第2話

 落ちた高さは一階分程度か。

 ユウは受身も取れず階下の床に全身を打ちつけもんどりうった。

 「うぐぐ……」

 うめき声を上げてユウはどうにか上体を起こした。

 ユウは落ちてきた穴を見上げた。

 「結構な高さから落ちたな……」

 ユウと一緒に落ちてくる重量物はなく下敷きにはならずに済んだのは幸いだった。

 「一歩間違えれば死んでたか。馬鹿なことをやってしまった」

 大工場地帯は半世紀にわたる増改築の末できた巨大迷路である。放棄された区画も無数にあり、そういった場所はたいてい手入れが行き届いておらずなにが起きるかわからない。

 工場で働く人間にとって『見知らぬ場所へは立ち入らない』は常識である。

 「これは工場長に怒られるかな」

 ユウは打ちつけた身体の痛みに唸りながら立ち上がった。

 するとカランと音がしてマスクのレンズが割れているのに気がついた。

 ガラス片が唇に触れるのを感じユウは慌ててマスクをはずした。

 「これはまずいな」

 ユウは目にぎりぎりかからない程度まで伸びた黒髪をがしがしとかいた。

 大工場地帯はどこであっても魔力でが充満している。この魔力というのは人体には有害であり、大量に吸い込めば病気にもなってしまう危険ものなのだ。ユウは胸に手を当てて浅く呼吸を繰り返す。

 「息苦しさは感じないけど、いつまでも平気とは限らないか。都合よく予備があったりしないかな?」

 辺りは暗くて何も見えない。

 ここも廃棄された工場跡なのか、それとも稼働中なのか。

 ユウは恐る恐る足を床に這わせて歩き出した。

 「せめて明かりが欲しい。どこかに生きてるガス灯は……」

 壁伝いに歩いていくと指先に当たるものがあった。

 形を確かめるとそれはハンドルであり、そのすぐ真上には円柱状の設置物があるようだった。

 ハンドルを回すと円柱の中でカチカチと火花が散って灯りが点いた。

 ここのガス管は生きているのだ。

 目の眩むガス灯の白々しい光りに部屋を満たしていた暗闇が影となって逃げていく。

 そうして壁面に等間隔に設置されたガス灯が影を払うと、部屋の中心のなにか大きな機械が設置してあるのが見えた。

 それは円柱状の機械で天井まで届く大きさだった。見上げると天井にはこの円柱を終端として無数のパイプが木の枝のように伸びていた。

 円柱はいくつものフレームが重なり隙間から歯車やピストンが動いているのが見えた。時折枝のように突き出した突起から蒸気を吐き出し、白煙が天井に雲のように溜まった。

 そして円柱の中心には球状の白い卵のようなものが埋め込まれていた。

 広い部屋の中央にそびえ立つそれをユウはぐるりと見て周ると蒸気圧を示す計器を見つけた。

 機械は生きており計器の針が小刻みに動いているのが確認できる。

 「なんだこれ? 単位がおかしくないか? こんな大きな数値見たことないぞ」

 普段工作機械の計器に見る単位に比べて桁が異常に多い。。これが正しい数値なら区画一帯の動力を賄う巨大ボイラーと直接繋がっていなければ実現し得ないほどだった。

 つまりユウの目の前の謎の機械が件の区画一帯の工場設備の停止の原因かもしれないのだ。

 ユウはこの部屋にいるのが怖くなった。地図に載っていない場所。異常な蒸気圧のかかった見たこともない機械。今すぐここから逃げたくなるには十分だった。

 そのとき中央の巨大な装置に動きがあった。

 枝のように伸びた無数の管から一斉に蒸気が噴き出したのだ。

 肩を飛び上がらせて驚くユウの目の前で装置中央の白い卵がせり出してくる。

 卵は蕾が花開くように割れて中身がユウの目の前に現れる。

 「なんだ? 人……?」

 白煙の向こうに見えたのは人間のシルエット。蒸気が徐々に薄まっていきその姿が鮮明に確認できるようになっていく。

 「女の子?」

 卵から生まれたのは少女とも呼べる幼い顔立ちの女の子だった。

 「ん……、ふえ……?」

 微かに聞こえてくる間の抜けた声のは少女のものか。

 ゆっくりと瞼を持ち上げる少女。肩までのゆるいウェーブのかかった純白の髪が揺れる。

 ユウは息を呑んだ。生きているのか? 少女を閉じ込めるための機械だった?

