2-3 意志の力Ⅲ

 新幹線に乗って、一時間ほど過ぎた頃――。

 鈴音は停車駅の郡山駅からの乗客に目を奪われた。

(――あの人、ハンター? いや、女性だからハントレス……)

 車両に乗り込んできた女性と男性の雰囲気は明らかに常人とは違っていた。その男女は二人組ではなく、完全に別々の者たちで会話等は一切なく、近づくこともなかったのだが、二つの共通事項があった。

 彼らが身に纏う雰囲気とその手荷物。

 二人とも引き締まった顔立ちと肉体。着慣れているとひと目で分かる灰色を基調した都市型迷彩服と自信に満ち溢れた表情。鈴音のように目一杯に詰められたバッグと長方形の大きなキャリーケース。そこに付けられた大きな南京錠がやたらと目立つ。

(間違いなく、あの中身は銃よね)

 キャリーケースを見てそう思う。ハンター等の有名な特権の一つは銃の所持だ。平時有事を問わず、軍用銃さえ街中で持ち歩くことが出来る。

 女性の方は両袖を高く捲り、羽織るように灰色を基調としたデジタル迷彩服を肩に掛けていたが、よく見るとコンビニエンスストアのビニール袋を一つ手に持っていた。

 その彼女は通路を挟んで、鈴音の通路を挟んで反対側の席に場所を決めた。大きな二つの荷物を窓側に押しやり、自分は通路側の座席にドカッと腰を落とす。持っていたビニール袋から五〇〇ミリリットルのビール缶を取り出して素早く封を開けた。プシュッという空気が漏れる音が消えきらない内に、冷えたビールを呷るように喉に流し込む。

「ぷはぁ~~~!! 朝酒、サイコー!!」

 乗る前から既に酔っ払っていたのか、ビール缶を掲げながら大きな声で独り言を零す若い女性。間違っても乙女と言うことなど出来ず、ただ単純に、純粋なまでにオヤジ臭かった。

「んー、なに? そんなに珍しい?」

「!?」

 何もないだろうと無防備に見ていた鈴音の反応はかなり遅れた。

 状況を正しく認識したときには、女性の視線は真っ直ぐに鈴音を捉えていた。

「い、いえ! そんなことないです!」

 無遠慮に見過ぎただろうかと慌てたが、取り繕うにもいい言葉が浮かんでこない。

「そう? とても何か聞きたそうな顔していたけど? 正直に言いなさい。別に取って食べたりしないからね~」

 文字通り、跳ねるように――飛び抜けた肉体能力の恩恵――立ち上がり、そのままの勢いで通路まで越えて、鈴音の隣りに腰を下ろした――ビール缶は離さないままに。

「え、えっと、その……」

 前のめりしても気にも止めない女性の勢いに飲まれて、鈴音の視線と思考が泳いでしまう。

「私、これから前橋に着くまで暇なのよ。それまでは学生さんの質問に答えてあげてもいいわ」

 鈴音の態度を全て無視して、女性は唇の端を大きく釣り上げて深い笑みを作った。その笑みは演技じみていたが、別に敵意はないし、取って食おうというわけでもなさそうだ。

「……そ、それじゃ、本当に質問して良いですか?」

 鈴音は悩んだ。どうすれば無難に離れられるのだろうかと思う一方、もしもこの女性が本物の単独戦闘技術者なら聞きたいこともある。

 前橋まで。と、言った女性の言葉を思い出し、即座に決めた。

 外れでも当たりでも、前橋までの一時間未満の会話に過ぎない。

 当たって砕けても……別に、死ぬわけじゃない。

「うん。いいよ~、可愛い後輩候補にはどんどん答えちゃうよ~」

 さらにビールを呷りながら何気なく放つ女性の言葉で、鈴音は微かに肩を震わせた。

「――ど、どうして、後輩候補って思うんですか?」

 鈴音は頭の中で、今日の自分の言動を思い付く限り全て超高速で思い出す。

 自分はいつ赤の他人に目的が露見するようなことをしたのだろうか?

