1-1 旅立ち前夜
人類歴二九八年七月一三日 二一時二三分
日本国宮城県仙台市郊外
仙台市郊外に住む少女――宮城鈴音は手紙を書くのを止め、溜め込んだ吐息を吐き出すように一息吐いた。
そのまま自室の窓から初夏の夜空を見上げた。
人の少ない土地だから見える無数に光る天の川の星々。
その星々が煌めく夜空に、ちょっと目を引く衛星があった。
互いに向かい合う、大小二つの三日月。
かぐや姫が帰った。と、お伽噺に書かれた月の形は様変わりしていた。
片方は綺麗な曲線で上弦を描き、片方は歪な下弦を描く二つの三日月。
その周囲に煌めく光輪は、太陽の光を受けて輝く月の欠片。
今夜はやけにそれが神秘的に見えた。
大きく開けた窓から流れ込む少し生ぬるい夜風が入り込むと、それは少女の肩ほどの高さで切り揃えた黒髪を梳き、首筋を優しく撫でた。それが無性に心地よく感じて、少女は微かに身体を震わせた。
宮城鈴音は今年で一六になる。
少女を花で例えるならば、赤い大輪の華を咲かすハイビスカスの蕾と例えるのが相応しいだろうか。一六〇センチを少し超えた、平均より少しだけ高い身長と、無駄肉のないスリムな体。モデルのような小顔と高い等身。有り得ないほどにバランスの取れた端正な顔立ち。活発さと冷静さを宿した、意志が強そうな大きな瞳に切れ長に整った眉毛。肩のほどの長さで綺麗に切り揃えた黒髪。その容姿は同性からも可愛いと評されるには充分で、大人達からは将来必ず美人になると言わせるだけのものがあった。
全体的に年齢より大人びて見え、それでいて時折幼く見えるのは少女から大人へと変わり始める年頃だからだろうか。しなやかな足と柔らかそうな曲線を描く胸や、抱き締めたら折れそうな細いくびれ。発育の良い身体と、芯の通った印象を強く与える姿勢の良さ。
嫌が応にでも、男に女として意識させる早熟の少女。
見る者に大人びた印象を感じさせる少女だったが、それとは裏腹にアスリートのように引き締まった身体を持ち、それは陸上や水泳などの競技者に近かった。
彼女の自室は今では珍しい
彼女は隅に可愛い動物が描かれたお気に入りの便箋に己の思いを書き認めていた。
『私、
永遠のお別れではなくて、一時のお別れ。その証拠として手紙を書いている。
敢えて、少女が自筆で残すにも訳がある。犯罪に巻き込まれたわけではなく、自分自身の意志だと明確にするためと彼女なりに考えた結果だ。
少女は父親と二人の姉は、自分に対してなんだかんだと小言を言いつつも過保護だと自覚している。
それでも、この家を出ていくと――家出を決めた。
親しい友人たち宛てにはビデオメールを録画し、親姉妹には手書きの手紙を
鈴音が何気ない風を装いながら家族との夕食を済ませ、自室に入ったのが夜の八時過ぎ。それから一時間ほど手紙を書いている。不意に、一三歳の誕生日にもらった腕時計型情報端末を見ると既に九時を超えていた。
明日の計画を考えるともう寝ないと。と、思い始めた頃、廊下から足音が響いた。
その直後に部屋のドアがノックされ、鈴音は驚くことなく来訪者を向かい入れた。
「どうぞ」
彼女の家に暮らすのは祖母と両親、長姉家族と次姉と鈴音本人、そしてメイドのみ。必然的に彼女の部屋にノックしてから入ってくるメイドは、ただ一人しかいなかった。
「失礼します。鈴音樣」
「オルトリンデ、どうしたの?」
鈴音は椅子を座ったまま回転させて、入ってきた人物に正対した。
少女の部屋に入ってきたのは、金髪碧眼で絵に描いたような美貌を持ち、産業革命前のイギリスで使用されていたような地味なメイド服を着込んだ美女。女性にしては長身で、身体の曲線は出るところは出て、引っ込むべきところは引っ込んでおり、その上有り得ないほどに容姿端麗。肌は陶器のように白く、金色の髪は光るように輝き、青い瞳に陰りなど存在しない。
彼女の容姿を言葉で伝えるなら誰もが麗しいと言い表し、しかしそれでは正しく伝えきれないと歯痒く思うだろう。
それほどの美貌の持ち主にして宮城家専属メイド、オルトリンデ・リーゼンブルグ。
