に聴く耳を持たず声の限り泣き続けた。

 結局泣きつかれて眠ってしまうまでベルニカがレギンに心を開くことはなかった。

 レギンの方もベルニカの大泣きにすっかり脅えてしまっていた。

 ベルニカの眠る寝室の扉をそっと閉めて、アリシアは二人にコーヒーを淹れた。

 「あなたは、飲めるかしら?」

 差し出されたカップをレギンは警戒して触ろうとはしなかったが、隣でユウが一口飲むのを見ておずおずと手に取った。

 「飲めるの?」

 聞いたのはユウだ。

 アリシアとユウが見守る中レギンはしばらくカップをもてあそんだが、結局口をつけることはなかった。

 今は飲みたくないのか、それとも人の口にするものは彼女には合わないのか。

 「不思議な子ね。あなたお名前は?」

 問われてレギンはユウの顔を見た。

 ユウがうなずくいて、レギンはおずおずとそれに応じた。

 「レギン……」

 絞り出すような小さな声だった。カップをぎゅっとにぎり緊張の気配が伝わってきた。本当に人見知りをする正確のようだ。

 「そうレギンちゃんと言うのね。私はアリシア。ユウの母です。よろしくね」

 母がレギンにあまり警戒していないように思えてユウは今日の出来事を話して聞かせた。

 工場で知らない部屋を見つけたこと、そこにレギンが眠っていたこと、最後に工場長の話をしたがこれはほとんどが愚痴になった。

 「まあ、困った人なのね。でもあなたもそう責められるばかりではないでしょう。工場内では決められた場所しか立ち入ってはいけないって決まりがあったはず。理由はあれどそれを破ったのはあなたでしょう?」

 母の言葉はもっともであった。ユウは知らない扉を見つけた時点で報告すべきだったのだ。

 ユウはバツが悪くなってぬるくなったコーヒーをもう一口飲んだ。

 「淹れなおしましょうか。レギンちゃんはコーヒー以外でなにか飲めるものはあるのかしら」

 「というか飲食はひつようなのかな?」

 二人に見つめられてレギンきょとんとした。

 「いんしょく?」

 「僕がコーヒーを飲むように、レギンはなにか口する必要はあるの?」

 もし彼女が生き物であれば生存本能から食物を欲するはずであるがレギンはそうではない。彼女がなんなのかはユウには検討もつかないが、少なくとも生物ではないはずなのだ。

 しかし機械だとしても燃料は必要ではないか。ユウの疑問は当然のものだった。

 レギンは再度手元のカップに視線を落として、次に部屋中を見渡した。すると視線はかまどで止まった。

 「アレ」

 言うとレギンはそちらへ行ってあるものを持ってきた。

 「それって……」

 黒光りするそれは料理用に小さく砕かれた固形燃料『魔石』だった。

 その黒々とした鉱石を口まで持っていく。

 「え? それを食べるの?」

 驚くユウとアリシア。しかしレギンは口には入れなかった。その小さな口でガリガリやり始めたらどうしようかと思ったが。と、レギンはそれを腹部にある蓋を開けて中へ放りこんだ。

 今度こそユウもアリシアも目を丸くした。レギンの口は腹にあったのだ。

 固まる二人を尻目にレギンは水桶を見つけてこれは人と同じ口で飲んだ。

 すると背骨に沿って無数に生えた煙突から蒸気が勢いよく上がった。

 「なるほど。これが君の食事か」

 「お金がかからなくていいわね……」

 アリシアがぽつりとこぼした。

 魔石埋蔵量が大陸一であるこの土地では魔石は路上で投げ売りされており、パンよりも遥かに安価なのであった。

 「それで、レギンちゃんはこれからどうすればいいのかしら?」

 レギンの食事方法を見ていよいよ彼女が普通ではないと理解したアリシアは本題ともいえるレギンの処遇へと話題を移した。

 レギンには帰るべき場所がない。彼女の元居た工場の一室は半壊し、製造元も特定できなかったのだ。

 ユウが返答に困っているとアリシアはため息をついた。

 「あなたの話を聞く限り勢いで連れてきてしまったのでしょうから特に考えはないのでしょう?」

 図星だった。工場長から逃げるようにして自宅へ連れてきてしまったが、先のことは考えていなかったのが正直なところだった。

 「まあ、あなたの意見はこの際いいのよ」

 「え?」

 ユウはアリシアの言わんとするところがわからなかった。

 「大事なのはレギンちゃんがどうしたいかでしょう? 意見を言えない犬、猫じゃないのだから尊重されるべきは当人の希望よ」

 アリシアはゆっくりとレギンの手をとった。

 「あなたはどうしたい?」

 「ユウと一緒」

 一片の躊躇も迷いもなくレギンは一言それだけ言った。

 「まあ、あなたモテモテね。お母さん恥ずかしくなっちゃう」

 「やめてよ」

 ユウは照れ隠しに顔を背けた。なにが彼女の琴線に響いたのか不明だがここまでストレートに好意を寄せられるのはむずがゆく感じた。

 「レギンちゃんはユウが大好きなのね」

 息子が異性から好意を持たれ恥ずかしがっている。アリシアは我が子のはじめてみる表情が面白くて少し意地悪をした。

 「好き。だから一緒にいる」

 どこかたどたどしくも迷いのない言葉にユウはさらに赤面した。

 「だってさユウ」

 「えっと……」

 ユウは真っ赤になって下を向いてしまった。

 「しばらくここに住んでもらえばいいんじゃない?」

 「いいの?」

 「息子がはじめて連れてきたガールフレンドだもの。帰るところがないっていうのに出て行ってくれとは言えないわ」

 そう言ってアリシアは笑った。

 「それじゃあ、これからしばらくよろしくね。レギンちゃん」

 アリシアが再びレギンの手を握った。レギンは緊張しながらも少し和らいだ笑みを浮かべた。

 「よろしく……」

 こうしてグリズビー家に家族が増えた。

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