「あなたがボランティア希望者だってことは直ぐ分かるわよ。私を注視する若い女の子。レズでもなければ、敵でもなく、私の職業に注視してるわけでしょ? かつ、貴女の雰囲気には不似合いだけど、機能性と機動性を重視したファッション。決めては、そのくるぶしまで保護するトラッキングシューズかな。高機能アーバンコンバットモデルのブランドもので、かつ最新モデル。お洒落したい年頃の女の子はそんなものを身に付けないわよ。付け加えれば、普通の女の子が一人で大きなバッグで移動しているなら、何かしらの目的がある。どこかに行って、何かを為す、その為の荷物。そう考えれば、後は消去法。ただそれだけのこと。違った?」

「ち、違わないです……」

 鈴音の理性は警戒レベルを上げるけれども、感情は感嘆に近いものを感じていた。朝からビールを呷る酒飲みには不釣り合いな、強引だが、少し合理的な推理に面食らってしまう。

「あは! そう? そうでしょう、そうでしょう! あはははっ! 私、あなたみたいな素直な子、大好きよ~」

(うわぁ~乗る前から飲んでたんだ、この人……)

 完全な酔っ払いの絡みに腰が引けた。が、窓際なので逃げる場所がなくて、どうしようかと思ったが、まずは女性を確認した。

 女性としては長身で細身の鍛えられた肉体。女性としては相当に筋肉質な二の腕。キリッとして整っている顔立ちだが、ちょっと鋭い目付き。長い黒髪を乱雑に纏め上げたポニーテールと、鍛えているために出ているところは出ていて、引っ込むところは完全に引っ込んでいる。その為、物凄く腰が細く見える上に胸もお尻もサイズ以上の存在感を主張していた。

 明らかに常人ではなく、軍人や警察に類する職業だと体格だけで感じさせる。

「さっき言ったでしょ~、別にとって食ったりしないわよ」

「え、ええ」

 鈴音にとっては初対面の人のこんな風に絡まれるのは生まれて初めてで、冷静にいなそうとしても戸惑いの方が勝る。心にもない相槌まで打ってしまう。

 だが、女性の方はそんなこと微塵も気にしていない。

「私、如月。如月真琴。当年二十四歳の女性単独戦闘技術者ハントレスやってま~す! ただ今、旦那さん絶賛募集中! あなたは?」

「わ、私は、宮城といいます。十五歳です」

 名前までは言わなかった。まだ警戒心が残っている。それを上手く隠せているとは思えないが、そこまで気にしていたら何も言えない。

「う~ん! 若いわ~! 道理で肌がピチピチよね~」

「そ、そうですか」

 どうして逃げ場のない窓際なんて選んでしまったのか……そんな後悔が鈴音の脳裏を掠める。

「で、質問って、何?」

「え、えっと……」

 急に話題を変えてくる辺り、完全におもちゃにされているのは分かるが、プロに質問を出来るチャンスは貴重だ。

 この機会を逃したくないとも思う。

「あ、あの、ですね」

「ん?」


 直後、如月の言葉を遮るように突如車内に甲高い警報が流れ出した。

「――え!?」

「早いわね……」

「Aアラート発令。Aアラート発令。これは訓練ではありません。繰り返します。これは訓練ではありません。Aアラート発令に伴い、二〇秒後に車両を停止します。繰り返します。Aアラート発令に伴い、一五秒後に車両を停止します。全ての乗客、乗員は着席してください」

