第34話 死刑執行

『我が国民よ、神族の恩寵を賜りし全ての者よ! 我らは遂に悪しき魔女を捉えることに成功した! この者こそ八年前の彼の小国の王家の生き残りであり、此度の戦争を招いた張本人である!』


 してやられた――! 大司教国はただ「魔女」というだけでは、処刑する理由として弱すぎるということを理解していたのだ。

 だから先に戦争を起こし、その罪を彼女になすりつけた。

 近隣で戦争が始まっているというのに、レレンテの街がそれほど混乱していなかったのは、実際には戦争なんてほんの小競り合い程度にして起きていなかったからだ。


『この女は八年前、魔界の大帝国グーリアの皇帝に魂を売った者と婚約していた。つまり! この女もまた魂を売ったということだ!』


 違う。そうじゃない。


『グーリア! つまりこの女は、ただ食べるためだけに、ただ自らの腹を肥やすためだけに人間であることをやめたのだ! なんとおぞましいことだろう! 清貧を至上とする我らボスディオスの思想を、努力を! 根底から否定する悪徳である‼』


 清貧? 何が清貧なものか。ならばお前のその醜い腹はなんだ。お前たちのしている略奪のどこに清貧などがあるのだ。

「落ち着いてください」

 引き金に指を掛けそうになる僕の手に、レラジェさんが手を置く。そして首を横に振って、「まだダメです」と暗に伝えてくる。

 分かっている、分かってはいるけれど――!


『本来、魔族に魂を売った者など極刑に値する! しかし神族は慈悲深い。故に! この女の魂を先に冥界へと送り、早々に穢れを注ぎ、彼女の罪穢れを浄めてから刑を処するとご決断なされた!』


 群衆からどよめきが起こる。そのどよめきには一体どんな意味があるのだろうか。歓喜? 畏怖? それとも恐怖? いずれにしたって、こんな娯楽紛いの殺人は間違っている。


『では魔女よ、最後に何か言い残すことはあるか?』


 ライラさんが一歩を踏み出す。こんな状況だというのに、その顔には一点の曇りもなく――彼女は凛と背筋を伸ばし、群衆を見渡した。


「わたくしは……いえ、我が婚約者は、私腹を肥やすために魔族と契約をしたのではありません。我が国は常に貧困に喘いでいた。食べるものもなく、着るものもなく、住む場所すらない。そんな子供たちが絶えませんでした。何故か? それはこの国が、このザングランツ大司教国が税として全てを徴収していったからですわ! あの方はそれを嘆いていらっしゃった! だから契約したのです! 永遠に、食べ物に困ることのない、楽園のような国を! と!」


『なっ! そのような嘘を言うな! やはり貴様は魔女だ! 我が国の民とて苦しいときを耐え忍んで、そうして生きている! 自分だけが幸せを享受するなどと、全ての人間を平等に作られた主の意思に背く大罪であるぞ‼』


「幸せを享受することが罪深いですって? いいえ……いいえ。真なる罪は最低限の幸福すら奪うことですわ。毎日食事に困ることなく、温かいお布団で、戦禍に怯えることなく眠りにつき、一日を終える……それのどこが罪だと言うのです。何故幸せに暮らす人々に罪の意識を植え付けるのです。それこそが大罪であるとは思わないのですか。それは贅沢でも特別な幸せでもありませんわ。それがヒトとして当たり前の生活なのです。それが当たり前ではない、それこそが贅沢だと仰るのなら、間違っているのは世界ですわ。たったそれだけのことを全ての人間が享受できない、この世界こそが間違っているのではなくて?」


『えぇいっ! うるさい黙れ魔女め! もうよい! さっさと刑を……!』


「よくありません! 主は、主は世界の遍く全てを平等に作られた! 主はどの種族も関係なく、全てを愛していらっしゃいます! ただ魔族と契約したからと言って国を滅ぼし、それを正義とする! その方がよほど主を裏切る大ざ……きゃっ……!」


 男たちに押され、引きずられ、ライラさんの身体が崩れ落ちる。その隙を狙って刑務官が彼女を断頭台へと引きずっていく。

 こうなってしまってはレイさんの作戦は実行できないだろう。狙うなら今だ――隣を見れば、レラジェさんも頷く。ライラさんに当たらないように、刑務官の頭を狙い、引き金に指を掛ける。心を静めて、三、二、一――……


