延命

 不思議な喫茶店、『夏の夜の夢』――そこで語られた奇妙な話。

 はっきり言って田所の話は奇想天外すぎて信じられませんでした。

 恐ろしいというよりもおぞましい。

 私は早々にアイスコーヒーを飲み終えて、この店から出ようと思いました。

 しかし――


「いらっしゃいませー」


 新たな客の訪れ。私はついその方向に目を向けてしまいました。

 入り口に居たのは白い服を着た小学生くらいの女の子でした。大きな麦わら帽子を被っています。しかし外から来たというのに、汗一つかいていませんでした。

 真っ白、というよりは真っ青と評すべき顔色でした。もしかしたら貧血気味なのかもしれません。

 首にはネックレスをしていて、透明のガラスの中に白い何かが、入っていました。


「オレンジジュース、一つもらえるかしら」


 見た目よりも大人っぽい声。そして頼み方。

 考えてみると、私が小学生の頃は喫茶店なんて入ったことはありませんでした。

 結構早熟な子供なんでしょうか。しかしオレンジジュースを頼む歳相応のところがあります。

 なんというか、ちぐはぐな感じが否めませんでした。


「はい。オレンジジュースです」


 ここのオレンジジュースは市販のものではなく、どうやら自作のようでした。マスターが冷蔵庫からピッチャーでコップに注いだところから想像できました。


「うん。美味しいわ」


 女の子はオレンジジュースを半分飲み干して、それから感想を述べました。

 バイトの女の子――これからはウエイトレスと呼びます――は丁寧に頭を下げて「ありがとうございます」と言いました。


「中谷さん。あなたは出会うことができましたか?」


 ウエイトレスの質問に中谷さんと呼ばれた女の子は頷きました。


「そうね。たしか話さないといけないルールだったわね」

「そうですね。それがこの店のルールです」


 話さないといけないルール? よく分かりませんでした。


「いいわ。話してあげる。マスターが気に入るか分からないけど」


 中谷は語りだします。

 自分の物語を。




 知ってのとおり、昔の私は病弱だったわ。それも心臓が弱かったの。生まれてからほとんど病院で暮らしていたわ。両親はそんな私のために必死で働いて、アメリカで移植手術をさせようと必死で働いてくれてた。

 でも自分の身体は自分で分かるように、間に合わないことは知っていたわ。だからある日、海に行きたいって言ったのよ。最後のワガママのつもりだったわ。

 両親と初めて言った湘南の海。綺麗だった。ま、今となっては汚れた海に思えるけど、何にも知らない私にとっては宝石のように輝いていた。


 車椅子に乗って、海をぼんやり見ているとだんだん眠くなってきて、こんな夢を見たの。

 海の中を私は泳いでいた。まるで魚のように。

 そして海の底で輝いているたくさんの真珠を見つけたの。

 その真珠を私は欲しくなって、どんどん近づいて――

 一粒獲って、飲み込んだ。


 そこで目が覚めたのよ。

 周りを見ると両親は砂浜に倒れて寝ていたわ。 

 多分、毎日の仕事で疲れていたのね。

 私は両親を起こそうとして、気づいたの。

 赤い真珠が膝元にあるのを。


 夢で見たのは白い真珠だったけど、手のひらにあるのは真っ赤な真珠だった。

 当時の私は頭がおかしかったのね。

 躊躇なく、赤い真珠を飲み込んだわ。


 それから病院に戻って検査を受けると、信じられないことに心臓が正常になってたの。

 医者も看護師も両親も驚いたわ。

 私も驚いたけど、なんとなく分かっていたわ。

 あの赤い真珠のおかげだって。


 それから私は見る見るうちに元気になって、幸せに暮らしたわ――ってなったら良かったのに。

 そうはならなかったのよ。


 精密検査の結果、私の体質が異常であることが分かったのよ。

 それは再生能力に優れた体質だった。

 私の身体はどこを傷つけても綺麗に治る。

 切り傷でも擦り傷でも火傷でも凍傷でも打撲でも打身でも、どんな怪我でも治るのよ。


 しかも最悪なことにそれを知った悪人が私の臓器に注目してしまった。

 そう。臓器を抜き出して、それを密売することを考えたのよ。


 そいつらは私の検査日に現れた。

 優しかった看護師さん。

 今まで診てくれた担当医。

 そして両親を目の前で殺して。

 私を攫っていった。


 私の地獄はそこから始まった。


 毎日臓器を抜き取られて。

 拷問のような仕打ちを受けて。

 それが三年も続いた。

 気づいたけど、私は成長しないみたいね。

 三年経っても、ちっとも大人にならなかった。


 それが悪人たちには良かったみたいね。子供の臓器は売れるみたいだから。


 だけどある日、私を救ってくれた人が居た。

 悪人に雇われていた闇医者だった。

 私に同情したのか、それとも自分のやっていることに罪悪感を覚えたのか分からないけど、その人は私を助けてくれたのよ。

 同年代の死体と私を入れ替えた。顔は化粧で誤魔化したと言ったわ。


 闇医者と私は悪人たちの施設から逃げ出した。

 知らなかったけど、私は孤島に居たようで、モーターボードで日本を目指すことになったわ。

 でも故障してしまって、遭難してしまったのよ。 

 

 次第に無くなる食料。でも私は平気だった。どうやら食べなくても生きていけるようだった。

 でも闇医者は耐えられなかった。どんどん衰弱していった。

 だから私は言ったの。


 私を食べてって。

 命を延ばしてって。


 それを聞いた闇医者は悲しそうな顔で言ったのよ。


「それはできない。それをしたら、俺はあいつらと同じになってしまう」


 それから闇医者は自分のことを語りだしたわ。それは死を覚悟した人間特有の行動かもしれないわね。遺言状や遺書を書く心理かしら。


 最期に闇医者はこう言ったの。


「君のために死ねて良かった。ありがとう。最期に良いことができた」


 そう言って、闇医者は頚動脈を持っていたメスで切り裂いて、死んだわ。


 私は大声で泣いた。

 もう私を助けてくれる人は居ない。

 絶望したわ。


 だから私も死のうと思った。

 闇医者からあるモノを切り取ってから、海へと身を投げ出した。


 沈んでいく。死んでいく。


 なんだか心地良かった。


 そうして意識を手放して。


 気がついたら、浜辺に投げ出されていた。


 結局、私は死ねなかったのよ。





「こうして、今の今まで生きてたわけ。傑作でしょ?」


 中谷の言っていることの真偽は判然としませんでした。

 しかし田所のような狂人とは違って、まともそうな子が大真面目に言っているのは、なんだか信じなければいけない気がしました。


「闇医者から切り取ったものはなんだ?」


 マスターの問いに中谷はネックレスを見せました。


「それは……骨だな」

「ええ。心臓近くの骨よ」


 中谷は語ります。


「人間の魂が宿っているところは、心臓だと思うのよ。熱い血液を休みなく送り続けるから」

「なるほどな。分かった。お前の願いは叶えよう」


 マスターはそう言って、黙って出口のほうへ指を向けました。


「ありがとう、マスター。それじゃあ行ってくるわね」


 そう言って、中谷は出て行きました。


「マスター、意外とすんなり受け入れましたね」


 ウエイトレスが不思議そうに言いました。


「当たり前だろう。彼女は十分不幸だった」


 そしてマスターは悲しげに呟いたのです。


「だから、楽になってもいいだろう」

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