「よりにもよって……飲んでる時に」

 如月の唇から僅かばかりの後悔と愚痴が零れた。

「嘘でしょ……」

 僅かに血の気が引いた鈴音も呟いたが、直ぐに思い直す。

 今朝、見送りに来たオルトリンデが何も言わなかった以上、この警報で致命的なことは起きないはず。

 もしも、このAアラートで日本が危険な状態に陥るならば、金髪のメイドは絶対に今日の出立を阻止していたとはずだ、と。

「カウントダウン、スタート一〇、九――」

 予告通りのカウントダウンが車内に流れ始める。

(問答無用の緊急停止じゃないから大丈夫だとは思うけど……昨夜はニュースサイトのチェック忘れてた)

 鈴音は腕時計型情報端末を口元に近づけて「アニー、最新Aアラート情報、検索&報告サーチ&レポート」と囁いた。新幹線内の無線LANを通じ、一瞬にして検索完了。その結果は、女性の流暢な声音で読み上げられた。

報告レポート。昨夜、キリマンジャロ地峡東端に火星のAILハイヴからの隕石弾が着弾。砕けた隕石弾でインド洋を中心に各地で津波が発生中。既に九州・沖縄・伊豆諸島にも津波注意報発令」

「それで……ん? でも……」

「六、五――」

 鈴音の独り言の間もカウントダウンは進む。

「良いね、宮城ちゃん」

「え?」

 不意に声を掛けられた鈴音は、反射的に如月の顔を見た。

「思ったよりは落ち着いているじゃない」

「そう、ですか」

「二、一、〇。車両を停止させます」

 落ち着いた車長の声が聞こえてから直ぐに、ちょっとした衝撃が鈴音の身体を揺らしたのも僅かな時間。時速三〇〇キロ近くで走っていた列車はなめらかにその長い車両を停止させた。

「Aアラートも天気予報と一緒に見ておけばよかった……」

 もう少し詳しく知りたいと思い、腕時計型情報端末で先ほどと同じ検索を行う。少し違うのは関連ワードの自動検索も行ったことだ。検索条件には二四時間以内の更新データのみを表示と絞り込む。

 Aアラートという名称はあくまでも異星生命体が関与する警報の総称で実際には様々な内容がある。津波、地震、火災、隕石などありとあらゆる事象で発令される警報で、これを上回る警報は決して多くない。

「うわ……五個も隕石弾あったんだ。避難は間に合ってると思うけど」

 地球儀のようなデジタルマップで着弾地点も確認――これらの情報は観測所から即座に全世界に開放される――すると、キリマンジャロ地峡のど真ん中に二つ、海岸沿いに三つ表示された。日本には地震としては知覚できるレベルではないが、津波が全く来ないわけでもない。海岸沿いに落ちた三つの隕石弾により、アラビア半島の一部やインド洋では既に高さ数メートルの津波が到来し、甚大な被害が出ていたが死者の数は災害の規模の割にはかなり少なかった。

 さらに関連情報に目を通すと、彼女にとってはよく調べている文字が画面に映った。


コア細胞活性化注意報と単独戦闘技術者ハンター召集令。……今回の隕石弾、全部直撃コースだったんだ……」

 コア細胞活性化注意報も出ているのが目を引いた。

 隕石弾が発射された直後からの警報なのだろうか?

 いや。これの日付は、今日発令されたばかりの注意報と召集令だ。

「――!? 如月さん、もしかして……」

「まぁ、そう思うわよね~」

 少女が口にしそうな疑問を想定しつつ、如月は少し炭酸が抜けた缶ビールを呷った。

「本当は、ハンター召集令はもっと早く発令されていたのでは――」

「否定も肯定もしないかな~」

 茶化しながら、女ハンターは満面の笑みを作った。

 わざとらしい笑みが鈴音の直感を確信に変えた。

 関連情報に素早く目を通す。

 東京湾での自殺問題や、東京湾の掃海艇や回収業者が今まで集めた遺品の返還作業の記事、国防予算の問題、東京湾閉鎖隔壁更新工事問題、単独戦闘技術者等特別資格者の人材難など色々と記事が更新されていた。

