16話 噛むなよ、アイドルじゃん

 そして日曜日。月夜野と約束の日の十時。時間通りにお行儀よく自宅のチャイムが鳴った。

「時間ピッタリだな。流石は、月夜野、ポンコツなくせして、変な所は、真面目なんだな……はいー!今開けますよー!」

俺は、家の扉を開けると、そこには、普段の瓶底メガネを外し、ふんわりとした明るい色のワンピースにブラウスを着て、しっかりと化粧をした月夜野が、手にお茶菓子を持ち、やけに緊張し玄関の前に立っていた。

「お……おはようございます!沼田先輩!みんなのアイドュォル……アイドル!日和ちゃんがやってまいりましたよ!」

あ、噛んだね。人の家に入るだけでどれだけ緊張しているんだ月夜野は……

「あ、うん。分かった。入っていいぞ」

「そ……素っ気ない態度!こんなに頑張っておめかしまでして、渾身のギャグまで言わせてスルーですか!」

「いや、噛むほど緊張している後輩に、俺は、先輩としてなんて言えばいいんだ?今日は、いつもと違ってかわいいな、もしくは、自爆系アイドル乙とでもいえばいいのか?」

しょうがない、俺は、残念なことに友達が多い訳ではない。いないわけでもないが、リア充の様にリアルが充実しているわけでもなければソフィアの様に自分の世界を持っているわけでもないのだから、この場で、一番、月夜野が安心できる回答を出来る訳じゃないのだから……

「……うう、先輩に褒められようとか考えていた私を殺したい」

「いや、殺すなよ」

「あー、おにいちゃんがカノジョつれて来たー!うわきだ!テレビでやってたしマンガでもよんだ!みのほどしらずー!」

そして、見たい日朝アニメが終わったのか、ウサギの着ぐるみパジャマを着た紫がリビングから出てきて、騒ぎだす。うん、今度、本当に紫の教育に悪いものをしっかりと見極めないといけないと感じた。

しかし、そんな紫を見た月夜野の表情は、とろけきっていた。

「か……かわいい。なんか、とんでもない誤解をされている気がしますが、そんなことが気にならないほどかわいくて死にそうです!わ……わたす!月夜野日和って言いまふ!お……おお嬢ちゃんのお名前は、なんですか?」

あまりの緊張ぶりに、不審者になっている月夜野。うん、普通なら、彼女とか言われたところを突っ込むだろうが、そんな思考力は、紫に奪われているだろうが……

「可愛いのは、分かるが、死ぬなよ。なんだ、俺の後輩は、自殺志願者なのか」

「私は、紫だよー!六歳のおねえちゃんです!よろしくね、おねえちゃん!」

満面の笑みで自分の年齢つきで頑張って自己紹介する紫。この場にカメラがないのが惜しまれる。そして、紫の可愛さにやられたのか、月夜野のテンションはおかしくなってきていた。そして、さりげなく、紫に抱き着くな。

