正義の行き着く先

呉エイジ

第1話 立花商店

 毎週仕入れで訪れている古民家だった。通い慣れた道、見慣れた風景。ただ、いつもと違っていたのは店主の表情だけであった。

「平山さん堪忍。今日で契約、終わりにして」

 人の良さそうな店主が申し訳なさそうに顔の前で手を合わせる。年季の入ったグレーの作業着は皺くちゃで、物腰の柔らかさが50代半ば、働き盛りの店主の優しい人柄を窺わせた。

「ど、どういうことです? 契約が終わるって」

 流石に動揺は隠しきれなかった。俺は古民家の庭先、いや立花商店、とペンキの消えかかった看板を向うに見ながら、店主の言葉を反芻していた。

「いや、もうホント申し訳ない。理由は聞かないで平山さん」

 店主は土下座しそうな勢いで膝を曲げようとする。俺は慌てて店主に近付いた。

「やめてくださいよ、立花さん。え? なんで急にそんなことを言い出すんです? 二人三脚でここまで来たじゃない」

 自分でも声が上ずっているのが分かった。

 店主との付き合いは今勤めている会社、マルサン物流での業務上でのことではあったが、そこにはちょっとドラマ的なエピソードがあった。

 マルサン物流はトラックで飲食店に食材を配送する会社で、俺もトラックに乗り、注文のあった店へ配送をして回るのだが、空いた時間は新規顧客獲得の為、飛び込みで訪問営業をしたりする日もあった。

 その日は特別に暇で、午前11時に全ての注文先を回りきった俺は、会社までの帰り道、古民家に立花商店の看板を見かけ、特に何も期待しないまま寄ってみることにした。

 外観は年季の入った古民家で、併設するように小ぢんまりとした、コンクリートの色も変色している、それは昭和にはさぞかし流行ったであろう一昔前の個人経営のスーパーが、金属製のシャッターも完全に錆びきって、ひしゃげて上まで閉まりきらないという見すぼらしさのまま、虫の息で営業をしていた。

「ごめんください」

 店内に客はおらず、冷凍食品を陳列している棚からのモーター音と、客層を意識しているのか、演歌の有線がわびしく流れているだけであった。

 店の奥から店主が出てきた。グレーの制服には「立花商店」と刺繍されている。

「うちに食材を? もう店を畳もうか、と思っているくらいなんですよ。色んなところから金借りちゃって、新規商材なんて余裕ないな。悪いけど営業なら他所を回った方がいいですよ」

 店主の顔は、やつれていた。近くにできた全国規模のスーパーのせいであろう。このような時代遅れの個人スーパーでは、価格で対抗する以前の問題だ。

 優しい店主に茶をご馳走になり世間話をする中、同情心が芽生えた俺は、なんとかこの店の力になれないか、と考えだした。大手スーパーを打ち負かす、のは無理な話だが、この人当たりの良い店主が倒産、閉店するのを見るのは忍びなかった。

「ご主人、何か独特なもの、他にはないもの、ってないの?」

「あったら商売に繋げてますよ、平山さん」

 店主は手渡した名刺を見ながら寂しそうに返事をした。

「今はね、全国チェーンの店に個人経営の店が勝てる要素はほとんどないですよ。逆に『この店でしか買えない』とか『他では絶対に手に入らない』みたいなものが、プレミアもついて値段も強気でいけます」

 俺は経験上の知識を話しながら、店主の頭の引き出しを刺激してみた。

「特別なものねぇ、あっ、そういえば」

「なんです?」

「いやぁね、大したもんじゃなくてお話しするのも恥ずかしいんですけど」

「いえいえ、聞きますよ。なんです?」

「ウチの死んだ親父がね、このスーパーを建てる前は料理人になりたかったらしくてですね、その中でオリジナルのソースがあったんですよ。これが美味くてね、レシピを親父がノートに残してくれてるおかげで今でも家の食卓に出るんですけど、独立した子供たちが正月に帰ってくると『このソースがおふくろの味って感じ』って言いましてね、それくらいかな、我が家のオリジナルは」