 それから一分もしないうちに、鈴音は死ナ川廃棄区画地下ブロックで行方不明になった回収業者の記事を見つけた。

「回収業者五名の遺体、未だ見つからず。って……如月さん! これ四日も前から!? けど、報道されたのが今朝!? どうして……」

「さぁ~ねぇ~」

 誤魔化すように缶ビールを呷る。

「四日も前から行方不明って、もう全員、死んで――」

「そういうこと無闇に言っちゃ駄目だよ。宮城ちゃん」

「す、すいません……」

 間髪入れずに向けられた鋭い視線。その威圧感に鈴音は反射的に謝った。

「けど、まあ、仕方ないよね。普通はINVELLの大増殖パンデミックを心配するものね」

「普通、誰でもそれを考えます」

 若干青ざめた表情で応えた声。

 大増殖パンデミックとは、言葉通りに異星生命体INVELLが爆発的に増殖することであり、それは大災害以上の被害をもたらす異星生命体による災害エイリアン・ハザードの一種。


 Invader from Hell――略してINVELL。

 地獄から来た侵略者。

 人類最初の被害者たちが、得体の知れない異星生命体を表すために付けた便宜上の俗称。やがて全世界に拡散し、学術的な名称を付けられた後も、この言葉は人々に使用されていた。


「怖い?」

「あの、ちょっと……」

「ま、そうよね」

 青ざめた鈴音を余所に、如月は新しいビール缶の口を開けて気にもしない。

 危険に対しての意識の違いに否が応でも気付かされ、鈴音は圧倒されてしまう。

 如月はただの軍人ではない。単独戦闘技術者、通称ハンターと呼ばれる精鋭だ。彼らは最新の強化外骨格に身を包み、驚異的な身体能力と短距離飛翔装置ジェットパックで戦場を縦横無尽に駆け巡り、ビルの谷間すら軽々と飛び越える。彼らの前では如何なる障害物も無意味。さらに卓越した戦闘技術により、戦場跡等で発生した異星生命体を狩り出して、自ら殲滅する。