 そのとき、断頭台が火を噴いた。


 真っ白な炎はほんの数秒間群衆を照らした後、断頭台の刃すらも蒸発させ、跡形もなく消え去った。


「ぎゃーーー‼」


 そして次に上がるのは悲鳴だ。風が吹いたかと思えば、最初に彼女を捉えていた執行官が、次にその隣に立っていた司教が、その次にはその前の役人が――次々に悲鳴を上げ、背中や肩、腕など、様々な場所から血を吹き出す。


 荒ぶる風が止んだとき、ライラさんの隣には――……


「貴様、その穢らわしい身体でこれ以上彼女に指一本でも触れてみろ。その四肢切り落とし、臓物を引きずり出してやる‼」


 憤怒の炎にその身を包む、僕の主が立っていた。

 レラジェさんが隣で小さく「げっ、義兄上……」と呟くのが聞こえた。


『なっ……ま、魔族だとっ! 民衆よ、見よ! これだ! これこそがこの女が人心を惑わす魔女である証拠である! なんと恐ろしい‼』


 広場は完全に大混乱に陥っている。もはや処刑どころではないだろうし、ルイン様がこうして立たれたということはライラさんの安全は確保されたと思って良いのだろうけれど……

「どど、どうしましょう、レラジェさん!」

「いやぁ、オレもあんま作戦について聞かされてなかったんで……ってか、これはちょっと想定外が過ぎるっていうか……ほんっと、あのヒト短気なんだから……」

 そもそもレイさんはどうしたんだろうか? 作戦とやらはどうなったんだろうか?

「でも、まぁ、あのオネーサンの演説はなかなか強烈だったんで、民衆の何割かはオネーサン側に傾いていると思いますよ」

「つまり?」

「つまり」

 レラジェさんはついついと広場を指差す。そこは怒号と怒声と悲鳴が響き渡り、完全に地獄と化していた。

「民衆同士で乱闘が起きます!」

 ハハハ! と軽快に笑いながらレラジェさんは「参ったな~」と楽しそうに言う。

「とにかくオレ達はズラかり……っと?」

 いち早く逃げようとしたレラジェさんの動きが止まる。それとほぼ同時に、広場も徐々に静まり始めた。何事かと刑場に視線を向ければ、先程まで断頭台があったその空間に、ぽっかりと漆黒の暗闇が現れていた。

 そしてその中から、一人の女性が現れる。腰まで伸びた真直ぐな漆黒の髪に、簡素でありながら質の良さを窺わせる漆黒のドレス、顔の右半分は前髪で隠しているものの、不潔感は一切感じさせない。何より、遠目にもすらりと高い長身は人目を惹く。

「あぁ、これがオニーサンの作戦なんだ……」

「誰、ですか?」

 オニーサン、とは多分レイさんのことだろう。では、あの女性は?


「さてさて皆の者、お初にお目にかかる。私は本来冥界から出てこないのだけれど、今回は随分と穢れた魂を浄化してほしいとの依頼が神族からあったからね。こうして直々にやってきたわけだ」


 女性は徐々に小さくなる漆黒の空間からやはり漆黒のハルバードを取り出し、その柄でトン、と地面を叩く。

 冥界から出てきた――ということは、つまりあれが‼


「まぁ、自己紹介するまでもないだろうけれど。一応冥王ということで名前が通っているようだからそのように認識してくれて構わないよ」


 コトカさんやレイさんの言っていた「アディス様」なのか。

 そのあまりの気迫に、その場にいる誰もが一切何も声を発さない。冥王はさっと周囲を見渡し、柔らかく、しかし不敵に微笑んだ。


「ところで、私が見渡す限り――そこまでの穢れを孕んだ魂とやらは見当たらないのだが、さてさて皆の者よ。どこの、誰の魂を刈り取れば良いのか、無知な私に教えてくれ」


 彼女にそう問われても、やはり誰も何も言わない。天使族も大司教も、小さく縮こまって口を閉ざしていた。


「ふむ、そうか。では今回の依頼は間違いであったと、そういうことで構わないね? ならば私はもう戻ろう。人間界の太陽は、私には辛すぎる」


 そう言うと、彼女はハルバードを大きく一振りする。すると先ほどと同じ場所に再び黒い穴が出現する。彼女は踵を返し、その穴に足を一歩踏み入れ――


「あぁ、そうだ。そこのお嬢さん」


 ライラさんの方を見て、そう声を掛けた。


「貴女の魂はとても私好みだ。どうかそのまま穢れなき心で、清廉な魂のまま寿命を全うして欲しい。是非とも私のコレクションに加えたい」


 最後にそう言って、彼女は漆黒の中へと消えていった。

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