2-2 意志の力Ⅱ

 約一年前――。

「鈴音様、運命を自ら切り開いていく覚悟はお有りですか?」

「――!?」

「お有りであるならば明日は学校に行って、その気概の一片でも私に示して下さい。何よりも明日は、鈴音様が成人するためには必須科目の生存戦争概要です。それを聞き、帰宅したならば、鈴音様の可能性と選択肢。その全てを私が示しましょう。」

翌日、機族にして家政婦のオルトリンデの言葉に操られるように、鈴音は学校に行った。

 一週間ほど不登校だったため心配した友人たちが声を掛けてきたが、オルトリンデの言葉が気になって全く耳に入らなかった。


 いま思い返しても、日本国において成人するために必須科目とされている生存戦争概要は特別な授業というわけではないと彼女は思う。

 世界中の国々で歴史教育の一環として絶対に教えているはずの内容だし、これを知らないというのは国家も言語も宗教も関係なく、純粋に教育自体を受けたことがないと言っているに等しいこと。


 この授業のためだけに特別講師として招待された大学教授は中年の男性だった。やけに背が高く、枯れきった木のような雰囲気を身に纏っていたが、発する声だけは妙に重く響き、無駄な私語を許さない迫力があった。

「皆さん、人類が辛くも勝ち残った生存戦争の概要は既に知っていると思いますが、改めて教育致しましょう」

 くたびれた背広を着た、その教授の名前を鈴音は覚えていない。

「皆さんは疑問に思ったことが無いですか? 二度に渡る生存戦争や人類統合戦争、人機戦争など様々な歴史資料が直ぐに誰でも閲覧できるのに、どうして第一次生存戦争だけが極端に映像が少ないのか? 貴女は疑問に思ったことは無いですか?」

 そう言って中年の教授は女生徒の一人を指差した。

「え、あ、あの、余りそういった事に興味なくて……」

 女生徒は不意打ち過ぎる質問に正直に話したが無理もない。

普通、中等教育を受けている年頃の少年少女が過去の戦争に興味を持つわけがない。

 多少の例外を除いては――。

 一人の少年が右腕を真っ直ぐに上げると、教授はその少年に発言を許した。

「人類側の被害が酷すぎた所為です!」

「そうです。その通り。被害が甚大すぎて、事実を広めたら人類の士気に係わると言われ、第一次生存戦争初期の資料はほとんど隠匿されましたが、それは理由の一つに過ぎません。どうして資料が少ないのか? 簡単なことです。元々、生存戦争初期の映像資料は少なすぎたのです」

 鈴音は徐々に、徐々に、だが確実に、周りが教授に注目していく雰囲気の変化を肌で感じてた。

「では、何故少ないのか? 具体的にはどういった状況だったのか? 分かりますか?」

 先ほどの少年は首を横に振った。具体的に、と言われると答えようがない。

 普通は知るわけがなく、今まで教えられてもいないし、電脳界の資料にアクセス出来るほどの権限も少年には無かった。

「君は最初に被害が甚大だったと答えました。それこそが全ての答えです」

 見た目の枯れた雰囲気とは裏腹に、教授は饒舌に喋り始めた。

INVELLインベルAILエイル。今日の授業ではINVELLだけを扱いますが、二つの地球外生物を人類が初めて目撃したのは西暦二〇九八年七月。木星の衛星エウロパへと向かうアメリカ航宙軍の資源運搬航宙船コンクエスタが、白く光るAILの航宙船を追跡するINVELLを――そう、全ての元凶であり、キリスト教で黙示録の獣を意味すると言われる数字である666トリプルシックスを付けられた個体をコンクエスタの乗員が肉眼で目撃しました。今現在、世界標準の暦である人類歴元年が西暦二〇九八年なのは、人類が異星生命体を目撃し、第一次生存戦争が事実上始まった年だからです。しかしながら、その時は世界中で誰一人、その危険性に気が付けませんでした。ですが、無理もありません。当時、鈍色の隕石のように見えたINVELLは生物なのか、隕石なのか、何一つ分かっていなかったからです」