 正に、一騎当千の強者達。


「いきなり話を元に戻すけど、何を聞きたいの?」

 余りにも流れを無視した、急な話し振りに鈴音は面食らった。

「えっと……あの、パンデミックは……」

「今はまだ推論の域を出ない。それを白黒させるために私たちが召集されてんだから」

「じゃあ、結果は」

「まだ先の話。回収業は取り分を巡っての殺し合いなんて、掃いて捨てる程ある業界だからね。警察も動いてるわよ」

 言えないから言わないのか、それとも本当にそこまで事態が悪化していないのか。今はただの学生である鈴音では正確な判断など出来ようもない。

パンデミックの話題はこれ以上は不毛だろうと思い、鈴音は思い切って話題を変えた。

「あの、女性でハンターになるのはやっぱり難しいですか……?」

 聞く事自体がちょっと間抜けのような気がして鈴音は上目遣い気味に、長いポニーテールの女性ハンターを見た。

「んんんん~~~。それは、ね。宮城ちゃん。とても間違った質問だね~」

「やっぱり……そうですか?」

「そうと思ってはいたけども、それでも質問が口から出てしまったって感じだね~」

「はい……」

 如月は答えを返さずにビール缶をグビグビと呷り、「プッ、はぁ~~~! 生ビールはやっぱ美味い!」と言いながら大きく酒臭い息を吐き出した。

「宮城ちゃんは、さ。どうしてボランティアするの?」

「強制結婚したくないからです」

 鈴音の強い決意か、それとも珍しい単語か。どちらにしろ、酔っ払っていた女性ハンターのだらしなく緩んでいた表情を、多少なりとも引き締めされるには十分だった。

「十五歳でしょ? その年で強制結婚なんて、ありえないでしょう? 無気力無責任無職の独身ニート女への最終罰ゲーム。人類として最後の義務よ、強制結婚は」

 鈴音には質問に対する質問だということを気にする余裕もなかった。

ただ強い決意を瞳に込めて小さく頷いて、少しだけ説明を加えた。

「最終的な結婚は今すぐではないですけれども、お見合いが多すぎるんです。全部、政略結婚と言う名の強制結婚ですけど」

「え、じゃあ…………あなた」

 如月も二十四年も生きてきたのだ。今の時代、世界にはそういう立場の女性が少数とは言え、いることは知っている。

「……あなた、まさか純粋種ピュア?」

 鈴音は「はい」と小さく頷いた。

「はー、こりゃー、驚いたわ……」

 まじまじと鈴音の顔を覗き込み、やがて満足したのか如月は「なるほどね~」と座席に背中を投げ出すように預けた。

「私の同期にも一人だけ純粋種ピュアがいるけど、流石にその年齢ではボランティアに志願していなかったわ」

 如月は考え事でもしてるような神妙な顔付きになったが、喉に黄金色のアルコールを流し込むことは忘れない。それだけは黙々と機械的に、かつ確実に行なう。

 そのまま会話のない数秒が過ぎた後、女性ハンターは不意に思い出したかのように訊いた。

「しかし、よく親がボランティア参加を許してくれたわね」

「いいえ。許可は貰ってません。家出ですから」

 軽妙にすら感じる遣り取りの後、再び無言。静か過ぎる車内はちょっと異様にさえ感じた。

 しれっと返された発言への対応は、アルコールの回った頭では数秒を要することがままある。

 如月はようやく少女の言葉を正確に認識し、思わず声を張り上げてしまった。

「――許可貰っていないなんて! あなたの養育と保護は日本政府の義務でしょ!?」

「だから! ボランティアでポイント稼いで、陸軍高等学校に編入して成人を早める、合法的な家出計画なんです!」

 鈴音にとっては既に数ヶ月悩み抜いて下した結論だ。今さら止める気などない。

「よりにもよって、家出か……」

 如月としては頭を抱えたくなってきた。大人として対応すべきか、女性として対応すべきか、それとも副業の賞金稼ぎバウンティ・ハンターとして対応すべきか。少しだけ思慮を巡らしたが、酔った頭ではまともな結論が出そうにない。

「まず確認するわよ、宮城ちゃん。馬鹿にしてるわけじゃないけど、ボランティアになる意味を正しく理解してる?」

「してます」鈴音の即答に躊躇いは無い。

「ボランティアって、正しい意味は義勇兵。その若さで一応、臨時とはいえ軍属になるってことだよ」

「知っています」

「いろんな制約があって、いろんな理不尽があって、それでも義勇兵になりたいの?」

「なりたいです」

「どうして?」

 軍隊のデメリットを骨身に染みて知っている如月としては、軍人は間違ってもお勧めしたくない職業である。


「早く、一日でも早く、大人になりたいんです」

 言い切る鈴音の瞳に恐れはない。ただ、強固な意志だけがある。


「大人に? 大学に行っても二十二歳で大人になるし、大学院にまで行ったとしても二十七歳には無事に成人式を迎えられるわよ……ああ、それで」

 如月は自分でそこまで言ってから、やっと少女の狙いに気付いた。

「……政府の保護対象外になりたいんだ」

 政府に保護されている間は必ず義務が生じる。純粋種の子供を産めとか、その為のお見合いをするとか。

 しかし、保護されていなければ義務はなくなる。

 少女にとっては極めて煩わしい問題のほとんどから解放される。

「そうなんです! 軍人なら最低でも十八歳で大人になって保護対象外になれます!」

「まあ、確かに保護されている軍人って存在しないわ。いや~、よく考えているわね、宮城ちゃん。確かに、その手段なら文化保護局も人類保存局も国防省に抗議できない。今の力関係なら国防省の一人勝ち……」

「体面的に考えれば、そんなこと、軍隊は絶対に容認できませんよね!」

 純粋種としての特権を甘受しながら軍人と名乗ることは絶対にできない。

 例えるなら、億万長者が国から資金援助を受けながら生活と商売をするようなもの。

 純粋種の最大の特権は徴兵制が適用されないこと。純粋種は志願しない限り、絶対に兵役に就けない。

 そして、兵役に就かないということはINVELLやAILといった異星生命体との戦闘を合法的に避けられる。避けられるどころか、各国の政府や軍隊からの優先保護人員としてリスト入りする。

 人類遺伝子の保存役という、純粋種だけが持てる役目。

 それを保持するために作られた、お金では決して買えない特権中の特権。

 しかし、このような特権を軍人が持っていたとしたら?

