第3話「森の泉」

「うわぁぁぁん!」

「ちょっ……!」

 ステラは街の惨劇を目にして、何が起きているのか理解出来ないまま、泣き叫んでいた。

 人がたくさん倒れている。家が燃えている。逃げ惑う人々の叫び声も聞こえる。

 10歳の少女には当然のリアクションだった。

 アルファは王女であるステラが敵に見付かる事を危惧した。なるべく裏路地を通ってきたが、街の至る所で行われる破壊活動に目を背ける事は出来ない。

「わあぁぁぁ!」

「……!」

 アルファは困っていた。子供の世話などしたことも無い。と言うより自分自身がまだ子供なのだ。

 ステラの手を握りとにかく屋敷を目指す事しか出来なかった。

「(屋敷ってどこだ?)」

 この街に住むアルファが、屋敷の場所を知らないのは不自然な事では無かった。恐らく住人の殆んどが知らないだろう。

 何故なら、その屋敷は街に近いが森に囲まれた、隠れるように建てられたものだからだ。王女ステラがこの街に居る事自体、軍幹部を除いて公表されていない。

 このような事態に備え、王はステラを隠していたのだ。

「なあ、道分からないか?」

「わああぁん!」

「……」

 一向に泣き止まないステラ。すると勿論だが。

「子供の泣き声が聞こえたぞ」

「仕方無い。街の人間は皆殺しって命令だ」

 甲冑兵に見付かった。

「……! くそっ!」

「兄妹か。親はもう死んでるなこりゃ」

「ああ。じゃさっさと一緒にしてやるか。……って、あれまさか『水装アープ』か?」

 甲冑兵が疑ったと同時にアルファはステラの手を離し剣を抜き、甲冑兵に斬りかかった。

起動フリューエント!」

「うおっ!こいつ!」

水装アープ使いだ!逃がすなよ、殺して回収するぞ!」

「しかもさっきの兵士のとタイプ違ってないか?」

「噂のアクアリウスの新型水装アープか!興味あるぜ!」

「うわぁぁぁん!ああああ――!」

 ステラがさらに泣き叫ぶ。

 甲冑兵が槍を構え、アルファへ交互に繰り出す。アルファはそれを華麗に避ける。動く度にアルファの水装アープから水蒸気が噴出する。

「速いぞ!」

「こっちはふたり掛かりだ、それもガキに負けるかよ!」

「ああああ!!」

 アルファは隙を突き、甲冑の隙間に長剣を差し込んだ。

「ぐぶっ! ……が、ぁぁ!」

 甲冑兵のひとりが倒れた。

「このガキ!殺してやる!」

 残ったひとりが襲い掛かる。アルファはまた避けようとして、しかしアルファの水装アープからプスンと微量の水蒸気が出たきり、動かなかった。

「(しまった!もう水が……!)」

 体勢の崩れたアルファ。そこへ容赦なく襲い掛かる槍。

 必死に体を捻ったが、槍はアルファの脇腹に深く突き刺さった。

「あぁっ!!」

「死ね!」

 そう叫んだ甲冑兵の顔は、次の瞬間宙に浮いていた。

「……?」

 口をパクパクさせる甲冑兵。だが肺と既に繋がっていないため声は出ない。そのまま死亡した。

 アルファの剣は振り抜かれていた。先程体を捻ったのは、避ける為ではなく全身の水を絞り出しカウンターを食らわせる為であった。

 水装アープとは関係無く、アルファには戦闘の才能があったのだ。



「はぁ……は、がはっ!」

 内蔵を貫かれ、血が気管を逆流する。アルファは吐血した。脇腹の出血は止まらない。放っておけばじきに死ぬだろう。

「ひっく……うぅ……うわぁぁぁん!」

 ステラがアルファへ駆け寄る。もう頼れるのはアルファしか居ないのだ。

 だが、アルファの息が絶え絶えなのはステラにも理解出来た。先刻の老人を思い出す。

「ねえ!起きてよ!うわぁぁん!」

 ステラはアルファの肩を揺らす。そして、彼の名前を叫んだ。

「あ、アル……アルファ!ねえ!寝ちゃだめぇ!」

「ガハッ! ……ふぅっ!……ふぅ。……姫、様……」

「アルファ!」

 アルファは泣きじゃくるステラの手を握った。

「……大丈夫、約、束……だ。あんたを……屋敷に……」

 アルファは諦めていなかった。だが握る手の力は段々弱くなっていく。

「アルファ!」

 ついにアルファの眼から光が消えた。



「見ろアルファ、これが『水装アープ』だ」

「アープ?」

「ああ。これが、世界各地からアクアリウスの水を狙う敵に対抗する最大の武器、いや兵器だ」

 その男は幼いアルファに水装を見せた。ここは都のとある屋敷。

 アルファは疑問を持った。見せられたのはブヨブヨでペラペラの服のようなものだからだ。

「ただの変な服じゃん」

「違えよバカ。いいか見てろ、これを、こう、まず着るんだ」

 男は衣服を脱ぎ、そのアープと呼ばれた服を着る。上下一体化しており、背中に空いた穴から着るのだ。そして着た後、背中の留め具を閉めて完了。首から上と手首、足首から先を除いた全身がそのゴム質で覆われ、ぴっちりと体のラインが浮かび上がる。

