3-4 地下都市群<ギガンティック東京>
「はぁ……」
隠しようもなく盛大な溜息が漏れた。
今朝、人生最大の決断として家出したはずなのに――。
独りとなったはずの自分の隣りに、空気を全く読まない機族がいる。
福音は鈴音の心中を知ってか知らずか。満面の笑顔をそのまま継続中。
抵抗するのも馬鹿らしくなってくる。
「……あのさ、ちょっといい?」
「何ですか?」
「これからの、短い間の関係だとしても、まず私への様付けは止めて」
「ど、どうしてですか? オルトリンデ様と同じ……呼称です、けれども……」
ポニーテールの少女は驚き、それから言われた理由が分からずに、しどろもどろになりながら聞いた。
「流石に初対面の女の子に、そう言われるのは違和感を覚えるから」
栗毛色の少女が怪訝そうな表情を浮かべた。
「……あ、あの福音には、どうして鈴音様がそう言われるのか分かりません」
「私は様付けで呼ばれるような人間ではないし、そういったこともまだしていないから」
「けど、鈴音様は人間ですよ」
「当たり前じゃない。私は人間で機族じゃないもの」
「でしたら、鈴音様は鈴音様で、それ以外の呼び方は私のアーカイヴには存在しないです」
「…………」
「…………」
「あの、ね。私は今朝、ボランティアのために仙台から家出してきただけの女の子だよ」
「そうだとしても、鈴音様は人間ですよ? 様付けの否定条件には成り得ません」
共に暮らしていたオルトリンデは、本当の意味で人間社会に馴染んでいたんだと実感した。
言葉が見つからず、意味もなく空を見た。今日は何度空を見上げるのだろう。そんな疑問が鈴音の脳裏に過ぎった。
自分の要求を伝えるためには強い言葉を使わないと駄目らしいと、鈴音は気合いを入れるために小さく息を吸い、意を決して言った。
「言い方が少し悪いけど、はっきり言うね。様付けは気持ち悪いから止めて」
「無理です。様を付けないと福音が気持ち悪くて、いえ、細かく表現しますと情緒グリアが不安定になるので呼び捨てはしたくありません」
はっきり要求したら、身も蓋もないような即答が来た。
「…………妙なところでストレートね」
「幼いですが、一応機族ですから……」
「……オルトリンデと、違いすぎ……」
「あの方と私を比べられましても……」
この胸中に渦巻く理不尽な衝動を何処にぶつけたら良いのやらと身悶える鈴音と、苦笑いを浮かべるしかない福音。
動かない二人の近くの街路樹に蝉が止まり、けたたましい鳴き声を撒散らし始めた。
気を取り直して鈴音はこれから当分の間、一緒に行動することになる少女を見た。
「鈴音様、お昼まで時間がありますので、何処か観光でもしませんか?」
「そうね……ロボット博物館に行きたいかな」
昔から気になっていた博物館を何気なく口にした。別に深く考えて決めたわけではないが、なぜか今思い出したのだ。
しかし、その単語が福音にもたらした効果は絶大だった。
「そうですよね! やっぱり秋葉原に来たらロボット博物館は鉄板ですよね!」
「……ちょ、ちょっと落ち着いて。声が大き過ぎるわよ」
小さな身体からは想像もできないほどの大声量に、鈴音は思わず耳を塞いだ。
「す、すみません。嬉しくって、つい……」
「ちょっとは落ち着いてよ。恥ずかしいじゃない」
「気を付けます。じゃあ、行きましょう!」
嬉しそうに宣言して歩き出す福音の笑顔に、鈴音は自分の心臓の鼓動を強く感じた。
純粋な、余りにも純粋過ぎる笑顔。
あり得ないぐらい真っ直ぐで、綺麗な笑顔を浮かべる機族の少女。
だけど……。
秋葉原に着いてからの想定外の展開。
これは機族の意志なのだろうか?
それとも女王の意志なのだろうか?
