第15話「奇跡」

 ステラが裸のままだったので、アルファはボロボロの水装を羽織らせた。何もないよりはマシである。

 アルファは、ステラに肩を貸して貰いながらなんとか宝瓶宮へ戻った。都の至るところで戦いの傷跡がある。建物は破壊され、人は倒れ、血を流している。

「……はぁ、はぁ。悪いな姫様」

「いいよ。……アルファ」

 片足を失い、大量に血を流したアルファは目に見えて衰弱していた。心身ともにもう限界である。

 誰も居ない宮殿内を進む。ユミトはどうなったか。戦争はどうなかったか。聞かずにはいられない。『宝瓶の間』の先で何があったか。どんな敵が居たか。報告せずにはいられない。

 だが戦いの音は広場からも聞こえず、いやに静かだった。



「女王っ!」

 そんな声が聞こえた。バチャバチャと慌ただしい足音が聞こえる。雨は上がったが、まだ地面は水浸しだ。

「――!」

「……おか――」

 目の前で、膝からくずおれる女性が居た。彼女はふたりの前までやってきて、ドロドロの庭にしゃがみこんだ。

「……?」

 ステラが呟く。だがそれを遮り、女性が彼女を抱き締めた。

「ステラっ!!」

「おっと」

 思わず、アルファから離れて駆け寄ったのだ。彼はバランスが崩れ、座り込んでしまう。

「……星海の」

 見る。金髪だ。女性は若く見える。少しだけ、アニータの影がちらついた。

 だがもう、この人が誰なのかは背後の水装士達を確認せずとも分かりきっていた。

「……!お母さま!!」

 ステラは、この一瞬だけ。何もかも全てを忘れた。その瞳には母しか映っていなかった。

「お母さまああ!!」

「ステラぁっっ!!」

 1年振りの母と娘の再会。宮殿内に、ふたりの『星海の姫』の泣き声が響いた。



 やや抱き合って、ステラが母の首元を見た。

「お母様、お怪我が!」

 既に塞がってはいるが、刃物のような傷痕がある。

「……そうね。それも含めて。あなたには伝えることが沢山あるわ。ステラ、そして……」

「!」

 エストレーリャはステラの頭を撫で、立ち上がった。その視線の先に、彼女が感謝をしてもしきれない人物が座っている。

「……″水装士アーバーン″アルファ・レイピア。あなたが、娘を護ってくださっていたのですね」

 ボロボロの身体。痛々しい左足。ドロドロの顔。凛々しい瞳。

 在りし日のユミトの影を、その精悍な少年に重ねた。

「……俺はステラ……姫。に、命を救われました。彼女を護るのは水装士として当然です」

「…………」

 アルファはエストレーリャを見る。微笑んだ優しい瞳。彼女は『母のような目』を、アルファにも向けていた。

「まずは、宮殿内へ。治療と休息が、あなた達には必要です。何が起きたか、その共有も、まずはひと息吐いてから。さあ、こちらへ。どなたか、彼へ手を貸してあげて」



 丸2日。ふたりは寝ていた。ステラは精神的疲労、アルファは精神+肉体の疲労と大怪我、大量出血から。

「……?」

 ちゃぷりと、水面を触る音がした。目が覚めると、彼は寝風呂のような小さく区分けされた場所に仰向けで寝ていた。

「起きたか、小さな水装士よ」

「!」

 隣から声がした。アルファの『ベッド』を覗き込んだのは大柄の男だった。

「私は『水将』フォーマルハウト・グラディウス。『浸かり心地』はどうだ?」

「……水将様?ここは……」

「宝瓶宮アクエリアスには、大きな部屋がいくつもある。女王は全てを解放し、市民も兵士も怪我人全てを受け入れた。今君が浸かっているのは『ウォーターベッド』という物だ。『宝瓶』の原水を女王の手で『治癒の水』に変え、全員に行き渡らせている。この部屋はそういう造りになっているんだ」