「ほら」

「……ダサい」

 自慢げにする男を、幼いアルファは訝しげに見る。

「うるせえ!こっから普通の服を着るんだよ!」

「それで?」

「いいか見てろ、ここに壁がある」

「うん」

 男は右手に革製のグローブを着けた。そして、壁に向かって構える。

「せいっ!」

「!」

 ボカンと大きい音が屋敷に響いた。幼いアルファは咄嗟の事に吃驚し、身を屈める。

「……! すっげー!」

 果たして殴られた壁は、部屋から廊下へぶち抜かれていた。ガラガラと音を立てて瓦礫が崩れる。犯人は勿論この男だ。

「どうだ?これが『水装アープ』の力だ。このスーツに巡らせてある水を中で圧縮し、瞬間的に大きな力を引き出す。剣を振るえば下手な剣士でも岩を真っ二つ、槍で突けば新兵でも城に風穴を空ける。これが『水』の力だ」

「……アープ……」

 アルファの眼は輝いていた。

「……着てみたいか?」

「うん!」

 ぶんぶんと縦に首を降るアルファ。男は得意気に歯を剥き出しにして笑う。

「じゃあまず、水装の基本理念!『水装士アーバーン』の心得からだ。水装士とは――」

「旦那様!?」

「!」

 男の声を遮って現れたのは屋敷の使用人。表情を見るに相当焦っている。

「またお屋敷で水装アープを!今度は……きゃああ!か、壁が!大変!書斎の壁が!壁ぇ!」

「おいおい……落ち着けよマリーナ。今アルファに水装の……」

「いけません!旦那様!今日という今日は!言わせて頂きます!そもそも屋内でこのような……」

 その後、ガミガミと叱られる男の様子を幼いアルファは笑いながら見ていた。

「……そもそも誰かが怪我でもしたら!……」



「…………」

 眼が覚めた。という事は、生きていた。何故?

 アルファは状況を把握しようと、まず大怪我のあった脇腹を確かめた。

「(……あれ?)」

 『水装アープ』は貫通し破けているものの、腹の傷は塞がっていた。痕は残っているが、とにかく出血は止まっていた。そんな小さな傷では無かった筈だ。

 次に周りを見渡した。そこは未だ戦火の燻る街……ではなかった。

「……泉か?ここは」

 周りを木々に囲まれ、目の前に水が広がっていた。午前中に来た泉だった。

 そして次に、空から泉へと視線を落とした事で見えたものに眼が行った。

 自分の体に、何かが乗っている。

「すぅ……すぅ……ぐすっ」

「……姫様」

 ステラが、腹の上で泣きながら眠っていた。

 高級そうな服はボロボロ、綺麗だった顔はドロドロ、小さな手は両方とも血だらけで傷だらけだった。

「!」

 辺りを詳しく見る。ふたりの寝ていた場所は血溜まりになっており、その血の跡は泉から街の方へ続いている。

「(……俺をここまで運んだのか。泉の水で……俺は助かった)」

 アルファはステラに感謝したと同時に、自分の情けなさを恥じた。



 アルファが甲冑兵を倒して、そのまま気を失ってから、ステラはしばらく泣いていた。

 どうしようも無かった。このまま終わると思った。

 その時、ふと思い出したのだ。あの噂を。


 『森の泉の水を飲むと願いが叶う』


 噂を思い出したステラは意を決した。アルファを泉に連れていこうと思った。噂はともかくとして、あの時水を飲んで確実にアルファは元気になった。

 それと同じ事をもう一度するだけだ。

 だが、身長139センチ、体重31キロで筋力も平均的なステラが、161センチ52キロのアルファを担いで足場の悪い森を進み、道のりもあやふやな泉へ運ぶなどどう考えても困難だ。大人なら他に方法を探す。