 俄然興味が沸く。

「ご主人、そのソースあります?」

「ありますよ」

「食べさせてもらってもいいですか?」

「自家製で家族だけで味わっているものですよ? そんなもんでよかったら」

 店主は『物好きだなぁ』という顔をしながら奥へと消えていった。

「これですけどね」

 店主の手にはガラス瓶に入ったソース。見た目は普通の市販ソースのようではある。

「そこのコロッケ、買います」

「いえいえ、一個くらいご馳走しますよ」

「そんな、申し訳ないですよ、ちゃんと買いますよ」

「あはは、あまりの閑古鳥ぶりに同情させてしまいましたね、それでは毎度あり」

 こうしたやり取りをしている中でも、客は一人もこない。

 俺は手渡されたガラス瓶から直接コロッケの上にソースをかけて食べてみた。

「美味い」

 それはとろみがあり、韓国のコチジャン風というか。それでも日本料理を思わせる味噌が効いた独特の味で、和風で繊細な甘辛いアプローチが絶妙であった。

「店主、これはいけますよ」

 俺の直感は的中した。試作品を市内でも割と高級なレストランへ納品をした際、顔なじみの料理長に試食してもらった。

「ぜひウチで使いたい」

 いく先々で確かな手応えを感じた。

 俺は休みを返上して立花商店に通い詰めた。店主にはスーパーを廃業してソース作りに専念するようアドバイスした。

 最初は自信なさげだった店主も、俺が試食させて回った料理長の感想を聞くと、だんだんとその気になってきた。

 俺がいかがわしい詐欺師の類ではなく、ちゃんとした会社員で親身になって話を聞いたのも店主の心を開いた要因だった。

 店主は家族親戚総出でソースの生産を開始した。1ケース9本入り、原価は1本300円だった。それをマルサン物流が一本千円で買い上げ、飲食店には二千円で売る計画を話した。

「平山さん、それは高すぎだよ、家族だけで楽しんでいるソースだよ?」

 店主の弱々しさをよそに、俺は強気の態度を崩さなかった。

 高級レストランに初納入し、後日料理長から握手を求められた。

「お客さんに好評ですよ。口コミで広がって、SNS経由でも話題になり、今度テレビ取材も来るみたい、ほんといいの紹介してくれてありがとう。他にないもんね、あの味は」

 立花ソース計画は完全に「当たり」だった。地元の料理長は一本二千円、9本入りの1ケースを一万八千円で継続的に購入してくれる話にまで漕ぎ着けた。

 こちら側の言い値を飲む代わりに、同市内で他の業者には卸さない、という独占の条件付きであった。味の重複を店としても避けたいのだろう。それくらいソースにはインパクトがあった。

 立花商店の収入も劇的に改善された。原価300円の商品が千円、1本700円の利益を出しながら飛ぶようにハケていくのだ。そんな商品は店主が扱ったものの中に、これまでには無かったものであった。

 立花家の人々はおばあさんも、それは店主の母親なのだろうが、手の空いた親戚総出で、棚をすべて撤去したかつてのスーパーの中、笑顔で生き生きとソース作りに励んでいた。

 ガラス瓶に貼る『立花ソース』のロゴデザインやシールは、俺の顔なじみのデザイン事務所に依頼した。

 文字通り『二人三脚』のプロジェクトであった。

 マルサン物流は全国に支店がある。俺は市外だけではなく県外まで販路を視野に入れた。営業会議で試供品を各県の支店長に渡してプレゼンし、後日俺の支店に依頼が入った。そこでも『販売価格は一本二千円』を約束しながら、自分の店に利益が出るよう支店間でも儲けの出る卸しの価格設定をした。

 これだけ利幅がある商品は他にはなく、俺の店の営業成績は昨年に比べ目に見えて向上した。俺は功績を認められ支店長から感謝状を渡され、ドライバー五人を統率するグループ長に出世した。

 立花商店でもアルバイトを大勢雇い、見た目の敷地の狭さの割には大量生産できるまでに成長した。

 そんな蜜な期間が2年ほど続いた。立花商店の店主も

「ソースの販路のおかげで三人の子供たちに家を建ててやれそうですよ。平山さんには足を向けて眠れないな」

 と最近笑いながら言われたくらいである。

 恩を売るわけではないが、突然の仕入れ契約打ち切りは、まさに青天の霹靂であった。

「立花さん、マルサン物流との独占契約が問題なわけ? ちょっと緩めようか? それとも価格? もっとそっちに有利になるように再契約しようか?」

 俺は必死になってすがりついた。今では『立花ソース』は重要な主力商品で、謂わば『ドル箱』である。グループの大きな売り上げを確保している商品だ。これがロストになれば他で取り返しがつかず、給与、賞与の査定で影響を及ぼすことは目に見えて明らかであった。

「何も聞かないで、平山さん、悪いのは重々承知の上ですよ。でも二年間、お互い充分良い思いしたじゃない。ね?」

「いや、理由はなんです? 他の卸業者が高値で交渉してきたとか? それならあんまりじゃないですか。あれは半分とは言わなくても俺の作品でもあるわけですよ?」

「土下座でもなんでもしますから。堪忍して」

 言いながら店主は本当に地面に膝をつけた。俺も慌てて店主に倣う。

「平山さん、平山さんのことが本当に好きだから言うけど、何も言わずに手を引いて。喧嘩別れしたくないの。そしてこれ以上詮索しないで。始まりがあれば終わりもあるでしょ? ビジネスだと思って割り切って」

 店主は人間不信になりそうなくらいに素っ気ない態度で、俺を中庭に置いたまま工場の奥へと消えていった。

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