鎮魂歌
チョコレートケーキを食べたせいか、また渇いてしまいました。しかし飲み物を注文するのも癪なので、お冷で喉を潤すことにしました。
ウエイトレスは私をじっと見つめていました。注文をしないのなら帰れと言われているような気がしました。
私はそろそろ帰らないといけないなと思いました。
会計をしようと財布の中身を確認したときでした。
「ここが例の店か。なるほど……」
入ってきたのは青年でした。しかし姿格好が普通と異なっていました。
燕尾服に胸元にハンカチーフ。長めの髪はウェーブがかかっています。
そして手にはバイオリンのケース。見たところ、音楽家でした。
「いらっしゃいませー。ご注文はなんでしょうか?」
「レモネードを一つ」
音楽家は今までの客と同じようにカウンターに腰掛けました。
マスターは黙ってレモネードを出しました。
ストローで少しずつ飲む音楽家。
彼もまた、語るのでしょうか?
「本来なら、僕のような半人前がこのような場所に来るべきではないと思う。しかし半人前なりの覚悟を示さなければならない」
音楽家はそう言って、悲しげに微笑みました。
「さあ。清水さん。語ってください。あなたの物語を」
音楽家――清水は語り出します。
僕の家系は古く、平安時代まで遡る。先祖は陰陽道に携わっていて、それが今でも脈々と受け継がれているらしい。それというのも祓う力、とでも言うべきだろうか。僕の一族は何かしら悪霊を祓う力があった。
たとえば母が描いた絵は魔除けになるし、父が作った木工細工は魔封じになる。
僕の場合は音楽だった。鎮魂歌、レクイエムを奏でるとたちまち悪霊は去っていった。
僕の一族はそうした力を用いて、生計を立てていた。
正直言って誇らしかった。人にはない力を持つ優越感。そして特別感。何よりも嬉しかった。
でもこんな力があるせいで、僕は物凄く悲しい思いをしなければいけなかった。
高校生のときだった。下校途中で口笛を吹きながら、歩いていた。
季節は秋だった。落ち葉がたくさん落ちていて、滑りそうになったのを覚えている。
公園を通りかかったときだった。
僕は彼女と出会ってしまった。
美しい人だった。多分、二十代後半ぐらいの女性だった。髪が長くて、物思いに耽っている表情が素敵だった。
思わず立ち止まってしまった。
すると彼女も気づいて、僕に微笑んでくれた。
恋をしてしまったわけではない。だって年齢が離れ過ぎているし、それに当時は僕にも好きな人が居た。
でもなんと言えばいいのだろう。守りたくなるような人だった。暖かい人だった。日向で寝そべっているときのような心地良さを感じた。
気がつくと公園に入って、彼女と話をしていた。
なんでもこの辺に住んでいるらしい。
世代が違うから話が合わないと思ったけど、そんなことはなかった。
なんというか、優しい姉と話しているようだった。
だけど、このとき既に僕は気づいていた。
この人の正体を。
それから毎日公園で会っていた。約束していたわけじゃないけど、それが日課になり、習慣になるのは早かった。
彼女の身の上を聞いた。最近離婚したらしい。理由は子供を流産して、二度と産めなくなってしまったからだ。
言葉が出なかった。代わりに勇気を振り絞って手を握った。
彼女は驚いたけど、握り返してくれた。
しかし僕の身体にも異変が起きていた。
ただ歩いているだけでだるく感じる。
どこか熱っぽい。
食欲も無くなった。
充分寝ているのに、寝不足に思える。
頭痛が治まらない。
そしてある休日。両親にこう言われた。
もうあの女と会うのはやめなさい。
気づかれていた。両親は知っていたのだ。
「お前も気づいているだろう。アレは人間ではない」
じゃあなんだと言うんだと質問した。
父は悲しげに言う。
「アレは人間の生気を吸って生きる魔性のモノだ。お前の命を貪る化け物だ」
僕は否定しようとしたが、できなかった。
気づいていたからだ。
それでも僕は彼女に会いたかった。
夜、こっそりと家を抜け出した。
彼女の居る公園に向かうために。
彼女はベンチに座って悲しげに俯いていた。
だけど僕が来たことを知ると一瞬嬉しそうに微笑んで。
それからすぐに悲しげな顔になった。
「どうして来たの? 分かっているでしょう? 私は――」
僕はそれでも構わないと言って、このバイオリンを取り出した。
僕はこう言った。あなたを慰めるために、曲を弾く。曲を終える前に僕が死ねば、あなたはこのままで居られる。でも死なずに曲を終えれば、あなたは――
彼女は儚げに微笑んだ。
僕はモーツァルトの第1曲、レクイエム・エテルナムを奏でた。穏やかに、そして安らかになってほしいという願いを込めていた。
弾き終えると、もう彼女は居なかった。
僕はその場に倒れて、動けなくなった。
気がつくと病院で点滴を受けていた。
父は言う。アレは安らかに逝ったと。
それで良かったんだと納得をしていた。
納得したつもりだった――
「でもマスター。僕は願いを叶えてほしいんだ」
「……それは罪深いことだ。してはいけないことだ」
マスターは首を横に振りました。
「その願いを叶えてしまえば、君は――」
「いいじゃないですか、マスター」
ウエイトレスが茶々を入れるように言いました。
「あなたは願いを叶えるために居るのでしょう? たとえ不幸になっても仕方のないことですよ」
「黙れ。お前に何が分かる?」
マスターの冷たい怒りにウエイトレスはこう返します。
「分かりますよ。というより分かるようにしたのは、あなたではないでしょうか?」
マスターは黙ってしまいました。
「さあ、マスター。清水さんの願いを叶えてあげましょう」
マスターは清水に聞きました。
「本当に構わないのだな」
清水は真剣な顔で言いました。
「また彼女に会えるのなら、それで構わない」
マスターは溜息を吐いて、出口を指差しました。
「行ってしまえ。この大馬鹿者め」
清水は頷いて、そして言いました。
「ありがとう、マスター」
そうして清水は外に出て行きました。
その表情は晴れやかで幸せそうでした。
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