彼女は頑なにメイドとして振る舞っているため、年下の鈴音も呼び捨てで接しているが、少女にとっては大事な家族の一員――それも三人目の姉のような人物だった。
何でも出来る完全無欠に等しい家政婦は、静かに明日の行動予定を確認した。
「予定通り、明日は東京に向かわれますか?」
「勿論。予定通り、かつ計画通りに」
訊かれた少女が答えたときに胸を張ったのは、虚勢でもなく、本気で誇らしい気分だったからだ。
遂にここまで来た。
高揚感に似た感情で胸を満たした十五歳の少女――宮城鈴音は少々舞い上がっていた。
少女は、明日から己の運命を自力で切り開く。
その闘志を燃やしていたからこそ生まれた高揚感。
「では、これを」
仙台を出て、単身で東京に行くと宣言する少女に、家政婦であるオルトリンデは驚きもしなかった。それも当然かもしれない。彼女は、少女の合法的な家出を手伝ってくれた数少ない協力者なのだから。
金髪碧眼の家政婦はいつものように静かに――生まれてから今日までの鈴音の人生の中で、騒がしいオルトリンデは見たことがない――近づいてくると何かを差し出すように右手を伸ばした。鈴音も何かと思って同じように右手を差し出すと、オルトリンデは少女の掌に小さなペンダントを握らせた。
「……これは?」
少女の手の平には、鈍い銀の色合いで表面の処理も地味な三センチほどの金属製の菱形ペンダントがあった。飾り気が欠片も無いそれは間違っても
鈴音は装飾性と実用性に首を傾げた。使用目的があるものだろうか?
それとも、実はこれが御めかし用なのだろうか?
少女の怪訝そうな表情を見て、宮城家に住み込みで何十年という家政婦はその疑問に答えた。
「それは私の誓いです。万能ではありませんが、鈴音様の役に立つでしょう」
「誓い?」
大仰な言葉にびっくりして、鈴音は思わず眉を顰めてしまったが、オルトリンデは何時ものように気にせずに喋り続けた。
「詳しい説明は無駄なので省きます。ただ、私からの手放してはいけない、真心の篭った贈り物と認識してください」
「うん。分かった」
いまいち説明になっていないのだけれども、真剣なオルトリンデの眼差しで否が応でも大事ものだということだけはよく伝わった。
「ありがとう。オルトリンデ」
「どう致しまして。くれぐれも申し上げますが、それは決して手放してはいけません。それこそ入浴中でも、です」
「それじゃ汚れちゃうよ」
鈴音は早速貰ったペンダントを首に掛けた。大きすぎず小さすぎず、しっくりくるサイズで丁度良かった。日常生活で邪魔になることはないだろう。それでも入浴中まで付けておくのは流石にやりすぎだと思う。
「その程度でどうにかなるようなものを、鈴音様にはお渡ししません」
同性でさえ綺麗と認めざるを得ないほどの美貌から射るような視線で言われると、まだ女としては半人前の身ではとても反論しづらく、「うん。分かった」と取り敢えず応えた。
「私は貴女様なら出来ると信じています」
オルトリンデが鈴音と視線を合わせながら静かに言う。
それはまるで巫女の神託か、預言者の忠告のように確信に満ちた宣言。
その口調で、鈴音は唐突に、だが鮮明に亡き祖父の事を思い出した。
「私も、お爺ちゃんと……同じように?」
鈴音にとって祖父の思いではそれほど多くない。
それでも年齢からは想像も出来ない程の清々しさと、しっかりとした背中姿だけはよく覚えていた。
「ええ。我がマスターと、同じようにです」
オルトリンデの言葉に揺らぎはない。
近所には、彼女のことを感情の揺れがなく機械的だと口さがなく陰口を叩く者も居る。
それらを全て承知した上で、宮城鈴音はオルトリンデの言葉は絶対的な確信だと理解した。
家政婦の言葉だけで、少女は力強く励まされた。
「ありがとう。そう言ってくれるのはオルトリンデだけだね」
少女の口調が少し愚痴っぽくなるけど仕方がなかった。残念ながら、これから家出をしようという鈴音を前向きに励ましてくれたのは、メイドのオルトリンデしかいなかった。
しかし、だからこそ、宮城鈴音は闘志を燃え上がらせたとも言えた。
未来は決まっていない。
それだけを固く信じている。
(まだ成人すらしていない私の未来が決まっていて堪るもんか!)