自分で人生を選ぶために決意したはずの家出なのに――。
自分の知らないところで何かが動いているような感覚。
何かが仕組まれているのだろうか?
仕組むとしたら、お婆ちゃん?
それとも、オルトリンデ?
まさか――。いや、ありえない。
推論通りなら、お婆ちゃんは私に協力しない。
浮かぶ疑問と少なすぎる情報。
「あの、鈴音様。……何か悩んでいるんですか?」
「――あ、ごめん。考えごとしてた」
「謝らないで下さい。待つのも、問題ありません」
そんな遣り取りの後、二人は秋葉原の中を歩き始めた。
鈴音は物珍しそうに視線を動かしながら、少女とともに歩いた。
「結構、思ったより人がいるんだね」
通行人にぶつからないように歩くが、そのこと自体に驚いた。
機族の国に多くの人間がいる。知識としては知っていたが、実際に見ると驚きが隠せなかった。機族との区別が付きづらい女性も多かったが、男性もかなりいる。男性型機族はいま現在存在しないので相当数の人間が、この国にいるということをまざまざと見せ付けていた。
「聞いていたよりも人が多いなぁ……」
「昼間人口は機族と人で十万人を超えますから」
お昼時ということもあるのだろう。コンビニエンスストアや定食屋に向かう人々が目立った。
「機族の国なのにね」
「機族の国といっても元々ここに住んでいる方々もいますので、秋葉原には機族だけしかいないわけじゃ無いんですよ」
「人間が秋葉原の国民として?」
「いいえ。国籍は日本国のままです」
「別に出て行けとか言わないんだ」
「先祖代々住んでいた方々はそのままですし、移住で新規に来る人もいます」
福音はエスコート役であることから鈴音の半歩先を歩く。数分もしない内に、二人は大昔は地下鉄の入り口だった場所に辿り着いた。
「ロボット博物館は地下か……大体どれぐらいの深さにあるの?」
「大体二五〇メートルほど下にあります。旧日比谷線のホームから、ギガンティック東京への昇降軌道列車があるので、それを使います」
ただでさえ軽やかな少女の足取りが、さらに軽くなったように階段を下る。
「ここも当時を再現しているの?」
鈴音も古くなった地下への階段を下るが、周囲の煉瓦調の壁には焦げ跡が多数見えた。
「大体、再現しています」
「大体?」
「一部は昔のままなんです」
微妙な返答に鈴音は足を止めた。それに伴い、福音の足も止まった。
「じゃあ、これは再現?」
身近な焦げ目を指先で触ると微かに煤が付いた。
「いいえ。それは本物の焦げ目です」
「――!? じゃ、これ、もしかして!?」
「このA7都営地下鉄入り口にある焦げ目の大半が
地球上の生命の約五〇%が死滅したとまで言われる、人類最初の大危機。
「けど、
「授業で聞いたことある。
「それが元に戻る時の反動も凄かったと聞いています」
喋りながらも二人は再び地下鉄の階段を下り始めた。
「まぁ、でも、そんなこんなで私たち機族が生まれたわけですけど」
苦笑いを浮かべながら福音は茶化すように言い、それが伝播したように鈴音も苦笑いを浮かべた。
「有史以来、間違いなく最大級の大事件よね」
「鈴音様から見ても機族誕生は、やっぱり大事件ですか……」
「当たり前でしょ。有史以来の大事件と言えば、一つ目がINVELL、AILとの生存戦争、二つ目が機族の誕生、三つ目が火星への移住。小学生のテストでも必ず出るわよ」
「ですよね~」
福音は少し悲しげに言葉を漏らす。
今まではただ道を案内するだけの福音が、初めてちゃんとした意見を口にした。
「だけど、人類が
「
素朴な疑問。人から見た技術的特異点と機族から見たそれは多少違うらしい。
「そういうものなんです」有無を言わせぬ断言。
確かに、人類は
そうでなければ、とおの昔に滅亡していただろう。
