第2話 マルサン物流

 朝の仕分けをし、自分のトラックに食材を積み込みながら俺は、何故立花商店がソースの供給を突然断ってきたのか、色々と考えてみた。

 一番に考えられるのは、ソースの商品価値に気付いた店主が、マルサン物流の販売ルートを使わず、独自に飲食店と交渉して契約が成立したのではないか? という邪推だ。

 そうなると原価は1本300円。販売価格は二千円なので、立花商店の利益は一本あたり千七百円と、立花商店自体の売り上げは格段に向上する。

 もしそうだとしたら、つれない話である。倒産寸前の立花商店を業績回復させたのは、俺のアイデアと進言と行動力とだ。

 そして俺は何度か店主から謝礼金を渡されそうになったが、その度に断ってきた。つまらぬ賄賂が会社にバレて、クビになるのが馬鹿らしかったからである。

 それにソースの販売計画は最初から『当たる』という自信があった。食材を多く捌けば給料に反映する。この計画で自分の歩合は劇的に向上するだろう、という見込みがあったのだ。

 いつもはトラックの荷台の右半分が立花ソースの積載スペースであったが、今日はそのスペースに他の食材がベタ積みされている。高積みしなくてもなんら問題のない積載量なのだ。

 俺は観音開きのトラック後部ドアを、ため息とともに閉めた。

 一旦事務所に入って、今日の販売伝票を営業部の女性事務員から受け取ろうと歩き出したとき、15台のトラックが後ろ向きに整然と並んでいるホームの一番端で、見慣れた段ボールが山積みになっていることに気が付いた。

 この市のマルサン物流支店は、ドライバーが15人。班を三つに分け、それぞれにグループ長を立て運営していた。三人のグループ長に支店内で直属の上司はおらず、指示を仰ぐには市の中心街にある本店で常駐している支店長に電話連絡するのが常であった。