 鈴音も知っている。

 教科書を真面目に読んだことがあれば誰でも知っているはずの事実。

「当時の人類なら四年以上も掛かるはずの木星から、僅か一年ほどで火星にまで到達したINVELLとAILは地球に向けて直進中であり、これに対抗するために人類は国家の枠組みを超えて、地球への隕石衝突を防ぐための迎撃作戦を実施。ええ、そうです。当時は正体不明の隕石として対応したのです。そして二〇九八年九月、人類は核兵器と月面に建設されていた打上げ用リニアカタパルトを利用した質量弾による迎撃を開始しました。俗に言う、第一次月面迎撃戦です。これは数少ない、当時作戦に参加した軍人たちの写真です」

 そういった教授が軽く両手を叩き合わせると、背後の巨大な電子黒板が一枚の写真を映し出した。

 澄み渡るような青空の下、白人や黒人、アジア人まで様々な肌の色をした青年たち約三〇名ほどが肩を組んで映っている一枚の集合写真。彼らの背後には数基の年代物の巨大なロケット発射台がそびえ立ち、足元には綺麗に切り揃えられた芝生が一面に広がっている。その写真の全員が笑顔や穏やかな表情で、彼らの仲の良さを感じさせた。

「これは二〇九八年の迎撃作戦に参加した米航宙軍第二艦隊所属駆逐艦エンデバーの乗員たちが、最後に、と映した記念写真です。この写真はロシア連邦宇宙軍駆逐艦ウダロイの乗員たち。次は日本航宙軍駆逐艦陽炎の乗員たち」

 教授は今日でも大国の地位にある国家の軍人たちの写真を、一〇枚近く見せると改めて生徒たちに語り始めた。

「彼らのような優秀な航宙軍や宇宙軍の軍人たち三〇六二名という、当時の人類が持つ宇宙戦力のほぼ総力を投入して隕石迎撃作戦を行いましたが、残念ながら作戦は失敗。投入された軍人の九九パーセント以上が戦死。生存者は僅か一一名。それどころか月面のリニアカタパルトに対するINVELLの体当たりで、月が欠けるという想像外の被害がもたらされました。その際の写真は有名ですから、誰もが一度は見たことがあるでしょう」

 英霊とも言うべき軍人たちの写真から一転し、闇夜に浮かぶ白銀のような満月の映像が映し出されると、教授は画像を止めた。

 だから、月が丸かったのは西暦二〇九八年までだ。

「この映像の右上に注目して下さい。正式な手順を以て、この映像を君達に見せるのは今日だけです。授業が終わった後、さらに真実を知りたいと思うなら研究者になれるように頑張りなさい。そして、極めて優秀な人物になりなさい。それ以外の手段は今現在ありません。……話しが逸れましたね。では、再生します」

 語り掛ける相手が中等学生であることを考慮しない、独白のような教授の語りだったが、それでも『見せるのは今日この日だけ』という言葉に少年少女たちは我知らずに固唾を飲んで画面を見詰めた。