その一念だけで、彼女は厳しいトレーニングに耐えて明日の準備をしてきたと言っても過言ではなかった。
「嘘は言いません。私は信じるに足る可能性があると確信しているだけです」
「また、その妙に難しい言い方するしー」
鈴音はそう言いながら笑った――だが、上手くは笑えなかった。
少女はオルトリンデが心意気と選択を認めてくれるのが嬉しくて、だけど、そんな人と離れ離れになるのが悲しくて涙腺が緩んだ。大口叩いた割にはこんな様なのが恥ずかしくて、涙で歪んだ視界を元に戻そうと目尻を擦ったときは、鈴音はいつの間にか優しく抱き締められていた。
「…………いってらっしゃい。私の可愛い鈴音様。秋葉原で、必ず機族と合流するのですよ」
包み込むように頭を優しく撫でてくれる手の優しさで、少女は目を瞑った。
寂しさがないと言えばそれは嘘で、不安がないと言えば強がりで、躊躇いがないと言えば浅はかで。
(それでも
「うん。分かった。行ってきます」
決意とともに笑顔を作って、鈴音はオルトリンデを見上げた。
優しい笑顔は変わらないまま、瞳にだけ寂しさが浮かぶ金髪碧眼の美女。
(彼女に、私はどう見えるのだろう)
他愛のない疑問が少女の脳裏に過ぎった。
それから少しの間、互いに抱き合ったまま無言で過ごした。
会話のない時間がどれくらい過ぎたのか分からない。
だが、それは唐突に終わりを告げた。
「――で、私は何時までここで待てば良いのかしら? オルトリンデ」
「凛はもっと早く声を掛けてくるものかと持っていましたが、今宵はやけに消極的ですね」
「お婆ちゃん!?」
びっくりして飛び上がりそうになる鈴音を優しく抑えながら、宮城家に仕える金髪メイドは主の孫に「大丈夫ですよ」と囁いた。
「え、でも、計画が!?」
小声とはいえ狼狽に満ちた声が漏れてしまう。失態に気付くがもう遅い。そのまま下唇を噛み締めて俯いた。
それでもオルトリンデは「大丈夫」と言って鈴音に微笑んだ。
信頼するメイドの一言で、宮城鈴音は恐る恐る祖母へと目を向けた。年老いて、なお綺麗で、若い頃はさらに綺麗だったと思わせる祖母。
名が体を表すように、凛とした雰囲気を身に纏い、少女の祖母は再び部屋のドアをこれ見よがしにノックした。切り揃えた黒い前髪と地味ながらも質の良い着物を着込んだ少女の祖母は、華道か茶道の師範をしている品の良い淑女にしか見えない。
だが、それも軍から支給されている最上級の老化抑制剤が理想的な効き目を発揮している結果だ。祖母が見知らぬ人には決して年齢を言わないことも知っているので、鈴音も他人に「薬が良く効いているから」と暴露したことなど一度もない。
そのような愚行を行えば、どのような報復が待っているのか。孫ですら考えたくない事柄である。
「家出を完璧に隠し通せていると思っているのは、鈴音様以外いません」
「本当、我が孫ながら抜けてるわね」
「――え、なに、それ」
呆気に取られている鈴音を他所に、六人もの孫に恵まれた、若作り過ぎる祖母は何事もないように口を開いた。
「これ以上、野暮なツッコミはなしね。それよりもオルトリンデ。私がやる役をなに横取りしてるのよ」
外では淑女らしく振る舞う鈴音の祖母も、数十年の付き合いである戦友と話す時は心まで若返ったように親しさに溢れた言葉遣いになる。普段との落差に、孫の鈴音ですら戸惑うことが多々ある。
「こういう事は早い者勝ちです」
金髪碧眼のメイドは、ちょっと勝ち誇ったような口調で軽く鼻を鳴らした。
「なに馬鹿なことを言ってんのよ」
凛はそう言いながら部屋に入ってくると、オルトリンデから引っ手繰るように鈴音の頭をしっかりと抱きしめた。
(――うぐ。首が痛いよ、お婆ちゃん。今、首がコキッて鳴ったよ!)
鈴音としては抗議の声を上げたいが、いろいろと藪蛇になりそうなのでグッと我慢。
「鈴音、家出は止めないわよ。好きにしなさい。ただし、ここが貴女の家。ここが貴女が帰る場所。チャレンジして、失敗したり、挫けたりしたら、この部屋に戻ってきなさい。そして、もう一度、力を蓄えて羽ばたきなさい」
「お婆ちゃん……」
(――最初から家出のことを知っていた……?)
