第29話 再会
「なんだ、これ……」
僕は愕然と――眼前に広がる虚無を見つめた。全身から力が抜け、膝が崩れ落ちる。何もない。
そこには何もなかった。
あの古いながらも温かかった修道院は灰燼に帰し、緑豊かな広場も今はただの焼野原だ。黒炭と化した建物の柱が数本立ち並び、そこに確かに建物があったのだということを教えている。
いつも笑い声と泣き声の絶えなかったその場所に響くのは、虚ろを奏でる風の音だけだった。
「どうして、なんで……!」
ほんの数日前まで確かにここには修道院があったのだ。ここで一体何が起きたのか? いや、それよりも、皆はどこに行ってしまったんだろうか? 不安と焦りと後悔と――様々な負の感情がない交ぜになって僕の心を蝕んでいく。
これではいけない、冷静にならないと、ちゃんと考えないと――そうは思っても、思考はただ空転する。何を考えれば良いのか、何をすればいいのか。何も分からない。何も分からないまま、ただただ黒い感情ばかりが僕の胸の中をぐるぐると蠢き続ける。
ペキッ――という乾いた音が耳に届いて、ハッと顔を上げる。気付けば、ここまで一緒に来ていたレイさんがかつて建物だった消し炭の中へと足を進めていた。僕も急いでその後に続く。
「……魔力、法力、あとは神気も少しか? いや、これは神気というよりは邪気……? ここが一時的に戦場になったのは間違いないみたいだな」
「分かるんですか?」
「多少はな。残滓、みたいなものはある。少なくともこの場に、魔族と天使族、あとはそうだな……アディがここに来ることは考えられないから、その使いの冥獣でも来てたんだろう」
「なんで、そんなヒトたちがこんな寂れた修道院に?」
「さぁ? ただ、俺の持っている知識だけで言うなら、ここが鷲の巣だからだろう」
「鷲の巣というのは……そんなに、重要なものなんですか?」
「あぁ」
一言そう呟いて、レイさんは瓦礫を漁り始める。まるで何かを探すように焼け焦げた木片を拾っては捨て、割れたガラス片を足でどかし、黒い灰を手で払う。
「あった」
その言葉に彼の方を見れば、彼は下を向いたまま僕を手招きしている。近付いて、彼の視線の先を見る。そこには、鷲の文様が細工された鉄の扉があった。
「これは……?」
「この間、鷲の巣に集められるのは特別な子供達だ、って話はしたな?」
「はい」
「通常、人間には他の種族のような能力は備わっていないとされている。けど、たまにいるんだ。他の種族の能力をそのままトレースする力――
「呪力、ですか?」
「あぁ、そうだ。他の種族の特定の人物と波長が合うことで、その人物の能力を自分の力のように使うことができる。そういった特殊な人間を東の方では
言いながら、その鉄の扉に手を掛ける。ただ、頑丈に鍵が掛かっているらしく、そう簡単には開かないようだった。
「それは、魔族と契約した魔女とか、そういうヒトとはまた違うんでしょうか?」
扉の淵をその辺に落ちていた鉄の棒でガシガシと叩いたり掻いたりしながら、レイさんは話を進めていく。
「あぁ、全くの別物だ。巫覡は先天的なもの。素の能力そのもので、代償はないと言って良い。だが、魔族であれ神族であれ精霊族であれ、後天的なものは全て契約だ。契約というからには当然代償が必要になる。他の種族は基本的に人間の念を糧に力を得ているからな。魔族なら欲望を、神族なら畏敬を、精霊族なら喜びを常に契約者に求めてくる。……――お、開いた」
ガコンッ、という鈍い音と共に、鉄の扉が外れる。中からは黴臭いような、埃臭いような、どこか鉄臭いような……なんとも言えない気持ちの悪い臭いが漂ってくる。
「かと言って、呪力を持って生まれた人間も生まれた瞬間からその能力を使えるわけじゃない」
「そうなんですか?」
「あぁ。結局自分の力なんて知らないまま死ぬ人間の方が多いだろうな。――さて、ではどうやってその能力を開花させるか?」
扉を半開きにしたまま、レイさんは僕を見る。その下に、その答えがあるということなのだろうか。だけど、直感的に思ってしまう。知りたくない――と。
「答えは、これだ」
