第3話

 レギンを連れてカレルと分かれた通路まで戻ってきた。他の従業員の姿は見えなかったが遠くで誰かが歩いている振動が微かに足元に伝わってきた。

 通路には灯りがついていた。工作機械の動く音も聞こえる。

 やはりレギンの入っていた装置が区画一帯の動力源を根こそぎ奪っていたのか。

 ユウはいやな汗が出ているのを感じた。

 やはり区画一帯の機械停止はレギンの入っていたあの装置が原因だったのではないか。

 ユウは近くに誰もいないか挙動不審に確認した。

 そこでふと違和感に気がついた。

 「苦しくない?」

 工場が正常稼動を始めたということは施設内は魔力で充満するはずなのだ。

 レギンのいた部屋は出入り口のない外から隔離された部屋だったから魔力が入り込まず、ユウはマスクなしでも平気だったのだと予想していた。

 でも上階に戻ってきても平気なのはどうしたことか。

 「ユウ?」

 思案顔のユウを心配するようにレギンが袖を引いた。

 「いや、なんでもないよ」

 先ほどまでべそべそと泣いていたレギンは目が真っ赤になっていた。泣きはらした顔も人間そっくりだ。ぼんやりとそんなことを思った。

 予備のマスクはすぐ近くの備品置き場に山と積まれていた。その一つをかぶってようやく一息つけた思いだった。

 さて次に考えるべきはこの機械の少女をどうしたものかと考えた。

 彼女を造った企業はわからなかった。つまり帰るべき場所も、あるべき姿もわからないのだ。

 ちらりとレギンの横顔をうかがう。するとすぐに気がついてにっこりと笑顔で返された。

 「レギンはこれからどうしたい?」

 漠然とした質問なのは分かっていたがこう聞く他考え付かなかった。

 「これから? わからないけどユウと一緒にいる」

 即答だった。なぜこんなに自分に懐いてくれるのか。自分はこの笑顔をどう応じたらいいのだろうか。

 考えあぐねていると通路の向こうからどすどすと聞き覚えのある足音が聞こえてきた。

 小太りの丸いシルエット。運動不足のせいで少し歩くだけでも息が上がって肩を上下させる見慣れた姿。ユウの働く工場の現場長の男だった。

 「グレズビー? まだこんなところにいたのか。もう異常は直ったんだ。さっさと帰りなさいよ」

 残業を押し付けておいてずいぶんな言い草だ。ユウはマスクの下でむっとした。

 「なんで直ったのか知らないけどうちの管轄は問題なかったみたいだからね。お前の点検した範囲でも問題はなかっただろ? ん? そうだろう? カレルはどうした? 一緒に点検してたはずだろ。さてはサボって帰ったな? そうだろう。まったくあいつはそろそろクビにしなきゃな」

 肩で息をしながら早口にまくし立てた。

 彼はいつもこの調子である。基本的に下の人間に興味はなく自分の要求のみを口早にしゃべるのだ。

 「うん? お前後ろになにを隠している? なんだそのでかいのは」

 現場長はユウを押しのけた。そこにはユウの背に隠れるようにして縮こまっているレギンの姿があった。

 「な、なんだこの化け物は!」

 血相を変えて叫ぶ現場長。

 「答えなさいよ。なんなんだねこれは。えぇ?」

 詰め寄る工場長に脅えてレギンは半泣きなっていた。

 「なんだ? 泣いているのか? 人間ではないよなこれは。ずいぶんよくできた人形じゃないか」

 工場長の声色が変わった。マスクの下でにやにやと笑っているのがわかった。

 相手が自分を怖がっているとわかった時点でこの人は自分が格上であると認識したのだろう。

 「おお、よしよし。可愛いところあるじゃあないか。お前これどうしたんだ? お前がこんな精巧な機械人形買えるわけないよな。拾ったのか、盗んだのか? そうだ、私が買い取ってやろうか。給料一月分でどうだ? 金には困ってるだろう?」

 下卑た笑いをにじませてこんなことを言ってきた。

 彼が女性従業員から人気がない理由がわかったような気がした。

 「拾ったのでも、盗んだのでもありませんよ。彼女は廃棄された工場跡にいたんです」

 「なんだって?」

 「通路の向こうに扉が見えますか? 扉の向こうは隠し部屋になっていました。配布されている見取り図にはない部屋があったんです」

 マスクの下で現場長の顔色が変わったように感じた。ピリついた空気が流れた。

 「工場内の安全確保のため見取り図は正確でなくてはならないし、用途不明な施設は従業員が入り込まないよう管理しなければならない。あなたの仕事です」

 工場長の呼吸が一拍止まった。次口を開けば「お前は私に説教をするのか」と怒りの限りをぶちまけてくるだろう。ユウはそれを知っていたから間を空けずに続けた。

 「加えて彼女の居た部屋には大きな機械がありました。それは彼女を組み立てるための機械だったようなのですが、ここいら一帯の工作機械が停止する中でそれだけは稼動していました。そして、異常な蒸気圧を示していました。

 「この工場の中で見落とされていた施設が原因で今日の異常事態が起こったかもしれないのです。僕はこれから工場長や区画長のところに彼女を連れて行って報告しようと思っています」

 ユウは現場長の苦手とするところを理解していた。

 自らに責任問題が降りかかることである。

 彼は部下にはきつくあたるが、上司にはゴマをする典型的な小物なのだ。いつだったか「出世をしたければ自分のように謙虚になれ」と聞いてもいない説教を聞かされたことがあった。彼の中では謙虚とは立場が上の人間のご機嫌伺いをいうらしい。

 自らの保身のため、そして出世のため、彼は自身の失態を絶対に認めない。

 「まてまてまて。それは本当なのか? 嘘はついていないだろうな」

 色めき立ち肩の揺れが大きくなった。

 「今から一緒にそこへ行きますか? 案内しますよ?」

 「わかった。もういい」

 現場長は不機嫌になってはき捨てるように言った。

 「わかったぞ。お前その人形がお気に入りなんだろう。なら連れて帰っていいぞ。どうだ?」

 ユウは黙ってうなずいた。

 「いいな。それで手を打とうというんだ。お前はその人形を好きにすればいい。ただし今日見つけた部屋のことは――」

 「誰にもいいませんよ」

 言質の取れた現場長はほっとしたのか神妙にうなずいて、どうにか威厳を保とうと背筋を伸ばした。あるいはそれは威嚇の類だったのかもしれないがユウは付き合う気はなかった。

 「それじゃあ僕はもう帰るんで」

 レギンの手を引いてさっさと立ち去ることにした。背中越しに現場長が悪態をついていたようだったがユウは聞き流すことのできる人間だった。

 「あの人怖かった」

 後をついてくるレギンのぽつりとこぼしたつぶやきにユウは苦笑する。

 「そうだね。色んな人がいるのさ」

 その場の勢いで連れ出してしまったがレギンに特に不満はないようだった。

 こうして機械の少女を自宅に招くこととなった。

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