鈴音の心に浮いた一念が無意識に視線をオルトリンデへと向けさせたが、鈴音を赤子の頃から見守ってきたメイドは浮かべていた笑みをさらに深めた。
「鈴音様の新たなる出立の協力者は二人。私と凛です」
「いろいろ知恵を絞って頑張る姿は、我が孫ながら可愛いものよね」
「そんなぁ……」
鈴音は形の良い唇から情けない声音を漏らし、全身からガックリと力が抜けた。そのまま祖母に身体を預けてしまう格好になったが、もう見栄を貼る気にもならない。数ヶ月掛かりで両親と二人の姉に露見しないようにと、本人的には綿密かつ緻密に細心の注意を払って準備してきたつもりなのに、残念ながら完璧ではなかった。
「安心なさい。お父さんへの説得はお婆ちゃんが手助けしてあげる」
「お婆ちゃん!」
最大の難関である両親への説得を家長である祖母が手伝ってくれるなら物凄く助かる。
「ただし、一週間に一度は絶対に連絡しなさい。お婆ちゃんでもオルトリンデでも誰でもいいから、この家に連絡を入れること。それが条件よ」
「うん。分かった!」
勢い良く返事して今度は鈴音から凛に抱きついた。少女は自分から抱きつくなんて何年ぶりだろうと思いながら甘えると、祖母は「やれやれ」と苦笑を浮かべながら、それでもとても嬉しそうに孫の頭を撫でた。
「凛、鈴音樣。感動的なシーンに水を差すようですけど、もうお休みになるべきでは? 計画通りに始発の新幹線に乗るためには明日の三時には起きる必要があります。当然、私がメイドの勤めとして起こしに参りますが、家出当日に他人に起こされるのは、人生の旅立ち、始まりの朝としては見栄えが良いものではありません」
「鈴音。己で人生を切り開いて行く気なら、ちゃんと起きれるわよね?」
「うん」
確かに家出する日の朝から他人の世話にはなってられない。鈴音は祖母を抱きしめていた両腕を解くと、書き上げた便箋は封筒に入れて封をするとオルトリンデに預けた。
念の為に
「本当に甘やかし過ぎたわね」
「私もその点だけは少し後悔しています」
孫の遺書を受け取りながら苦笑を浮かべる宮城凛に、オルトリンデも同意した。
「だから、私は家出するのよ!」
今まで庇護してきた少女がムキになって喚くと、二人揃ってやれやれという表情を浮かべた。
「期待しているわよ、鈴音。頑張りなさい」
「私も、鈴音様が婿養子殿を確保することを期待しております」
「――もう! 私は絶対に目的を成し遂げて、この家に帰ってくるんだから!」
その後――。
鈴音がベッドに入り込むのを横目で見ながら、凛とオルトリンデは孫の部屋から出た。
二人並んで木造屋敷の中庭まで静かに歩き、無言のまま縁側に腰を下ろす。
それなり以上の歴史を持つ血筋で、かなりの社会的地位を持つ宮城家の屋敷は、なかなかに大きい。屋敷の造りは伝統的な日本の武家屋敷。それ故にしっかりとした作りの日本庭園もある。欠けた二つの月が映る中庭の池には絶滅危惧品種の錦鯉が泳ぎ、昼間の暑さを微かに残す中庭の空気に触れながら、宮城凛は月を見上げた。
その昔、一つの丸い衛星だったという月を彼女は見たことがない。
宮城凛が生まれる前に、月は欠け、二つに割れていた。
「鈴音が生まれて、もう一五年も過ぎたのね……歳を取ると一年があっという間に過ぎていくわ」
呟くような、その独白にも似た言葉。
金髪のメイドはそれを無視するようなことはしなかった。
「それは命の移り変わりを体験しているという贅沢ですよ」
「いつまでも綺麗なままの貴女に言われてもね」
記憶の中にあるオルトリンデは今も昔も変わらない、身に付けている服はお互いに様変わりしたが、彼女の細くて流れるような金の髪も、透き通って輝くような青い瞳も変わっていない。強いて変わったといえば、以前に比べれば肌が微かに日焼けした程度かもしれないが、それは淑女とメイド本人にしか分からない極めて微妙なものだ。
「老い無き人生というものも、寂しいものです」
「安心して。少なくとも私の命が尽きるまで、貴女がいる場所は私の隣。尤も既に宮城家自体が貴女の居るべき場所よ」
「ありがとう、凛」
オルトリンデも凛と同じように二つの月を見上げた。
「貴女と出会ったのは、下の月の宇宙港だったわよね」
不意に、凛はオルトリンデと初めて出会った時のことを口にした。
「マスターと出会ったのは、上の月でしたね」
それから少しの間、二人は無言で過ごした。