二人はイミテーションの改札口を通り、日比谷線という名のホームに到着すると、福音は指先を宙に踊らせた。まるで何かにサインをするような仕草だったが、鈴音には何か分からない。機族に見えているものは、人間には認識できないものだった。
「何をしたの?」
「昇降列車を呼びました。あと一分弱で来ます」
その言葉通りに一両だけのとても小さな列車が来たが、車体は三十度ほど斜めに傾いていた。鈴音は湧き上がった疑問を口にする前に、注意深くホームを見てみれば、レールは地下へと下降している。斜面を下るようにこの列車は進むのであれば当然だったが、ホームがあまりにも昔の地下鉄として――つまりホームは水平に――再現されているから違和感だけが凄かった。
「ようこそ! 世界有数の地下都市群、ギガンティック東京への小旅行に!」
福音が和やかな笑みでドアマンの真似をする。
「じゃあ、行きましょう」
鈴音は少し笑いながら、それを受け入れた。
「はい!」
僅かな照明だけが照らす薄暗い細いトンネルの中を、ガタガタと小さな金属音と共に二人を乗せた列車が降りる。時折、何かが切り替わる金属音と共に下降する向きが変わる。不規則に右に左にジグザグを描きながらも、列車は地下へと進む。所々の照明でトンネル内部が見えたが、ほとんどが無骨なパイプが壁沿いにあるのが見えるだけで風景を楽しむことは出来そうにない。
微妙な表情を浮かべる鈴音に気付き、福音は声を掛けた。
「鈴音様、どうしました?」
「なんで、この列車はガタガタ音を立てるの?」
鈴音は感じていた疑問を口にした。エアロバイクが都市の上空を飛び交う時代に、古い昇降列車とはいえ、ここまで音と振動を感じさせるのは中々以上に珍しい。
「あ、それはここの列車はラック式鉄道と呼ばれるものだからです」
「……なに、それ?」
聞いたこともない単語に首を傾げた。
「簡単に言うと、急勾配に対応するために歯車付き列車にしてあるんです。そうすれば、非常事態の際にも安全に運行できますし、最悪そこで停車できます」
「変なところでアナログなのね」
「それが一番安全だから選択したんです」
「機族が使う機械なのに?」
「ギガンティック東京秋葉原区画の基本設計は人間が決めたままですよ」
「…………」
聞いたことがない事実に驚き、鈴音は黙り込んだ。
「…………」
どうして黙り込んでしまったかが分からず悩む福音も沈黙。
数拍間を置いた後、鈴音は少し固めのシートに背中を預けた。
「道理で、子供の頃にオルトリンデが秋葉原を薦めた訳だわ」
「どんな風に薦めていたのですか?」
「理由は言わなかったけど、人が行くべき場所だって言ってた」
今まで一定の速度で下降していた列車が不意に止まった。
鉄骨とコンクリート、そして僅かな照明しか無かったトンネル内に少し大きめのLED掲示板が見えた。表示中の文字は『開閉中』しかないシンプルなものだが、それが周囲を照明の様に照らしている。
だが、その不十分な光が、列車の前にある、古びれた巨大で分厚そうな隔壁を映し出していた。
鈴音が隔壁を確認してから一分以上の間、何度も何度も重く響く反響音のような機械音が、列車越しに鈴音の身体の芯まで揺らす。
「結構、時間掛かるのね」
未だ列車の前にある隔壁は微動だにしない。
ただ、重く響く音が彼女たちを微かに揺らし続ける。
「隔壁が幾つもありますから」
やがて、彼女たちの目に映る古びた隔壁が開き始めた。
その直後、鈴音は隙間から漏れる光で一瞬視力を失ったが、お構いなしに昇降列車は進み始め、少女の耳には機族の声が流れ込んだ。
「此処が人類の隠れ家にして、二つの生存戦争とキリマンジャロの冬からも人間を守り切った砦の一つ」
視力が戻った鈴音は、それを受け継ぐように言葉を紡ぐ。