 いいや違う。ユウは半歩後ろに下がった。

 生きているという表現はおそらく間違いだ。彼女は人間ではない。彼女は今この卵で組み立てられたのだ。なぜなら……。

 ユウの後退に合わせる様にして少女も動き出した。ガシャンと殻から伸びた少女の脚が床を踏みしめる。

 少女の脚は鋼鉄の鍵爪を持った機械仕掛けの脚だった。それはまるで絵本で見たハーピィーのような鳥獣系の亜人種のようだった。

 少女の胸の前で丸めていた腕と思われる部分がほどけて卵の殻を掴む。腕も人のものではない。機械製だ。

 義手義足の少女なのか? いいやそれだけではない。少女の背中には背びれのような突起がいくつも並び、手足の稼動に呼応するように突起の先端から蒸気と思われる白煙を噴き出している。

 さらに背びれを下に追っていくと太い尻尾まで取り付けられていた。

 人形のように整った顔つきに華奢な身体。それに比べて無骨な鋼鉄の四肢。人間のシルエットを著しく損なう背びれに尻尾。それが少女の外見だった。

 「人じゃない。機械人形か?」

 近年の階差機関技術の発達により人を模した自己判断のできる機械が普及している。それらは機械人形と呼ばれさまざまな労働を人の代わりに行っている。

 とはいえ機械人形がするのは会計の計算や商品陳列など単純な軽作業に留まるし、姿形だって人とは似ても似つかない四角形を積み上げたような外観なのだ。

 目の前の少女ほど精巧な機械人形など見たことがない。

 少女が殻を支えにして身体を起こす。三本の鋼鉄の鍵爪がザリザリと床を切りつける。

 ユウが後ずさりしようとして自分の足に躓いて尻もちをついてしまう。

 少女の視線はユウから離れない。無機質で感情の読めない双眸だ。ゆっくりと近づいてくると腰をかがめてユウの顔を覗き込んだ。

 「誰……?」

 ユウはぎょっとした。名前を聞かれているのか。言葉に詰まっていると今度は少女の両手が顔に伸びてくる。

 払うことも避けることもできなかった。少女に見つめられると息が詰まるのを感じた。それは恐怖から来るものだった。まるで巨獣に見つめられた羽虫のようだ。指一本の一振りで僕の命は終わってしまうのではないか。ユウは背筋が凍った。

 「ユウ……、です……」

 頬に触れる人の手を模したものの硬さと冷たさが不気味だった。

 「ユウ……。ユウ・グレズビー」

 搾り出すようにしてユウは答えた。頬を掴む手は身じろぎするユウを捕らえて離さない。

 「ユウ……、触って……」

 少女が顔を近づけてくる。なにを触れて言うのか。目線だけ下げると胸元に小さな窓のようなものが取り付けられていて、それが開いて中から小さな宝石がせり出してきた。

 「触って……」

 それがなんなのかユウには見当もつかなかったが抗うことはできなかった。今度は恐怖からではない。

 「どうして」

 そんなに切ない表情をするのか。気がつけばユウは手は宝石に触れていた。

 それにどんな意味があったのか。なにか取り返しのつかないことをしたのではないのか。ユウは不安になったが機械の少女にも宝石にも変化はなかった。ただ少女はそれで満足したのか宝石を胸の内に収めて立ち上がった。

