2-1 意志の力Ⅰ

 人類歴二九八年七月一四日の早朝

 日本国宮城県仙台市郊外


 まだ陽も昇りきらない内に宮城鈴音はオルトリンデと祖母に見送られ、足音一つ立てずに武家屋敷のような実家の裏門から家を出た。

 最寄りの駅まで歩いて始発の電車に乗る。服装は着慣れたジーンズに半袖のワイシャツとトラッキングシューズ。荷物はリュックサックとタイヤ付きの大きなキャリーバッグ。それなりの量はあるが、彼女が向かう場所を考えれば、それほど大量の荷物ではない。あとは現地調達する予定だ。

 地元の駅から仙台駅へと電車で向かう間に、オルトリンデに作ってもらったおにぎりを頬張り、凛に煎れてもらったほうじ茶で胃の中へと流し込む。

 自分以外誰もいない所々錆びた古い無人電車に揺られ、仙台駅へと向かう。

 まだ姿を見せない太陽が地平線に近づき、徐々に明るさを増す東北の景色を彼女は眺め続けた。

 綺麗に区画整理された田んぼとその奥に見える奥州の山々が、日の出に照らされると夏の季節特有の濃緑が輝いたようにさえ見えた。陽の光で橙色に染められた空は幻想的な美しさだったが、それも太陽が地平線から顔を出し終える頃には、澄みきった青い空へと色を変えた。

 雲一つない早朝の空の下、宮城鈴音だけを乗せた無人電車は一時間もしない内に仙台駅に到着した。

 既に切符コードが登録されている腕時計型情報端末を自動改札口の読み取り口にかざして、乗り換えゲートを通過。足を止めることなく、東北新幹線のホームへと向かう。この時代でも日本では高速鉄道を新幹線と呼び、それはそのまま世界で通じた。

 始発の新幹線に乗る。先ほどの無人電車と違い、他の乗客もいたが多くはない。窓側の自由席の一つに腰を下ろした。なんとなく海が見たい気分。

 走り出した新幹線の中でぼんやりと窓の外へと視線を向けた。

(東京か……)

 始まりの都市にして終わりの都市、東京。

 江戸時代から栄え、西暦二〇〇〇年台には一〇〇〇万人を超える都市圏を形成し、第一次生存戦争でそのほとんどを破壊され、第二次生存戦争後に再興した日本国首都の一つ。

 その巨大都市が宮城鈴音の新しい生活の開始地点。

 ぼんやりと実家からも持ち出したものを思い出す。量子刻印済み身分証IDカード、未だに日本国内では必要な生体認証機能付き印鑑、トレーニングには必須の筋補助衣アシストスーツと各種プロテクター。普段着代わりのジャージに防臭速乾性下着、お気に入りの各種ウェアと無理矢理詰め込んだハードシューズ。娯楽の定番、高性能タブレット。形状には二〇〇年以上大きな変化がない。他には腕時計型情報端末。私服はいま着ている物以外は一着しか持ってきてないが後悔はない。必要ならば、安物でも何でも買えばいいと思って出てきた。

(どうなるのかな…)

 まだ何も始まっていないのに、そんなことを考えている自分がいる。

 ここから先、知り合いは誰もいない。

 これからは、今までのように手助けしてくれる人もいない。

 逡巡が無いといえば嘘になる。

 自分で選んだ道へ向かって踏み出した第一歩だが、結果が保証されているわけではない。

 宮城鈴音はただスタートを切っただけにすぎない。

 家出という選択を選んだのは自分自身だ。

 妾になるのは嫌だ。重婚は違法でも何でもないが、鈴音自身としては好きじゃない。

 好きでもない人と結婚するのはもっと嫌だ。

 お見合い相手の事はよく知らない人たちだったけど、自分から知りたいという人たちではなかった。

 好きな人もいない。今まで恋をしなかったわけじゃない。ただ、現在進行系で好きな異性はいないだけ。

 恋愛感情抜きの結婚をする前提で人生を過ごすならば、これから先の人生はとても楽だ。社会保障システムが最低限の生活は確保してくれる。

 その対象になれることも、そう望まれていることも、彼女は正しく認識していた。

 結婚することを宣誓すれば、政府から月々補助金が振り込まれ、お見合い相手まで政府が用意してくれる。この恩恵を受けた際の代償はただ一つ。二十歳までに出産することだけ。

 だけど宮城鈴音は、それが――その制度が大嫌いだった。

 子供はいつか生みたいと思う。苦労するだろうけど、育ててみたいと思う。

 けど、それはあくまでも自分一人ですることじゃない。

 好きな異性と結ばれて、その人と一緒に暮らして、子供を育てていくものだと考えている。

 そうやって、大昔から現在まで自分が受け継いだ歴史と伝統を、現在から未来へと自分の血肉で伝えていくものだと信じている。

 自分の信念と相反する社会システムの中で、彼女が思うように生きていくのは簡単ではない。

(だから、自分でやるしかないんだよね)

 そんな自問自答を繰り返しながら、少女は自らの運命を決めた日の授業を思い出していた。

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