灰雲喰らう歯車竜

5時青い

第1話

 この世界には獰猛な魔物が数多く存在する。

 魔法の使えない人類は、エルフ族に守ってもらうことで今日まで存続を許されていた。


 人間の国オーバーハウゼン。

 首都バルモラルの外周をぐるりと囲む大工場地帯。その一区画で異変が起きた。

 数十の工場の生産機械の一切が動作を止めたのだ。

 「全ての機械が一度に故障するなんて考えられない。動力源であるボイラーになにか異常があったに違いない」

 区画責任者はさっそくボイラー技師長に事情を説明した。

 しかし技師長は首を振る。

 「いいや。うちじゃないよ」

 区画一帯の動力を賄う三基の巨大ボイラーはいずれも正常稼動しており、絶えず蒸気を発生させている。

 その証拠に火室には今も火を絶やすまいと燃料である『魔石』が投下され続けており、ボイラー室から伸びる煙突からは黒煙がもうもうと吐き出されている。

 魔石とは太古の植物の化石のことである。魔力を多く取り込んだ古代の植物が土に埋まり長い年月をかけて熱や圧力をかけられてできる天然資源である。

 魔法を使う種族である上位種族は魔石から魔力を取り出すが、人間にとってはよく燃える石として重宝されていた。

 「ボイラーも各工場の蒸気機関も問題はない。なら導線がどこかで切れているんじゃないかね? それはうちの管轄じゃないからそちらで調査してくれよ」

 灼熱の熱気の充満するボイラー室から追い出されるようにして出た区画長は技師長の助言の通り各工場に連絡を取った。

 そうして各工場の従業員総出で配管の確認作業を行うことになった。

 「もうすぐ業務終了時間だってのに迷惑この上ないぜ」

 これに文句を言う従業員は多かったが、缶詰工場の缶詰検品係であるカレルもその一人だった。

 「どうせ残業代も出ないんだぜ? なあ、こっそり帰らねえか? みんな天井の管眺めるなんて慣れない仕事でバタついてんだ。今帰っても誰も気がつかねえって」

 そう言って隣で天井を見上げる同僚を見た。

 生真面目に目を凝らして配管から蒸気が漏れていないか確認するのは、カレルと同じく缶詰検品係の少年、ユウ・グレズビーだ。

 二人は作業服であるオーバーオール姿で手には鯨油のランプを持っている。二人が歩く通路はボイラー室からの燃焼ガスが届かず、壁面に埋め込まれているガス灯の明かりが消えてしまっていたからだ。

 ランプの灯りに浮かび上がる二人の顔には黒い革のマスク。ユウのマスクは鼻の位置からチューブが細長く伸びて垂れ下がっており先端に円盤状の汚染物質除去器が取り付けられていた。カレルはこの長い鼻がなく、頬のあたりに同じ円盤状の器機が二つ張り付いていた。

 マスクはボイラーで『魔石』を燃やすことで発生する汚染物質『魔力』から身を守るために必須の装備であった。

 「そうもいかないだろ。機械が動かないと明日からの僕らの仕事はどうなるんだ」

 クビはごめんだ。とユウはカレルの軽口に取り合おうとはしなかった。

 カレルはまじめが過ぎる同僚にうんざり顔になった。

 「早く帰れば妹が喜ぶんじゃないかね?」

 「……」

 天井の配管に沿って歩いていたユウの足が止まる。

 「お兄様こんなに早く帰ってきてくれたの? ベルニカ嬉しい!」

 ユウは裏声で自身の妹の真似をする同僚にため息をついた。

 「ベルニカは僕のことを兄様と呼ぶんだよ」

 「あん? だからお兄様って言ったろ?」

 「兄様。『お』はつかないんだ」

 「はいはい。演技指導ありがとうございます。次から気をつけますよ」

 鉄板をいくつかのリベットで留めただけの雑な床を踏みしめて二人が通路を進んでいく。

 分かれ道に差し掛かると二人の進路が分かれた。

 「おい? そっちは隣の工場だろ。道はこっちだ」

 「俺は帰るよ。金の出ない残業も、シスコンの相手もごめんだね。お前も適当に切り上げろよ」

 そう言って同僚は手を振って行ってしまった。

 ユウは同僚の労働意欲のなさにあきれた。

 「それに僕はシスコンじゃないよ」

 妹を大切にするのは兄として当然じゃないか。ユウは一人ごちた。

 グレズビー家には父親がいない。流行り病で三年前に死んでしまったのだ。

 母も身体が弱く、長男であるユウが働きに出るようになった。

 全ては家族を支えるため。働くことに不満はない。しかし学校を辞めなければならなかったのは心残りだった。

 妹には同じ思いをさせたくない。ユウはその一身で仕事をしている。

 学校にさえ通えればもっと違った仕事を選べる。

 工場仕事は辛い。工場内は暑いし、仕事は単調で退屈。キャリアにも繋がらないし、給料は安い。学歴のない者にはこんな場所しか働き口がないのだ。

 妹のベルニカはとてもかしこい子なのだ。彼女にこんな仕事をさせてはいけない。

 ユウは気持ちを新たにして天井を眺める仕事に戻った。

 工場内の通路は狭く入り組んでいる。通路はいくつにも別れ、その度にいくつもの扉が並び、各工場の連絡通路と繋がっている。階段から簡素なはしごまで様々な方法で上下階へ繋がってもいる。

 三年間働いているユウでさえ知らない道は無数にあり、迷えば戻ってこれる自信はない。

 半世紀前に建設された大工場地帯は今日に至るまで増改築が繰り返され、今もなお巨大化し続ける鉄の迷宮なのだ。

 「見取り図ではこの先は行き止まりだけど……」

 ユウは工場勤務者全員が持っている、勤務区画のマップと目の前の扉とを見比べた。

 見取り図の中では扉の記載はなく袋小路となっているはずだった。しかし現実には通路の突き当りには扉がありまだ先が続いていそうである。

 天井を見てもパイプはこの扉の先に続いていそうだ。

 ユウはその扉をなでた。薄く被っていた土埃が払われて本来の色である深緑が見えた。

 扉の向こう側を探るように耳を近づけてみるがなにも聞こえない。叩いてみても応答は返ってこない。

 「どうなってるんだ?」

 ユウはノブの位置に取り付けられたハンドルを回してみる。

 ハンドルは抵抗なくするすると回り、二回転と半分の位置でカチリ音がして止まった。

 扉の向こうは開けていて部屋になっているようだったが暗くてよく見えない。

 影の明暗で部屋の中にはなにかが規則正しく並んでいることがわかった。

 中へと入って近くで見てみるとそれは工作機械のようだった。

 「廃棄された場所なのか?」

 ランプで照らしてみると機械たちは誇りをかぶり錆が浮いていた。もうずいぶん使われていないようだ。

 地図上では存在しないはずの部屋があり、その中には使い捨てられた機械たち。

 廃工場だ。

 大工場地帯ではよくあることだった。増改築を繰り返す迷宮の中で忘れ去られた部屋。ユウはその一つを偶然発見したのだ。

 ユウは配管を辿るため天井を照らした。

 天井を見上げることに気を取られ、床の一部のリベットが緩んでいるのに気がつかなかった。

 「うわっ!?」

 声を上げたときにはもう遅かった。突然床が崩れてユウもろとも階下へ落下したのだ。

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