「沼田先輩。この子をお嫁に貰います。異論は認めません。カモン!ハイエース!」

「はいえーす!」

「紫に変なことを教えるな!ただでさえ、覚えたての言葉を使いたがる年なんだから!それと、嫁には、やらん!俺が、紫を嫁に貰うからな!」

「沼田先輩……一人っ子の気持ち、わかりません!帰りますよ、紫ちゃん!」

「紫は、置いていけ!あと、今帰ったら、月夜野は、本当に何をしに来たってなるぞ!演技の練習するんだろう!」

結局、この後、俺と月夜野の紫を巡った争いは、十分ほど続き、お互い、演技の練習をする前から、どっと疲れてしまった。


「結局、紫が、昼寝するまで遊んでしまいました……今からだとあまり、練習できなさそうだ」

「すみません、沼田先輩……少し、私も自分を見失っていました」

あの後、結局、紫の面倒を見たり、月夜野の手料理……と言っても焼きそばを食べたりしてしまい、演技の手伝いをするのは、紫が昼寝を始めた三時過ぎとなってしまった。

「しょうがない、紫が可愛いのが問題なんだ……と、また紫トークになってしまう所だった。さて、月夜野さっそくだが、台本を見せろ」

「早速ですね……ですがなぜ台本を?先輩は、私の演技を見て評価してくれるだけでいいのに」

首をかしげる月夜野だったが、あれ、演技の手伝いって、俺も一緒に演技をするのではないのかと思ったが、どうやら月夜野は見てもらうだけでよかったらしいが……

「いいから、演技には相手役がいた方がいいだろう?」

「そうですが……沼田先輩が乗り気すぎて怖いです。うぅ……なにか企んでいますか?私が魅力的なのは、分かりますが、濡れ場はないですよ、この演技」

「企んでないわ!期待もしていないわ!この卑猥後輩!」

怪訝そうに俺を睨み、自分の体を腕で抑え隠す月夜野……いや本当、俺って月夜野にどう思われているのか一回聞かないといけない。

「……そうですか。そうしたら、一応、オーディションでやるシーンの台本です。一応今回は、原作があるやつなので、先輩でもなじみやすいとは思いますが……知っています?下町ソレイユの恋物語……って一般小説なのですが」

「読んだぞ?というか、実写化するのか」

俺が、部活探しをしているという名目で、図書室に引き籠っていた時にみどりに勧められ読んだ本の一つ『下町ソレイユの恋物語』は、東大卒の堅物知的ニートのヒロインが、した町工場の中卒男と恋をする物語で、直木賞も取った有名作品だが……月夜野の渡した台本の表紙には、想像もしない役名が書いてあった。

「花町太陽……おまえ、まさか、この知的メインヒロイン役のオーディションを受けるのか……まじかよ、やめた方がいいんじゃないか?お前とは真逆だぞ」

「しょうがないです!私も、この小説が大好きでやりたいと思ったのですから!それにこの作品は、思い入れの多い作品なので……。それに、私がやるのは恐れ多いのも知っています!」

花町太陽、この作品の主人公兼メインヒロイン。知的キャラが売りなのだが、お馬鹿系アイドルで有名なhiyori、そして、私生活では、中々のポンコツぶりを見せる月夜野とは、真逆のキャラクターであるが、月夜野がこの役をやりたいという目は、本気だった。

「本気なんだな?」

俺は、最期の確認をした。素人の俺でもわかる。この役は、月夜野にとって大きな試練になる。並大抵の覚悟では、できないのだから。

「本気です。私は、この役をどうしてもやりたいです。そのためなら、どんな手段だって使います。なので、お願いします」

「分かった。台本を貸せ。時間貰って読み込むが良いよな。空いた時間は、月夜野も台本を読み込めよ。俺なんかが、どこまで役に立つかは、分からないが手伝う」

「ありがとうございます!」

嬉しそうに俺に台本を手渡すと言っても本は、一冊なので、一冊の本を隣同士で座り、台本を読み込むことになった。

 そして台本の読み込みをしたが、オーディションのシーンは、中卒の町工場男……慎太郎に太陽が、告白をするシーンである。演技をするのにも恥ずかしさは、あったが、関係はない。

手伝いなのだ。俺は、引き受けた仕事の為、手は抜かなかった。

「太陽……どうした?こんな夜更けに……明日は、面接だろう。帰って早く寝ないと……」

「面接なんかより大切なことを見つけたのですよ。それを蔑ろにして、面接に行けるほど私は、器用じゃないです」

慎太郎は、ぶっきら棒ながらも、妹の様に思っている太陽を心配する。そう言う男だ。このシーンで太陽は、フラれるのだが、それによって、慎太郎が太陽を妹ではなく、一人の女性として意識するという序盤で一番いいシーン。俺も泣いてしまったのだが……