 軍隊という組織上、それは絶対に容認できない。

 それを認めてしまえば、軍が内部崩壊すると言っても過言では無い。王族と貴族がこの世を支配していた中世ならばいざ知らず、様々な違いはあれど、民主主義の概念が地球上の多くの地域で普及した今では夢物語だ。

純粋種ピュアの保持は個体数維持が義務であって、生活レベルやら権利やらは文化圏で違うから、その点は生きていればクリアできる、と考えたのね」

純粋種わたしたちにより肉体改造には制限があるけど、ナノマシンや一般薬品系は使用可能だから訓練にも付いて行けるはずです」

「そこまでして、大人になりたいんだ」

「なりたいんです!」

 決意が固いのか、それとも縋っているのか、はたまた両方なのか。

 如月に真実は分からないが、決心した少女の心を折る気はない。

「良いとこのお嬢さんに見えたけど、結構ブッ飛んでるわね」

 そう言う如月の中で、呆れと共に興味が湧いた。

「お嬢さんだなんて言い過ぎです。第一、本当にお嬢樣だったら他に何か手段があったはずなんです」

「自覚はないんだろうけど今後のためには言っておくわよ。あなたの身なりはピチッとしてるし、身に付けているのはそこそこ質の良い物だけだし、大金持ちには見られないけど良家のお嬢さんには見られるタイプよ。両方共犯罪者に狙われるし、ましてや純粋種でしょ。人攫いが真っ先に狙う上物。最悪、成金の資産家辺りに内臓全部売っぱらわれるわよ。気を付けなさい」

「――っ! は、はい」

 観察したつもりがいつの間にか観察されていた――しかも酔っ払いなのに――ドキッとした。単独戦闘技術者というワンマンアーミーもどきになれるのは志願者の五%以下。

 酔っ払っていようが、目の前の女性が強者であることに疑いはない。

「しかし、お見合い結婚がそんなに嫌? 結婚から始める恋愛もあるでしょうに」

 わざと冷やかすような視線を向けて見ると、少女は烈火の如く反論してきた。

「絶対に嫌です! お見合い相手とか言っても非道いんですよ! 政略結婚なら四〇歳バツ三とか、政府が絡んだら今年で一〇歳の男の子とか! 私、家畜じゃ無いんです!」

「けど、それを甘受すれば、最低生活保障レベルじゃなくて中流家庭レベルの生活保障は確定でしょ」

「私にとって、恋愛と結婚は別じゃないです! 地続きのものなんです!」

「そういうタイプか~」

 少女の反応が面白くて、如月はニヤニヤしてしまう自分の表情筋を抑えることが出来なかったし、隠す気も無かった。何よりもその手の気遣いを彼女はしない。

 鈴音は自己弁護のように説明を続けた。

「だけど、義勇兵ボランティアなら一定期間、妾とか愛人とかにもならなくて済むし、結婚は何時かしたいけど、まだ好きな人いないし、今の私にはこれしか確実な時間稼ぎの方法が無いんです!」

「念のために釘を刺すけど、義勇兵は一時的な執行猶予に過ぎないわよ。ほぼ全ての義務が免除される特別資格者には、そう簡単にはなれない。私だって一五歳から目指して単独戦闘技術者に為ったのは二年前。受験資格のための各種資格を取るだけで数年掛かる難関資格よ。ただの軍属ではどうしても限界が来るからね」