 画面が切り替わる。

 月面から見上げたアングルの映像。

 世界地平線の右上には嫌が応にも目に入る白く輝く流星と、その後ろを追う僅かに見える黒光りする流星があった。

 頭上から白と黒の彗星が降ってくると分かった瞬間、白の彗星は半円を描くように月を避け、黒い彗星は一瞬で画面を黒く塗り潰し――電子黒板はノイズ信号だけになった。

 素早く画面が切り替わる。

 月という球体の中を黒い矢が貫いた直後の遠方からの映像。

 黒い矢の入り口と出口で噴水のように月の土砂が噴き上がる。

 遠くから見た月は、まるで柔らかいアイスクリームをスプーンで抉ったように砕かれていた。

 宇宙空間に広がり、太陽の光を反射する月の砂は美しささえ感じさせたが、この映像の撮影者は素早くカメラの向きを変えた。

 月を抉った黒い彗星は何事もなかったように白い彗星を追い、飛散した月の瓦礫はそのまま地球へと飛んでいく。

 月を貫くことなど、蚊の食うほどにも痛まぬ一匹の宇宙生物。

 その映像に教室内は響めきに満ちた。

 驚きと恐怖、興奮と諦めに似た感情が、自制心を無にされた子供たちの口から漏れる。

 無理もない。

 彼らに見せつけられたINVELLの力と、それがもたらす戦慄。

 その圧倒的破壊力は、山を吹き飛ばすだけでは足りない。

 海を割る程度、児戯にも等しい。

 地殻ごと大陸を削り取ることが可能な超破壊力。

 月が衛星とはいえ、星に体当たりし、それを貫き砕く、一匹の生物。

 鈴音も言葉では知っていたが、実際の映像を見て、言葉を失っていた。

「今のシーンを別の撮影者の映像で、月に衝突する直前の映像を見てみましょう」

 再び画面が切り替わると、先ほどの映像よりは大分離れた場所からの映像となった。

 月面に近付く白と黒の彗星を上から眺めるようなアングルは、おそらくは月の衛星軌道上にいた宇宙船から撮影したのだろう。

 映像はINVELLを拡大して映し出すと、即座にスローモーションとなった。コマ送りでありながら飛び飛びになる画像。

 その画面の中で黒い彗星は一瞬膨張し、一筋の黒い矢となり月面を穿ち、元の形に戻ると何事もなかったように突き進んだ。まるで黒い何かを放ち、破壊したような映像。

 これほどの事実を見せながらも、教授はそれに関する説明を一切しなかった。

「この後、飛び散った月の破片は隕石となって地球上の各地に落下。隕石の直撃及び津波による被害で推定三億人ほどが死亡しました。その後、救えなかった人々を含めれば五億人は下らないでしょう。日本も大阪に月の欠片が落下。その爪痕が第二大阪湾と琵琶湖運河となりました。世界経済は大混乱に陥りますが、これはただの序章に過ぎません。瓦礫は地球軌道上の衛星群を破壊し、巨大なケスラーシンドロームにより人類は三〇年近くも地球に閉じ込められ、世界中の国々を結んでいた各種ネットワークも壊滅的打撃を受けました。これが本当の意味で致命傷となりました。なお、この時の正確な死傷者数を把握できた国家は比較的被害が軽微な国々だけです」

 これは序の口。終わりの始まり。

 いや、人類が滅亡しなかった以上、再生の始まり。

 ただ、人類歴元年から五〇年経たないうちに三十億以上の人間が死んだだけだ。

 再び画面が切り替わる。

 雪が少し舞い降る灰色の空の下を走る車のドライブレコーダーの映像。運転席から見える雪雲、地平線の先にある高層ビル群。直線の高速道路上を行き交う様々な車両。大都市へと向かう主要幹線道路をこの車両は走っていたのだろう。その雪雲の上で眩い白い光が迸るとカメラの視界を覆い尽くし、それが消え去った直後、地平線の向こうから赤い光が轟音と共に広がり、それととも映像は途切れた。

 別の映像に切り替わる。それは巨大な津波の映像だった。ヘリコプターが洋上から迫り来る白波建てる巨大な波が、海岸に覆い被さり、沿岸部の都市のビルを浸し、森を飲み込み、何もかも海底に引き摺り下ろす一部始終。

 とある巨大都市の天を突かんばかりにそびえ立っていた多くのビルが、頭上から降り注ぐ隕石にへし折られ、地下鉄や地下道までも根刮ぎ破壊され、まるで月面のようなクレーターと瓦礫だけの荒野へと変貌した。

「地球に到達したINVELLとAILは人類を無視して戦い続け、当時の常識では想像を絶する被害が続出しました。緑の大地は一瞬にして禿げ山に変わり、海のように巨大な湖が一晩で蒸発する。時には奴らが頭上を飛び交うだけで風速一〇〇メートルを超える風圧が発生し、人々は文字通り宙に投げ出されて絶命しました。当時世界でも有数の巨大都市だったパリは一晩で全住人が食い殺され、ニューヨークは血と肉とヘドロの海となり、北京は原因不明の大爆発で砂とガラスだけが残るクレーターと化しました。彼らが何気なく散らす戦いの火花だけで人々は何万人と殺されていき、都市は破壊され続けました」

 昔のSF映画によくあった地球滅亡のシーンを描いているような映像が延々と映し出していく電子黒板を背に教授は喋り続けた。

「そうして人類歴元年の冬、INVELLとAILはキリマンジャロ山上空で激しくぶつかり合い、INVELLはキリマンジャロの地の底に沈み、AILは火星へと逃げました。そして人類には氷河期が襲い掛かりました。俗にいうキリマンジャロの冬です。これに立ち向かうために生き残った人類は団結を深め、再興していくことになりますが、細部は他の授業で学んでください。それから一世紀もしないうちに、世界中に飛び散ったINVELLの細胞が活性化して第二次生存戦争が始まります。皮肉なことに、これは人類誕生に至る仮説の一つ、パンスペルミア説を大きく補強することになりましたが……それでも人類は再び生き残り、今に至ります。騒がしいですね、私語を止めなさい」