「私は……慎太郎に多くのことを教わり、この面接にたどり着けました……けれど、頭にあるのは、面接ではなく慎太郎の事ばかりで……」

俺は、演技を続けようとする月夜野にストップをかける。月夜野は、むすっとし、演技をやめるが、明らかに不満そうな表情だった。

「む……今、中々調子が良かったのに……どうして止めるのですか先輩。私、演技に関しては、そこまで苦手意識がないのですが」

確かに、月夜野の演技は、上手い。しかし、欠点が一つだけあった。

「なあ月夜野、ソフィアを屋上に呼んだ時に頼んだ時もそうだが……おまえ、真面目過ぎ。普通にやっていれば、確かに失敗はしないかも知れないが、予想外なことがあると慌てるし、ポンコツな素が出てくるだろう。今のままじゃ、絶対に太陽役には、合格できない」

「ですが、これは、演技です。イレギュラーなことなんて起きるはずありません!」

そこだった。月夜野は、演技がうまいが、それは演技であり、太陽の演技をするhiyoriでしかなかった。太陽という女の子は、彼女の演技には、居ないのだ。

「月夜野……これは、確かに演技かも知れないが、作品の中には、確かに花町太陽っていう一人の女の子が生きているんだ。彼女の思考、生い立ち、精神構造を無視した、だの演技なんかじゃ素人は騙せても絶対にプロの目は、騙せない」

「うぐ……先輩だって、素人なのに」

「何を言う、俺は、中学の学芸会で書いた脚本が学芸会金賞にも選ばれた男だぞ」

「が……学芸会ですか。うぐぐ、素人じゃないですか」

まあ確かに、素人だ。中学の学芸会なんてただのお遊びかも知れないし、例え、そこで俺が脚本で金賞を取ったとしても、それは、素人以上アマチュア以下程度の実力しかない。

「けど、そんな素人の俺にも見破られる演技じゃ、絶対に、受からないぞ、オーディション」

「うぐぐ……そうですが……ですが、恋愛なんてしたことないですよ……私」

「別に、どうだっていいんだよ。そんなの……例えば……ほら」

俺は、そう言うと、何も言わずに月夜野抱きかかえ、お姫様抱っこをした。うん、女の子ってなんでこんなに軽いのだろうか……。

「ぬ……沼田しぇんぱい!なにをしなさっちょるけんですかい!」

うん、我ながら、女の子の気持ちを考えないデリカシーの無さは、認めます。うん、しょうがないよね?後輩に演技とは、教えるためにする行為だもの。顔を赤くして噛みまくり、なにを言っているか分からない位に月夜野は慌てているけれど下心は、無いですよ。

「ほれ、突然俺みたいな、何の個性もないモブみたいな男に、男らしくされただけで、ドキッとしただろう?」

「いえ……沼田先輩って意外と……じゃなくて!だからどうしたのですか!こんなのドキッとしない訳がないですよ!それに体重だって気になるし……」

「ほれ、暴れるな。演者にとっては、この後何が起きるかは、分かるかもしれないが、登場キャラにとっては、その時起きることの結末なんてわからない。もしかしたら、フラれるかも……こんなことしなきゃ良かったって言う不安が太陽っていうヒロインは、持っているのに、月夜野から感じるのは、上手く演じようという意思が見えるんだよ。もっとなりきって、あくまで演じない。それさえしっかり、やっておけば、お前は、太陽になれる」

「なりきる……演じない……うむむ。分かりません」

お姫様抱っこをされたまま考え込む月夜野。物凄い集中力ではあるので、このまま自分らしい演技が見つかればいいのだが、俺も普段から鍛えているわけではない、お姫様抱っこだって数時間もできる訳もなく。

「つ……月夜野さん?」

「沼田先輩!すみません、何か掴めそうなんです少し待っていてください……」

「一回降りてもらっていいですか?月夜野は、重くないが俺の筋力が持たん」

「そ……そうでした!おります!すみませんでした!大切なことを教えていただいたのに!」

結局この後、月夜野を降ろし、演技について色々聞かれ、素人なりに俺も、一緒に演技について考えた。こうして、時間は過ぎ、最期に通しでもう一度演技をすることになったのは、それから一時間ぐらいたってからだった。

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