「それは……承知しています。けど、まずは数年間の時間を稼ぎ出したいんです」

「はぁ~」

 溜息を盛大に、見せびらかすように吐き出して言葉を続けた。

「そのためだけに、合法的な家出ねぇ~」

「はい」

 如月はちょっと滑稽なくらい悲壮感を漂わす少女に若さを感じつつ、それでもその決意を馬鹿にする気にはなれなかった。若い割にはよく法律や規則関連を調べている。誰かの入れ知恵があったとしても、その人物が力を貸すほどには真剣なのだろうと推測した。

 確かに結婚――特に純粋種の場合の結婚は制度上のことではなく、子供を生むことが絶対義務であり、不妊ならば人工授精や不妊治療が義務としてある。健常人ノーマルの如月は同期に純粋種ピュアがいるから理解出来なくもないが、他の人は理解に苦しむだろう。

 事実、純粋種が持つ各種特権はそれだけの価値がある。

 ビールを一缶飲み終えたところで、如月は可愛い後輩候補になるかもしれない少女との会話をもう少しだけ続けることを選んだ。

 彼女の時間潰しのネタとしては上品な部類に入るだろう。

 飲み干したビール缶をコンビニのビニール袋に戻して、その中から別の缶を取り出して封を切り、ツマミとして買っておいたサラミソーセージまで手に取った。

「まぁ、理由は分かったわ。私はハンターだからそのまま例として話すわよ。ハンターを始めとする特別資格者は軍属になることは知ってる?」

「それは知ってます」

「特別資格の付与権限を持つのは現地政府及び当該政府が管理する正規軍」

「はい」

「けど、義勇兵ボランティアは無資格。特別資格者の特権はない」

「はい」

「強制結婚したくないから、あなたは義勇兵を選んだ。ただ、義勇兵という制度には限界がある。だとしたら、義勇兵のうちに現地軍選抜の特別推薦枠をもぎ取り、正規軍人に推薦されるほど優秀な人材になるか、私みたいな特別資格者になればいい。あなたがどんな特別資格を目指すか分からないけど、どの資格もかなり難しい。さらにその先、一番大事な将来の花婿を見つけなければ先行き不透明な状態が続いてしまう。で、間違いないかな?」

 問答無用に踏み込んできた如月に、鈴音は一瞬言葉が詰まった。

「……特別資格に憧れはありますけど、成れるのと出来るのは別だと理解はしてます。あと、恋人とかも……まだ具体的には……何も」

 申し訳なさそうに小声で答える正直者に、如月はちょっとだけ呆れた声音でアドバイスを言った。

「不安になるのは分かるけど、義勇兵ボランティアの面接で間違ってもそんな言葉を吐いちゃ駄目よ。言葉を言わなくても感情とかは目で伝わるから、ちゃんと相手を睨みつけなさいよ」

「あの、ありがとうございます。けど、睨むというのは……」

「いいから睨みなさい。あなたの本心がどうあれ、義勇兵ボランティア程度の面接試験は意志の強さが全てよ。ハッタリを効かせなさい」

「意志ですか……」

「目は口程に物を言うって諺にもあるでしょ」

「それは知っていますが」

「知っているのと出来るのは別。ましてや相手を納得させるのは、さらに別物」

「……その通りですね」

「だったら、そうしなさい。これでボランティアの面接まで落ちたら、いくら私でも笑えないわ」

「気をつけます」アドバイスを素直に聞くことにした。無駄になることではない。

「あと、あなた、クソ真面目よね」

「え?」

「だぅって、私みたいな酔っ払いのアドバイスも真面目に聞くじゃない」

(自分で言いますか、それを……)

 口に出しかけたツッコミは心の奥に閉まって苦笑いだけを浮かべた。

 だが、如月にとってはそれも些細なこと。彼女は構わずに喋り続けた。

「家出しているのに着崩れ無し、遊んでいる雰囲気はゼロ、髪は染めてないし、化粧っ気もなし。酒も飲めないのに絡み酒にも付き合って、これからボランティアを目指すんでしょ」