 「君はいったいなんなんだ……」

 「なに? レギン。私はレギン」

 ユウの口をついて出た問いに少女はそうと答えた。

 レギンというのが彼女の名前らしい。

 「いや、そうだけどそうじゃなくて、君は何者なんだ。誰がなんのために君を造ったんだ?」

 「誰が? なに?」

 レギンは言っている意味が分かっていないようできょとんとした表情になった。

 彼女は自身の名前以外なにも知らないと言う。彼女を作った人物も部屋を用意した企業も知らなかった。

 「例えば身体のどこかに企業のロゴとか製造番号とかないの?」

 「ロゴ、バンゴウ……、ないよ?」

 レギンは自身の身体をひねってあちこち見渡したがそれらしい記載はないようだった。

 一生懸命に背中を見ようとする姿に微笑ましさを感じてしまい、一瞬ユウの頬が緩みそうになった。

 ユウは「いやいや」と軽く頭を振った。

 彼女が何者なのかはこの際どうでもよいのだ。今大切なのは早急にここから出ること。マスクが壊れてしまっているのだ。まだ身体の異変は感じないが有害物質である『魔力』が充満する工場に長居すればどうなるか……。

 ユウは自分の父親が流行り病である『魔石病』で亡くなったのだと思い返した。

 魔力の熱を処理する器官を持たない人類は魔力を吸い込むだけで発熱し、悪くすれば魔力の熱に身体が焼かれ死んでしまうのだ。

 魔力は魔法を使える種族にのみ恩恵がある。人類にとってそれは毒以外のなにものでもないのだ。

 そのときレギンの収まっていた木の幹のような機械に異変が起きた。

 穴という穴から大量の蒸気が噴き出してきたのだ。

 ユウは驚き目を見張った。足の裏まで企業ロゴを探していたレギンも飛び跳ねんばかりに驚いた。

 「なんだ!? まさか二人目か?」

 「二人目? なに? どうなってるの?」

 ともすればユウ以上に取り乱したレギンは慌てふためいてユウの後ろに隠れようとする。

 「いやいやいや。君の生まれてきた装置だろ。なにが起きてるのかわからないの?」

 「わかんない。わかんないよ。大きい音イヤ。怖い」

 すっかり脅えてしまったレギンはユウの側から離れようとしない。

 どうすることもできずうろたえていると次の異変が起きる。

 部屋のいたるところに亀裂が入りだしたのだ。壁がぼろぼろと崩れ始め、亀裂は壁を伝って天井まで伸びていく。

 目と鼻の先に瓦礫が落下するとレギンは完全にパニックになり泣き出してしまった。

 ユウはともかく安全な場所はないかと探したが、この部屋に出口は見当たらない。

 わけもわからないままここで生き埋めにされてしまうのか。

 亀裂の入った天井から小さな破片が降ってくる。パニックになって泣いてしまったレギンを放っておけず庇っていると破片がユウの頭部に落下してきた。

 「痛っ」

 ユウの悲鳴にレギンは顔をあげた。

 「ユウ、大丈夫?」

 「大丈夫。でも早くここからでないとまずいことになる」

 「部屋から出る……」

 レギンは部屋を見渡した。そして天井に穴が開いていることに気がついたようだった。それはユウがはじめにこの部屋に落ちてきたときの穴だ。

 「そうだね。あそこに上がれればいいんだけど……」

 この部屋の天井は高い。少し手を伸ばして跳ねたくらいではまったく届かない距離だ。

 と、突然レギンがユウの身体を抱き上げた。

 「ちょっ!? レギン? うわっ!」

 レギンはぐっと腰を落としてタメを作ると一気に跳躍した。

 レギンの脚部には強力なバネでも仕込まれているのか、軽々と天井の穴まで跳び上がり上階に逃れることができた。

 ユウは気がつけば元いた廃工場の一室にいた。

 「あ、ありがとう……」

 お礼を言うもののユウはレギンの底知れない力に畏怖を感じられずにはいられなかった。やはり彼女は人ではないのだ。

 ユウを抱きしめたまま離そうとしないレギン。もし彼女がその気になれば人間の身体など握りつぶせてしまうのではないか?

 「ユウ……、怖い……」

 レギンの震える声が聞こえた。

 危機を脱してなおレギンはべそべそと泣いてユウを放そうとしなかった。

 自力で脱出できたにも関わらずレギンは目を強くつむったまま震えていた。

 ユウはしばらくの間レギンにもう大丈夫だと声をかけ続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る