第4話「旅の始まり」

「ん……」

 目が覚めた。そこはいつものふかふかのベッドで、自分の部屋だった。

「…………」

 しばらくステラは寝惚けていたが、『いつも通り』なのはおかしいと気付いて、慌てて周りを見る。

「アルファ!?アルファ!」

 姿見を見る。昨日と同じ白いレースの寝間着で、顔も泥で汚れていない。

 しかし、目の下の泣き跡と、掌の傷は昨日とは違った。

「ステラ様?ご起床されましたか」

「……アニータ?」

 部屋に入ってきたのはメイドのアニータ。いつもと同じだった。

「アニータ!どうして私はここに居るの?アルファは?どこに居るの?」

 アニータに詰め寄るステラ。

 しかし、ステラは急に力が抜けてその場に座り込んだ。

「……あれ?」

「……ステラ様。まずはご自身を心配なされてくださいませ」

 アニータはステラを抱き上げて部屋を出た。



 アニータはメイドである。

 その日、甲冑兵に見付かった屋敷で、アニータ以外の使用人は全員逃げ出した。

 使用人以外も逃げ出した。屋敷には女王の兄弟が居た。ステラの叔父叔母である。彼らはまだ成人してはいないため、この屋敷で育てられていた。

 その中で、アニータだけは屋敷に残り、ステラを待った。

 屋敷の地下に身を隠し、屋敷は荒らされるも火が点けられる事は無かった。森に囲まれていたのが理由だろう。

 甲冑兵は街に留まる事は無かった。アニータは地下から出て、屋敷がメチャメチャにされたのを見て、すぐ行動に移った。

 水道もやられていたため、水を汲みに泉までやってきたのだ。そこでステラとアルファを見付ける。

 そしてなんとか、ステラの部屋だけは元通りにしたのだ。

「アルファ君。ステラ様が気が付かれました」

「……わかりました」

「アルファ!良かった!アルファぁ……」

「姫様」

 アニータの腕の中で泣き崩れるステラの前に、アルファが跪いた。

「姫様、ありがとうございました。お陰で俺の命は救われた」

「うわああああ!」

 ステラはもはや聞いていなかった。安心する屋敷と、いつも通りのアニータ、そしてアルファが居るこの空間が、張り詰めていたステラの心を解し、涙となって溢れ出た。



「違うもん」

「え?」

 アニータは優秀なメイドだった。街が、屋敷がこんな事になろうといつものように王宮料理を用意出来る。

 未だ荒らされたままの会食の場で、ステラは首を横に振った。

「私がアルファに助けられたんだもん」

「ですが、アルファ君の話だと」

「違うもん」

「……アルファ君?」

「…………」

 今この場に、いやこの街に居るのはこの3人のみ。

 1日経ったが国からなんの連絡も、まして救出も無い。

 3人は決めなければならない。

「……これ、なんて料理ですか?」

「スクヴェイダーのモモ肉のムニエル。高級料理よ」

「美味いですね」

「アルファ、これも美味しいわよ」

「あら珍しい、ステラ様がお皿を人に」



「さて」

 朝食後、アニータとアルファは支度を始めた。アニータは外出用の服や必需品を風呂敷に詰める。アルファは長剣の手入れ。

「なにしてるの?」

 このふたりは昨日、これからの事を話している。国の為に、姫の為に何をすべきか。

「姫様。この屋敷へ送るという俺の仕事は昨日終わった」

「え?」

 身支度をするアルファ、仕事は終わったという言葉。ステラは不安を表情に出す。

「俺は『水装士アーバーン』として、『星海の姫』の旅路に随伴することは出来ない」

「???」

 ステラはアルファが何を言っているのか理解出来なかった。

「なんで?どういうこと?アルファは出て行っちゃうの?」

 ステラは泣きそうな声でアルファとアニータを交互に見る。

「ステラ様。この街が敵に襲われ、都からなんの連絡も無いこの状況を考えると、私達はすぐに発たなければなりません」

「え?いいよ、どこでも行くよ。アルファは?来ないの?」

「そうではありません。この場合は――」

「ああ。俺はもうお役御免だ。家に帰るよ。頑張れよ姫様」

「!」

 アニータを遮りアルファは答える。その顔にやや悪い笑みを浮かべていた。

「ちょっ、アルファ君?」

「なんでー?ふぇぇ……」

 ついにステラは泣き出してしまった。

「ステラ様、違います!彼は……」

「はっはっは!」

 アルファの悪戯心である。ステラを見て少し面白くなったのだ。

「アルファ君!」

「あはは。ごめんごめん。嘘だよ」

「え?え?」

「でもこのままじゃ一緒に行けないのは本当だ」

「え?」

 ステラの首と表情が右往左往する。アニータは溜め息を吐いた。

「もう……。ステラ様。一度自室へ。アルファ君は待ってて」

「はいはい」



 『星海の姫』の還御――それの随伴は、アクアリウスでは特別な意味を持つ。侍女等使用人は関係無いが、それが『水装士アーバーン』となると特別な許可が必要になる。

 星海の姫の王都帰還は、新たな君主誕生を意味する。それに付き従う者はイコール現体制より姫による支配、統治を望む者だ。

 そしてその最も身近な水装士は、姫の最も信頼する、次代のアクアリウスを背負う『水将(国のナンバー3)』の候補という意味になる。水将は女王の側近である。

「――ですが、今は非常時。現体制を打倒ではなく、協力して敵を排除する法が適用されます。ましてステラ様はまだ10歳。国王陛下も女王陛下も、喜んで受け入れてくださる筈です」