「はい」

 まだ成人していないから仕方ないじゃない! と、心の中だけで抗弁する。

 そんなことを十二分に察していながらも如月は声を上げて笑った。

「それだけでもクッソ真面目と言えるわよ。そう言えば行動開始は何時? 今日新幹線に乗っているってことは明後日ぐらいかな」

「そうです」

「最初は身体検査と面接からか……集合場所は変わっていない? 秋葉原?」

「ええ、秋葉原に行きます」

 学力等を測る筆記試験は半年ほど前に終わっており、鈴音はそれに合格している。

「懐かしいわね。近くに朝霞の陸軍高等学校もあるんだから、義勇兵ボランティアポイントを稼いだら思い切って編入したら? 学費免除も不可能じゃないし、きっと時間も稼げるて訓練にも最適だわ」

「そうなんですか」

「あなたも一口、飲む?」

 鈴音は、脈絡もなく突き出された缶ビールに慌てて首を左右に振った。

「――い、いいえ! 飲みません!」

 日本は今でも飲酒は成人になってからだ。成人になるのは通常一八歳。義勇兵ボランティア採用直前に些細な法律違反で水泡に帰しかねない。

「もったいないよ~」

「いえ、結構です」

 一体、何がもったいないのか。含みを残したまま、慌てる鈴音を見れて満足したのか、ニンマリと微笑みながら如月は自ら差し出したビールを呷る。それから再び「プッは~~~!」とアルコール臭い息を振りまいた。

「さぁ~て、ナーバスになっている後輩候補を、あんまりいじるのは可哀想だから席に戻りますか」

「そ、そうですか」

 鈴音は慣れないアルコールの匂いに辟易しながら、それでも頑張って微笑む。

 これぐらいは演技できないと、この先生きていけないと自らを鼓舞する。

「最後に一つ」

「なんですか?」

「さっきのAアラート、どう思う?」

「どうって言われても……隕石弾の被害が大きくなくて良かったなと思います」

 隕石弾による津波の死者は最大でも二桁にいかない程度で済むはずだ。

「そう……ね。普通は、そう思うわよね」

 如月は言葉を一旦切った。

 そして、先程までとは打って変わったように暗い声音で低く呟いた。

「本当はね、キリマンジャロ地峡に二発しか直撃弾がないことが大問題なのよ」

 誰に聞かせるのでもない、質問も許さない独白のような呟き。

「どうして……ですか?」

「ゴメンね。ちょっと、私らしくない愚痴を零しただけ。宮城ちゃんが目的を果したならば、知ることになるわ」

「そう成れるように頑張ります」

「あと、もう一つだけレクチャーするわ」

「?」

義勇兵ボランティア、どうせ横浜横須賀戦線の掃討戦に参加するんでしょうけど、東京圏は廃棄区画の死ナ川と隣接している上に、今も東京湾では回収業者が命懸けの日々を過ごす日本最大級の戦場跡だってことは理解しているわよね」

「はい。勿論です。日本有数の緩衝地帯ですから……」

 鈴音は、小学生でも知っていることを、どうして軍人を希望する自分に強調するか不思議で首を傾げた。

「ここから先、あなたが目指すところは、自分の身は自分で守る場所よ。忘れないで」

「はい。忘れません」

 その遣り取りを最後に、如月は自らのメールアドレスを鈴音の情報端末に送信してから席に戻った。彼女としてみれば鈴音の連絡先はいらない。あくまでも少女は後輩候補に過ぎない。席に戻った如月は数分もしない内に熟睡し始めた。

 鈴音は気分を変えようとワイヤレス・イヤホンを耳に挿して音楽プレイヤーを起動させた。

 流れ出した音楽は男性ボーカルが歌う、ポップ調の恋愛ものだった。

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