 しかし。ステラはもう覚悟を決めていた。『やるしかない』と。この非常時が、彼女を大きく成長させた。

「(あっちの方角から来た筈。目印は……)」

 空を見上げた。一番輝くひとつの星を目印に、とにかく真っ直ぐ進もうと思った。

「……ん!……んんっ!」

 少しずつ、少しずつ。運べはしないので、引き摺るように。

 人体を効率よく運ぶ方法など知らない。途中で握力が無くなっただろう。何度も転んだだろう。お腹が空いて倒れそうになっただろう。陽が完全に沈み、道が分からなくなり心細かっただろう。地面の凸凹にアルファの傷が当たり、さらに出血が激しくなり泣きそうになっただろう。

「はぁ……はぁ……。……ついた」

 迷わず泉に着いたのは間違いなく奇跡。その間アルファが命を繋いだのも奇跡。誰の力も借りず、ステラはついにやり遂げた。

 既に空は薄く白んでいた。既に限界が来ていたがまだステラの仕事は終わらない。

 泉の水を、アルファの元まで運ばなくてはならない。だがもう1ミリも動かせない。

 ステラの手は小さい。アルファの大傷を治すには何往復もしなければならない。水は自然治癒を促すだけだから、朝から何も食べていない、栄養の足りないアルファの傷の治りは遅かった。

 とうとう次の日の陽が昇った頃、ステラは力尽きた。

 最後に、目尻を動かすアルファを見て、安心したように大粒の涙を溢しながら。



「…………」

 間違いなく命の恩人である。アルファの心境は複雑だった。

 『アルファの中でのステラ』が、まだ纏まっていなかったのだ。当たり前だが、ふたりは昨日が初対面だ。信頼関係など無いと言って良い。

 そこで、アルファは彼が都に居た頃、親代わりだった男に教わった『水装士アーバーン』の心得に照らし合わせて、ふたりの間にあった出来事を思い出してみた。


 2度、「護れ」と言われた。軍の男と、老人に。

 そして都へ、連れていけと。


 ステラはこの国の王女だ。アクアリウスを牽引する民族『星海の民』の王女、つまり『星海の姫』だ。

 星海の姫は、アクアリウスにとって他国の姫より少し特別な存在である。そもそも女性君主であるアクアリウスの『象徴』、若しくは『権威』として全国民が星海の姫を庇護、尊敬、畏怖、崇拝の対象にする。姫が居られるから兵士は実力を十二分に発揮でき、姫が祈られるから国は安泰である、という考えが広く深く浸透している。言うなれば勝利の女神と言った所だろう。

 彼女が居なければ国は成り立たない。星海の姫の居ないアクアリウスなど国ではない。逆に言えば、彼女さえ居ればアクアリウスは生きているのだ。

 国のシンボル。ステラはそういう存在である。


 アルファは『水装士アーバーン』だ。いや、正式に水装士となるには士官学校を卒業し、王に叙任されなければならないため彼は厳密には水装士では無いが、『水装アープ』を纏った戦闘能力は既に一端の水装士レベルである。それに彼自身自分を水装士だと認識している。

 アクアリウスには男女差別は無い。男は女を守るもの、等という観念もない。ただ単純に運動能力の差とコスト削減目的による水装の規格統一のために水装士、退いて兵士は基本的に男しかいないだけだ。この国で男女はきちんと役割分担がある。王政が最たる例だ。

 水装士は国を守る者だ。それが国のものであるなら男女関わらず、人に関わらず守る。「弱き者を守る」のではなく、「国の全てを守る」のだ。自分より強い者であろうと味方であるなら守護の対象なのである。

「……分かったよジーさん」

 アルファは泥のように眠るステラを優しく抱き上げ立ち上がった。

 「国の全てを守る」。これは一般的な水装士の心得だが、アルファの中にある水装士の信念は違った。都で教えて貰ったあの男もそうだった。

「『水装士アーバーン』とは、己を律する強い信念。決して折れず、貫き通す魂の槍」

 男の言葉が甦る。



 国なんてデケぇもん、俺達が守れると思うか?

 水装士ってのはな、自分の両手の届く範囲しか守れねえんだよ。

 たかが知れてるって?まあ、実際そんなもんだ。だがな。

 国中の水装士が全員それを守れば、それだけでアクアリウスは守られるんだ。

 いつか思い出せ。お前は何を護りたくて水装士になったのか。

 お前の手の届く所には何がある?なあアルファ。



「今俺は分からない事だらけだ。だけどそれでも、俺は『水装士アーバーン』だ。それは変わらない」

 アルファは歩き出した。街へは戻らない。その反対方向に。

「確かに、国なんか背負うガラじゃない。だけどこの小さな命の恩人だけは、俺が護る。行くよ都。そこは俺の、手の届く場所だから」

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