第27話 解呪の副作用

「あぁ……これは辛かったな……」

 そう言って、レイさんはコトカさんの右目に手を宛てた。彼が近付くほどに目を真っ赤に腫らし、息を荒らげていたコトカさんだったが、そうして触れられた直後には何事もなかったかのように落ち着いていた。

「っていうか、アディ・・・の奴はなんだってこんな無駄な仕掛けギミックを仕込んだんだ。これじゃ見つけようにも辛いだろ……」


 ほんの数時間ぶりに再会した彼は、先程とはやっぱり変わらない調子で――当たり前だ、そんなに時間は経ってないのだから――軽く僕たちの話を聞き、そして僕たちの要請に応えてくれた。

 何よりも最初にコトカさんの右目のこと。彼が近付くだけで熱くて苦しいという彼女の言葉を受けて、「これは確かに俺の目だけど……」と言いながら首を傾げた。が、考えるよりもまずは苦痛を和らげることが先だと判断したのか、その後まもなくこうして目の治療に入ってくれた。


「これは、元々こういうもの、じゃないの?」

「いや、全然。だってそれ、ただ単純に要らなくなっただけの普通の目玉だし……」

「単純に要らなくなっただけの普通の目玉……」

 その言葉のあまりの破壊力に、思わず言葉を繰り返してしまう。普通、普通のヒトは単純に普通の目玉が不要になったりはしないと思うのだけれど。普通とは何だろうか。それにそう簡単に使い回すこともできないと思うのだけれど。その点について言及するのは野暮というものなのだろう。神族のすることは人間如きが推し量れるものではないというのは周知の事実だ。

「で、次はその全身の呪いか……確かにこれは酷いな……」

 レイさんはコトカさんの腕にある痣に触れ、次に他の部位にも目を向ける。何かを考えるように一瞬黙り込んだ後、おもむろに口を開いた。

「この呪いを解くなら魔界か……そうじゃなくても神界の監視が及ばないところ――それこそアシバラの……俺達が世話になってるサクアズマの里とか、あの辺でやった方が良いと俺は思う」

「どうして?」

 どこか不安げにコトカさんが問う。

「これは解呪したときに神通力が暴走するようにできてる。最悪死ぬかもしれないし、そうじゃなくても肉体と魂の乖離は避けられないだろう」

「肉体と魂の乖離と死は違うんですか?」

 通常ヒトは、死後にその肉体から魂が離れ、完全なる死を迎えるものだ――と、司教などは説いている。それらが別々の概念であるのは僕にとっては――恐らく多くの人間にとって――意外な事実というものだ。

「肉体が活動を停止した後に魂が離れれば死だ。肉体が生きている状態で魂が離れれば……それはヒトならざるものになる」

「ヒトならざるもの、ですか?」

「あぁ。基本はヒトだけどな。なんつーか……まぁ、それは良いや。子供の頃に神族を殺せたっていうのもそうだけど、コトカ――って言ったっけ。お前の魂は割と特殊な性質を持っている。神族にとっては都合が悪い。だからどんな理由であれ、身体から魂が離れたときにすぐ回収できるように細工を施したんだと思う」

「…………そう……」

「ただ、それも自動的に回収されるわけじゃなくて、天使か神族が取りに来られるようにサインが出るって感じだからな」

「だから、神族の監視の、届かないところ?」

 レイさんは首を縦に振る。

「魔界か冥界辺りなら奴らは来られないし、邪魔が入らないなら何かあっても俺が探してまた体に戻すこともできる。冥界は元々魂の数が多すぎて、探すのが骨だから嫌だけど。――アディも居るし」

 アディさん――とは、確かコトカさんに右目を贈ってくれた人のことだった。彼女が冥界の住人であるということを知り、冥族が実在したという事実を知り、驚きを禁じ得ない。

「わかり、ました。でも、魔界に行けば、解いて、もらえますか?」

「あぁ、それは約束する」

 どこか強面なその顔から緊張の気配が消える。ふっと緩やかに口角を上げる彼の顔はとても優しく、それだけでも先程ロウカさんが言っていた「優しいから」という言葉の意味がよく分かる。

 そしてその力強い約束の言葉に、コトカさんも安心したようだった。彼に会ってから暫く、強張っていた肩から力が抜けている。彼女の望みが本当に叶うのはまだ暫く先になりそうだけれど、取り敢えずは一件落着と思って良いのだろう。


「で、次がなんだっけ? 異端審問官にクライオスの修道院の院長が連れて行かれた、と……」

 現状、一番急を要しているのはそのことだ。院長が連行されてからもう一時間ほど過ぎただろうか。いや、もっと時間は経っているのかもしれない。どうにも時間の感覚が分からなくて、焦る気持ちと根拠もなく「きっとまだ大丈夫」と思ってしまう気持ちとが交互にやってくる。

「その院長の名前が鷲の巣アギレラ、なんだよな?」

「そうです」

「ふーん?」

 彼はやはりまだその名前に引っかかっているようだった。院長は確かに僕たちに隠していることがあるのかもしれない。だけど、それとこれとは別の話だ。そのことを訴えても良いのだろうか。

「あの……!」

「そうだな……」

 意を決してその言葉を口にしようとしたと同時に、レイさんもまた、自身の中で答えが出たようで口を開く。

「お前の言いたいことは何となく分かった。ボスディオスの連中がクライオスの人間を拷問にかけるために連行したなら、公国と大司教国の境の砦あたりに向かう筈だ。処刑する為なら……大司教国の首都に向かうだろうが……多分処刑はされないだろ」

「り、理由は……?」

「仮にもアギレラの名を戴いた者を、ボスディオスは絶対に殺さない」

「本当に、本当ですか?」

「あぁ。事故で死ぬ・・・・・ことはあっても、刑に処されることはまずないと考えて問題ない。だから、目指すべきは国境の砦あたりになると思うんだが……」

 そこで言葉を区切り、レイさんはなんとなく気まずそうな顔をした。何か問題があるのだろうか?

「悪いが俺はそこには行けない。俺も他にやらなきゃいけないことがある」

「えーーー⁉」

 僕よりもコトカさんよりも、一番最初に落胆の声を上げたのはロウカさんだった。

「ここまで言っておいて行けないとか酷くない⁉ っていうかレイ兄の用事って何よ! アタシにも言えないことなわけ⁉ 歓楽街で遊んでたってこと、リン姉に言っちゃうよ?」

 もしかして、これまで僕たちのためにその不満を胸に抱えたまま、ずっと我慢していたのだろうか? レイさんのその発言を皮切りに、ロウカさんの怒りはどんどん上がっていく。顔を真っ赤にしながらそう捲し立てるロウカさんに対して、レイさんはたじたじと後ろに下がった。

 身長差が恐らく五十リベイト近くあると思われる二人の関係は、その外見に反してロウカさんの方が強いらしい。これまで堂々とした態度で僕たちに色々な見解を聞かせてくれていたとても大きなその男性が、一瞬にしてなんだか小さく見えてしまった。

「いや、別に遊んでな……ってか、これもリノ・・の頼みっていうか……」

「リン姉の?」

「あぁ……」

 レイさんは溜め息を一つ吐いて、ことの成り行きを話し始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る