3-5 少年と美女Ⅱ

 人類歴二九八年七月一四日 一一時〇三分

 再現都市<東京>内 廃棄区画<死ナ川>緩衝地帯


 宮城鈴音と館流福音がギガンティック東京を見学していた頃――。

 澄み切った青い空の下、瓦礫しか残っていない新橋駅と呼ばれていた跡地の片隅で、式守六三四は唾を吐き捨てた。

 砕けたコンクリートの山には長い年月を経て、蔦やタンポポなどの雑草が生えていたが、それが廃墟となってから、どれだけの時間が流れたかを見る者に実感させる。

「今さら俺に、他人の為に戦えってか!? 虫が良すぎるぜ!」

 少年は悪態と共にあらん限りの敵意を、交渉を持ちかけた相手に向けた。

「それが、お前を無罪放免する前提条件」

 飄々とした口振りで着崩した着物を羽織る黒髪の美女、アット・ファイヴは告げた。

 特に、興味が無さそうな口振り。

 だが、今までの行動と矛盾する内容が形の良い唇から漏れる。

「状況は認識しているのだろう?」

「ああ。急がないと、。根拠は無いがな」

「そこまで理解しているなら、この取引も悪いものじゃないと分かるだろう」

 愚問をこれ以上させるな。と、仕草で言外に示す。

「理解した上で、気に食わない」

「気に食わないと言う割には、はっきりと拒否はしない。まだまだ、充分にクレバーね」

「………」

 少年は不満を押し殺すために唇をきつく閉じた。

 INVELLの動きには、時に強い連動性がある。

 式守が行なった死ナ川の地下<東京ダンジョン>でのINVELL掃討。

 如月真琴ら単独戦闘技術者が受けた召集。

 宮城鈴音が参加しようとしている横浜横須賀浄化作戦。

 無数の事象を表す点と点、線と線。

 それらが、一つの事象を浮かび上がらせる。

「お前なら、ADはいくつで発令するべきだと思う?」

「俺に根拠はないと言ったぞ」

 語気鋭い少年の声にも、アット・ファイヴは柳に雪折れなしという態度で応じた。

「現物を駆除したお前の意見が重要なんだ。本当は地下でINVELLを処理してきたんだろう? 別に隠さなくていい。私が承認すれば、日本政府からも報酬を受けれる」

「はッ、お前は、俺が回収業者を四人も喰ったINVELLをソロで殺れるって信じるのかよ?」

「信じる」

 即答。短節に、強く、揺るぎなく。

 着物の美女は、皮肉げに口角を歪めて微笑む式守の瞳を真っ直ぐに見詰めた。

 射貫くように、それでいて認めるように。

 普通は誰も信じないだろう。

 年がら年中、INVELLを駆除する回収業者でさえ死者が出る。

 式守の同僚だった鷲尾たちも、たかが三〇センチ程度のINVELL一匹にチームを組んで挑んでも死者が出た。

 完全武装の回収業者が突入する東京ダンジョンで、人を捕食するINVELLの強さ。それ一匹であろうと油断はならない。突然変異を繰り返していると、下手な装甲車ですら撃破する。常識的な生物の脅威など軽く超える個体は、職業軍人たちですら分隊規模で挑むことになる。

エイリアン・ディフェンスコンディションA・D、レベル3。警告アラートでない時点で、核細胞セルの活性化と実体化は確実で疑いようがない。推定サイズのINVELLなら、。関東全域で、索敵して撃破サーチ&デストロイを実施するなら、今は検問所の設置と地域封鎖が最優先事項だろ」

