ストレリチア【物リン】

カムリ

グランド・ホテル

 足元の小石を蹴った。

 街灯は一人歩くあたしの影からさっと飛び出てきた石ころを律儀に照らしている。

 この街で、そんな風に真面目に法則が働く道理もないのに――そう思った。

 もう一度近付き、小石を蹴る。夜の花咲町に響く、小さな人のしるし。

 なんとなく、何もかもがシャクに触ったからだ――こんな能力を持ちながらしょうもない調査をしていることとか、今年で二十六なのに未だにクリスマスを一緒に過ごす人の一人もいないこととか、『能力』の勃発のせいでおかげでだいぶおかしくなってしまった花咲町このまちのこととか。

 この体に宿されたちっぽけな記憶のチカラ、『ビデオ・ブルース』のことを想いながら――あたしは。伏見凜ふしみ りんは、今日も街を歩く。


 おととい探偵事務所に来た、一通の匿名のメール。

 それと現金の入ったトランク。

 ダメ押しに、事務所の窓ガラスを突き破り飛来した

 端的に言うと、あたしたちの事務所は――たぶん能力者に脅されていた。

 警察はあてにならない。十年前はどうだったか知らないが、とにかく大事なのは今、ここだ。

 あたしたちは脅されたまま、メールの内容に従い探偵行為をしている。


 たどり着いたのは、街のはずれ、辺鄙な場所にある辺鄙なマンションだった。

 階段を上りのぼりのぼり、四階。『日向』という表札の前で足を停める。

 大丈夫だ。

 バッグから手鏡を取り出しつつさっと全身を確認する――黒縁、アンダーリムの眼鏡。砂漠色のハーフコートに黒のスリムパンツ。癖がつよい短めの茶髪はもう直しようもないくらい頑固だ。しかたがない。

 しかしそこさえ除けばおおむね、(どんな意図があるにせよ――これからちょっとしたことをしでかそうとしていても)仕事帰りに落し物を届けに来た冴えないオンナに見えるはずだった。

「ごめん下さぁい」

 返事はない。団地は呼吸をやめたみたいに静まり返っている。

 居留守をつかっているのか、それとも本当にいないのかはわからなかった――無駄足は踏みたくない。こちらも給料を貰っているのだ。

 やはり、いつもの手を使うことになりそうだった――ドアノブに、手をかける。

 そのまま自分のスイッチを、想う。


 小さな頃に見た、極楽鳥花ストレリチア


 意識が一瞬だけ首筋のほうに収束していく感覚があって、ぼうっと熔けるように脊髄が熱くなる――その融溶が、急速に固化し、ソリッドな熱が残り。

 意識は根。体は茎。そこから世界に敷衍される、実態を持たないチカラの華――焼けた針金のような芯を定め、それをベースに、自身をさせていく。




                +



 元々花咲町は四季折々の花が各地で美しく咲き、さらには温暖な気候を活かし明治年代から造成された官営の植物園が非常に多く設置されたことからそんな名前がついたそうだ。

 しかし。

 十年前、平凡な地方都市だったこの街のカレンダーに、大きな穴が開いた。

 取り戻せないくらい大きな、永劫埋まらないうろだ。

 あの日が。

『花の日』がやってきてから、草花が季節により移ろうように、この街はすっかりかおを変えてしまった。そして次の季節は、いつ来るかもわからない。

 理外の言葉を操るもの、空を固めるもの、星をおとすもの。

 幕開/幕間/幕引/そのすべてを――調停するもの、しないもの。

 この街から出て行く情報を統制し、つつがなく日々が送られているように、ここ以外の世界に対して錯覚させるものも、たぶん居る。

 デウス・エクス・マキナだ――そうでなければ今頃、どれほどひどいことが起こっていたか知れない。



 誰かの日々の奔流が、あたしの領域を侵食していく。

 注意ぶかく、慎重にことを運ばなければならなかった――他人の記憶にひとたび押し流されれば、自分のものがどこに行ったか解らなくなってしまうからだ。

 拾い出す。

 稠密にうねり連続する情報の単位、花弁を巻き込む海のように、宝石を溶かしだしたようなそのいろけわしい流れ。

 鉄・皮脂・空気の纏わり、そういった周辺情報は全部カット。まともに付き合っちゃいられない。波をかきわけるようにして、必要な事柄をサルベージする。

 ちょっとお目にかかれないような大金とともに、匿名で依頼されたモノ。

 日向妹弟の、記憶。

 彼女と彼の人生、そのすべて。

 一千万円と引き換えに。


 あたしには、『記憶』を引きずりだす力がある。

呼び声ビデオ・ブルース」と誰かは呼んだ。

『花の日』の後に手に入れた、あたしだけの綺麗で醜い、大切な華だ。

 因果を自由にとびこえて、物体からでも、人間からでも、好きな時に好きなだけ。

 無理をすれば、そこら辺の石ころがどんなふうに火山から湧出して結晶して磨耗して風化して、そしてそこにいるのかだってわかる――むろんそんなことはしない。過多な情報は脳に対してのオーバーフローを引き起こす。端的にいうと、やりすぎは頭をおかしくするのだ――ともかくとして、それがあたしのチカラだった。


 映像ヴィデオ

 十分ほど前――ふたり。女性がドアノブに手をかけ、開ける。男性が最後になかに入って扉を閉める。

 間違いない。ターゲットはこのマンションの部屋にいる。

 能力を解く。

 息がしづらかったような感覚が急激に薄まる。時間は一秒も経っていないはずだ――それがあたしのチカラのいい所の一つでもあった。


 チャイムを押す。

 注意ぶかく、一回。

 依頼できいた話だと二人ともまともな人間らしいが、あたしは生憎そうではなかった。それに、こんな仕事をしていると慣れっこになってしまうけれど――単純な話、初対面の人間に警戒されるようじゃ社会人としてだいぶ危なっかしい。

 ややあって、戸が開く。

 とりあえず、これで出てきた本人に、『ビデオ・ブルース』を使って記憶を持ち帰れば、この仕事は終わりのはずだ。どうして高校生の人生ふたりぶんなんて知る必要があるのかは解らないけど、頼まれた以上は成し遂げなければならない。

 能力者はびこるこの花咲町で、探偵の需要は思った以上に多い。

 そしてあくまであたしはただの探偵なのだ。

 記憶は見れるけど記憶を見ることしか出来ない。

 どれほど危険なことに巻き込まれようと自衛の術なんて持っちゃいない。

 今回の依頼はおそらくろくでもない。いつもの浮気調査がいくぶんましに思えるくらいだ。あれだけのカネを簡単に用意できるということの意味は、わかる。

 そのろくでもなさに目をつぶってこれる人間だからこそ、あたしは今日まで五体満足で探偵を続けてこれたのだ。だから――ごめん、と。


 そう思いかけたところで、前を見る。


 誰も居ない。


 戸/だけが/開いている。

 心臓が早鐘を打ち、首許からじっとりと嫌な汗が噴き出した。


「なっ」


 息を呑む。

 へまを踏んだ――読まれていた。

 誰に。どこから。今から自分は報復を喰らうのか――

 そう言った・ことを・考えつつ・振り返る。


 状況に呼応するように、後ろからものすごい圧力が自分を襲っている。

 あたしは、ともするとこれから先、あたしの――伏見凜の人生の終端を決めかねない、そういう呼び声を、自身のうちから拾い出している。


 街は、変らず静寂をたたえている。






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