「…………」

 アルファは自身を確かめる。確かに目立った傷は塞がっている。どこも痛くは無い。

「君の左足以外は治ったようだな」

「……はい」

 だが、失った四肢は生えてはこない。頭も冴えてきたアルファは、気になることを訊ねる。

「姫様は?」

「ステラ姫は少し前に起きて、もう活動している。エストレーリャ女王に付いて、『宝瓶の間』で公務中だ」

「……そうですか。……あの、水将様はどうしてここに?」

「お見舞いだよ。女王のご厚意で無理矢理、今私には仕事を与えられていない」

「俺の?」

「奴だ」

 フォーマルハウトはアルファの、隣のベッドを見た。アルファも見る。

 そこにはひとりの男が、今なお傷だらけで眠っていた。

「……ユミト!」

「ああ。君の養父だったな。私の親友でもある。ユミトは『宝瓶』を護る為にネヴァン商会の幹部と戦い、そして勝った。だが傷は深く、まだ目を覚まさない」

「…………!」

 あの後だ、とアルファは思った。自分達を逃がした後、『火器アームズ』相手に戦ったのだ。その痕が。銃創が。身体中の至るところに残っている。

「何にせよ、ここまで来れば目を覚ますのも時間の問題だ。さあ少年。君はまず食事からだな。女王と姫に伝えてやろう。『ふたりとも』心待ちにしている筈だ」



「アルファっ!!」

「おっ……と」

 宮殿内部はまだ、後始末と片付けで忙しない。エストレーリャは彼の快復を知り、取り合えず自室へと呼んだ。

 そして彼が扉を開けた瞬間、待ちに待っていたステラが飛び付いてきた。

「うわあん!よかったあ!」

「はは……」

 優しく髪を撫でる。自分はこの小さな女の子を。命の恩人を。国の大切な姫を。自分の無事を泣いて喜んでくれる彼女を。水装士として護るべき者を。かけがえの無い『ステラ』を。護れたのだと実感した。

「……!」

「アルファ?」

 実感すると、涙が出てきた。『そうは言っても』。『水装士アーバーンでも』、『男子でも』、『果たすべき責任だとしても』。

 彼はまだ14歳の子供である。

「…………!!」

 それに貰い泣きをしてしまったのは、エストレーリャである。彼女は抱き合うふたりの上から、さらに抱き締めた。

「よく、頑張りました。あなた達は国を、私達を護り、救ったのですよ」



「さて、アルファ殿」

「……はい」

 3人で一通り泣き終わると、エストレーリャが切り出した。

「名乗るタイミングを失っていましたが、私がエストレーリャ・ガニュメーデス。ステラの母であり、アクアリウスの女王をやっています」

「俺……いや私はアルファ・レイピア。……″水装士アーバーン″です」

 アルファは少しだけ迷った。本来、国のルールではアルファは、年齢的に水装を扱うことを認められていないのだ。訓練学校も出ておらず、水装士を名乗る資格は、公には無い。

「はい。あなたは立派な水装士ですよ。それはもう証明されています。職としての資格は無くとも、生き方、在り方は既に上級の水装士を凌駕しています」

 しかし何より。大切な我が子を、絶やしてはならぬ星海の姫を。あの戦場で護りきったのだ。彼を水装士と呼ばず、誰を呼ぶのか。

「ステラが即位すれば、すぐに水将に成れるでしょう」

「……!」

 水将。それは最も強く、気高い水装士の称号。アルファは正にそれを目指しているのだ。

「やだ」

「えっ」

 しかし、それを否定する者が居た。何を隠そう、ステラである。

「お母様は生きてた。わたしは女王じゃない。もし成っても、アルファは水将にしない」

「……ちょ、姫様?」

「やだ」

 ぷいと顔を背けるステラを見て、エストレーリャはなんだか可笑しくなった。

「ふふっ」

 水将は王には成れない。恐らくアニータがステラへ教えていたのだろう。エストレーリャは、アステイルとフォーマルハウトと、ユミトの4人で過ごしていた幼き日を思い出していた。

「さあ、食事を運んでもらいましたから。先に食べてしまいましょう」



「……。生き残ったか」

 その翌日に、ユミトは目を覚ました。まだ全身が痛む。身体は動かない。だが、エストレーリャのウォーターベッドの中だということは判断できた。つまりは死後の世界ではない。エストレーリャも無事だったということ。何がどうなったのかは分からないが、アルファが上手くやったのだろうと考える。

「ああ。死に損なったとも言う」

「……フォーマルハウト」

 ウォーターベッドの縁にフォーマルハウトが座っていた。ユミトはなんとか上体を起こそうとするが、身体が言うことを聞かなかった。

「寝てろユミト。今女王とお前の息子達を呼んでくる。……お前も、よくやったな」

「おう。……そうか、『宝瓶』は護られたか。アルファの奴も」

「彼は立派に、ステラ姫を護った。その上で敵の首魁を討伐した。女王の話だと『水瓶の座』に至ったらしい」

「流石は我が息子、だな」

 ユミトは楽しそうに、嬉しそうに聞いていた。

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