 式守は探りを入れるために自分の知識レベルを少し晒した。

「さすが施設でも優秀だっただけあるな」

 想定内と言わんばかりに答える黒髪の美女。

「封鎖線に俺を投入するには任務部隊との作戦規定を確認する時間が無い。独りで戦うのが関の山だ。手錠を外しても、俺に自衛戦闘以上のものを求めるのはお門違いだ」

 手錠を嵌められた圧倒的不利な状況にも係わらず、少年は陰気な、だが怒りを宿した瞳を機族に向けた。

「何よりも……機族の目的は何だ? 俺を確保して何をさせたい?」

 一段と細くなる少年の瞳に映るのは、不信感と殺意にも近い攻撃性。

「……そんな目で睨むな。これでも結構、傷付く」

 殺気をも孕む視線を真っ向から受け止めた後で、アット・ファイヴは憂いを含んだ瞳を下に向けた。

「言ってる意味が分かんねぇ」

 内包している意味が事実かどうか、可能性は考慮するが、それ以上踏み込む気にもならない。

 単純明快な事実は、己の処遇と女の台詞が不一致だということだ。

「そうだな……まあ、そうだろうな」

 着物を着込んだ機族の美女は、朽ち果てたコンクリートの壁に背を預けた。

 少年も流れを察して、身近な瓦礫の上に腰を下ろした。

 積み上がった瓦礫の山は風化というオブラートで包まれ、雑草や蔦で覆われて自然に溶け込んでいる。

 式守は足元に転がっている錆びた薬莢を訳もなく踏み付けた。

「お前は、なんで機族が身柄を確保したと思っている?」

 アット・ファイヴの問い掛けはとても穏やかなものだった。

「対AIL《エイル》戦闘要員」

 即答で断言する言葉に迷いはない。

 人類の天敵はINVELLインベルだが、機族にもまたAILエイルと呼ばれる、天敵にも等しい異星生命体が太陽系内部に存在している。

 人類と機族、INVELLとAIL。

 いま四つの種族が、太陽系の中に蠢いている。

 その中で同盟関係にあるのは人類と機族だけで、三つ巴のような戦いが既に三世紀近く続いていた。

「それをもあるが本当の目的は違う。だが、そういう未来を選択して欲しいとは思う」

「機族が、か?」

「私が、よ」

 アット・ファイヴが強い意志を宿した瞳で式守と視線を交わす。

 しかし式守には彼女の言葉そのものよりも、その言葉遣いの変化の方が気になった。

遺伝子交雑者ハイブリッド、しかも施設のナンバーズが放出されるなんて、今まで聞いたことがない」

「……何のことだよ?」

 美女は少年が下手な演技でシラを切ることなど、絶対に許せなかった。

「式守シリーズ完成体、第六世代、第三版、個体識別番号四グレード6、バージョン3、ナンバー4

 警戒感を露わにした少年の気勢を制するように、アット・ファイヴが言葉を続ける。

「だから、式守六三四しきもりむさし。三年ほど前に成人する目処が立ち、お前は晴れてナンバーズとしての番号を与えられた遺伝子交雑者ハイブリッド……そうだろう?」

 黒髪の美女は状況に乗じて勝ち誇るでもなく、秘密を暴いて得意げになるでもなく、僅かばかりの憐れみを宿した瞳を向けた。

 出自に関することについて下手な隠し事は無駄だと、少年は対応を変えた。

「ああ。そうだよ。式守としての機能付与や拡張人工遺伝子、トカゲとか他種生物遺伝子まで混ぜられたナンバーズだ。それでも、こうして、まともな姿の人間として生まれたことには、に感謝しなきゃいけないんだろうがな」

「その出自には同情するが、それだけなら式守のナンバーズにはならない。いいや、なれない」

 美女の目に浮かぶ感情は複雑に絡み合ったものだが、視線の鋭さだけは変わらない。その言葉はまだ続く。

「式守シリーズはどちらかと言えば、遺伝子交雑者ハイブリッドというよりは遺伝子調整者デザインだと推察していたが」

「さぁな、今言った以上の事なんて分かんねぇよ。第一、自分の遺伝子に何が追加され、何が削られたなんて考えたこともないし、聞いても全部は答えてくれない。それが施設だからな」

 昔は都市部であったが既に一〇〇年以上も昔に廃棄された場所で、二人の会話が静かに響く。

足元には雑草が生え、野花が咲いていた。その近くでは気まぐれのように白い蝶が舞う。

「式守は施設で生まれたときから、兵士として育てられる。そんなお前が、廃棄区画で、ただの回収業サルベージで生計を立てている。出自を分かっている者からすれば、違和感でしかない」