「……難しいよ」

「ええ。ですから、とにかく今は、形式だけでもアルファ君を水将候補に迎える必要があります」

「……つまり私のボディーガードね」

「今はそれで構いません」

「わかった。いいわ。どうやるの?」

 アニータはステラの教育係である。ステラが王族としての立ち振舞いやしきたりを習うのはこれからであった。

「……そこでアルファ君の名を言って…」

「……ねえ、誰も見てないのにこれやるの?」

「私達3人が見てます。それで良いのです」

「ふぅん……あ、でも、私アルファの名前知らないよ」

「あら」

「私も、自己紹介してない」

「あらあら」



 水将候補任命式は屋敷裏の草原で行われた。本来屋内でやるものだが、滅茶苦茶にされたボロボロの屋敷で大事な式典をやる訳には行かないとアニータが言い出した。

 ステラにとってはいつもの原っぱで、アルファと向き合う。立ち会いはアニータ。

「ほっ……星の光に、導かれたのですか……アープを持たぬ御仁」

「世を照らす星影を追って参りました」

 台詞を忘れないかやや緊張のステラに、堂々とした態度のアルファ。

 アニータはこの瞬間様々な事が脳裏を掠めていた。

「海に映る幻影ではありませんでしたか……剣も差さぬ御仁」

「目の前の水晶を見間違う事など」

 アルファはまだ14歳、それも出自がはっきりしない、身分も無い子供だ。非常時とは言えそれにステラの水将を務めさせて良いのか。王は何と言うか。

「そなたのふたつの水晶には何が映りますか」

「ひとつは平穏なるアクアリウス。もうひとつは、美しい『星海の姫』」

 しかし、今ステラが王都へ辿り着くには子供でもなんでも、『水装アープ』を使う戦力が必要なのだ。

「では、そなたに剣と『水装アープ』を」

 ステラがアルファの長剣とボロボロの水装を渡す。それを謹んで受け取るアルファ。

 本来なら姫の側近の証としてエンブレムが入るのだが、ステラのエンブレムはまだ無い。王族が15歳で成人したときに女王から承るものである。

「アルファ・レイピア。その名を私は呼びましょう」

「ステラ・ガニュメーデス王女殿下。その明かりを私が護りましょう」

 アニータはいつしか泣いていた。子供の前では弱みを見せる訳には行かないが、彼女もこの数日でありとあらゆる物を失ったのだ。

 3人の旅が始まった。



「ねえ、そう言えば叔父上様と叔母上様は?」

「!」

 アニータは一瞬固まった。が、それを悟られぬよう努めて平然と答える。幼いステラに、これ以上の悲しみを今与えることは無い。

「襲撃の日に皆様で屋敷を出られました」

「じゃあ、どこかで出会うかも知れないわね!」

「ええ……どこかで」



「さて。では王都へ行くのに、まず何が必要で、何から始めますか。……『水装士アーバーン』アルファ殿」

 テーブルに国の地図を広げたアニータ。それを3人で顔を寄せ合って見る。

「殿?」

「もう私の主の側近ですので。同僚です。アルファ殿も敬語は必要ありませんよ。地位的には侍女より水将候補の方が上なのですから」

「な、なるほど……。……俺から言わせてもらえばとにかく戦力かな。俺の『水装アープ』は穴が空いて使い物にならない。この中で戦えるのは俺だけだし、これじゃ危険だ」

「ではどうしますか?」

「……分からない。俺は都からこの街にしか来た事がないから。ジーさん……いや、この街以外の『水装技師』を知らない。どこかで『水装アープ』を直すか調達したい」

