恩讐
もうそろそろ帰ろうとしたとき、テーブルの上にチョコレートケーキが置かれました。
「どうぞ。サービスのチョコレートケーキです! あ、お代は結構ですよ!」
ウエイトレスがにこやかに笑いながら言いました。私は「ありがとう」とお礼を言って、ケーキに手をつけました。なんというか、甘苦くてとても美味しかったです。
「美味しいな。マスターが作ったのか」
「そうですよ。マスターは作るのが得意なんです」
ちらりとマスターを横目で見ると、黙ってグラスを拭いていました。
私がケーキを半分食べ終えたところで、新しい客がやってきました。
「ハーイ。ここが『夏の夜の夢』ね。結構、綺麗なところだわ」
入ってきたのは外国の女性でした。おそらくアメリカ人でしょう。金髪で猟師のような姿をしていました。頬には傷がありまして、なんとなく怖い印象を受けました。
背中には筒を背負っていました。一体何が入っているのでしょうか?
「いらっしゃいませー。あ、キャサリンさんですね。ご注文はお決まりですか?」
「ブルマンが飲みたいわ」
マスターは手早く豆からコーヒーを淹れました。女性――キャサリンは一口飲んで「美味しいわ」と言いました。
それにしても日本人のように日本語が上手でした。イントネーションや訛りの間違いはありませんでした。
「さてと。話をしなければいけないわね。それがここのルールでしょ」
キャサリンは白い歯を覗かせながら、話し始めました。
それは悲しき師弟の話でした。
あれは雨の日のことだったわ。まあ弱かったけど、私の体力を消耗させるのに十分だった。一人で木の陰で雨宿りをしていた。ホテルで休めば良かったけど、生憎お金がなかったのよ。
というのも故郷を飛び出して、宛てもなく旅をしていたのよ。
旅の目的は人探し。そして復讐だった。
父さんが殺されて半年。私は誰が殺したのか分からないまま、母さんを残して旅立ったのよ。
父さんは決闘で殺された。多分正々堂々の戦いだったのでしょう。でもそれがなんだって言うの? 実の父親を殺されて黙って生きていくのは嫌だった。
だから旅に出た。人を殺すために。
でもお金が尽きて、お腹も空いて。
いよいよ自分の持つ銃で始末をつけないと思ったとき。
その人に会ったのよ。
「お前は一人なのか」
そう言って私に手を差し伸べてくれたのは髭を生やした、おじさんだった。目は鷹のように鋭くて、とても怖かった。でもどこか安心感もあった。矛盾しているでしょ?
私はその人の家に行った。もちろん襲われるとか殺されるとか考えないわけがなかったけど、自暴自棄になってたから、もうどうでもいいと思ったのよ。
でも優しく話を聞いてくれて、食事も出してくれて。
嬉しかった。まるで父さんみたいだったから。
「復讐なんてやめたほうがいい」
その人は何度も私を諭したけど、聞かなかった。
するとその人はこう言ったの。
「お前さんの銃の腕前じゃ、復讐なんてできない。俺が一から銃を教えてやる」
聞けばその人はハンターだった。私は父さんから銃を習っていたけど、人や獣に向けて撃ったことはなかった。
ちょうどお金もなかったし、その人の師事を受けることにしたのよ。
その人――師匠は厳しかったけど、教え方は的確だったわ。
師匠には息子が居た。まだ子供だった。私のことを姉さんと慕ってくれた。
息子の腕前は同年代と比べても上手かった。才能はあったのね。
狩り勝負でも私と同じくらいの成果を誇っていたわ。
そうして三ヶ月が過ぎて。
師匠はある夜、一緒に着いていくように言ったわ。
私は不思議に思ったけど、着いて行った。月明かりの綺麗な夜だったわ。
師匠と一緒に森に入って、遠くのほうに火が見えた。目を凝らすと、二人の男が焚き火をしてたわ。
密猟者だった。本来なら逮捕しないといけなかった。
でも師匠は言う。
「あいつらを殺せ」
私は師匠の言っていることが理解できなかった。
「人を撃つ、良い経験になる」
私は撃てないと言った。泣きながら、みっともなく。
「なら復讐は諦めて、故郷に帰れ」
私は震えながら、銃を構えた。