二人の視線は、星の煌きに包まれた二つの月、月明かりに照らされるの日本庭園、そして孫娘がいる部屋の方向へと向いた。
「本当に良いのですね? 凛」
僅かばかり、彼女の声に遠慮が混じっていたのは気の所為ではないだろう。
「オルトリンデも鈴音を止める気はないでしょ?」
即座に返ってきた問いは淑女の意志の強さの表れでもあった。
「ええ、マスターの血を引く者が決めたのです。私は必要とされる助力を完遂するのみ」
メイドの返答にも躊躇いはない。それが定めだと言わんばかりに言い切った。
「じゃあ、十二司書としては、どう?」
「それは可能性の問題です。ただ、鈴音様にも可能性があるのは確かです」
「鈴音の
「それには私も同意します。余計なことは……確かに、余計すぎました。あれがなければ鈴音様も家出なんて計画しなかったでしょう」
「相手が高貴過ぎる血筋とは言え、孫が正妻候補じゃなくて妾候補となれば……祖母としては本人の意志を尊重せざるを得ないわ」
その後に「義務なんて全て投げ捨てても、ね」と今年で六〇歳になる宮城凛は零すように続けた。
「追加でセッテイングしたお見合いまで失敗したのは痛手でしたね」
その言葉とは裏腹に、オルトリンデは軽い調子で相槌を打った。
「六年も待てば、あの子好みになる男の子だと思うんだけどね」
彼女も孫娘のお見合い相手を選びに協力したが、その相手は今年で一〇歳になったばかりの男の子だった。
「鈴音様に年下趣味が無かったのは喜ばしいのか、不幸なのかは分かりかねます」
年の差は別にしても、宮城鈴音とそのお見合い相手が共に結婚というものに、大して具体性と必要性を持たずに出会ったのは致し方がなかったのかもしれないとオルトリンデは思う。
当然、お見合いの結末は頭脳明晰過ぎる彼女にしてみれば予見し切った出来事であり、それを変えることもお見合い前ならば決して不可能ではなかったが、金髪のメイドはマスターの孫娘の意志を最大限に尊重することを選んだ。
「あの子は純粋に恋愛がしたい。そうして愛し合った男と夫婦になりたい。それを我慢させるのは流石に酷だし、そんな若い孫娘に無理矢理お見合いを続けさせるのも無理があるしね」
「それには同意します。鈴音様は見かけ以上に強情ですから」
「私に似たのかしら」
「凛だけではないです。マスターにも似ています」
「じゃ、遺伝的には当然の結果?」
「さらに環境と教育も強い意志を持たせるように私が整えた以上、それは必然です」
「やりたいことをやることが幸せに繋がるとは限らないのにね」
「本当にやりたいことが出来ないのであれば、人の心には――特に若者の心には後悔しか残りません」
「それもまた真理よね。オルトリンデ、貴女にとっての幸せは何?」
「振り返った時に幸せだったと思い出せる出来事、そして、その集合体――良き思い出の全て」
「私もそう思うわ」
同意しながらも、宮城凛は小さな溜息を漏らした。
「本当は恋愛なんて心の持ちよう一つだから、こだわって欲しくなかったんだけど……」
仕方無いわよね。と、孫が六人いる淑女は笑った。
「私には、それが絶対に理解できません」
それを即座に否定する金髪碧眼の美女。
付き合いが長い宮城凛とオルトリンだったが、恋愛観に関しては同一ではなかった。
分かり切った会話の結末なので、特にいがみ合いも何もない。
ただ、お互いに目を合わせて、変らないわねというふうに苦笑を浮かべた。
「人類が滅亡寸前まで追いつめられたら、あの子は
「
「母体としては?」
「鈴音様以外に適任者がいなければ、代理母としての任務を完遂するでしょう」
凛は長年連れ添った機族から視線を逸して、今も二つの月が輝く夜空を見上げた。
「本当は、そんな可能性自体をこの世から消し去りたいのだけど……私には無理だったわ」
彼女は初めての子を身籠る数年前、今を作り出すために月よりも遠い戦場へ赴いた。
あの時、背中を預けた戦友は今も変わらない姿で隣に居る。
「私たちは半世紀近く、子供を成人前に戦場に送らないで済むだけの時間を稼ぎ出しました。これ以上の時間稼ぎは、次の者たちに任せるしかありません」
「そうよね」
着物の淑女と金髪のメイドはもう一度、自分たちが青春時代を過ごした夜空を懐かしげに見上げた。
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