「ふむ。……敵が南から来たのなら一直線に王都を目指すとして……こちらも同じルートを辿るならどこかでぶつかる……」

「迂回しても結局王都でかち合う」

「分かりました。当面の目的はアルファ殿の『水装アープ』、という事で」

「アテはあるの?」

「一応、元王宮仕えの技師様を知っています。ここから河を少し登った街でご隠居なされているとか。……敵に襲われて居なければですが」

「いきなり王都の真反対ですか」

「仕方ありませんね。戦闘は覚悟すべきです」

 話が終わってアニータが地図を畳み始めると、ステラが立ち上がった。

「ねえ!おやつはいくらまでかしら」

「……どこでそんな台詞を覚えてきたのやら」



「勿論ながら、お屋敷は賊に荒らされましたので我々は現在無一文です」

「……でしょうね」

「そして今日まで街に誰も、遺体の処理にすら来ていないと言うことは、王府はそれどころでは無い状況にある可能性があります」

「ですね」

「つまり、この戦争で出た難民を受け入れる体制がまだ国に無い可能性が高い」

「あ、なるほど」

「なんみんってなに?」

「今の俺達の事だよ」

「河上の街へ着いたら始めに役所へ行きましょう。この国がまだアクアリウスであるなら、最悪でもステラ様だけは保護してくれます」

「そうだね。この旅の最優先は何を置いても姫様だ」

「ええ。理解ある水装士殿で感謝致します」

「勿論」

 アニータには責任があった。それはこの幼いふたりの子供を護る事だ。子を護れずして国は護れない。武力はアルファの方があれど、ならば少年のメンタルケアは欠かす訳にはいかない。

 これから最も体を張ってくれるであろう水装士だからだ。

「……このように、何か相談事や悩みがある毎に現状確認と会議をしていきましょう。目的意識の統一は運命共同体である我々にとってとても重要です」

「了解しました」

「……」

「ステラ様?」

「……ふたりだけで色々決めて、つまんない」

「姫様はまだ子供だからな」

「アルファも変わんないじゃん!」



「そう言えば、15歳にならなければ入られない士官学校でしか学べない『水装』の扱いをアルファ殿はどこで?」

「んーと……都に技師の知り合いが居てね。よく着させられたんだ」

「……それ、軍法違反では?」

「まあね。でも俺が違反してたお陰で姫様は助かったね」

「うっ」

「あはは。ごめんなさい。恩を着せる気は無いよ」

「アルファ殿は少し意地が悪い時があります」

「はい。ごめんなさい」

「私は良いですが、ステラ様をからかうのは」



 この街は、南の国境と王都の丁度中間地点にある。つまりここまで敵の進軍を許したということは、もう半分敗けている事と変わらない。国境からここまで全て侵略されていると予想出来るからだ。

 アクアリウスの王都は四方を山で囲まれている。山々の河は全て王都へ流れる。全ての水は王都へ集まるようになっている。

 一度山を越えれば、アクアリウスの王都ほど攻めやすい都市は無い。

 今までは自国の兵が他国に比べ圧倒的に強力だったために攻め込まれず、世界一の水産出国として栄華を極めた。それが今では、敵も『水装アープ』を使い、さらにはこの世界では未知の『銃器』まで開発している。

 この窮地を彼らは救う事が出来るのだろうか。

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