第6話 正義の行き着く先

「お帰りなさい、あなた。天ぷらを調理しているの、台所に戻るわね。お葬式、遅かったのね」

 人間に『セックスをした直後、顔に刻印が浮かび上がる』という生態がなくて心底ホッとする。

「あぁ、懐かしい顔ぶれと昔話に花が咲いてな」

「そうよね、あなたが入社した時からお世話になっていた上司ですものね」

 その時、インターホンのチャイムが鳴り響いた。

「こんな時間に誰だ?」

「油を見ているから、悪いけどあなた出てくださらない?」

 性行為に疲れ果てた重たい腰をあげる。疲れは膝にまできていた。鍵を開けドアを開けると、黒いスーツに身を包んだ細身の男が立っていた。俺は震撼した。金平商事が借りて立花ソースを納入していた無人倉庫に出入りしていた男ではないか。

「ごめんください。ちょっと失礼しますよ」

「な、なんで家が分かった? つけてきたのか?』

「さっきはお楽しみでしたね」

「そ、葬儀場からつけていたのか? 俺を脅迫する気か?」

「脅迫? こいつはおかしいや」

 スーツの男は肩を揺らせて笑い出した。その姿は不気味に映る。

「脅迫くらいじゃ済まないですよ。ラブホテルからは別に尾行することもなかったですよ。ここの住所は既に割れていますからね」

 必要以上の敬語が恐怖を煽る。

「な、なんでここに来た。警察を呼ぶぞ」

「あんた、自分のしたことは理解してるんでしょ? 年間1500万のしのぎが飛んだんだ。せっかく立花商店の集金の繰り上げの様子から勘付いて、俺が極上の上納金のネタを掴んだ矢先に、東京から暴力団対策の集団がやってきて、契約を帳消しにしていきやがった」

「嫌がらせか、俺を恨むのは筋違いだ。これはマル暴の手柄だ」

「アンタとはいつか、夜の無人倉庫で会ったな。覚えてるよ。あの頃からから嗅ぎ回っていたんだな」

 向こうも俺のことを覚えていたようだ。

「年間1500万のしのぎが飛ぶ、ってことは人二人くらいの命も平気で飛ぶ、ってことなんですよ。もう少しで並んで浮かぶところだったんだが、網は張っておくもんですね、今回は首の皮一枚でなんとか命だけは助かった」

 黒いスーツの男は内ポケットから畳まれた紙を取り出して、広げてこちらに見せた。俺は心臓に氷を押し当てられたように、その場で凍りついた。


〜嘆願状〜


 当マルサン物流の取引先に、反社会勢力であると思われる金平商事が絡んでいる可能性があります。

 採算を度外視した契約を交わしており、利益は当営業所にほとんど残らない格好になっております。

 年間で相当な額が本来、人件費や社員の歩合に当るところ、反社会勢力の資金源になっている可能性が考えられます。

 一度、本社直轄の『マル暴』の調査を要請いたします。


 マルサン物流兵庫支店 平山幸司


「パパー、今日もお風呂一緒に入る約束だよー」

 リビングから無邪気な声で春樹が出てきた。

「お、お父さんは今、お仕事の話をしているからね、今日は後でお母さんと入りなさい」

 俺は春樹の肩を押しながらリビングの方へ押し戻した。その時、立ち上がった膝はコントのようにガクガクと震え、真っ直ぐに立つことができなかった。みっともない、と強がる事も出来なかった。我が身には関係ない、と思っていた『死』という恐怖が、身近に近づいてくるの感じていた。

 俺は震える膝を抑えることを放棄し、頭を高速で回転させた。

『船曳だ』俺は脳天をハンマーで打ち砕かれたような衝撃を感じていた。

「冥土の土産に教えておいてやろう。理不尽にこの世とお別れすれば成仏できないからな。お前の会社に網を張っておいた。船曳という社員に謝礼金を振り込んできた甲斐があった。簡単にお前の住所を教えてくれたよ。そして目安箱へ送信される前に気付いた船曳が、わざわざプリントアウトしてくれて、こいつを俺に売ってくれたんだ。高値でね、あいつは商才があるよ」

 俺は目の前がだんだんと真っ暗になってくる錯覚に陥った。

「このプリントがあったおかげで、しのぎが飛んだ原因が特定でき、俺は命で落とし前をつけずに済んだんだよ」

 黒いスーツの男は玄関先であるにも関わらず、目の前でタバコに火を点け、美味そうに煙を吐き出した。注意する覇気は完全に失われていた。

「売り上げがかすめ取られて悔しかったのかい? 世の中の大半は奴隷なんだよ、分かる? 奴隷は反抗すれば死ぬ。アンタはヤクザの収入源がそこら辺を歩いているサラリーマンをカツアゲして得ている、とは思っていないだろう? 手を汚さず、法にも触れず、頭を使って金を得る。奴隷からな。変な正義感が命を縮めたな」

 男は一人でベラベラと話し続けた。

「どこにも逃げられんよ。アンタが逃げれば家族に危害が及ぶことになる。お父さんが家族を守るために何をすればいいか、考えなくても分かるだろう? 船曳という男は賢いね、このメールのプリントは高値で売れた。暴力団をマル暴へ告発するアドバイスは自分がした、と吹聴して会社から感謝状と金一封が出るらしいよ、前の委員長が死人にクチナシなのをいいことにね」

 色々な考えが頭の中を駆け巡っていった。助かる方法はないのか? 家出して逃げたところでこの家のローンはどうなる? 逃げた先で再就職は可能なのだろうか? 俺が不審死となれば、家のローンは帳消しになるのであろうか?

『平山さんのこと好きだから、もうこれで堪忍して』

『お前の人生は太く短く、だな』

『正義は勝つ、だね、お父さん』

 色んな声が頭の中で響く。俺は息子の教育を間違ったかもしれない。教えなければならなかったのは『人生、出来るだけ人間には関わるな』ということだったのかもしれない。

「さぁ、話の続きは港の方でしようか」

 男が立ち上がりドアを開ける。冬の冷たい風が皮膚を切り裂くように頬をすり抜けていった。俺は『海の水はさぞかし冷たいだろうな』と、ぼんやりしながら他人事のように考えるのであった。


〜完〜

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