扉の下にぽっかりと空いた暗闇に光が差す。そこに何があるのか。知りたくないと思いながらも、覗き込まずにはいられなかった。真っ黒な虚空が白日の下に晒され、そこに見えてきたのは――
「ひっ……!」
「その人間を極限状態に陥れて、生にしがみつかせる。そうして鷲の巣は雛たちの巣立ちを促す」
眼下に広がる赤黒い染み。周囲にあるのは手錠と縄と足枷と――ここで一体何が行われていたのか? 知りたいわけがない。知らない方が幸せだった。
込み上げてくる胃酸を必死に飲み下す。一度深呼吸をするも、周囲の焼け焦げた臭いと扉の先から醸し出す世界の澱を煮詰めたような臭いが喉を通り、より一層の嘔気となって体を巡った。
「あ、あの……でも、なんで、鷲の巣は他の種族にとっても大事、なんでしょうか……?」
極力平静を保とうと思うのに、震えたり掠れたりと情けない声が出てしまう。そんな僕を見て、レイさんは片手で持ち上げていた扉を下ろし、地下室に蓋をする。そして僕の背に手を宛て「大丈夫か?」と声を掛けてくれた。
その瞬間、すっと体から毒気が抜けていくのが分かった。まるで先ほどまで何もなかったかのように、僕の心臓は静な鼓動を取り戻す。
「理由は色々だ。人間が危険な能力を持つことが許せないとか、自分の能力を使う者を食べると強くなれるとか、ただ単純に特別な能力を持つ人間の研究がしたいとか、その遺伝子が欲しいとか、な」
「じゃあボスディオスが、そういう人間を求めるのは?」
「……――神族に献上するため、つまり生贄だろうな」
絶句する。この世界にそんな残酷なシステムが存在していただなんて。でも、じゃあ、この修道院は一体なんだったのだろうか?
不思議な力を持つ子供、のっぴきならない事情があって社会から追われたヒト、様々なヒトがこの修道院には集まって来ていた。その大半は院長が連れてきたヒト達だ。
院長は生贄を育てるためにここを作った? いや、でも、だったらあえてクライオス教を掲げる意味は? 分からない、分からない、分かりたくない。僕はここが大好きだった。ここでの暮らしを幸せだと思っていた。それはまやかしだったのだろうか? すべては虚構に過ぎなかったのだろうか?
平和な日常がガラガラと音を立てて崩れていくような気がした。やっぱりこの世界に僕の居場所なんてないのかもしれない。あぁ、でも、だからと言って僕は、僕は、ぼくは――‼
「フェイト、伏せろ!」
突然、レイさんに押し倒され、覆い被さられる形になる――こんな咄嗟の出来事でも、彼は僕が頭を打たないように後頭部を手で守ってくれていた。そして次の瞬間、轟々とした唸り声を響かせながら、上空を白い弾が飛んでいくのが見えた。
「貴様ら、ここに一体何用だ?」
それは静かな声だった。静けさの中に激情を燃やす憤怒の声だ。怖い。確かに怖いと、そう思った。だけどそれ以上に、僕の中に芽生えたその感情は――……
「いきなりなんだ……って、お前……!」
「……なんだ、貴様か。チッ、無駄打ちだったではないか」
ドキドキと心臓が高鳴る。さっきのような不快感によるものじゃない。レイさんの陰から、そのヒトをそっと覗く。その瞬間、僕の中で何かが弾けた。
そのヒトは長い金糸を掻き上げ、猫のような形の良い双眸を細める。緑の虹彩の中央に彩られた深紅の瞳孔はまるで僕の全てを見透かすかのようで――僕は思わず立ち上がり、駆け寄り、そして平伏した。
「ずっと、ずっと、お会いしとうございました! あの日、あの時、貴方に助けて頂いたときから、ずっと――!」
もはや自分でも何を言っているのか分からない。けれど、この昂ぶる感情を抑え付けることもできなかった。ずっとお会いしたかった。ずっとこの時を待っていた。「迎えに来る」というその言葉が、僕にとっては何よりの支えだった。
そっと上を見上げれば、冷たく、厳しい視線が下りてくる。
「フェイト……」
「はい!」
「私は貴様にそのようなことを望んではいない。今の貴様は私にとって何の価値もないただの犬だ」
その瞬間、僕の世界の最後の要が折れた気がした。
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