 立花ソースのロストを、俺はまだ支店長に報告していなかった。売り上げ低下の打開策を考えるうちに、ズルズルと伸びてしまったのである。

 一番端のホームにある見慣れた箱は、俺が手がけた『立花ソース』の段ボール箱である。その車は隣県の境まで走る、一日百キロを走る田舎コースだ。

 俺は一番端で作業している配達員に駆け寄って声をかけた。

「おい、なんでこのソースをそっちのグループが配送するんだ。君もこれが平山グループのドル箱商材だって知っているだろう?」

「えっ? なんでって、今日配送伝票が営業から回ってきたから運ぶだけですけど」

 俺より十歳は年下の、二十代半ばの社員が面倒臭そうに返答する。

「何も考えないので君は積み込むのか? ちょっとおかしいとは思わないのか? で、どこのレストランに納入するんだ?」

「レストランじゃありませんよ」

「何?」

「伝票には貸倉庫に納品、と記載されているだけです」

「どういうことだ? 無人の倉庫にただ届けるだけか?」

「そうです。一番端の県境にある無人の倉庫にです」

「無人? 無人の倉庫に納品だって? 受け取りは?」

「勝手にサインして納品後シャッターを閉め、鍵はポストに入れる、と伝票の備考欄に書かれています」

 一体どういうことだ。

「この立花ソースは立花商店が軽トラで直にここへ持ってきていた。契約は打ち切られたはずだが、店主がここへまた持ってきた、ってことか?」

「知りませんよ、平山グループ長の見ていない時に納品に来られたんじゃないですか?」

 田舎コース担当の配送員は面倒臭そうに答えた。

「その立花ソースはウチのグループの管轄だ、その配送はちょっと待ってくれないか」

「平山グループ長さんヨォ」

 後ろから馴れ馴れしい声がした。同期入社の副グループ長、新見である。いつも仕事で手を抜き、新規営業にも参加しない。性格もソリが合わず、いけ好かない奴である。

「なんだ」

「よそのグループの商材をストップさせることもないでしょう」

「何を言ってるんだ。立花ソースはウチのグループの売り上げの上位商品じゃないか」

「こっちはグループ長が休みの時、代わりに配送するのが苦痛で苦痛で。だいたい液体の商品は重くてね、腰にくるんですよ。注文が無くなってせいせいしてしていたくらいだ」

「もう一度言ってみろ!」

 俺はカッとなり、ホームで大きな声を出した。

「俺たちはサラリーマンだろ? なんで余計なことして仕事を増やすんだよ。会社からは今日の業務の伝票がちゃんと出てるんだ。それをこなすだけの何が悪いんだ、ええ?」

「オマエのそういうところがクズなんだよ」

 俺は勢い余って新見の胸ぐらを掴んでいた。

「オイオイオイ、俺たちが入社した時の昔ながらの配送屋時代ならともかく、今こんなことをしたら訴えられても文句言えねぇぞ、穏やかじゃないな」

「俺たちは自力で営業して、歩合を増やして収入を増やせるんだ。後輩のために道を作ってやるのが義務だろうが」

「後輩のために? 笑わせるな。まぁ離せよ」

 新見は俺の手を振り払った。

「なぁ、木下」

 新見はホームの端で作業をしていた新人の木下に声をかけた。

「なぁ木下。オマエはクソ重いソースを毎週定期的に配送して歩合がつくのと、そんな面倒臭い配送がなくなって楽に基本給だけなのと、どっちがいいんだ」

 新見はニヤニヤしながら木下に聞いている。木下は返答に困っているようなので助け舟を出した。

「木下、君もいつかは結婚して所帯を持つだろう。そうなると生活や子供を育てるために収入は多い方が絶対にいい。そう思うだろう?」

「違うよな、木下。オマエは楽に1日が終わって、基本給だけで定時に帰れて、結婚もせず給料を全部小遣いにできて、実家住まいのままネットゲームに没頭している方がいいんだよな?」

「オマエは黙っていろ」

 木下は困った表情のまま事務所の中へ逃げるように走っていった。

「見ただろ? 自分が正しいと思うことが全部正しいと思ってるんじゃねぇよ。そういうの迷惑なんだよ」

「新見、そういうクズ思想を後輩に吹き込んでいるのは貴様の仕業か」

「あんなソース二日おきに配送してたら定年まで腰が持たねぇよ。オマエは人生がむしゃらで太く短く、だな。俺はオマエと違って細く長く働きたいんだよ」

 木下の本心が俺には少しショックで、新見に言わせたいまま立ち去らせてしまったのを後から口惜しく感じた。

 部下の心は掴んでいると思っていたのに、俺の頑張りは迷惑だったのか? 俺が若い頃はもっとがむしゃらに営業して給料を増やしてやる、という意欲に燃えて仕事場に来ていた。これがジェネレーションギャップ、というやつなのだろうか。

 1日の仕事を終え、退勤後マイカーで立花ソースが配送された県境の無人倉庫まで車を走らせた。田んぼに農道、その中にポツンと建つ、なんの変哲もない無人の倉庫である。

「なぜこんなところに立花ソースが搬入されるんだ?」

 倉庫の外観にはなんの情報もない。誰が借りているのか、持ち主に聞かねばわからないことだろう。個人情報保護の観点から見ても、持ち主が借主の名前を俺に教えてくれるとも思えない。

「会社のパソコンで誰が発注しているのか確認しないと調べるのも頭打ち、ってことか」

 俺は車にもたれてタバコに火をつけた。その時、無人だと思われていた倉庫のシャッター横にあるドアが開いた。倉庫にはおよそ不釣り合いな、黒いスーツを着た細身の男が戸締りをして出て行く。

 ハザードランプを点けて農道に停めている俺の存在に男は気付く。チラとこちらを見ただけで男は倉庫の裏側に回ると、停めてあった高級外車に乗って走り去っていった。

 俺は冷たい夜空に向かってタバコの煙を吐き出した。

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