彼女の眼前には、夜明け前の空から地表を眺めるような景色が広がっていた。
「
ドーム状の空洞の中で特殊コンクリートで固められた内壁沿いに下降し続ける昇降列車は、さながら空中を走る鉄道のようで、鈴音は窓に映る景色に釘付けになった。
薄暗い霧が覆う半円状の底には、堅牢さと耐久性だけを追い求めた鈍色の巨大建築物には蔦が覆い、水瓶代わりの人工湖には藻が浮かんでいるかのように碧い。少ない閉鎖環境でも酸素を可能な限り供給しようと植えられた苔や低木の植物たち。
地上から採光した太陽光とビル群から漏れる人工光では、地下都市の全景は霧が掛かったように朧気にしか見えず、ドームの反対側は見えなかった。
「写真とは大違い……」
鈴音は唸るように呟いた。地下三〇〇メートルを超える深さに作られたドーム状の空間。少なく見積もっても一〇〇メートル以上の高さのドームも、鈴音の見積もりでは一キロ以上の広さを持つ巨大な密閉空間のはず。
建造物も巨大なためか、微妙に遠近感も狂わされる。
半円状のドームの中で、目に見えるビルの外壁の色はすべて鈍色で華やかさの欠片も無い。
所狭しと続くそれらは時に連結し、時に多層に積み上げられ、無秩序だが、人が住む空間を構成している。
鈴音が今まで見たこともない色彩の建造物が立ち並ぶ風景。少女は現実感が希薄になっていくのを感じた。
それでも、その耳に届く福音の声音だけは変わらない。
「世界中の地下都市でも、ギガンティック東京のようなドーム連結型地下都市はあんまり見られないタイプです。当時の日本政府は地下生活の長期化を想定し、自己完結性を優先してドーム連結型を作りました。けど実際は収容性が最優先となり、これ以降の地下都市――埼玉や千葉ではほとんどがトンネル型シェルターになりました」
「トンネル型は仙台にもあったから見たことある。ギガンティック東京は知識としては知ってはいたけど、正直ここまで大きいなんて思ってなかった……」
「そうですね。今現在のギガンティック東京は非常事態用待避シェルター及び重装要塞と同じ位置づけで、恒常的に使用されているのは秋葉原、豊島区画と東京区画の一部のみですから。ここは何度も行なった拡張工事の末にこのサイズになっていますので、稼働直後はそれほど大きくはなかったそうなんです」
鈍色の都市に輝く人工光と僅かな太陽光だけでは、この街に充分な明るさをもたらさない。
暗色の建物と不十分な照明。だが、人工灯の強い光が印象的な空間。
「今もその工事は続いているの?」
「はい。旧品川地区が廃棄された分の空間を確保するために、豊島地区では拡張工事中です」
「ここって、いざって時はまた避難所として使うんでしょ?」
「そうです」
「それなのに、ここに博物館を集中させてるの?」
「一応、文化遺産等の防護を兼ねていますので、基本的に博物館は全部地下なんです」
「あれ? 昔見たガイドブックには地上にも博物館があったけど?」
「公表はしていませんけど、地上の美術品等のほとんどが私たちが作ったダミーでして……」
「はぁ~。真贋に気付いている人が何人いるのやら……」
しれっと騙していることを白状する機族に、まんまと騙されていた人間は途方に暮れた。
「結構、気付く人は気付きますよ」
「どうやって?」
「論理的に、時に感覚的に、です」
本人はどう思っているか分からないが、福音は本当に良い笑顔で返事する。
「まぁ、いいわ」
そうこう言っているうちに二人を乗せた小さな列車は巨大な地下空間の底に辿り着いた。
「まずは予定通りにロボット博物館へ行きましょう」
「はい!」
昇降列車のドアが開くと同時に、二人はギガンティック東京に足を踏み入れた。
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