周りの音が聞こえなくなった。空気が冷たくなった。密猟者しか目に入らなくなった。
私は続けて二回撃った。
一人は頭に当たった。
もう一人は腹に当たった。
殺した感触は残らなかった。鹿やうさぎを撃ったときと同じだった。
密猟者に近づいた。一人は即死だったけど、もう一人は生きていた。
助けてほしいと懇願してきた。
師匠は私に拳銃を手渡した。
「とどめを刺してやれ。もう助からない」
私は拳銃を手に取って、密猟者の頭に当てて、引き金を引いた。
最後まで、密猟者は、死にたくないと、言っていた。
家に帰って、手を洗った。
綺麗だったけど、血まみれのように感じられて、何度も洗った。
初めて、人を殺した。
復讐をしようと思ったとき、人を殺すなんてなんともないと思ってた。
でも違った。こんなにも嫌な気分になるなんて。
師匠は何も言わなかった。褒めてくれなかった。忠告もしてくれなかった。
何も、言わなかった。
翌日から私は生まれ変わったように銃の腕前が上がった。
息子との狩り勝負にダブルスコアの大差をつけられた。
「姉さん、一体どうして……」
息子は驚いていた。まあ昨日までの私とは違っていたから当然だと思う。
違うのは、人を殺した経験と覚悟だった。
次に師匠と戦った。
すると同じ数の獲物を獲ることができた。
数日経って、師匠の獲物を超えられた。
「よくやった。これでお前は一人前だ」
師匠が褒めてくれた。初めてだった。でも何かがおかしかった。
何かが崩れてしまうような。
その夜、師匠と息子が盛大に祝ってくれた。
だけど眠れずに家の外に出て涼んでいた。
すると師匠も眠れないのか、外に居た。
「お前に言わなければいけないことがある」
私は、薄々感じていた。
師匠の言う言葉を。
「お前の父親を殺したのは、俺だ」
不思議だよね。当たってほしくないことは大抵当たるって。
私は静かに頷いた。
「復讐をするなら、今だぞ」
私は拳銃を持っていたけど、師匠は持っていなかった。
だけどそんな方法はしたくなかった。父さんも喜ばないと思った。
だから決闘を申し込んだ。
翌朝。私と師匠は決闘をすることにした。
立会人は息子だった。
泣きそうだったけど、我慢しているのが分かった。
ごめんね。弟のように思っているのに。
ルールは簡単だった。後ろを向いて、息子が合図したら振り向いて、相手を撃つ。
緊張してたけど、心は冷静だった。
自分の師匠を殺すのに、どこか他人のように感じていた。
息子の合図。
私は横に飛びながら、師匠を狙った。
銃声は二回鳴った。
私の頬を銃がかすった。
でも生きている。
師匠は倒れている。
右肩に当たっていた。つまり利き腕が使えない。
私は師匠の頭を狙った。
師匠は微笑んでいた。
「よくやったな。流石だ。キャサリン」
初めて、名前を呼ばれた気がした。
師匠の死体に近づいて、息子は生死を確認した。
そして言った。
「お見事、でした……」
私は息子に近づいて言った。
大きくなって、強くなって、私を殺しに来なさい。いつでも待っているから。
今まで我慢してた涙が、息子の目から流れた。
父親と姉代わり。両方を無くしてしまったから、当然だった。
私はその場を後にした。
故郷に戻って、母に報告するために。
「これで満足かしら? さあ願いを叶えてちょうだい」
キャサリンがマスターに言うとこんな答えが返ってきました。
「彼が本当に望んでいるとは思えないが」
するとキャサリンはこう返しました。
「私が望んでいるのよ」
「どうしてだ?」
「そうしなければいけないからよ」
そして最後にキャサリンは言いました。
「それに願いって自分本位なものでしょう? 復讐と一緒よ」
マスターは溜息を吐いて、言いました。
「店から出たら、願いは叶うだろう」
「ありがとう、マスター」
キャサリンは何の躊躇もなく出て行きました。
その姿を格好いいと思うのは、おかしな話でしょうか?
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