「追放された。って、言っただろう。死ナ川には居たのは依頼のためだ」不機嫌を隠さずに即答。

「その割には秋葉原に入国し、わざわざ戸籍の偽造を闇ブローカーに依頼して全くの別人になろうとした。ガーディアンとの一悶着は想定外だっただろうが、な」

 着物を着崩した娼婦のような美女が、可愛い悪戯を見つけたように微笑む。

「ちっ。じゃあ、偽造は……」

「失敗している。お前は戸籍上でも昔の式守六三四のままだ」

「無駄金かよ……」

 闇ブローカーに払った大金を思い出し、思わず空を仰いだ。違法行為を行なうだけあって、あれは決して安い料金ではなかった。

「お前が戦わない理由は追放されたからか?」

「一々ムカつくことを聞く機族だな」

 刺々しさが増す一方の会話だが、アット・ファイヴは一向に気にしなかった。

「私より弱い少年が吼えたところで可愛いだけだからな」

 そう言ってクスクスと笑うのは、彼女の本心だからだろう。

 その姿や表情はとても綺麗で、少年でさえ美しいとさえ思えてしまう。

「……クソが」

 それでも腹の底から捻り出てくる怨嗟の声は、事実をこれ以上なく指摘されているからだろう。

 少年には、敗北という事実が我慢ならない。

 それは絶対的で、本能と直結している激情。

「で、質問に対する答えはどうなんだ? これでも私はちゃんした理由を知ってから、お前の処遇を判断したいんだ」

 式守は、アット・ファイヴはかなりの情報を持っている相手と判断して対応を変えた。

「施設を追放されたから、俺にはもう戦う理由が無い。だから、自衛戦闘以外する気が無い」

 少しの沈黙。アット・ファイヴは黙想するように瞳を閉じた。

「まるで施設には戦う理由があったような口振りだな」

「施設にも、もう無い」否定だけを重ねた。

「だから、俺はこうやって生きていくことに決めた。それを邪魔するな」

「人類の危機だとしても、か?」

 アット・ファイヴが発令しようとしているエイリアン・ディフェンスコンディション・レベル3は、状況の推移によっては国民の日常生活を根こそぎ吹き飛ばすだけの影響力を持つ。

 事態が悪化エスカレーションした場合、それは日本国と秋葉原だけでは収まらなくなってしまう恐れがあった。

「火の粉が降り掛かってきたら対処する。どうでもいい他人の為に、自分の命を進んで賭ける気は無い。勝手にしろ」

「施設で何があったか知らないが、お前の力が必要な人たちもいる」

「そんなの自力で対処しろ。自己責任だ」

「思った以上に我が儘だな」

 僅かに、だが、それなり以上の怒気が美女の瞳に宿る。

 それでも、少年の心には波紋一つ生じない。

「その人々の我が儘で、俺がこの世に生まれたわけだ。施設での恨みを考えれば、大量殺人をしないだけでも有り難いと思え」

「……思ったより、馬鹿ね」

 アット・ファイヴは本当にそう思った。少年の技量を考えれば、それは難しいことではない。むしろ容易いはずだ。

 しかし、それを行なうような人間であるならば、施設は追放ではなく殺処分していただろう。この少年もその事実を自覚していると信じたい。

 だが、交渉の言葉としては、自らの価値を下げるだけの不用意な発言。

 年齢とは不相応に冷静なところがあるが、まだまだ反抗期の少年なんだと思い知らされた。

「我が儘だって事は自覚している。だが、他人の為に戦う気は無い」

 少年の断言。

 それに無意味なまでの強い決意を感じ、黒髪の美女は小さな嘆息を一つ漏らした。

「……分かった」

 美女が細い指を鳴らすと、少年の手錠が前触れもなく地に落ちた。

 少年はそれを不思議には思わない。

 ただ、黙って立ち上がり、両の拳を叩き合わせた。

 美女も背中を預けていた瓦礫から背を離す。

「他人の為に戦えなんて言わない。私に命令されて、戦いなさい」

「結論は変わらないんだろう。だったら、こっちの方がシンプルで良いぜ」

 刺々しいプロテクターに包まれた式守の拳が、再び数万ボルトの紫電を纏う。銃なんて使わない。スタン・ナックルのみを使用する復讐戦リベンジマッチ

 この戦いは、前と同じ条件で勝たなければ価値がない。

「骨折程度で泣き言は言わないでよ」

 美女も背負っていた逆柄の大太刀を地面に突き立てるとハイヒールも脱ぎ捨て、ボクサーのように軽やかなステップを踏み始めた。

「そういうことは実際に折ってから言えよ」

 対する少年は正中線に両手を置いた、古流柔術の構えを取る。

 アット・ファイヴが目を見張るほどに、少年の身に漲る闘志。

 機族の自分と、遺伝子交雑者とはいえ人間の少年。自重だけで二倍近い差がある。それはつまり、近距離格闘戦の全ての攻防でその差が発生するにも関わらず、少年は微塵も臆さない。

 純粋過ぎるほど純粋な、闘志という剥き出しの感情。

 いや、有り余る闘争本能というべきだろうか。

 彼女にはそれが、例えようがないほどに愛おしい。

「――本当に、馬鹿な子」

 そう言いながらも、美女は艶やかに微笑む。

「知るか、ボケ」

 少年は、極上の微笑みを悪態一つで撥ね除けた。

 ゆっくりではあるが、少年は摺り足で間合いを詰め始める。

 やがて、二人は予定調和のように拳を交えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

INVELL ~人類生存戦争~ 筋属バット3号 @KEN-GO_type08

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