第30話 ただ、生きたい
修道院は安寧の地ではなかった。院長が僕を拾ってくれたのは僕が特別な子供だったからだ。だけど、僕は院長が求めていた意味での特別ではきっとなかった。だって僕は、なんの力も取り得もない、ただの下らない子供だったから。
だから生まれてすぐに親から捨てられたし、軍でも使い捨ての駒でしかなかった。最初から、僕の命に価値なんてなかった。
やっと手に入れたと思った幸せは全て仮初めだった。
この世界に、僕の居場所なんて最初からなかったんだ。
かつて修道院だったその残骸に腰かけながら、僕は夜空を見上げる。星が綺麗だった。でもそれだけだ。はぁ――と溜め息を吐けば、そこには白い靄が広がった。もう冬が近い。だけど、ここがなくなってしまった今、この冬をどうやって乗り越えれば良いのだろう?
いや、そもそも乗り越える必要なんてないのかもしれない。だって、僕は世界に必要とされていないのだから。
こういうとき、ヒトは死にたいと、もう死んでもいいと、そう思うのだろうか? 僕ももしかしてそんなふうに思っている? 自問自答してみる。僕は死にたいの? もうこの世界から去りたいの? 意外にも、その答えはすぐに出た。
僕は、絶対に死にたくない。違う、死にたくないんじゃない。
僕は生きていたいんだ。
何で? 理由なんて分からない。だけど、それでも僕は生き続けたいと今もそう思っている。あの方に必要とされていないと分かっても、この世界にとって僕が石ころ以下の下らない存在だったとしても、それでも僕はこの世界で生きて、生きて、生き続けて、いつか必ず幸せになりたいと、そう願ってしまう。
何のために生きているの? 誰のために生きているの? どうして生きているの?
分からない。分からない。分からないことだらけだ――でも、だからこそ生きたいんだ。
目頭が熱くなる。溢れそうになる涙を堪えるために、袖口を瞼に押し付けた。手首がじんわりと熱くなり、その直後からみるみる冷たくなっていく。
突然、ドサッ――と、頭から温かいものを被せられる。吃驚して見上げれば、そこにはレイさんが立っていた。これは、彼のコートだ。
「大丈夫か?」
彼のその言葉を聞いたのは何度目だろうか。思えば初対面のときから彼には心配されてばかりいるような気がする。レレンテの街からここまで歩いて二日――その間にも、彼は何かにつけて僕を心配してくれていた。
「レイさん……レイさんは、なんで死神なんですか?」
鼻水が垂れて、ぐずぐずとした声になってしまう。だけど彼にはみっともないところをたくさん見せたし、今更そんなことは気にしない。
死神は神族の中でも異端の存在だと、そう聞かされてきた。命を奪い、生命を弄ぶ存在だと、教会も天使族も言っていた。だけど違う。こんなにも優しいのに、どうしてそんな恐ろしい異名を持っているのだろうか?
「それは、まぁ……俺の昔の行いが理由だけど」
とても言い難そうに彼は言葉を濁す。あまり深くは聞かない方が良いのだろう。
「そのことは良いとして……」
言いながら、彼は僕の隣に腰を下ろした。
「あんまアイツの言ったこと、気にすんなよ。アイツ、今ちょっとイライラしてるだけだから」
「良いんです……僕が勝手に自惚れてたんです……僕は、あの方にとって必要な存在なんだって、そう思い込んでたんです……」
言葉にする度に涙が溢れ出しそうになる。借りたコートを汚さないように気を付けながら、流れ出る涙を袖で拭う。
「この間、俺がした話……覚えてるか? 魔族との契約の条件」
「魔族は、欲望を求めてるって……」
「そうだ。叶えてはい、終わり――なんて生温い欲望をあいつらは求めてない。それ以外の全ての願いを捨てても良いだけの強い欲望を、魔族ってやつは求めてる。それはアイツも同じだ。お前はアイツにとって十分にその素質を持っていたんだろう。それがどんな欲望なのかは俺には分からないけど」
生きよ、生きたいと願い続けよ――と、あの方は言っていた。そう、僕の生きたいという欲望に、あの方は応えてくれたんだ。
「もう一つ、大事なことを教えてやる。魔族は自分の欲望と相手の欲望が合致したときにだけ契約をする。つまり、お前が抱いているその欲望と全く同じものを、アイツも持っている。それを俺が聞いたら怒られるから聞かねぇけど」
「同じっていうのは……どの程度の、同じ、なんでしょうか……」
「根底が近ければ近いほど良いらしい」
つまり、僕の欲望の根底が変わってしまったから価値がなくなってしまったのだろうか? だとしたら、もう一度あの方に必要とされることなんて――……
「ヒトの根底は、そう簡単には変わらない」
それだけ言うと、レイさんは立ち上がった。
「んじゃ、アイツとすり合わせた情報については、明日詳しく話すから」
言外に「もう寝ろよ」と言いながら彼は立ち去る。遠ざかる彼の背中を見送りながら、それよりもう少し先にいるあの方を見つめる。一瞬、目が合ったかもしれない――なんていうのは、きっと気のせいなのだろう。
***
朝陽が昇ると同時に目が醒める。こんな状況だというのに、意外にぐっすり眠れた自分に吃驚する。いくらレイさんからコートを借りたとはいえ、この状況でよく寒くなかったなと周囲を見渡せば、僕のすぐ隣に焚き火の跡があった。レイさんだろうか?
道理で寒くなかったわけだ、なんて思いながら、一応土をかけて火の始末をしておく。とはいえここは既に焼け野原で、焼けて困るものなどこれ以上はないのだけれど。でも、ここから更に山全体が燃えてしまったら大変だし、やっぱり火の始末は大切だ。
それから周囲を一通り歩いてみたけれど、元修道院の敷地内には二人の姿は見えなかった。どこに行ってしまったんだろうか?
少し不安に思いながらも、下手に動いた方がまずいのだろうなと思って、大人しくその場で待機する。
修道院の皆は、無事なのかな――と、ふいに不安な気持ちに襲われる。たとえそれが仮初めであったとしても、真実ではなかったとしても、事実として僕は彼らに幸せを貰っていた。その裏にどんな意味が隠されていようとも、僕が幸せだと感じたあの日々は絶対に嘘なんかじゃないんだ。
そう思うと、少しだけ心が軽くなった。それと同時に早く皆に会いたい気持ちが強まってくる。
「ライラさん、どうしてるかな……」
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