騒がしい生徒たちが静かになるまで教授はゆっくりと待ち、頃合いを見計らって再び喋り始めた。

「第一次生存戦争では、二種類の異星生命体はキリマンジャロ山での衝突でほぼ消滅し、アフリカ大陸は南北半分千切れかけましたが、それでもINVELLは、あの666トリプルシックスは死んでいません。これが人類歴三年時のキリマンジャロ・クレーターの写真です。直径一二〇キロしかありません。次に人類歴一〇〇年の時の写真。これで直径約二〇〇キロ。そして今年の写真ではキリマンジャロ・クレーターの直径は二〇〇キロに迫ろうかという成長を見せています。当然、火星のAILが降らす隕石弾で多少広がった箇所もあります。では何故、キリマンジャロ・クレーターが大きくなっているのか?」

 教授は暗い瞳で教室の生徒たちの目を見た。一人二人ではなく、十人二十人とゆっくりと首を回して瞳を覗き込まんばかりに視線を巡らす。

 誰一人として視線を合わせ続けようとしない。

 鈴音に至っては最初から目を合わせないようにと視線を逸らした。

「始めのINVELLである666トリプルシックスは今も生きている。生きているどころか、土を――いえ、地球を食べて回復し、徐々に大きくなっている。それを防ぐ為にAILは隕石弾を火星から撃ち込む――人類の損害を考慮せず、地球ごとINVELを滅ぼすために。分かりますか? この事実の重さが。異星生命体の本格的な戦いに再び人類が巻き込まれたら、我々は象に踏みつぶされる蟻に過ぎない。これに黙示録の獣と名を付けた人物は、とても良いセンスの持ち主だと思います。正に地獄の化身」

 そう語る教授の声音に狂気に似たものが混じった。

 黙示録の獣――それが今もアフリカ大陸のキリマンジャロ地峡の奥底にいるのだ。

「INVELLは永遠に成長し、常に捕食を続ける宇宙の深淵から来た未知の生物。銀河で生まれた魑魅魍魎。この世に地獄を具現化させる恐怖の生命体。INVELLは群体でありながら個体。個体でありながら群体。それは理論上、地球さえ食い尽くすことが可能な異星生命体。現に地球は今この瞬間も喰われている。嘘偽りなしに、正真正銘の人類の敵なのです」

 いつの間にか静まりかえった教室の中で、中年男性の興奮気味の声が響き渡る。マイクも拡声器も使わず、水面に広がる細波のように、少年少女たちの心を侵食するかのように響く。

 頭の先から足の先まで透徹する囁き。

 男は、君達の人生には絶望が待っていると告げる。

「だから人類は地球で生きていくためにキリマンジャロ地峡の奥深くに隠れ潜む666トリプルシックスを、必ずや討ち滅ぼさなければなりません。母なる星、地球を食い尽くされたら、我々人類は宇宙で住むべき場所を失う。それは人類滅亡と同義。この時代に生きる者たちは一人残らず異星生命体と戦う運命にあるのです」

 静まりかえった教室で、一人の少女が手を上げて、一つだけ質問した。

「INVELLを殺したら、その死骸が微生物に分解されれば少しは地球を補えませんか?」

「……良い質問です」

 思いも掛けない質問に驚愕しながらも、その素朴な疑問をぶつけてくる女生徒に対して、教授は少しだけ優しげな表情を浮かべた。

「動物のように、ただ食べ、消化し、血肉にし、死んで土に還るならば何も問題ありません。ですがINVELLは異星生命体であり、地球上の循環に組み込まれていない異物に過ぎません。ステージ6を超えたINVELLの細胞は、全て焼却処分をしています。666トリプルシックスが食べたものは地球から永久に失われ、奴のエネルギーに変換され、自然界に戻るものは何もない。さらに付け加えるならば、INVELLは何でも食べます。それが土であれ、金属であれ、有機物であれ、無機物であれ、例えそれが放射性物質でも、物質であれば捕食できないものがありません。だからこそ、我々人類は戦わなくてはならないのです」

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